ソウルの5月
家内と、2015年の5月11日~14日、ソウルに出掛けた。
私は、2004年の8月以来なので、11年ぶりのソウルである。
今回の旅行で感じたことは、
1.ソウル市内が綺麗になったこと。歩道に花壇が出来ているところが目立ち、植えてある花も、良く手入れされていた。
2.車が綺麗になった。10年前は汚い車が目立ったが、今回は綺麗な車が殆どであった。
3.10年前は殆ど無かった地下鉄へのエスカレーターが、今回はかなり設置されていた。
4.街路樹が大きくなった。町中を綺麗にする努力が実を結んでいると感じた。
5.当時は案内表示が韓国語と英語が殆どだったが、日本語と中国語の表示が増えた。
6.中国人観光客が非常に増えた。
7.コーヒーショップが非常に増えた。
8.物価が上がった。
9.ビールが美味くなった。特にクラウドというブランドが美味かった。
私にとってソウルは10年以上前ではあるが2年半駐在し、多少なりとも土地勘のある場所であり、そう広い都市でもないので、今回は出来るだけ歩いて町中を歩いて見て回るようにした。このため、今まで気が付かなかったことが目に付くケースがあり楽しかった。
今回の旅行は5月中旬であり、ソウル市内は百花繚乱という感じで花が咲き揃っていたので、それらの花を中心に「ソウルの5月」を紹介する。
5月11日(月)
往きのフライトは、羽田発8:55のNH861便で、金浦着11:20である。
フライトは概ねスムーズで、離陸してすぐ、
富士山、
南アルプスが綺麗に見えた。
空港からホテルに直行する。ホテルはソウル市庁前広場に面している。ホテルにチェックイン後、歩いて10数年前に整備された清蹊川に出かける。市庁舎前の広場は大きな芝生の広場になっており、
噴水があり、
芝生の端には花壇が設えてあり、折から綺麗な花が満開である。
花には名札が立てられている。これはエニシダで、ハングルでエニシダと書かれている。
この他にも珍しい花が植えられている。
市庁舎のすぐ脇の世宗路は、 ソウル市内で最も広い大通で、この通りを景福宮に向って北に進むと、途中に清蹊広場がある。
ここの花壇も綺麗である。
清蹊広場から東に6kmほど清蹊川が流れており、ここが親水公園に設えられていて、市民の憩いの場になっている。都内の神田川の上に首都高が作られたように、10数年前までは清蹊川の上に高速道路が作られており、都内の神田川の様な状態だったところである。この流れに沿った遊歩道を東大門までの約3kmほどをゆっくり歩いた。
10年前に来た時と比べ、景色が落ち着いた感じで、植えられた木々が大分大きくなっていた。流れには小魚が群れており、すっかり町中の自然として定着した感じである。
流れの両側には、アカシヤ、なんじゃもんじゃの白い花が綺麗に咲いている。
遊歩道はこんな雰囲気で、なかなか良い感じである。
遊歩道の壁には、このような案内板が随所にあり、自分の現在位置が確認できるようになっている。
東大門のところで上に上がり、喫茶店で一休みした後、東大門を表と裏の両側から見て、
地下鉄でホテルに戻る。
この晩は、コレアハウスで伝統芸能を楽しみ、終った後、出演者と一緒に記念撮影をする。
5月13日(水)
ソウル3日目は、国立中央博物館に出掛ける。かつて、悪評高かった朝鮮総督府の建物を使っていたこの博物館が、2005年にこの地にリニューアルオープンしたもので、日本人駐在員の多くが住む二村の隣にある。
地下鉄4号線の二村駅から地下道でこの博物館の入口まで行くことができる。
この博物館の建物は超近代的なもので、大変立派である。
この立地は、93000坪の家族公園内であり、博物館の周囲も実に良い雰囲気である。
エントランスへのアプローチも洒落ている。
中に入ったホールも吹き抜けになっていて、良い感じである。
3階まで吹き抜けになっている中央通路の奥には、1348年に作られた国宝の敬天寺十層石塔が立っている。
肝心の博物館の中身であるが、建物は3階建てで、先史時代から李氏朝鮮時代に至るまでの遺物が、時代順を追って展示されている。これを順番に見ていくと、日本文化の特に奈良時代の仏教文化は、韓国文化の影響を非常に強く受けているという印象を受ける。陶磁器の展示物も多く、なかなか中身の濃いものである。
館内には、喫茶室や
レストランがあり、ゆっくりと寛ぐことが出来るようになっている。
我々も、ここで昼食を摂ったが、広々とした庭園を眺めながらの食事は、なかなかなものである。食事の内容も悪くなく、広い館内を見て歩き程良く疲れた時に、ゆったりした一時を過ごすことが出来る。
