ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

『スター☆トゥインクルプリキュア』第38話「輝け!ユニのトゥインクルイマジネーション☆」と『宇宙よりも遠い場所』

2019-11-10 | プリキュア・シリーズ
 もりのさとさんから頂いたコメント。


2019/11/09


こんにちは。


よりもい論をすべて読ませていただきました。すばらしい作品論です。特に、めぐっちゃん周りの論考には深くうなずかされましたし、第8話の外に出る場面の解釈にはなるほどなあと思いました。
また、個人的結月の二大名場面(第7話の膨れるところと、第12話の「いい友だちですって!」)が両方拾われている点に非常に好感を持ちました(笑)


よりもい第11話と、HUGっと!プリキュア第31話を比較して考えたのは、わたしだけではなかったんですね。
HUGプリは楽しく視聴したのですが、eminusさんと同じく、あの話には納得いきませんでした。先週のプリキュアでも似た展開があって、ふたたび釈然としない気持ちになり、ふたたびよりもいのことを思い出してしまいましたが……。


少しだけ、訊いてみたいことがあります。
eminusさんは、第11話で、日向の悪い噂を流したのは同級生の3人だと解釈されていますが、わたしはこれ、先輩が単独でやったことだと思っていたんです。
というのも、退学に追い込むほどの悪い噂を流しておきながら(しかもそれをやったことを本人に知られていながら)、本人の前に姿を現すのは、いくらなんでも人としてありえないと考えたからです。
言われてみれば、同級生たちも関わっていたと考える方が自然とは思うのですが……このあたり、どうお考えでしょうか。


もうひとつ、最終話の、報瀬が母のノートパソコンを開く場面について「残酷」と評されているのを、少し意外に感じました。わたしがこの場面で覚えたのは、悲しみプラス安堵感、のようなものだったのです。
メールが母に届いていなかったことで、報瀬が母の死を思い知らされるというのは、たしかな、悲しいことで、一方で報瀬の送っていたものが、形として残って、母の遺品に溜まり続けていたということを、よかった、と思ったのでした。これは読み間違いなのかもしれませんが。


☆☆☆☆





ぼくからのご返事


 ふくれる結月は可愛いですよね……。スタートゥインクルプリキュアで、ララが変身するとき一瞬あんな感じになるけど、あれはスタッフぜったい狙ってますね(笑)。
 「先週のプリキュアで、よりもい11話およびHUGプリ31話と似た展開……」とは、10月27日放送分の38話で、ユニがアイワーンに「許す!」と真っ向から宣言したやつですよね。
 あの38話を見て、「スタプリ」に対するぼくの評価は跳ね上がりました。歴代シリーズでも屈指の話数ではないか、と思いました。まあ、歴代ぜんぶ見てきたわけじゃないですけど。
 当該シーンを画像付きで文字に起こしてみます(なお画像は一部順番を入れ替えてます)。






















 アイワーンの操縦する「ロボ23号」の猛威にプリキュア勢は大苦戦。キュアコスモも追い込まれる。
 そこに、ハッケニャーン師が立ちはだかる。バケニャーン(CVは同じ上田燿司さん)そっくりの容貌に、アイワーンがひるむ。
ハッケニャーン「遠い星を、見上げているばかりでは気づかぬものだ。足元の花の美しさに」
「あ」と顔を上げるキュアコスモ(以下はユニと表記)。


(ユニの脳裏の回想シーン。第20話より。
ユニ「あなたには関係ない……何も知らない他人でしょ!?」
ひかる「知らないからだよ……。だってさ……キラやば~っ!だよ。だから私は、(あなたとあなたの星を)守りたい!」)


アイワーン「なに……わけのわかんないこと言ってるっつーの……どいつもこいつも、知らないっつーの!」
 アイワーン、ビームを撃つ。ユニ、間一髪で発射口を蹴り上げ、軌道を逸らす。
アイワーン「(泣きながら)許せない……許せないっつーの。あたいの居場所を無くしたお前だけは……ぜったい、許さないっつーの!」
 もういちどビームを撃つ。


