我が街『新宿』はその昔『太田道灌』の江戸城築城以降『徳川家康』による『江戸幕府』のお膝元で、江戸時代には『譜代大名』のお屋敷が沢山有った所です。江戸城から四谷見附辺りまでは幕府の重鎮たちの大名屋敷が割拠し、新宿から中野一帯は『徳川家の鷹狩り』の地だった様です。
今日は『高田馬場』で江戸時代のままの古式ゆかしい『流鏑馬・やぶさめ』が行われました。この行事も徳川家に強く関係しています。『暴れん坊将軍』で有名な『三代将軍の徳川吉宗』が、当時江戸で流行った『疱瘡の平癒祈願』で高田馬場に有る『穴八幡宮』に奉納したのが始まりだそうです。台風19号で小雨模様…てっきり中止と思い込んだ私残念ながら見逃しちゃいました。
これは昨年の写真です。高田の『馬場』は元々三代将軍の『徳川家光』が旗本達の馬術の訓練場と鷹狩場の一部を『馬場』にしたんだそうです。
またお隣の『目白一帯』の『太田道灌』以来の鷹狩りの荒野で、あの有名な『七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき』と鷹狩りの最中に雨に降られ『蓑笠』を所望した『道灌』が歌心の有る村娘にこの様に和歌で返された伝説の地でも有ります。
そして『大久保』には『百人町』と今も地名が残っている『鉄砲隊百人組』の本拠地もあります。『徳川家康』の重臣の『忍者の親分』の『服部半蔵』の率いる忍者『甲賀・伊賀・忍者』を百人一組に『鉄砲の達人』を編成して『江戸城の有事の守り』に…
これは『譜代大名・高遠藩主』の『内藤清成公』と言う武将が創始者と聞いております。ちなみに『新宿』には今も『内藤新宿』と言う地名が『新宿御苑』もその『内藤家の屋敷跡』ナンですって…ヒョットするとオラッチ『高遠藩主・内藤家』のご烙印の子孫かも…?
JR大久保駅のガードに、当時の『鉄砲隊百人組』を偲んで、こんな『絵』が描かれております。これも見逃しちゃいましたが、毎年の10月には『鉄砲隊』の古式に則った『射撃訓練』が行われております。
そして『中野サンプラザ』の有る『中野北口一帯』も『徳川家の鷹狩り場』で五代将軍『徳川綱吉』の頃には『お犬様』で悪名が高い『生類憐れみの令』で有名な『犬小屋』だったんですって…私の子供の頃の遊び場でした!
『江戸城のお膝元』…新宿界隈は『歌舞伎町』を中心とした繁華街・新大久保の『韓国街』ばかりでなく、歴史ある・情著たっぷり、武家の街でもあるのです!