坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

「代われ」じゃなく、「変わろうよ」。

2007年02月12日 | 坊主の家計簿
 2月12日
 
 雑費  缶ミルクティー        120円
     タバコ10         3000円
 食類  明太子            203円
     かいわれ            28円
     牡蠣2            256円
     無添加ワイン         438円
     野菜揚げ            88円

 合計                4133円
 2月累計             35303円

 ああ、よう寝た。
 今日は法事があったので&放っといても12日は忙しいので、W忙しいで、仕事が終わって飯喰って爆睡。目覚まし&メールの着信音なんか知りませ~ん!っちゅうやつでんな。

 せっかくの休み前日なので『もみじ』にでも行って、この間美味かった『豚の頭の皮』と焼酎とで一杯やりに行きたかったんだが、今日は月曜日で『もみじ』は休みか。っちゅうか、飲みに行ける時間でもなかったんだが。
 っちゅう事で、真面目に(?)公文のテキストをやる。
 ストレス溜ってるので政治の悪口。

 そのまんま東の東国原宮崎県知事が副知事に選挙戦で争った自民候補に要請したらしい。なんか諸々の事情でダメになったらしいのだが。
 その中で『裏切られた』みたいな意見があったらしい。「彼なら宮崎県を変えてくれると思って投票したのに、自民候補を副知事に要請するなんて。。。」みたいな感じか。諸々の情報から感じるに。
 これがよく解らん。圧倒多数の自民が議会を支配している中で、『そのまんま東』というタレント議員だから当選したものの、自民を無視して政治が出来るのだろうか?
 別に自民党議員は、まあ、地域の事情も色々と複雑なのかも知れないが選挙で選ばれたわけだ。その自民党議員を無視して知事の特権で、東国原知事のやりたい事が出来るとは思えない。
 そのまんま東は人気と知名度があるから当選しただけだ。仮定の話だが、彼と同じ意見を云う無名の知事候補が当選したとは思えない。だが、彼にはやりたい政治があるんだろうし、だからこそ、圧倒多数の自民党議員達が推していた知事候補者に副知事の要請をしても構わないし、っちゅうか、それが一番の政治手法だと考えるのだが。
 道筋というか、方向性は決まったわけだ。その方向性に対して自民党議員達と一緒になってやっていけばエエだけの話であって、当然の如く、旧来の体制に足を引きずられるに決まってる。
 でも、その『足を引きずられながら』、彼の目指す方向に行く事が大事だと考える。
 「私は選挙で選ばれた知事です。」だけで旧来の体制を無視してやっても、基本は『有名人の人気』なんだから出来るわけがない。長野県みたいにかえって反動が来る。まあ、それを観ていたからこその副知事要請だったのかもしれないが。っちゅうか、東国原知事が別に過激な事を云ってるとも思えず、選挙の話が持ち上がった時に「どうせ自民から出るんだろ?」と思ってたんだが。

 『足を引きずられながら』、それでも方向性を確かにする。それが本質的な意味合いでの過激だと思うのだが。この国が『保守本流』っちゅうのが好きなら、その『保守本流』の方向をどちらに向けるのか。保守本流を無視せず、野党精神にどっぷりハマってしまうのでなく、保守本流を変える事、足を引きずられながらも、ハアハア、ゼイゼイ云いながら保守本流の流れを変える事しか結局ないのではないのか?したたかに、したたかに。

 「あなたって時代遅れだし、世間知らずだし、馬鹿だし」と、相手を尊敬する事なく『自分達だけが正しい』と云う意識で、圧倒多数の保守本流が変わるとでも思って居るのか。自分達を馬鹿にする相手に従う義務など、どんな立派な政治理念であろうが、そんなもんはアホらしい。下らん。勝手に正義の味方ゴッコでもやっとけばエエわけの話であって、「へっへ!正義の味方に居座れないから、世の中を変えようとしないんだ(笑)」と逆にあざ笑ってやるだけだぜ(笑)

 結局それは保守本流だろうが、革新だろうが、同じではないのか?結局『自分は変わりたくない』だけの話。あとは思想が違うだけ。
 『自分は変わりたくない』『自分は汚れたくない』
 「ああ、なんて私は綺麗なのでございましょうか。ホッホッホッホ!!!」
 ではなく、互いに本質的には『保守』に変わりはない。自分(達)の思想に腰を下ろし、そこから違う意見の『他者』を眺めて批判している。その『批判』に尊敬や、『共に苦しむ』事があるのかどうかが問題ではないのか?

 馬鹿にされたら腹が立つ。尊敬されたら嬉しい。

 「あなたも私と同じ苦しみを抱えて生きているんだね」とか云われると友達になれる。まあ、『お偉い上人様』はキレたりするのだろうが。「お前と一緒にするな!!!」とか。

 『最低な人間』
 当然、社会に生きてるから、社会に影響されてはいるが、それでも『私中心の価値観から観た』、つまり『社会的』に逃げずに、あくまでも『私中心の価値観』の中での『最低な人間』と、『同じ』と言えるのだろうか?それとも『あいつと一緒にするな』と言うのだろうか?

 当然、『あいつと一緒にするな』に『足を引きずられる』。私の中の優生思想が疼く。標準装備された優生思想が「あいつと一緒にするな!」と言いたくなる。
 でも、それは違う。

 逆に安易に『同じ』も違う。迷いがない、『足を引きずられる』事がない事は違うと感じる。『よゐこ』。優生思想。

 足を引きずられながらも、でも、「帰ろうよ」って。
 これって違うじゃん、おかしいじゃん。だから帰ろうよ、って。

 「法主であっても排除してはいけない」って。

 で、毎度の酔っぱらいながら書きながらタイトル決定。
 
 「代われ」じゃなく、「変わろうよ」。
 1 『代われ』と云われると頑なになる。なんか、いらない人みたい。「お前なんかいらん。代われ」
 2 批判されて「一緒に変わっていこうよ」

 「いのちはそれを真実、愛そうとする者に属き従うものであり、傷つけようとする者には属き従わない」

 この言葉は竹中先生が信国先生の言葉としてよく紹介してくれていた。うろ覚えだったので検索でここ(http://jushinsha.com/)から引っ張って来たのだが。ちなみにリンク先を真ん中ぐらいまでスクロールして行くと右の端に全文の名文があります。

 「だから今こそ、信國先生の呼びかけをともに聞きたい、と願っています。」(http://jushinsha.com/より)
 『ともに聞きたい』でっせ。


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