(回想シーン。ユニ「(怒りに燃えて)許せないニャン。みんなを……石にした……あいつ……だけは」)


ユニ「同じだ……。アイワーンと……わたし」
 ユニの全身をふしぎな光が包み、ビームを受け止める。
アイワーン「なんだっつーの!?」
ユニ「わたし…… (孤児だった頃の、泣きじゃくるアイワーンの映像が挿入される)あなたのこと……傷つけてた。…………………………ごめんニャン」
 驚くプリキュア勢。傍らで、ふかく頷くハッケニャーン師。
アイワーン「なに……謝ってるんだっつーの……?」
ユニ「今ならわかる……あなたの気持ち……」
アイワーン「何がわかるんだっつーの!」
ユニ「苦しかったんでしょ、アイワーン!」
アイワーン「あ……」
ユニ「わたし……わたし、決めたニャン。あなたを……許す!」
アイワーン「なんで……なんでそんなこと言うんだっつーの!」
 言いながら、さらにビームの威力を強める。ユニは平然と受け止める。
ユニ「過去だけを見るんじゃなくて、前に進んでいきたい。(一歩踏み出し)あなたと一緒に。……自分だけじゃなくて、わたしは……みんなと一緒に、未来に行きたい!」
 ユニの体から発した光がビームを跳ね返し、そのままアイワーンの心へと届く。ユニがオリーフィオと過ごした楽しい日々の思い出と、それを失った時の悲しみが真っすぐにアイワーンに伝わる。
アイワーン「ええっ……」


 といった感じでした。朝っぱらからえらく泣かされちゃいましたけども。

 ユニはアイワーンを欺き、結果として彼女の信頼を弄ぶ形にはなったけど、その前にアイワーンはユニの星を丸ごと石化したわけで、バランスシートは比較にならない。いかにユニが、ひかるたちとの交友を通して寛容さを育んでいたにせよ、ユニから先に謝るのは違和感がありますね。それはたぶんアイワーン自身もわかってて、「なに……謝ってるんだっつーの……?」「なんで……なんでそんなこと言うんだっつーの!」などと、かなり混乱しています。
 いわゆる「憎しみの連鎖」を断ち切るには、明らかに相手に非があっても、こちらから折れねばならない……。それは確かにそうなのでしょうが、いかに児童向けアニメといえど、あからさまな「綺麗事」だけでは納得がいきません。
 そこで、ハッケニャーン師というメンター(導き手)が作品のなかに召喚される。あのハッケニャーン師というキャラクターはむちゃくちゃ魅力的で、ぼくが見てきたうちでは、プリキュアシリーズに出てきた脇役の中での白眉ですね。



盲目の占い師・ハッケニャーン。いわゆる「老賢者」ふうの風貌だが……。


コミカルな一面も。でもたぶん、ひかるたちの緊張を和らげるためにやってるんだと思う


 じつは、ユニがかつて一人でハッケニャーン師を訪ねたとき、師はユニに星読みをさせて、「皆を戻す方法はある。……星読みは嘘をつかない」と明言したうえで、「広い宇宙に出て良き仲間を見つけなさい。その仲間たちと共に未来へ歩むことが、お前の故郷の星を元に戻すことにも繋がるのだ。」と示唆してるんです。まあ、こんな明瞭な言い方じゃなく、もっともっと漠然とした、抽象的な表現で、まるで押しつけがましくなかったですけど。でも、それこそが真の助言のありかたですよね。そして占いの代価だといって、「私の代わりに外の世界を見てきてくれ。」と、ユニを宇宙に送り出す。それがユニをひかるたちに出会わせることにつながる。
 「故郷のみんなを元に戻せる」という希望がなければ、さすがにユニもアイワーンを「許す」ことはできなかったろうとぼくは考えています。つまりハッケニャーン師の存在がなければ、こちらとしても、泣けもしなかったろうし、得心もいかぬままだったでしょうね。




