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炭焼き母ちゃんの奮闘記
スローライフ・エコライフ・エンジョイライフ

田舎者

2016-10-15 10:28:22 | 日記

「最近の田舎者は歩かない」とよく言われるが、まさしくホントかもしれない。

今朝、私は和歌山市内で催される講演会の申し込みを電話した。
パンフレットには、会場は駅から歩いて25分。駅からバスに乗ったら停留所から徒歩5分とあった。
申し込みついでにバスの確認をしたら、「歩いて25分ほどですから・・・」と、バスに乗らなくとも充分歩いてこられる距離だよと暗に込められた答え方をされた。
「・・・・・ そ、そうですねぇ」自分を省みて焦ってしまった

日々、移動は車。
歩いて3分足らずの郵便局、5分強のスーパー、10分強かかる役場までは荷物が無ければ自転車で行くけれど、歩いていくことはほとんどない。
それでも自転車で走っていて知り合いに出会うと「今日は自転車? 珍しいね?」なんて言われる。
「いやいや、この距離にあの大きな車を動かす方が車庫入れなどで時間かかるし、燃費悪いし、たまには自分の燃費しとかなヤバイからネ(^_^;)」とお決まりのセリフまである。

こんな生活しとったから、”歩いて25分” の距離感さえ無くなっている自分に気づいた
そう、私の実家は最寄り駅まで歩いて15分。現役時代はダッシュで7分電車にギリギリ飛び乗りできる距離だった。
バス停は家の裏、徒歩1分。反対の大阪駅行きバス停でも3分かからない。
それでもほとんどバスを利用することはなく歩いた。
一度だけ定期を忘れて、電車賃120円をうかすべく、大阪駅から家まで歩いて帰ったことがある。
ちょうど45分かかった。大阪駅から約3kmくらいなのだろう。

その頃、旅したなかで、奥入瀬渓谷を一人歩いたことがある。
バスを降りて帰りのバスまで2時間。十和田湖まで往復したら10km。ギリギリ戻ってこられる!!ってことで歩いた経験がある。
ただただ歩いただけでなく、写真もいっぱい撮って、道行く人に自分を入れて撮ってもらったりもしての道中だったけど、しっかりバスに間に合った。
ナイトハイクやちょっとした山登り、観光町歩きなど歩くのはわけなかった。脚には自信があったつもりだ。・・・なのに

考えてみれば、生まれも育ちも和歌山の娘たちは歩くスピードが非常に遅い。一緒に歩き出して十歩もいかないうちに距離に差が出てくる。
小中学校の通学で毎日片道2km近くを歩いていた。しかし、友人宅へ遊びに行く以外の移動は私が運転する車に乗ってだった。
高校も長男は学校内の寮、長女は歩いて15分。次女は自転車で45分。
次女の通学は確かに半端無い体力勝負だったけど、雨の日は私の運転だったからやはり歩くことは少ない。

・・・とここまで書いたら、何気なくパンフを見ていた長女が「会場まで歩くの?」と聞いてきた。
「遠いで~ しんどいで!」とのたまう あぁ、やっぱり~~ 長女は生粋の田舎者だ

そんでもって、私もとうとう”田舎者”に殿堂入りとなったのかなぁ・・・
いや、講演会では会場まで歩いていくゾ!!


炭、発見!!

2016-10-13 17:07:26 | 炭にまつわる、いろいろ

半月も前の話になるが・・・10月1日、田辺市内では弁慶祭りが催された。

田辺市は武蔵坊弁慶の生誕地と言われている。
前夜には闘鶏神社にて『演劇弁慶伝説』が上演される。
1日は”弁慶ゲタ踊り”や”紀州弁慶よさこい踊り”があり、夜には花火も上がる。
夜までいたことはないけれど、よさこい踊りを見に何度かいったことはあった。

今年は”よさこい踊り”に参加しているチームの1つに長女が入っていて、私は長女の踊るのを見に行った。
10月になったばかりとはいえ、朝方まで降っていた雨もあがって、ムッチャ晴天! 汗ばむ陽気を通り越した、ただただ暑い日だった。
日中、長女のいるチームは3カ所で踊った。

その1つは、今年世界遺産の追加登録が決まった闘鶏神社の舞台。
神社に入ると木々に囲まれてひんやりとした空気に生き返った感じがした。
まずは手水場(ちょうずば)へ。

水槽の中に炭を発見!! 「さすが」と思った。
手を洗うより前にデジカメを探してシャッターを押す。
水のたまっている水槽の底には炭をネットに入れて沈めてあったのだ。
紀州備長炭の発祥の地である田辺市のほぼ中心地にある神社で見かけられたなんて!
手や口を清めるのは上から流れている水を受けるから、水槽の水をくむわけではない。
けれど、たまっている水が澄んで見えたのは、私の思い過ごしだろうか?


