ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

21.11.03 非文化の日(夕方に加筆)

2021-11-03 | 戦後民主主義/新自由主義
 いっこうに文化的な気分になれない文化の日ですなあ……。イギリスのガーディアン誌(中道左派ながら、けしてキワモノではない一流新聞)に、「日本の選挙では右翼ポピュリストたちが大阪を席捲 Japan election: rightwing populists sweep vote in Osaka」なんて書かれるような状況になって、しかもその皆さんが改憲のキャスティング・ボードを握っておられるってんだから、これのどこが文化的なんだというね……。いや、ほんとはそろそろゆっくり文学の話をしたいんだけども……そういう気分にならないね。


 こんなツイートを見つけたんですよ。




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LILY / 梨里
@lilyitooo___
この前友達と将来の話をしていた時に、私はみんなが生きやすい社会に変えていきたい!と言ったの。そしたら、変えようとするよりもその社会に「対応」することに力を使った方が時間の有効活用って言われて、そんな言葉をさらっと言われたのが衝撃すぎて、本当に悔しかった。


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 そうだなあ。昔から「長い物には巻かれよ」「寄らば大樹の陰」なんてぇことを言ってありますがね……。この方がおいくつなのかは不明なんだけど、いわば「大勢順応主義」とでも称しますか、このお友達のような感性が若い世代の基盤を成しているのは確かでしょうね。ざっくりいって、いまの10代から30代くらいまでの……ああ、思えばそれはほとんど平成生まれってことになるけども……人たちには、こんな発想がデフォルトになっているんじゃないか。


 「社会(≒システム)」を変えようとするなんてばかばかしい。どう考えても労力がかかるし、お金が儲かるわけでもない。努力が報われる保証もない。つまりは徒労に終わる公算が高い。しかも、下手をすると周りから浮いてしまう。リスクばかりでメリットは乏しい。どうしてそんなことに貴重な時間を費やさなければならぬのか。それくらいなら、おかしな点が目についても、多少のことには目をつぶり、うまく適応してやっていくほうが楽だし得だ。……そういう感じでしょうか。


 この発想、けして間違っているとは思わない。ただ、社会の中の「おかしな点」というやつは、黙認していると往々にしてけっこう急激に増長していくんで、それが自分の生活を脅かすに至ったときにどうするのかってことですね。


 コロナ禍での五輪強行開催~必然としての感染爆発~医療崩壊による棄民、という成り行きは、ぼくなんかにはじゅうぶん「自分の生活を脅かされる」レベルの出来事だと思えたんだけど、それでも国民は5議席分のペナルティーしか自民に与えなかったわけですね。まあ、選挙のころには感染者数が激減してたのも大きかったんだろうけど、やはり根っこのところには、「社会(≒システム)を変えようと試みるよりも何とかしてこの現状に適応しよう。」という発想が横たわっているんだと思う。


 ニッポンで、いわゆる「政治の季節」が終わったのが1975(昭和50)年あたりですね。その年に象徴的な事件も起こったんだけど、今回はあえて書かないんで興味があれば調べてみてください。それで、70年代の後半には「ミーイズム(個人主義)」「シラケ」ということが言われるようになった。でも国力は順調に伸びてたからね。今みたいな空気とはぜんぜん違う。「1億総中流」てなことを言ってな……ちゃんと全体として豊かになっていってたわけですよ。もちろん若い世代も含めて。


 アメリカでいえば、「カリフォルニアン・イデオロギー」の時代ですね。このタームは重要なわりにネットに情報が少ないんで、noteにかるく纏めておいたんだけど……あえて強引に要約すれば、パソコンの普及とインターネットの拡大のバックには「自由」とともに「平等」や「連帯」を重んじる70年代(前半)的な感性と思想が息づいていたということだね。
https://note.com/eminus/n/n8909f1e5f384



 で、それが冷徹なビジネスの論理に回収されていくのが80年代以降の趨勢。そして90年代、ゼロ年代、イチゼロ年代、現在に至る……このあたりの流れはいずれ書こうと2年前くらいから目論んでるんだけど、なかなか時間が取れませんね。




 いずれにしても、「社会を変えようと試みるよりも社会に適応するほうがよい」という選択が生き方として許されているということは、裏返していえば、今のところまだそこまでは追い込まれていないわけだね。若い世代をも含め、有権者の大半がそう思っていられるのであれば、今回の結果も仕方ないのかもしれないね。でも、これからの4年間はどうなっていくかわからない。