 それで、よりもいの第11話ですが。
 日向の退部~退学にいたる経緯は日向じしんの口から語られるだけなので、解釈が難しいですね。彼女は自分を擁護するために嘘をついたりはしないだろうけど、なんか誤解してるってことはありうるだろうし。
 でもぼくは、これは「物語」なんだから、日向の語った内容はすべて「事実」だとして考えました。
 悪い噂を流したのが誰かというのは、日向の部屋に全員が集まった際の、
 報瀬「どうでもよくない。だって、悪いのは完全に向こうじゃない!」
 日向「人間って怖いんだよねー。それがわかってるから、なんとか私が悪いってことにしようと、部活やめたあともあれこれ噂流してさ」
 といったあたりのやりとりから、先輩ではなくあの3人でしょう。先輩はたぶん、日向が退部した後は彼女のことなどまるで気にも掛けてなかったんじゃないでしょうか。6話で、シンガポール行きの飛行機に乗る前、日向はぐうぜん空港でチームメイト一行を見かけますが、あの時の先輩(後ろ姿だけど、特徴的な髪形でわかります)のあっけらかんとした態度を見ると、そう思わざるをえませんね。
 でもって、3人が悪い噂を流しておきながら、いけしゃあしゃあとあの場に顔を出せたのは(まあ、テレビには顔を出せませんでしたけど)、そのことを日向がまるで知らないと思ってたからでしょう。そもそも彼女たちは、自分たちが保身のために先輩に対して日向を陥れたこと自体、日向には知られていないと思ってますから(あれは日向が部室の外でたまたま立ち聞きしたからわかったことです)。
 いや……改めてこう考えると、報瀬があの場であれほどの怒りを見せたのも当然だなあと思えてきますね。あそこはやっぱり、日向に安易に「許す」と言わせないでよかったです。
 「許し(赦し)」というのは物語としても、じっさいの人生においても社会においても、つくづく難しいテーマです。




 もうひとつは、12話で、報瀬が「喪の仕事」を果たす場面ですね。
 悲しみプラス安堵感……そうですね……。「報瀬の送っていたものが、形として残って、母の遺品に溜まり続けていたこと」については、「よかった」とぼくも思います。でも、それをああいうかたちで目の当たりにした際の報瀬の心情は、それまで自分のなかで生死の定まらなかった母が、ほんとうに眼前で息を引き取ってしまったほどのショックだったのではないでしょうか。
 それがどれくらい続くものかはわからないけれど、少なくともしばしのあいだは、心が悲しみだけで塗り潰されるような情態だったのではないか……とぼくは想像いたします。でも、それはあらかじめ心のどこかですでに覚悟していたことでもあるので、傍にキマリたちだっていてくれることだし、「生」に向けての回復までには、それほどの時間はかからなかったとも思います。
 あのなだれ落ちるメールは(本編でも述べたとおり)「3年にわたって止まっていた時間」が動き出すことの暗喩にもなっているので、けして後ろ向きなものではない。それは確かなことですね。
 でも、あれだけ心を込めて送り続けたにもかかわらず、それは決して貴子には届かなかった。このこともまた確かです。
 「安堵」とは違いますが、パソコンの中に残されたものが「生の歓び」に結びつくということならば、日本に帰る船の上で報瀬が受け取る、貴子の遺した(そして藤堂が貴子に代わって送信した)「本物はこの一万倍綺麗だよ」というオーロラの画像付きのメールこそが、それに当たるのでしょう。
 やっぱり、キマリたちがあのパソコンを見つけたのは、本当に大事なことでした。貴子からのメッセージが、ちゃんと報瀬に「届いた」のだから。









5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (もりのさと)
2019-11-17 16:19:18
こんにちは。
記事の形で返信をいただけるとは思わず、恐縮しております。

『スタプリ』第38話について、eminusさんの記事を読んで、ちょっと自分の観方が穿っていたかなあと思わされました。
取り返しがつくか否かというのはたしかに大きな相違点ですし(他にもいくつか無視できない違いがあるので、HUGプリと比較するのにちょっと無理があったかもしれません)、ハッケニャーンというキャラクターによってきれいごとを回避しているというご指摘には、なるほど……と思いました。