リボベジ

2016-10-12 16:09:12 | 食・レシピ

今年の夏は友人から1週間に1回くらいの割合でキュウリやインゲン豆など届けてもらってかなり助かっていた。
9月の上旬までピーマンが届き、「次はナスができるよ!」って、うれしい知らせを聞いていたのに・・・
台風が次から次、雨降りも多く、お届け物はピタッと止まってしまった
同時によく行く産直の店でも品薄になりつつあるような・・・(^_^;)
ついこのあいだまでは山盛りに積まれていたキュウリやナスが無い日もあるし、有ってもお値段が・・・

数年前の春はタケノコでしのいだ。
そんな話をブログでアップしてたら友人に大笑いされたのを覚えている。
さて今回は、自家製切り干し大根に冷凍庫に眠っている今春採ったゴンパチ、乾物を利用してのりきるしかなさそうだ。

 

そんなことを考えていたら、つい先日、何気なくついていたテレビで”リボベジ”なるものを取り上げていた。
よくよく見たらなんてことはない!ネギとかの根っこを植えて再生することだった。
我が家では、今までにも普通にやってたことだ。


毎年、秋から春にかけて青ネギの根っこは長めに切ってプランターに植え込んでいる。
これは10日ほど前に植えた。
味噌汁や麺類や野菜炒めの彩りにちょっと欲しいとき、ベランダへ出て土より2~3cm上をチョッキンしてくれば、また成長してくる。重宝ものである。


サツマイモの葉っぱ。今春芋から出ていた5cm弱の芽を植えて育てた。
去年は何回か葉っぱでおひたしを作ったけど、今年は暑過ぎたからか何となく発育が悪く、まだありついていない。そろそろ摘んで1回くらいできるかな?


テレビでやっていたのを参考にした。
スーパーに売っている”豆苗。右は本日かりたて。左は1週間経ったもの。これだけ成長した

売っているものに比べたら、心なしか緑がうすい。
室内に置いてたから葉緑素が足りないのだろう。明るい方向に傾いて伸びていた様子がけなげな感じだった。
息子曰く、「ベランダ菜園よりはいいかもな!」って
こんなだけでは我が家の消費量をまかないきれるわけないけれど、無いよりかはマシだろう。

雨続きで秋まきの種まきや植え付けもままならないそうだ。
どうか、天候不順よおさまっておくれm(_ _)m
冬にはたっぷり野菜の入ったお鍋が食べられますように・・・

 

 


 


秋色

2016-10-11 16:29:51 | 日記

10月も中旬。ようやく秋らしくなってきたような気がする。
9月は雨が多い割りには暑く、雨降る寸前は異常な蒸し暑さだった。釜場で仕事するたびに”あせも”が悪化して、お陰で今も”あせも”に苦しんでいる
あと1週間もすればもうちょっと涼しくなって治るかな?

この時期、私のブログのアクセス数は気持ちアップする
理由は、”栗”と”あぶり鮎”。
特に”クリ”に関して言えば、栗ご飯から渋皮煮、山栗の話までこの季節になるとほとんど毎年、何かしらクリの話を書いているからどこかしらで検索して見にきてくださっている。
その様子を見て、私は私で反対に興味有る他の人のブログやホームページを訪問して勉強させてもらっている。

そうして今回みつけたのは・・・『のこり染め』。http://www.kurakin.jp/index.php
食品を食べる過程でできるたべもの材料ののこりを原料にした染色方法だそうだ。
原料は栗や柿、コーヒー、醤油やワイン製造の絞りかす、梅酒のウメもあった。
興味深かったのは、ポリエステルなど人工繊維は染まらないそうだ。
天然繊維、リネンやツイード、ウールなど種類によってそれぞれの風合いがあって、それこそ「自然が織りなす・・・」って言葉がぴったりと当てはまりそうだ。
製品もにはタオルやバッグがあって、気持ちが落ち着くような色合いばかりで、こんなのに囲まれた生活って素敵だろうなぁ・・・って思った。
購入するにはさしあたって必要な物がないけど、身の回りの物で自分自身が染めてみるのは有りかも?