またこれだけの博物館の入場料が只というのも驚いた。そのせいか、小学生から大学生まで、学生の見学者が多かったが、館内が広いため、混み合った感じはしなかった。
3時半頃、博物館見学を切り上げ、再建成った南大門に寄る。
火災の後、良くこれだけ短期間に再建したものである。
南大門市場を覗きながらホテルに戻る。
本日の夕食は、大統領官邸の裏にあるマンデュー屋に行き、夕陽を眺めながら、これまたゆったりした一時を過ごす。
この後、大統領官邸の裏山のドライブウエーを走り、ソウルの夜景を眺められる展望台に行く。ここからの夜景は久しぶりで懐かしかった。
ドライブウエーを再び走り、瓦台の東側の北村地区に抜け、ホテルに戻る。
贅沢な雰囲気の1日であった。
5月14日(木)
本日は、ソウル最終日で、夜8時過ぎのフライトで帰国予定である。
最終日は、北村地区を歩いてみることにする。このエリアは韓国の伝統建築が多い住宅街の町並を見られるはずで、駐在したときには行ったことが無かった所である。
そこで、北村地区の観光案内所で旅行者用の地図を貰い、これを頼りにこの地区を歩いた。まず、この地区を南北に走る北村路の東側を歩き、次に西側を見て歩いた。
建物を一つ一つ紹介することは止めて、この地区の雰囲気を紹介するに留める。
細い路地
まず東に向い、坂を越えると、正面に昌徳宮が見える。
昌徳宮にぶつかると、塀に沿って北に向う。
このような文化院の建物も、風格がある。
一軒一軒、個性があって、良い雰囲気である。
この辺りで北東の行き詰まりになるため、西に向って坂を上る。
この坂を越えると、
坂の下に中高一貫教育の学校がある。
入口の銀杏が美事である。
この先の坂を上り、途中から左に折れて、伝統工芸体験館の辺りを通る。
この辺りの路地も良い雰囲気である。
雨樋のデザインも面白い。
更に下ると、北村路に出る。これで、北村地区の東半分が終り、ここから西半分に入る。
再び、細い坂をのぼる。
この辺りも、東半分と似た雰囲気の住宅街である。
ふと見ると、北村展望台と書かれた看板がある。ちょうど丘の上でもあり、どれどれと、寄ってみる。
行って見ると、そこはマンションの3階で、そこのベランダで、辺りを見渡せるようになっており、三千W払って入ると、なかなか良い景色である。ジャスミンティーを頂きながら、良い気分で一休みできた。四方の景色を紹介する。
まず、これは西側で、大統領官邸である瓦台の青い屋根が見える。中央右手の山は、北岳山である。
これは北側。この大きな山は北漢山でこの辺りは国立公園になっている。
これは南西側で、緑は景福宮である。
これは真南で、すぐ手前の民家の屋根が綺麗に並んでいて、
良く見ると、キムチの壺が並んでいるのが見える。
これも南側で、南山タワーが南山の頂上に尖って見える。
これは、南東部で、東大門の方である。
ここから三清路の方向に下りて行くと、これで、北村の散策は終りである。時刻は11時15分である。昼飯には少し早いので、景福宮に立ち寄ることにする。
三清路の通りの反対側に、国務総理公館がある。
公館の裏山にはアカシヤの花が満開である。ここから三清路を南に下ると
瓦台路との三叉路に出る。
この三叉路の先は、景福宮である。この三叉路は景福宮の構内の北東の位置にある国立民俗博物館のすぐ脇である。ここから景福宮に入り、散策することにする。
民俗博物館の前庭には、いろいろな花が咲き、良い雰囲気である。
済州島のトラハルバンも鎮座ましましている。
その先には、伝統的な韓国建築であり、寄贈されてここに移築された梧村宅がある。
民俗博物館は、今回はスキップし、景福宮へ進む。
景福宮に民俗博物館側から入り、右手すなわち北側に進むと、池の中に香遠亭があるのが見える。
そのすぐ北側に、最近再建された乾清宮がある。南側から入ると、中庭に芍薬が美事に咲いている。
舎光門をくぐると、薔薇が咲いている。
乾清宮の南西端にある長安堂の脇にある出口から乾清宮を出る。
集玉齋の前を通り、
芝生の広場を光化門の方へ向うと、途中、カチと呼ばれるカケスの一種が芝生の上で憩うのが見られる。
その先では水浴びをしているのが見られる。
この先の池の中に、慶会楼と呼ばれる迎賓館が建っている。これは木造建築で、国宝に指定されている。
この池の南側に、景福宮の正殿である勤政殿がある。
ここの前にある興禮門をくぐると、目の前に光化門があり、景福宮の散策がここで終りである。
伝統家屋の住宅街の散策は、今まで行ったことが無い処だっただけに、知らなかった韓国の1面を見ることが出来、楽しかった。
以上が、ソウルの5月である。