その上で、まだ納得できなかったのは……。
ユニは最終的に、自分とアイワーンが同じだという考えに至ります。たしかに、同じ点が多いのは間違いないところです。
しかし、相手の居場所を奪うことになった過程や、その動機は大きく異なります。わたしはむしろ、その異なる点の方が気になりました。

ユニは不可避的に故郷を奪われたのに対し、アイワーンは自らノットレイダーを出たことが示唆されています(明言されていなかったとは思いますが)。
また、ユニは故郷の人々を元に戻すために、いわば手段としてアイワーンを騙したのに対し、アイワーンは完全に利己的な行動により、結果的に惑星を壊滅させています。eminusさんも指摘されている通り、引き起こした結果が不均衡なのはもちろんですが、動機もまた不均衡だと思います。

現在抱いている感情が同じだからといって、過程が異なるものを、「同じ」と言ってしまっていいのか……。

そういうわけで、ユニとアイワーンが「同じ」と言われても、いまひとつ腑に落ちず、ユニがそれを取っ掛かりにしてアイワーンを許す、という展開にも、どうにも飲み込めないものが残ってしまったのでした。

許すという展開自体を否定するつもりは全くありませんし、ユニの態度は立派なものだとは思います。
ただ、その選択肢に至るまでが、納得できるように描かれていたかというと、…………という感じでした。


『よりもい』第11話については、全くその通りといいますか、それ以外ありませんね(そもそも第6話に先輩がいたことに気づいておりませんでした……)。
しかし、そこまでされてもLINE(的なもの)から同級生たちを削除しなかった日向の心境もなかなか……。


12話のラストを初めて観たときには、様々な気持ちが混じり合ったような、非常に名状しがたい感情に襲われました。残酷な場面であり、悲劇であるというのも一側面だとは思いつつ、あまりそちらを強調したくないなというのが個人的な気持ちです(といっても、ある程度そうしないと、報瀬の物語がきちんと締まらないかもしれませんが。ちなみに「喪の仕事」という言い方はこのブログで知りました)。