栗の渋皮煮で出たアク汁で染めたのはこの時期ピッタリの秋色。
そう考えると、柿でも染めてみたいなぁ・・・やっぱ、秋に似合う色だと思う。
そんでもって、気になるのは梅酒のウメ! どんな色になるか、ムッチャ興味有る一番身近にあるからいつでも挑戦できる! 
”いつでも・・”? あぁ~こうなると、はてさていつのことになるか?!思い立ったが吉日となりたいもんだ


言うは易し

2016-10-10 14:49:57 | 日記
 
読書のススメ

先月「読書の秋」と書いた割りには、読破出来た本は1冊(^_^;)本が読めない状況は相変わらずである。趣味が”読書”とか、秋の夜長に優雅に本の世界に浸る・・・なんてのをず~~~っとあ......
 


これを投稿してから早1年・・・私は何冊の本が読めただろう

手帳に記録してあるのを見てみると、今年だけで9冊。まさしく、”言うは易く行うは難し”ってところだなぁ・・・
丸1年でよくても10冊超えるのがやっとかっとだろう。月1冊ってとこか
しかも・・・9冊中5冊は新聞小説だ。それでも読まないよりかはマシとしよう

10年くらい前かな?
読書家の友人が「新聞小説は新聞とってるだけで小説が読めるんだから、本2冊買わなくてすむし、ムッチャお得だよネェ」みたいなことを言った。
それまでも気になる作家の時は切り抜いてでも読んでいたけれど、この話を聞いたときはそれこそ”目から鱗”くらいに驚いた。
それからは作家云々にかかわらず、欠かさず読むようになった。

お陰で「麻酔」や「悪人」など映画化、ドラマ化されるよりずっと早くに読み終わって「内容を知っている!」ってちょっとだけ優越感もったりすることもあった。
それに新聞連載だから、ジャンルを問わず一方的に向こうからやってくるのを読むので偏ることがない。
ちょっとだけでも自分の知識に幅が広がったような気がする。
現に、今連載されている『我が輩は猫である』をはじめ、この1年で夏目漱石の作品を3冊は読破した。
おもしろかった?とか理解とか深く追求されたらムッチャ困るけどね

さて、最近読んだ1冊。湊かなえさんの『物語の終わり』。
長女が夏休みに借りてきてた本だ。長女が読むのは湊さんばかり。
湊作品の割りに人が死なない!と言いながらも合間にいろいろと質問してきて読み進んでた。
質問は北海道のこと。「”たくしん館”ってあるの?」「舞鶴から小樽行きのフェリーって私が乗ったやつやなぁ?」「美瑛ってどこ?」などなど。
私と主人はかなり北海道を旅してきてある。長女の質問に答えるのはわけなかった。
次女は一度も行ったことなく、昨年は計画を練りかけたほど行きたがっている。
長男は1回、当の長女は2回も行ってる割りに人について行ったようなもんだからまるでわかっていない

まぁ、質問を浴びせられ続けたお陰で引き継ぐ様にして私も読み切った。
旅したのは約30年前だから、かなり変わっただろうけれど、それも含めて小説は進んでいく。
旅の話であり、北海道の風景描写が見事でさらに人の心の動きもからめられて、とても、と~~っても感慨深い1冊だった。

正直言うと、今私は”おもしろい”とか”いい本” と書くのをためらってしまった
なぜか?!
理由は、「ああぁぁ~~、旅した~~~い 北海道行きた~~~い 北海道を旅した~~~い
感想はこれに尽きたからである。

いや、トリックというか、原稿が次から次に人手に渡って元に戻ってくるあたり、まさしくミステリーのようでおもしろかったのは確かである。
北海道の描写から頭の中に情景を浮かべたり、旅する気分になったりと脳の活性にとても良かったと思う。
1冊でも多く本と出会い、活字を追っていけるようにしていきたい。