パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

夏まで待てない

2008-05-01 18:14:33 | Weblog
 ちょっと書き込みを休んだくらいに思っていたが、前の記事が黒岩涙香の『鉄仮面』とは、随分昔のような気がする。

 一昨々日、一昨日と万歩計をリセットし忘れたので、二日分となったが、計3万3000歩弱。連日1万5000歩以上は、ちょっと歩き過ぎ。バテた。

 さて、昨日、ガソリン税率復活が国会議決になって政府与党幹部が高級料亭で祝杯を挙げたそうだが、別に高級料亭を使うなとは言わないが、祝杯とはまた何おか言わんやだ。

 福田首相サミット花道論が自民党の間に本格的に出てきていると新聞に書いてあったが、裏返すなら、福田念願のサミット前の退陣は見るにしのびないってことだろう。自民党はよほど国民の世論を甘く見ているのだな。冗談じゃない。夏まで待てるか。

 その福田、官庁に新たに入った若者を前に、「官庁は決してつぶれませんから、安心して存分に腕をふるってください」と訓示を述べたとか。こりゃダメだ、というか、ダメなことはわかっていたわけだから、ダメだのダメだか。つぶれないから、いつまでも失敗を繰り返すのじゃないか。

 まあ、このことについては、あんまり人のことは言えないのだが……今、バター不足だそうで、なんで?と思ったら、数年前、牛乳が余ってしまって捨てている様子がテレビニュースで流れたりしたが、あのときの農水省の「減量政策」が主な原因だそうだ。

 そもそも農水省の牛乳政策(そんなものあるのか?と思ったが、どうもあるらしい)として、牛から絞った乳は、優先的にまず、牛乳に割り当てられ、次に、チーズ、次にクリームとかヨーグルト、最後に残った牛乳がバターになるという仕組みだそうで、その牛乳を減量してしまったために、しわ寄せが、まずバター不足として顕在化したということらしい。(優先順位の順番は忘れたが、先頭が牛乳、最後がバターなことは確かだ)

 この「牛乳最優先策」(農協を通じて実行させるのだろう)は、牛乳の確保が国民の健康維持にとってまず第1に大事である、という考えからそうなったそうだが、われわれの日常感覚から離れた、妙な政策だなあと思う。

 もちろん、牛乳の健康に対する影響についてはいろいろ言う人がいるようだが、私はまちがいなく「良い」と思っているし、夏なんか水代わりにガブガブ飲んでいるから、私個人にとっては、牛乳確保はとても大事なことだが、でも、だからといって、「食卓から牛乳が消えないように、お役人様、よろしくお願いしますよ」なんて思ったことは一度もない。そもそも、牛乳を特別視する理由なんか、今どきないだろうし、そんなふうに思ったからといって、自分が食料問題に無関心だとも思わない。

 そんなことをつらつら考えていて、ふと、明治時代のリアリズム小説を思い出した。たとえば田山花袋の『田舎教師』なんかだが、結核にかかった若者に母親が、「栄養をつけなければ」といって、牛乳を飲ます場面がしばしば出てくるのだが、役人の牛乳に対する感覚は、このような、牛乳がほとんど薬代わりだった明治時代以来、変わっていないのかもしれない。「同じ東大の大先輩の民衆に対する美しく貴い志を守るんだ!」とか。まあ、そこまで揶揄せずとも、大先輩の、「牛乳重視」の意志が浸透している政策を見直して、牛乳も普通の食品と同じとすることは、とても「淋しい」ことなのかもしれない。先輩思いで可愛いところあるじゃじゃないの……って、そんなこと誰が思うかよ、だ。

 地方の医師不足も、つまるところは、医師の数が多すぎるという厚生省の発案で、大学の定員数を絞るように閣議決定したことが遠因にあるらしい。

 もちろん官僚どもは、この次はうまくやりますから、とか言うのだろうが、ケインズが言った通り、未来のことは「今生きている人間がみな死ぬこと以外、わからない」のが正解なのだ。