長々と失礼しました。
返信する
ファンタジーとリアリズム。そして「喪の仕事」 (eminus)
2019-11-18 18:12:16


 こんばんは。
 『スタプリ』第38話で、「許すという選択肢に至るまでが納得できるように描かれていたかというと疑問が残る。」とのご意見ですね。そしてその理由につき、
①「ユニは不可避的に故郷を奪われたのに対し、アイワーンは自らノットレイダーを出た」
②「ユニは故郷の人々を元に戻すために、いわば手段としてアイワーンを騙したのに対し、アイワーンは完全に利己的な行動により、結果的に惑星を壊滅させた」
 の2点を挙げておられます。その通りだと思います。アイワーンはべつに追放されたわけではなく、プライドの高さゆえ自分から飛び出したようだけど、そのことが作中で明言されてない、というのも仰るとおりですね。
 最初に観たとき、ぼくも似たことを感じたんですよ。ユニの憤りが正当なのに対し、アイワーンのほうは「逆恨み」でしかない。ぜんぜん「同じ」じゃないだろうと。
 無理がある。いかにハッケニャーン師の存在があろうと、やっぱりどうにも無理がある。
 ただ、このシーンを何度か見返すうち、だんだん考えが変わってきました。ユニが「同じ」といった意味がわかってきたというか。
 ユニとアイワーンとで何が「同じ」かといえば、まず、憎しみに囚われていること。そして、「孤独」ということでしょう。「たった一人で取り残されて寂しい。悲しい」という強烈な感情。
 このことがものすごく大きかったと思います。
 ユニが「ごめんニャン」と謝ったのは、「バケニャーンに化けて騙していたこと」ではなくて、「せっかく寄り添える相手を見つけたと信じていたあなたを、再び独りにしてしまったこと」なんですね。
 この2人を結びつけるもの、言い換えれば、ユニが「同じ」だと感じたものは、「たった一人で取り残されて寂しい。悲しい」という強烈な感情。すなわち孤独。ほんとにもう、それだけじゃないかと思います。ただこの一点においてのみ、ユニは「今ならわかる……あなたの気持ち」というセリフを口にできる。
 つまり倫理的な均衡うんぬんではなく、感情のレベルにおいて(のみ)同期した、というか。
 そのことを映像として表すために、あそこではファンタジーでしかできない手法が使われていました。
 あのシーン、キュアコスモ姿のユニが、アイワーン(のロボ)が発するビームを真っ向から受け止めます。あのビームは「アイワーンが放つ強い憎しみ」のわかりやすい暗喩でしょう。
 ところが、じつはビームは、アイワーンからユニだけでなく、ユニからアイワーンにも発せられるんですね。それが「トゥインクル・イマジネーション」であり、「ユニとアイワーンとを繋ぐもの」の暗喩になってます。
 ユニとアイワーン。まるっきり立場の違う(どころか敵対している)二人の人間を繋ぐもの。それこそが「想像力」であり、この作品そのもののテーマですね。
 そのことは、ユニが「トゥインクル・イマジネーション」を発動させたとき、彼女の脳裏に、孤児だった頃の泣きじゃくるアイワーンの姿がダイレクトに伝わってくる映像からわかります。
 そのあといくつかやりとりがあって、最後にはユニの体から発した光がビームを跳ね返し、そのままアイワーンの心へと届く。そのとき、ユニがオリーフィオと過ごした楽しい日々の思い出と、それを失った時の悲しみがアイワーンにダイレクトに伝わる。その場面と対になってるわけです。
 「相手の内面を思いやる『イマジネーションの力』こそが、怒りや憎しみを乗り越えられる。」
 今作の根幹にあるそのメッセージが、もとより児童向けファンタジーアニメの文脈の中でのことですけど、あざやかに表現されていた。今はそう考えています。
 それももちろん、前回のご返事で書いた「明日への希望」が見えていればこその話なんですが。
 だから、ぼくとしての評価は、「この設定でユニの『許す』に説得力を持たせるのは、リアリズムを基調とする児童文学ならば難しかったろうが、そこをファンタジーアニメの手法を駆使して、うまく達成した。」ということになります。


 「よりもい」11話、あそこまでされてLINE(的なもの)から同級生たちを削除できなかった日向は、つくづく過去に囚われてたんでしょうね……。


 「喪の仕事」は、フロイト系の精神分析の用語です。物語論はまだまだ未熟なジャンルで、整備がまるで行き届いてません。そこで、隣接するさまざまな分野から用語や概念を自分で引っ張ってきております。これを物語論に援用するのはぼくの独創で、まあ我流ではありますね。
 ともあれ、いうまでもないことですが、ブログで延々と述べた「よりもい論」も、このご返事にて申し上げることも、すべてはぼくの考えであり、それを誰かに押し付けるつもりは毛頭ありません。そのことを前提として述べるのですが……。


 本編中の「宇宙よりも遠い場所・論 45 宇宙よりも遠い場所 03」
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/4bf9714ff3e62734126de644066f6d5f
 をご参照いただければ幸いですが、食堂で、報瀬はキマリたちとこんな会話をします。

