坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

帰る処が無く孤独である

2009年06月16日 | 坊主の家計簿
 今日は陸運局へ。陸運局ちゃうわ、え~と、軽自動車の名義変更をするところへ、車を売ってくれた先輩とお出かけ。
 お出かけまでに時間があったので、愛車の初洗車。梅雨入りしたはずなんだが、晴れの日が続いているし、「水遊び、水遊び」と洗車する。

 夕方からは代打の通夜。ちなみに明日も代打の通夜だったりする。

 人生に代打はない。

 っちゅう、言葉でも掲示板に書こかな。1行やから、縦書きの方がエエかな。字をでっかくして3行にしよかな。

 んでもって『月光』をもう一度聞いてみたりする。この歌って『青草』っちゅう母校の卒業生機関誌に紹介されてた歌なんかな?まあ、歌の感じもキライな感じやし、歌い方も「お前はボイストレーニングでもしとるんかい!」って云いたくなる。

 あ、思い出したのでついでに。
 今晩の通夜。私の通夜では阿弥陀経と正信偈をやる。で、阿弥陀経が終わって正信偈を読んでたら背後から数人の声がする。
 私は声自慢である。正信偈の最後辺りの声を張り上げる辺りは見せ所であったりする。なんちゅうんですか?モーツアルトのレクイエムみたいな感じで頑張っとるわけなんですが、え~と、ついて来れんわな。。。
 後ろで私語をしてた人が居てた。何を喋っているのか知らんけど、私には「正信偈って一緒に勤行しなあかんのに、何を1人で、声張り上げとるねん」と聞こえた。

 『月光』を聞きながら「なんで救いを求めるねんやろ?」なんぞと思ったりもする。まあ、んなもんは「さみしいからに決まっとるやんけ」なんだが。「さみしいから、分かり合いたい」っちゅうやつでっせ。逆にいうと、分かり合えないから、さみしい。
 でも、『分かり合いたい』っちゅうもんがあるから、「さみしい」。どうでもエエのなら、んな感情は出てけえへんし。

 「さみしい」という出会い方。
 「救いを求める」という出会い方。