坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

仏作って魂入れず

2009年05月08日 | 坊主の家計簿
 昨日買えなかったカバンを買いに堺筋本町へ。
 カバンは新婚旅行にも使うし、住職修習にも使うし、他所の寺に遊びに行く時にも使う。遊びに行った時は法要が終わるとさっさと私服に着替えるから荷物が多いのだ。
 なので、小さいスーツケース、っちゅうか、ガラガラが付いた、あ、キャスターが付いたカバンで、出来るだけシックなヤツを探してたんだが、ポリカーポネートっちゅうのか?まあ、プラスチックのエエやつで出来たカバンがお手頃価格(5千円ちょい)で売ってたので、迷う。んが、用途が用途だし、ガラガラの引っ張る所が完璧に隠れるヤツで、生地(?)もエエ感じのシックなやつが6千円弱で売ってたのでゲット。さっき衣装を詰めたら見事にバッチシ・サイズ。

 帰宅して、ダンボール集め。数軒のスーパーを回って「すいません、荷物を送りたいんですがダンボール下さい」と。どこの店でもイヤな顔ひとつせずに呉れた。微妙に嬉しい。
 本とかCDを徐々に詰め始めて行こうと思てたら、単身赴任住職候補としての急用が入って、勉強&一文を書く。『一文』っちゅうても、ほぼ引用やけど、勉強、勉強と。

 終わると、疲れて、っちゅうか、夜も遅いのでダンボールは放ったらかし。
 
 と云う事で、今現在、私の部屋には『旅行の荷物が全く入っていない旅行カバン』と、『引っ越し用品が全く入っていないダンボール』がある。
 これは。。。
 『仏作って魂入れず』っちゅうやつか。

【末法においては、戒はもはや意味を持たない。だから戒を守るとか破るというようなことにこだわる必要はない。しかし、問題は戒の消滅とともに仏教も消滅するのかということです。仏教の存在意義が、戒の有無に左右されると考えるならば、それは完全に本末転倒でしょう。もし戒が守られなくなったために仏教が消えるならば、仏教はしょせんその程度のものだったとあきらめる以外にない。本当にそうなのか。末法において、仏教の使命は何もないのか。もしあるとすればどういう形で存続するのか。その役割を担う存在は誰か、です。
 質問者には、「無戒しか存在しないなら、仏教なんてない方がましだ」と言いたい気持ちがあるわけです。腐ったものは放り出そうとするのか、あるいはそこを出発点として意味を問い直そうとするのかの違いです。これは自分が出遇った仏教がどのようなものであるか、その仏教観が問われる問題です。】(藤場俊基『親鸞の教行信証を読み解く?』53~54ページより)

 何を書いてるねん。っちゅうか、何を引用して打ち込んどるねん。恐るべき無添加ワイン。無添加ワインは危険なので、ここは発泡酒に変更しよう。
 
 う~ん。。。炭酸が喉にエエ刺激である。
 
 しゃて、ウチの狭い部屋には『旅行の荷物が全く入っていない旅行カバン』と、『引っ越し用品が全く入っていないダンボール』がある。旅行カバンは棚の上に乗っけたので邪魔ではないのだが、ダンボール、邪魔。
 「この役立たず!何をこんな所に居座っとるねん!」
 なんだが、引っ越し時には大活躍してくれるはずである。それにも関わらず、今は邪魔で、邪魔でしゃーない。

『私はあなた方を決して軽蔑しない。何故ならあなた方はいずれ仏に成られる御方だから』(by常不軽菩薩)

 縁ある他者。
 私を決して見捨てなかった恩師たち。

 『役に立つ』『役に立たない』もエゴ、エゴ。
 んが、それ以前に「引っ越しの為に必要やし」っちゅう事で貰って来たダンボールを邪魔者扱いする根性は我ながら凄いのぉ。。。

 都合によって判断する。
 都合が良けりゃ必要とし、都合が悪けりゃ排除する。
 「このゴミが!」っと。

 都合の良い『僧侶』
 「ああ、あの坊さんはウチ等の話も聞いて呉れるし、ホンマにエエ坊さんやで」

 都合の悪い『僧侶』
 「なんやねん、あの坊さん。自分の意見ばっかり言って、ちっとも私等の云う事に耳を傾けてくれへんやんけ」

 都合の良い『僧侶』
 「あの坊さんは、しっかりと修行してはって、ホンマに立派でエエ坊さんやで」
 
 都合の悪い『僧侶』
 「なんやねん、あの坊さん。修行もせんと酒ばっかり飲んで、酒臭い息で読経しやがって。ホンマ、ロクでもない坊さんやで」

 と云う事で、都合の悪い坊さんの私にも関わらず、当然の事、修行が足らん、っちゅうか、念仏もロクにせずに今晩も酒を飲みつつブログを書きつつにも関わらず、自分のやっている事を省みる事もなく、「てい!なんじゃい、このダンボールわ」と不平不満だらけ。

 ♪何から何まで君がわかっていてくれる
  僕の事すべてわかっていてくれる
  離れ離れになんかなれないさ
 (RCサクセション『君が僕を知ってる』より)

 と、今日もひつこくRCの名曲。

 【仏から信ぜられている-絶対に-何もかも承知の上で信ぜられている。】(曽我量深)