報瀬「ごめん。べつに落ち込んでいるとか、悩んでいるとかじゃないの。むしろふつうっていうか。ふつうすぎるっていうか」
日向「ふつう?」
報瀬「私ね、南極きたら泣くんじゃないかってずっと思ってた。これがお母さんが見た景色なんだ、この景色にお母さんは感動して、こんなすてきなところだからお母さん来たいって思ったんだ。そんなふうになるって。………………でも、じっさいはそんなことぜんぜんなくて、なに見ても写真といっしょだ、くらいで」
日向「たしかに、到着したとき最初に言ったのは、ざまあみろ、だったもんな」
報瀬「え? そうだっけ」
結月「忘れてるんですか?」
報瀬「うん……」
キマリ「でも、報瀬ちゃんはお母さんが待ってるから来たんだよね。お母さんがここに来たから来ようって思ったんだよね」
報瀬「うん……」
キマリ「それで何度もかなえさんたちにお願いして、バイトして、どうしても行きたいってがんばって」
報瀬「わかってる」
キマリ「お母さんが待ってるって、報瀬ちゃん言ってたよ!」
日向「キマリ」
結月「そんなふうに言ったら、報瀬さん可哀想ですよ」
キマリ「う……」
報瀬「わかってる。なんのためにここまで来たんだって。……でも……」
キマリ「でも?」
報瀬「(声がふるえる)でも、そこに着いたらもう先はない。終わりなの。………………もし行って、なにも変わらなかったら、私はきっと、一生いまの気持ちのままなんだって……」
キマリ「あ……」

 「きっと一生いまの気持ちのまま」。それは過去に囚われて、時間が止まっている状態ですね。なぜ報瀬の時間は止まっているのか。それは「母が亡くなったから」ではなくて、「母が亡くなったことは理屈としてはわかっているけど、それが心の底からは(身体の底からは、といってもいいかもしれない)納得できていないから」でしょう。
 ようやく「内陸基地」まで辿り着いたとき、貴子を思って涙を流す藤堂を見て、報瀬は食堂で見せたのと同じような表情を浮かべていました。「時間がずっと止まったまま」の顔。「一生いまの気持ちのまま」の顔ですね。だから、これではいけないということで、キマリたち3人があの場所に駆け込んだわけです。報瀬はおずおずとその後を追った。
 そこで形見のパソコンが見つかり、報瀬に手渡され、昭和基地まで帰って報瀬が自室でメールボックスを開く。
 ……いや、たしかにまあ、こうやって記してるだけで何となく心が痛くなってくるんですけども、しかしここを曖昧にしては作品の読みがぼやけてくるので、あえて書きます。つまり報瀬は、いわばあそこで母の死に直面したわけですね。それで3年にわたって堰き止められていた「悲しみ」がどっと迸り、時間が動き出す。
 それこそがぼくのいう「喪の仕事」であり、いかに辛くて残酷でも、ここを乗り越えなければ未来に向かって進むことはできなかったろう……とぼくは考えています。
 ただそれは、報瀬としてもあらかじめ覚悟していたことであり、傍にキマリたちもいてくれることだし、「生」に向かって回復するまでに、長い時間はかからなかったろう……ということ、また、帰りの船上にて貴子からメッセージが「返ってきた」ことで、報瀬の覚えた残酷さ辛さは十分に報われたはずだ……ということは、前回のご返事でも述べました。
 もちろん、作品の読み方は人それぞれで、自分の考えを誰かに押し付ける気はないんですけども、ことこの点に関しては、ぼく自身のこの読みが揺らぐことはないでしょう。ああ、気が付けば、むちゃくちゃ長くなってしまいました。これコメント欄に入るかな。それではこの辺で。


返信する
挿入歌「またね」 (eminus)
2019-11-23 05:24:46
 このあと、ひとつ思いついたことがあるので、書きます。
 12話のあのシーンで、報瀬のおぼえた辛さや残酷さを強調したくないというのは、もりのさとさんが心優しいからだ……と思っています。
 それと、キマリたちがパソコンを見つけるくだりからずっと、挿入歌「またね」が流れ続けていることも大きいのかな、と気がつきました。
 「またね」は、しっとりした、やわらかい曲調ですからね。あそこでもし、もっと悲愴な歌がかかっていたら(そんな歌は「よりもい」の中にはありませんが)、印象はずいぶん変わっていたでしょう。
 「またね」は、全編のなかで3度かかります。
 初めは5話。旅立ちの朝、めぐっちゃんが家の前で待っていて、あの「絶交、無効。」のときですね。
 2度目は10話。「友達」の何たるかがわからない結月の部屋にみんなが集まり、誕生祝いをして、結月が涙を流すとき。
 そして、12話のこのシーン。

