Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

絵本

2012-01-25 08:02:08 | 未分類
ちょっと一服

小学校に入る前の頃、父の書棚に、今風に言えば図録ですが、生命誕生から人類までの進化の過程、定常的な宇宙(20世紀初めに提唱され、中ごろにビックバン理論が認知され出しました。)、物質の成り立ち等について絵(今でいえばイラスト)で説明されている本がありました。

宇宙は巨大な亀、大蛇、巨象で出来たこの地球を中心に描かれていたり、太陽と月が機械仕掛けで天空を駆けていたりと、自分にとっては何度でも読める(見る?)絵本でした。

幾度かの引っ越しで、その絵本は行方知れず、です。

暮れに「宇宙観5000年史」(中村士 岡村定矩 東京大学出版会)を注文し、先日受け取りに行ってきました。

彼女の「どんな本が入ったの?」の問に「絵本だよ。」と。
帰宅後、内容を見て「本当の絵本と思ったのに。」と。
もう少し図版が多ければと思いました。

古代の天文学、星座、占星術、太陽中心と書き進められており、読み終えていませんが、 現在の宇宙観(ビックバン、ダークエネルギー等)までを網羅しています。

このような本は、妄念も希薄となり、書かれている内容そのものを楽しんでしまいます。
これは、幼児期のトラウマの一種なのかもしれません。

早朝の愛犬との散歩時に、先週は西の空に満月が、今日日南の空に三日月があります。
夏至、冬至を知り(認識)、1年を365日、一日を24時間としたことに古代の人々の気の遠くなるような営為が過ります。



「宇宙観5000年史」(中村士 岡村定矩 東京大学出版会)


アサヒグラフ

2012-01-24 21:23:47 | 憲法・非戦・平和
読みたいブックレットがあり郊外の大型書店に行ってきました。

この書店の哲学・思想のコーナーは、以前は一列あったのですが半分になってしまい、ただでさえ見劣りしていたのですが一層貧弱になりあまり行かなくなってしまいました。

お目当てのブックレットを手に、貧弱なコーナーにキョロキョロしながら歩いていくと、B4サイズで右から読む「號別特フラグヒサア 記全災震大」が並べられてました。

朝日新聞社の東日本大震災に係る「報道写真全記録」と「朝日新聞縮刷版」は、紙面広告で知り購入しましたが、「アサヒグラフ特別號 大震災全記」の出版(復刻2011.11.18)は知りませんでした。

この復刻は、『アサヒグラフ特別號 大震災全記』(大正12年10月28日発行)と『アサヒグラフ臨時増刊 三陸震災画報』(昭和8年3月17日発行)とが合本されたものです。

1923年(大正12年)の関東大震災における「朝鮮人虐殺」については、記録、証言、著者のスタンスから、朝鮮人の不満分子が徒党を組み、略奪、婦女暴行に対し各町内の自警団が対峙し殺害、また、朝鮮人が暴徒化したとの流言蜚語を信じた日本人が、朝鮮人何千人を虐殺、の二説が言われています。

当時の流言蜚語の数々が取り上げられるなど、凄まじいものであったことを窺わせる記事がいくつか掲載されています。


『アサヒグラフ特別號 大震災全記』17Pより

ある町会の自警団が写真入りで記事となっており、対峙が先鋭化していたことを伺わせますが、国民徴用令による徴用は敗戦間際ですから、当時も多くの朝鮮人が渡来(移入、密航?)していたことが引っ掛かります。


僕のお父さんは東電の社員です

2012-01-23 20:49:58 | 東電 柏崎・福島原発の放射能漏れ
サーバーを構築されたことがあればお分かりのように、停電時にUPS(無停電電源装置)によりシステムがシャットダウンするか確認します。
昔日、非常用電源のディーゼル交流発電機の納品検査時の軽負荷運転等に立ち会ったことがありますが、停電時に支障ないか長時間かけて確認しました。

福島第1原発の原子炉データを国に送信する原子炉監視システム(ERSS)に非常用電源が接続されていなかったことが明らかになりました。(「福島第1原発 電源、未接続 責任なすり合い」 2012.01.20産経)一部抜粋

(東電は)地震の4カ月前から未接続のまま放置していたことについては、「接続工事をすると通常時のデータ送信が止まるため、ERSSを所管する保安院と調整していた」と説明。「作業をどうするか未調整のまま3月11日を迎えた」とした。

保安院会見に同席した原子力安全基盤機構の担当者は「東電には接続しておくように指示した」と証言し、東電説明とニュアンスが異なる。接続できなかった原因も東電と保安院の言い分は食い違う。東電は「事前に(ケーブルの長さを)確認して用意したが、情報が違っており、長さが足りなかった」と説明。保安院は「東電が(非常用電源の)設置場所を間違えたため届かなかった」。

この記事を読む限りどっちもどっちで論外です。
ましてや、工事を担当した東電の無責任振りは狂っているとしか言いようがありません。



この記事を読んで思い出したのが、毎日新聞『NEWSの窓』の北村龍行「東電は人々のことを考えているか 2011.03.27」に対して、毎日小学生新聞に小学校6年生「ゆうだい君(仮名)」〈突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です2011.05.18 〉が掲載されました。

