東北関東大震災から48時間以上が経った。
和歌山県は大津波警報が発令された。
ぼんた3号さんのコメントをはじめ、親戚等心配の電話が何件か寄せられた。
ありがたいことですm(_ _)m 家族皆、無事で元気です。
ここは紀伊半島の山間部ゆえ、高度はそれなりにあるし、海まで車で20分はかかる。
自宅に居たのは高校の入試関係で休校だった次女一人。
警報の無線放送を「うるさいなぁ」と思ってはいたが、テレビをつけずにいたので何も知らずに平和に過ごしていた。
主人は釜場で仕事中。自宅より更に車で15分、標高も高くなるので大丈夫。
私は、長男が寮を引き上げるべく荷物を運ぶために御坊に居た。
高専は海のすぐそば。
警報の放送は、高専の近くにある親戚の家に向かっている時だった。
親戚宅は、海と国道を眼下に見渡せる高台である。
少々波が高めだなぁとは思っていたが、警報後もさして変化は見られないように見受けた。
「太平洋の反対側かどこかで地震でもあったのかなぁ・・・?」くらいには頭をよぎったものの、それ以上は何も考えずに荷物運びに追われていた。
夕方4時過ぎ。
息子がお世話になった先生が帰り際に「津波に気をつけて!」とにこやかに送り出してくださった。「道、大丈夫かな?」と不安がよぎった。
教習所に居る長女を拾って帰る予定だったので、到着予定を知らせるべくメールを送って出発。
返事のメールは「ただ今避難中。遅くなりそう」 「エッ?!」ちょっと焦る。
確かに教習所は海の側。いったいどこに避難したんだろう?
近くまできた頃に連絡が来るだろう・・・とにかく走る。
国道42号線 御坊から田辺は見晴らしの良い海岸線が多い。
走り始めて間もなく、警戒中の消防車を発見。
要所要所に待機。消防団も出動していた。
漁港には、ただのおじさんおばさんがチラホラ、暇そうに海を眺めている。
「え~~~っ?! あんたらは避難命令出てるンとちゃうん???」
ひどいのは、警戒中の消防車の真後ろで携帯をかまえて写真を撮ろうとしている人を見かけた。思わず吹き出してしまった。
5時半過ぎ、教習所に到着。長女を迎える。
仮免試験を無事合格したものの避難命令で授業中断、そのまま急遽休講となったそうだ。
車に乗ってきて第一声。
「東北は大変なことになってる!」
「えっ?! 日本国内??!」
飛んで帰って、まずテレビをつけた。
固まってしまいそうだった。平和に過ごしていた次女もビックリ!!
夕飯を作る気にもなれずに、しばらくテレビに釘付けになってしまった。
しばらく後に長男も無事、原付で帰還。
息子が走る頃には野次馬は見えず、消防車の赤いライトだけが目に付いたらしい。
『大津波警報』 が出されていたとは思えないあまりにも平和な国道の風景と、テレビに映し出されている想像を絶する光景・・・
やりきれない、今も気持ちを整理しきれずにいる。
一人でも多く救助されますように・・・
たいへんなことじゃな。
うちのところも避難が出てましたが、海岸沿いの友人宅に、うちの家に来るかと訪ねたら、誰も避難してなかったそうな。
漁師さんも操業しておったそうな。
被災地になにもできないのがくやしいです。
義捐金もyahooのポイント分ぐらいしか。とほほ
和歌山も通行規制がかなり長時間出ておりましたから、大きな被害が出ているのではと心配しておりました。
お家でゴロゴロ出来る、そんな日常が一番の平和なんですよね。
刻々と伝えられる惨状。
被災地は今はただ逃げること、生きることだけで精一杯だろうけど。
せめて一日も早く笑顔が戻る日が来ることを願うばかりです。
最南端の潮岬あたりはかなり水位が上昇したそうです。昔、田辺であった津波を経験してた人たちは避難したそうですが、ごく少数だったそうで、”オオカミ少年”のようなことが起こらないか心配です。
被災地のこと原発近辺の避難者、次から次へとゆれてる地震等の情報を聞くこと以外何も出来ない歯がゆさ・・・
祈り、願うことしかないのでしょうねぇ・・・
yasukoさん
警報が発令されて1時間後、印南、南部、田辺と南下してたら、避難どころか?!おるはおる!!
暇そうに堤防から身を乗り出して海眺めてる人。
東南海地震が来たらどうするんやろ?大丈夫かなぁ???恐ろしいことやなぁ・・・って思いました。
ウチも2人の進学費用に”あしながおじさん”探しているような状況で、義援金したくても気持ちだけ(^_^;)
もう少し落ち着いたら、支援物資ならできるかなぁ・・・と考えています。