パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

振り込め対策

2008-05-02 20:35:33 | Weblog
 先月の4月29日を日曜日と思い込んでしまい、今日は水曜日と思っていたら金曜日で驚いた。別に、それだけで、実害はないのだが。

 今、NHKテレビで「振り込め詐欺」についてやっている。結局、どんなに警戒していても、どんなに頭がよくても、いったん、相手を信用したら、途中で「怪しい」と思うことは難しいということなのだろう。

 ポーの『手紙』でも、自分で「ない」と思い込んでしまうと、目の前にそれがあっても、見えない。これは、実際に「見えていない」可能性がある。網膜上には写っていても、脳に届いていないのだ。だとしたら、「それ」が見つかる可能性はゼロだ。

 これと、似たようなことが、いったん相手を信じてしまったら起きてしまうのではないか。「ATMに行ってください」と言われたら、「怪しい」と思ってくださいと番組に出ている女性弁護士が、今しゃべっているが、「怪しい」と思えないから問題なんじゃないの? 途中で「ふと」気づくということもあるだろうが、我々の脳は、脳の命令に従って網膜上の情報をもとに仮想現実を作り、その中で我々は生きているのだから、その「現実」が嘘だと気づくことは、いったん、仮想現実が作られてしまったら、理論的に不可能なのだ。矛盾があっても、ちゃんと合理化しちゃう。番組では、被害者はとても頭の良い、用心深い人なんですけどねえ、と言っているが、そういう人ほど、「合理化」も周到なのだ。

 では、どういう対策をとったらよいかということになるのだが、番組ではほとんどお手上げといった印象だったが、簡単だと思うがなー。番組の被害者は、直後に騙されたことに気づき、すぐに警察だか銀行だかに連絡して現金化をストップしてもらったが、半分、現金化されてしまっていたという話だったが、じゃあ、現金化するのを「直後」ではなく、たとえば、1時間とか2時間とか、あるいは半日とかタイムラグを置けばいいのではないか。その間に「怪しい」と気づいたらすぐに銀行に言えばいいだろう。半日たっても騙しとられたことに気づかない場合は、これはもう、しょーがないと言うしかないだろう。(すぐに現金化されないと困る、という人だってもちろんいるだろうが、送金伝票のみ発行するようにすればいいだろう。)

 番組をラジオで聞きながら考えたことなんで、大した提案ではないけれど、もし機械(コンピュータ)的にできるものなら、効果あると思うが、どうだろう。

 番組ではこんなことも言っていた。

 犯人側が、口座を作るために1年間に何度も養子縁組を繰り返して姓を変えていたということがあり、役所に聞いたところ、法律上、ちゃんと申請していれば、我々としては受けざるを得ないという返事で、じゃあ、法律を変えればいいのではというアナウンサーに、女性弁護士は、それをするとわれわれの生活がひどく不便になるから、簡単にはできないとか言っていたが、これも、簡単な話じゃないか。1年に何度も養子縁組を結ぶ人間なんてそんなにいるわけはない。というか、ほとんどいない。ということは、その時点で怪しいことはみえみえなんだから、市役所から警察に連絡すればいいじゃないか。もちろん、それで逮捕しろというのじゃない。警察の壁にでも名前を貼っておいて、さりげなく監視していればいいだろう。

 プライバシー保護の観点からできない、って? そんなの毎日やってるではないか、警察は。自転車に深夜乗っているというだけで止めているじゃないか。

 と、そんなことを、詐欺被害者の、キンキン声に変えられた声を聞きながら考えた。この「音声の変形」もどうにかしてくれと言いたい。時々、ちゃんと顔も声も普通に露出して答えている人もいるから、多分取材時に、「どうしますか?」と聞かれて、「じゃあ、一応、変えてください」ということでそうしているのだと思うのだが、そもそも、そんな変な声に変えてまで放送する必要はないので、もし、あまり顔を出したくない、声も出したくないという場合、アナウンサーが代わりに、「これこれこのようなことでした」と、喋ればいいじゃないかと思う。

