ブログを始めて早や20年に垂(なんな)んとするのだけれど、
「書きたいときに書きたいことを書く。」
という一点だけを信条としているために、更新はいたって気まぐれで、甚だしいときは2ヶ月くらいあいだが空く。
それはまだいいとして、「この件はシリーズ化しよう。」と思いたち、意気込んでカテゴリを設けたまではいいけれど、そのご諸般の事情で中断して、けっきょくは頓挫してしまった企画がやたらと多いのは、われながら情けない。
いつまで経っても小説が仕上がらない理由の一端が、こんなところにも伺える……。
そもそも2014(平成26)年にOCNブログの閉鎖に伴ってこちらに越してきたさい、「当ブログの柱にしよう。」と思って設けた「戦後短篇小説再発見を読む」というカテゴリが、田中康夫「昔みたい」までで中座している。いっこうに宮本輝の「暑い道」に進めない。
近いところでは、2022(令和4年)、その年の目玉のつもりで設けた「あらためて文学と向き合う」というカテゴリも、まるっきり進んでいない。まずはトルストイの『戦争と平和』を論じるのだと言って、第1回では「叙事詩とは何ぞや」という話を延々とやり、まるっきり、ピエールもアンドレイも出てこない。
「タイトル詐欺」
とはこういうものではないか……と、自分で読み返して思ったりする。
考えてみると、この企画は尻切れトンボどころか、始まってもいない。
「いまの視点からじっくりと読み返したい世界文学の名作10本」のリストをこしらえただけで、どの作品も、本編の内容にかんしていっさい触れてもいないのだ。
これはしかし、企画そのものが無謀だったと思われる。いずれ劣らぬ文学史上の大作家の手になる大長編であって、どれ一作を取っても、えらい学者が生涯をかけて取り組むに値する作品ばかりだ。
一読者として読んでいるぶんにはめっぽう愉しく、勉強にもなるのだけれど、いざこれらを咀嚼して自分のことばで誰かに魅力を伝えるとなると……。
時間のうえでも能力のうえでも、あきらかに手に余る企画だった。
ただ、ブログのかたちで結実させることはできなかったけれど、自分としては、これらの作品から得られたものは大きい。それがなければ、昨年になって、10数年ぶりに小説を書きたくなったりしなかったろう。
「やはり小説は、読むよりも書くほうが面白い。」ということに、あらためて気づかせてもらった……ともいえる。もちろんただの言い訳ですが。
ともあれ、この試みはいかにも大それていたので、反省し、手近なところで、「とりあえず自分が読んで面白いと思った小説」を100本、ジャンル別に書き出していこう……という企画もやった。
「物語(ロマン)の愉楽」のカテゴリに入っている「「これは面白い。」と思った小説100and more」がそれだ。
タイトルを並べてひとことずつコメントを添えていくだけだから、何ということもないと思っていたのに、
「パート2 その⑤」の「「戦争にかかわる作品」02 日記・記録」
までで途絶している。総数も、ぜんぶで29(+1)作しかリストアップしていない。
これについては理由がはっきりしていて、「小説」のリストと銘打っておきながら、戦史ということで、ノンフィクションや日記までをも取り上げたのがまずかった。それで調子がおかしくなった。
どうも昔から、戦争(太平洋戦争)の話になると平静を欠いてしまう。
ぼくの父方の祖父は大陸(中国)の戦線に2度にわたって召集され、その留守中に空襲で実家が全焼して、幼かったぼくの父を含め、家族はたいへんな苦労をした。
だから「建国記念の日」(かつての「紀元節」)といわれても、どうしても、
「うーん……。」
と唸ってしまうのだが、こういう感覚は、平成生まれにはなかなか通じぬだろうなあ……。
そんな次第で戦争の話になると平静を欠いてしまうのだけれど、しかしこの「「これは面白い。」と思った小説100and more」だけは、いまいちど整理しなおして、完結させたいと思っている。昨年たくさんエンタメを読んで、ぼくの知見も更新されているのだ。
再開できたら、先の大戦にかかわる作品も、小説だけに限定しよう。
振り返れば、当初の思惑どおり最初から最後までやりきったシリーズは、「宇宙(そら)よりも遠い場所」の作品論だけだ。これは文学ブログとしてどうなんだろうか。まあ自分ではアニメ論ではなく、「物語論」の一環としてやったつもりだけれども……。
なお、「尻切れとんぼ」とは、昆虫の蜻蛉のことではなく、かかとの部分が擦り減ってなくなってしまった草履のことらしい。そうなるくらいに履き古したということか。形状としては、いまでいうダイエットスリッパみたいなものだ。その鼻緒の部分をトンボの翅に見立てたとのことで、いわれてみれば似てるかな。