坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

赤ちゃんポスト

2007年02月23日 | 坊主の家計簿
 2月23日

 雑費   缶コーヒー         120円
 食類   もちもちチーズパン     105円
 外食   回転寿司          525円

 合計                 750円
 2月累計             64872円

 っちゅう事で、今日は葬儀だったのでバタバタ。
 残ってたお参りを済ませて、「よっしゃ!頭の皮喰いに行くで!!!」気分だったんだが、え~。。。飲みに行くと帰りの電車で寝る事必須なのでこれは危ない。電車によっては「こら、なんで昼間葬儀してた所に戻らなあかんねん!」になるし、これは危険だ。っちゅう事で、今度やな。

 メシ喰いながらテレビニュース観てたら『赤ちゃんポスト』とか云うのをやってた。
 え~。。。論外である。『ポスト』という名称がよくない。ホンマは『こうのとりのゆりかご』と云うらしいのだが。。。別に『赤ちゃん』はモノではないしなぁ。。。

 どうせなら国がやるべきではないのか?『ポスト』と云う形式は論外だが、要するに様々な事情によって『赤ちゃん』乃至『子ども』を育てられない事情があるのなら国が面倒をみればいいじゃないか。当然、それは今もあるんだろうけど、もっと気軽にだな、まあ、『赤ちゃんポスト』という名称は良くないが。。。

 産まれて来た『赤ちゃん』は誰のものなんだろうか?誰のものでもないと思う。
 当然、『誰のものでもないから国家や、天皇のもの』、っちゅうわけでもない。
 でも、産まれて来た赤ちゃんが様々な事情によって育てる事が出来ない事情だったら、もっと気安く国が面倒をみればいいじゃん。
 別に『母親』に全責任があるわけでもない。親が面倒をみなければならない事もない。血縁を重んじる必要もない。
 そういう前提があるから『捨て子』になるんだろうが、別に共同体で産まれた『赤ちゃん』なんだし、『公』で育てればいい。
 
 「私は母親失格だ。」
 とか、しんどいじゃん。そんな事はない。血縁に縛られる必要もない。所有欲に縛られる必要もない。実母に抱きしめられなくても子は育つ。ただ、『実母』にこだわる文化があるから、その意識に縛られているだけだ。

 母親は『お袋』ではない。また、『母親』でもない。赤ちゃん、子どもを育てるのは『お袋』の義務である、みたいな風潮はイヤ。
 『母なる大地』という言葉も偏見に満ちててイヤ。

 産まれて来た『赤ちゃん』と云う一個人は当然のごとく、誰のものでもなく、ただ、仮にあり得るのなら本人のものだ。
 その『赤ちゃん』という一個人には、当然、誰かの保護が居る。それを『母親』『親』『血縁』だけに固定化するのでなく、『公』で保護すればイイだけじゃん。

 『赤ちゃん』をポストに『捨てる』事には反対だ。
 『赤ちゃん』を高齢化社会を支える道具にするのも反対だ。
 『赤ちゃん』を日本民族の為に利用するのも反対だ。
 
 ただ、『赤ちゃん』を一個人として尊敬して、自立出来る間は誰かが保護しないといけないのなら、別に『公』が保護してもイイじゃん。

 ちちんぷいぷいを観てたら、山田悠子の就職活動、っちゅうテレビCMを紹介してた。
 あれは『御陰さま』だと感じる。
 
 私が産まれた時にはきっと両親なり血縁関係者なりが直接的には喜んでくれたと思う。
 でも、それだけじゃないと思う。
 私も知らんヤツがどこで産まれたかなんぞ全く知らない。でも、なんか『産まれた』っちゅう事を聞くと心のどっかで嬉しく感じる。
 御陰さまでっせ、御陰さま。

 家族愛でもなく、国家に対する忠誠でもなく、特定の宗教に対する忠誠だけでもなく、『御陰さま』でっせ。

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