 「またね」の歌詞のさわりを、とびとびで抜き出してみましょう。


 果てないと思ってた時間が
 終わりを告げる


 だからずっと忘れない
 言葉より大切な思いが
 きっと 繋いでくれる


 世界中どこにいたって
 同じ空の下 歩んでいる
 ほら そばにいるよ


 だからずっと忘れない
 一緒にいた かけがえのない時間が
 きっと 繋いでくれる
 いつまでも いつまでも またね


 ひとことでいえば、「別れ」をうたった歌でしょう。でも、それはたんなる「別れ」ではない。なんたって「またね」なんだから。
 ぼくが思うにこれは、「ひとつの関係性が終わりを告げて、新たな関係性が紡がれるときの歌」です。
 めぐっちゃんのときがそうでした。「澱んだ水」の中での共依存めいた関係性を終わらせて、2人がそれぞれ独立した「個」として向き合う。そのような関係性に向かうことを予感させるものとして、あのシーンで流れた。
 結月のばあいは、「友達でも仲間でもない誰か」でしかなかった(あくまで結月の視点から見て……ですが)キマリと報瀬と日向が、ほんとうの「友達」になった瞬間を彩る曲として流れました。
 そして12話のあのシーン。あそこで報瀬は、それまで3年にわたって曖昧なままだった「母の死」を否応なしに受け容れます。
 それはやはり、残酷で辛いことであったとぼくは思います。その点については揺らぎません。
 ただ、このことを付け加えたく思います。
 報瀬にとって、「母の死」を受け容れることは、けっして母との別れではない。母を忘れ去ってしまうことではない。
 ブログ本編のなかでも何度か書いたのですが、「喪の仕事」とは、たんに亡くなったひとを忘れ去ることではなく、亡くなった人と自分とのあいだに、新しい関係性を結ぶことです。それはなかなかに大変で、難しいことだから、「仕事」と呼ばれる。
 報瀬はあそこで、キマリと日向と結月の力を借りてそれを果たした。そのように見たらどうでしょう。
 全編をしめくくる13話は、髪を切るエピソードにせよ(「なになに失恋?」「違いますよ」「いや、でも、ある意味そうかも」)、野球で藤堂のボールを打ち返して「宇宙(そら)へと還す」エピソードにせよ、あの堂々たるスピーチにせよ、パソコンを藤堂にわたすエピソードにせよ、報瀬が母・貴子との「新しい関係性を築いた」ことを示すエピソードに溢れています。
 そして、あたかもそれに応えるように、帰国の船上で、貴子からのメッセージが「返って」くる。
 このように考えていけば、パソコンのなかに報瀬からの1483通のメールが残っていたことはもちろん「よかった」わけだし、あのシーンが、けして辛さや残酷さだけに留まるものではない……と仰ることもわかりますね。




返信する
Unknown (もりのさと)
2019-11-25 00:29:35
こんにちは。

スタプリについて……
いやー……ユニがアイワーンを許す場面の映像について、いまひとつ意図を掴めずしっくり来ていなかったのですが、
eminusさんの意見に蒙を啓かれたような思いです。
感情的なレベルでは、それでも完全に納得するのは難しいですが……。
楽しく視聴させてもらっているので、あとはぴしっと着地を決めてほしいなあと願うばかりです。


よりもいについて……
ああー、言われてみると、挿入歌の影響を大きく受けたのは間違いないですね(わたしが心優しいかどうかはともかくとして……)。
それにしても「またね」いい曲ですよね。想像するだけでじんわりしてしまいます。
返信する
スタプリはいいですね。 (eminus)
2019-11-25 21:10:21
 スタプリはほんと、夏を越してから面白くなってきましたね。
 去年のはちょっと、諸般の事情で後半ぐだぐだになっちゃったんで、今年はぴしっと着地が決まるよう、ぼくも願っております。

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。