坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

1+1は?

2009年05月15日 | 坊主の家計簿
 部屋片付けなんぞをしてたら、オカンより電話。何やら引っ越しの手伝いに行かんでもエエのか?っちゅう事。
 我がオカンは70代半ばのはずである。41歳の私は単純作業はバリバリ早い。とにかく動き回る。そういう動きに対応出来る人ならともかく、70半ばのオカンは対応出来るわけがない。つまり、引っ越し先の部屋で荷物を片付けている時にオカンが同じ部屋に居たら邪魔なのだ。よって、丁重に「邪魔やからいらん」と断る。
 こういう場合は1+1=2に成らない。なって、1+1=0.8ぐらいなもんである。下手すると0.5ぐらいにしかならない。「その本はどこ」なんぞとイチイチ指示している間に、さっさと自分で動いた方が圧倒的に早く終わる。んな事は散々経験済みである。
 んが、こういう場合、例えばこれが飲み屋の作業だったりする場合ならば、これがイベントになる。イベントになって参加者をより一層『身内』に巻き込む事ができ、それによってその客が喜んでくれるから、まあ、別に構わないのだが、元々身内のオカンの場合は別であり、かつ、やっぱし邪魔。
 んがんが、こういう邪魔な事に私も参加して来たのだし、やっぱし必要である、と思ったりもするのだが、やはり邪魔。時間がなく、イヤな言い方だが『遊んでるヒマはない』。
 
 この発想方法を優生思想という。
 んなもん、作業効率だけで考えたら1+1は最低でも1.5になって貰わんと困る。1+1が1以下だったら1人でやってた方が早く能率がエエのだ。「邪魔するな」っちゅう話である。
 んが、んなもんはあくまでも『作業効率』っちゅう話であって、『共同作業』っちゅう話ではない。

 以前、学生時代に恩師より教えられた事がある。某学習会を立ち上げる時の話なんだが、まあ、『教団問題』っちゅう込み入った話である。んなもんは、関心があり、かつ若干の予備知識がある人達だけで学習会をした方が研究は深まる。んが、んなもんは『研究が深まる』だけであって、事実として、実際に教団問題をやっているわけではない。『教団問題』っちゅう事を学んだ人間、学ぼうとしている人間がやるべき事ではない。
 
 『僧侶』なら『僧侶』という専門家だけがやれば、あるいはそれに興味を持つ人達だけが『仏教』っちゅうもんに関わり、それ以外の人達はそれ等の専門家集団に寄付する形であれば、んなもんは『僧』と『俗』との分け隔てが増々出来る。
 「あんたら頼んまっせ」なら、まあ、専門家は増々専門家として声明なら声明のプロになり、『俗』が出来ない声明をツラツラ、ペラペラとやってしまう。
 声明、っちゅうのは、専門家集団『だけ』でやるのが『美しい』のだ。そりゃそうだ。訓練された合唱部みたいなもんなんだから。訓練された合唱部に全くの素人が入って来て、素人と一緒に合唱するよりも専門家だけの方が『美しい』。声も綺麗に揃うし。
 合唱部なら、1+1=2以上なんだろう。それが、『素人』っちゅう『邪魔者』が入ることにより1以下になる。
 でも、『合唱すること』が目的であり、つまり『美しく歌う事』が目的でなく、『合唱する事が目的』ならば話は別だったりする。
 まあ、何を目指すのか?っちゅう話でんな。