夏まで待てない

2008-05-01 18:14:33 | Weblog
 ちょっと書き込みを休んだくらいに思っていたが、前の記事が黒岩涙香の『鉄仮面』とは、随分昔のような気がする。

 一昨々日、一昨日と万歩計をリセットし忘れたので、二日分となったが、計3万3000歩弱。連日1万5000歩以上は、ちょっと歩き過ぎ。バテた。

 さて、昨日、ガソリン税率復活が国会議決になって政府与党幹部が高級料亭で祝杯を挙げたそうだが、別に高級料亭を使うなとは言わないが、祝杯とはまた何おか言わんやだ。

 福田首相サミット花道論が自民党の間に本格的に出てきていると新聞に書いてあったが、裏返すなら、福田念願のサミット前の退陣は見るにしのびないってことだろう。自民党はよほど国民の世論を甘く見ているのだな。冗談じゃない。夏まで待てるか。

 その福田、官庁に新たに入った若者を前に、「官庁は決してつぶれませんから、安心して存分に腕をふるってください」と訓示を述べたとか。こりゃダメだ、というか、ダメなことはわかっていたわけだから、ダメだのダメだか。つぶれないから、いつまでも失敗を繰り返すのじゃないか。

 まあ、このことについては、あんまり人のことは言えないのだが……今、バター不足だそうで、なんで?と思ったら、数年前、牛乳が余ってしまって捨てている様子がテレビニュースで流れたりしたが、あのときの農水省の「減量政策」が主な原因だそうだ。

 そもそも農水省の牛乳政策(そんなものあるのか?と思ったが、どうもあるらしい)として、牛から絞った乳は、優先的にまず、牛乳に割り当てられ、次に、チーズ、次にクリームとかヨーグルト、最後に残った牛乳がバターになるという仕組みだそうで、その牛乳を減量してしまったために、しわ寄せが、まずバター不足として顕在化したということらしい。(優先順位の順番は忘れたが、先頭が牛乳、最後がバターなことは確かだ)

 この「牛乳最優先策」(農協を通じて実行させるのだろう)は、牛乳の確保が国民の健康維持にとってまず第1に大事である、という考えからそうなったそうだが、われわれの日常感覚から離れた、妙な政策だなあと思う。

 もちろん、牛乳の健康に対する影響についてはいろいろ言う人がいるようだが、私はまちがいなく「良い」と思っているし、夏なんか水代わりにガブガブ飲んでいるから、私個人にとっては、牛乳確保はとても大事なことだが、でも、だからといって、「食卓から牛乳が消えないように、お役人様、よろしくお願いしますよ」なんて思ったことは一度もない。そもそも、牛乳を特別視する理由なんか、今どきないだろうし、そんなふうに思ったからといって、自分が食料問題に無関心だとも思わない。

 そんなことをつらつら考えていて、ふと、明治時代のリアリズム小説を思い出した。たとえば田山花袋の『田舎教師』なんかだが、結核にかかった若者に母親が、「栄養をつけなければ」といって、牛乳を飲ます場面がしばしば出てくるのだが、役人の牛乳に対する感覚は、このような、牛乳がほとんど薬代わりだった明治時代以来、変わっていないのかもしれない。「同じ東大の大先輩の民衆に対する美しく貴い志を守るんだ!」とか。まあ、そこまで揶揄せずとも、大先輩の、「牛乳重視」の意志が浸透している政策を見直して、牛乳も普通の食品と同じとすることは、とても「淋しい」ことなのかもしれない。先輩思いで可愛いところあるじゃじゃないの……って、そんなこと誰が思うかよ、だ。

 地方の医師不足も、つまるところは、医師の数が多すぎるという厚生省の発案で、大学の定員数を絞るように閣議決定したことが遠因にあるらしい。

 もちろん官僚どもは、この次はうまくやりますから、とか言うのだろうが、ケインズが言った通り、未来のことは「今生きている人間がみな死ぬこと以外、わからない」のが正解なのだ。