坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

家内安全

2010年11月11日 | 坊主の家計簿
 だらだら~っと、娘と遊ぶ。いや~、しばらくバタバタしてましたし、結構、エエ感じ。

 で、何やら『sengoku38』を名乗る人が出頭(?)したらしい。まあ、『出頭』という言葉が正しいのかどうか解らんが。
 で、諸々のニュースなんぞを見ていると「sengoku38は悪くない」なんぞと。いや、それは人情でんがな。人情としてはそうなのかも解らんが、まあ、有罪になるのだろう。
 だって、この『事件』って、最初っから政治でしたやん。政治的判断で中国人船長が釈放になったのだろうし、なら、今回の流出ビデオ問題は、政治的には有罪に決まってまんがな。

 http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1110/mai_101110_4429466151.html

 によると「国家機密的扱いはされていなかった」らしいが、それでも政府が「公開しない」という判断だったわけなんだし、ビデオを見れる立場にあった人間だとしても、勝手に流出させたらアカンやろ。執行猶予はつくやろうし、43才、中国との関係の手前、現職に残れる事はないだろうが、ほれ、こんな時こそ『官房機密費』っちゅうもんがあるわけやねんし、再就職を(裏で)斡旋して、所得格差があるのならば官房機密費で補填したったらエエやん。何にしても日中両政府の政治の被害者やと私は思っとるし。日本に逮捕された船長もそうやけど。んなもん、日中の政治の被害者でっせ。

 『政治の被害者』だと私は思っているが、でも、まあ、ヒーローでもなんでもないわな。一昔前、っちゅうか、戦争中やったら『反逆罪』とかそういう罪があったのかどうか知らんが、まあ、死刑もんやったかも知れん。軍隊組織なら大問題。まあ、私は「あえて情報を流出出来るような環境を作った」と思っとるので、その犠牲者だと思うが、それでも、アカンもんはアカンわな。決してヒーローではない。

 旧友がこの件に関して「英雄が居ない時代は不幸だが、英雄を望む時代はもっと不幸だ。」と、ミクシィーでつぶやいてた。

 まあ、五・一五事件とか、二・二六事件やないねんし。

 今日、夕方の『アンカー』っちゅう関西ローカルの報道番組で青山某が紹介してた与那国町の町長(?)の言葉で「日本に復帰前には尖閣諸島には平気で行けたが、復帰後は行けなくなった」みたいな言葉を紹介してはった。熱い心の持ち主の青山某、青山繁晴か。青山繁晴氏はその辺りから涙ぐむ。けど、まあ、海上での『国境』なんぞがハッキリしていなかった時代、っちゅうか、琉球王朝時代でも、その前でも平気で行けたはずやし、っちゅうか、与那国島なんぞは日本に復帰前に「台湾の方が近いやん」っちゅう議論もあったはず。与那国や石垣辺りの漁師さんが尖閣諸島に漁に出れないのもオカシイし、台湾&尖閣諸島に近い中国の漁師さんが漁に行けないのもどうかと思ったりする。それは根室辺りの漁師さんが『北方領土』に漁に行けないのがオカシイのと同じ。

 ジョンレノンが居ったら、絶対に尖閣諸島でライヴやってたと思ったりするのだが、え~。。。妄想やな(笑)
 ベトナム戦争時に北も南も支持しなかった僧侶のグループ、まあ、ティクナットハン師達のグループの人が戦争に反対して焼死自殺したらしいが、残念ながら私にそんな気合いはない。

【誰かが、あなたの右の頬を打ったなら、左の頬を向けなさい。】(マタイ5章39、ルカ6章29)

 らしい。

【「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には怨みはついに息むことがない。
 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。ーーーこのことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。】 (ダンマパダより)

 らしい。

 『らしい』は他人事。信仰も他人事。

 んな事云っても、私も他人事にしているわけであって、でんなぁ。。。

 今日、風呂上がりにテレビをつけたら『水無昭善』っちゅう『おねえキャラ』の坊さんが出てた。「なんじゃこりゃ?」と思って検索してみたら高野山真言宗の坊さんだったのね。真言宗、見直したぜ。マジで。
 で、テレビを見てたら、何やら水無昭善氏の所には多くの相談者が訪れるらしい。どういう人が相談に来るのかは知らんが、多分、『性同一性障害』とレッテルを貼られる様な人達も来るのだと思われる。何が障害なのか解らんが、まあ、世間で生きていく中での障害だから『障害』なんだろう。メガネがなきゃ、私だって障害を持っているわけだし。障害なんぞそんなもんやし。
 で、やっぱし、単純に思うのだが、私の所に性同一性障害の人が相談に来るよりも、やっぱし水無昭善氏の所に行きたくなるやろ。「この人は私と同じ苦しみを抱えている」と。

【「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々】(歎異抄第九章)

【恨みに依らず、「悲しいね」って言えるかどうか、「南無阿弥陀仏」って言えるかどうか】(by鍵主良敬)

 あ、明日も仕事やった。