<原子力発電所を造ったのは誰でしょうか。もちろん、東京電力です。では、原子力発電所を造るきっかけをつくったのは誰でしょう。それは、日本人、いや、世界中の人々です。その中には、僕も、あなたも、北村龍行さんも入っています。>

掲載後、様々なコメントが飛び交い、「僕のお父さんは東電の社員です」(現代書館 森達也 著+毎日小学生新聞 編)の単行本まで出版されました。

福島原発を造り原発事故を起こしたのは東京電力そのものでであって、それ以外の日本人や世界中の人々ではありません。
また、責められるべきは東京電力という法人格であり、東電社員ではありません。東電社員の社会的、道義的責任(あるとすれば)は社員個々の問題であって、マスコミ、日本人、世界中の人々がとやかく言うべきことではありません。

責任の所在の拡散化と拡散された者達を咎める特有の責任の希薄化=無責任が働いています。
つまり、東電には責任があるが、国も学者もそして国民にも責任があり、自分の責任を果たさず、東電を責めることはできない、と。

投稿の主旨は、ありふれた東電を擁護したい人々の意向を代弁しているだけです。

東京電力という法人格を代表していない東電社員の、子供である小学校6年生「ゆうだい君(仮名)」は、東電社長宛てに「責任を取れ。」と抗議の投書をすべきと考えます。

地元の北海道電力も東電と同じように、オール電化、オール電化住宅を進めていますので、市井人(道民)に蔓延している「節電モード」に立腹していることでしょう。


石川啄木

2012-01-13 18:30:39 | 未分類
ちょっと一服

今朝の朝日(01/12)の道内記事「北の文化」において、啄木の釧路における足跡を北畠立朴(釧路啄木会会長)が『啄木の北海道漂泊一年』と題して簡単に書かれていました。

啄木が1907年5月5日に来道(函館に)して、1908年4月5日に離道(釧路から)するまでのうち、主に釧路時代について書かれており、歌碑の写真のキャプションに歌碑が二十数基あると書かれています。

読んでいて、2か月余りの滞在ですが、釧路市民のアイデンティティのひとつなのかもしれません。

啄木が22歳の1907年9月14日に、札幌駅近くの北七条西4丁目4の未亡人田中サト宅に、9月27日に小樽に向かうまで下宿していました。

昔日、高校の体育実技の時間に、体育教師がグランドに接している木造の古民家の一軒を指差して、あの家が啄木の逗留した家です、と。

当時、体育教師は全身筋肉でできていると考えていたことと、札幌駅周辺に逗留していたはずなのに場所が異なることから、印象に残っています。

1907年5月に母校が創設されましたので、教師の中で言い伝えられていたのかとも思いましたが、母校が開校し場所は中島公園の一角か周辺だったので、現在の場所とは異なります。

それとも、札幌駅に出迎えた向井夷希微か松岡蕗堂の家等であり、啄木が泊ったのかもしれませんが、想像の域をでません。



函館市宝来町の「茶房ひし伊」で、珈琲を飲んだことがあります。
この「茶房ひし伊」は質倉の内装を今風 (?)に改造して、外観に比べ雰囲気にちょっと嫌味があります。

昔日啄木の妻節子が通ったとの話が伝えられています。

立待岬に向かう途中に石川啄木一族の墓があり、佇むことなく通り過ぎたことがあります。

函館、小樽、札幌、釧路と駆け抜けた啄木ですが、其々の地で慈しまれています。
これは、北海道の厚みと深みのない風土(実存的、歴史的、文化的な背景)を物語っているとも言えます。

(2012.01.12記)


これは文字です

2012-01-11 07:13:01 | 読書ノート
文芸評論家の斎藤美奈子が、「叔父が文字という仕掛けに頭がクラクラ」と評した(「回顧2011・文学」2011.12.23朝日) 円城塔の『これはペンです』が入荷。

文芸評論家の「頭がクラクラ」する小説に、文芸評論家と称される質と単純な好奇心から、久々に小説を読む気になり大晦日に注文し今日手にしました。

結構楽しく読めました。
最初の一行が「叔父は文字だ。文字通り。」ですから、悶絶ものです。

文章自動生成装置を発明した叔父と姪とのメールのやり取りの物語で、文字と事実存在が巧妙に織り込まれ、読み流すことも読み込むこともできる質です。

当ブログでも触れました「ソカール事件」やら、チョムスキー(生成文法)、 ハイゼンベルク(不確定性原理)等の名前が出てきており、構造主義的なプローチが試みられているとも読めます。

理工系、ポストモダン、言語等の素養がなければ、何が書かれているのか分からない、また最初の一行が何故悶絶なのか分からない苦痛の読書になると思います。

ただ、書かれている事柄の次のフェーズもそうですが、その糸口についても書かれていませんので、過大な期待は肩透かしを食らいます。

文芸評論家が「頭がクラクラ」するのも分かります。



「これはペンです」(円城塔 新潮社)

同書にはもう一遍『良い夜を持っている』が収録されています。
最初の一行が「目覚めると、今日もわたしだ。」です。

この一行も悶絶ものです、これからゆっくりと読みます。

(2012.01.09記)