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rima
@rima_risamama
2019年5月12日
これ、今なら放送禁止になるのでは? #女王の教室






町山智浩
@TomoMachi
16年前にこうしてドンピシャの真実を言われたのに、日本国民はその後、国の行き先を変えなかったんだから、それこそ自己責任でこのままずっと賃金を抑えられ、消費税を上げられ、富裕層が所得税で払うべき分を負担し続けるしかないですね。
町山智浩
@TomoMachi
何度も言うけど高度成長期の富裕層や大企業の税率は7割以上だからね。だから消費税なんて存在しなかったんだから。最高税率を半分に下げたからその分で消費税で庶民が負担することになったんだから。





 女王の教室。
 テレビドラマ。2005(平成17)年7月から9月にかけて、日本テレビ系列「土曜ドラマ」枠にて21時より放映。脚本・遊川和彦。主演・天海祐希。
 小学校6年生の担任となった「悪魔のような教師」が、児童たちに社会の本質を叩き込む。従来の熱血教師もののアンチテーゼともいうべき、刺激的な学園社会派ドラマ。
 容赦なく核心を抉った数々のせりふも話題となった。ここではその一部を抜粋。


「愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。賢い者や努力をした者は、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることが出来る。それが、社会というものです。」
「日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?
 今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険な所へ行って戦ってくればいいの。」



「あなたたちは、この世で人も羨むような幸せな暮らしをできる人が、何%いるか知ってる?
 たったの6%よ。この国では100人のうち6人しか幸せになれないの。このクラスには24人の児童がいます。ということは、この中で将来幸せになれるのは、一人か二人だけなんです。残りの94%は毎日毎日不満を言いながら暮らしていくしかないんです。」








「普段は、個人の自由だなんて言って、権利を主張するくせに、いざとなったら、人権侵害だと、大人に守ってもらおうとする。要するに、いつまでたっても子供でいたいだけなのよ。悔しかったら、自分の人生くらい、自分で責任持ちなさい。」
「12歳の子供だって、自分の意思で断ることは出来たはずよ。自分の罪を認めて、みんなに謝ることもね! まったくあなたたちは、何か気に食わないことがあると、親が悪い、教師が悪い、友達が悪いと、人のせいにして。
 いい加減目覚めなさい。そんなことばかりしていると、自分では何も考えられない、思考停止人間になるだけよ。」








生徒のひとりがこう問いかける。
「どうして勉強するんですか、私たち。この前先生は言いましたよね。いくら勉強して、いい大学やいい会社に入ったって、そんなの何の意味もないって。じゃあどうして勉強しなきゃいけないんですか?」




「いい加減目覚めなさい。まだそんなこともわからないの? 勉強は、しなきゃいけないものではありません。”したい”と思うものです。」
「これからあなたたちは、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。好奇心や、探究心のない人間は人間じゃありません。猿以下です。」
「世の中には、なんでも知ったような顔をした大人がたくさんいますが、あんなの嘘っぱちです。いい大学に入ろうが、いい会社に入ろうが、幾つになっても勉強しようと思えばいくらでもできるんです。好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。」
「勉強は受験のためにするのではありません。立派な大人になるためにするんです。」








「イメージできる? (私が)あなたたちにした以上に酷(ひど)い事は世の中にいくらでもあるの。人間が生きてる限り、虐めは永遠に存在するの。
 なぜなら、人間は弱い者をいじめるのに喜びを見出す動物だからです。悪いものや強いものに立ち向かう人間なんて、ドラマや漫画の中だけの話であって、現実にはほとんどいないの。
 大事なのは自分たちがそういう虐めにあった時に、耐える力や解決する方法を身につけることなんです。」








「まだイメージできてない人がいるみたいね。どうして自分たちの親が、簡単に私の味方になったのか。それはあなたたちより、私の方が親のことをよーく理解しているからよ。親なんて所詮、あなたたちの成績さえ上がればいいの。面倒な問題を起こさなければいいの。
 担任が自分の子供を特に気にかけてくれているとわかれば、それだけで満足するの。要するに自分さえよければいいの、みーんな。ま、今は日本中そうだけど。」


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 というわけで、サブカルの側からはいろいろと趣向を凝らしてメッセージを提起してるんだけどね、どうもそれが、伝わるべき層に伝わっていない。たんに娯楽として消費され続けるばかりで……。『女王の教室』を観て育った小学生って、いま30前くらいか……。いや、伝わってるのは伝わってんのかな。そのうえで、諦観して現状に必死で身を委ねているのかもしれない。どうしたらいいのかなあ、これ。










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