Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

混乱のメドゥーサ その6

2009-04-16 06:57:37 | 異形の滓
異形の滓 No.23

「自由・平等・友愛」は、「個人・国家・互助」とか「精神・公・経済」と置き換えて、展開することが出来ます。

最初に書きましたように、「自分の欲する○○」についてですが、「○○」は物(果物、書籍、電子製品、衣類、不動産等)や精神(宗教、思想、哲学、映画、芝居等)や行為(スポーツ、演奏、思索、散歩等)など対象は数知れずあります。

「欲する」ことの質は、生理的(空腹、渇き、痛み、眩しい等)、精神的(不安、喜び、怒り、関心等)など相対的である事柄に気づきます。

「他人を害さない自由」そのものの輪郭が朧になってきます。
つまり、自分に対する同様の行為(表現、行動、規制、依頼等)であっても、他者にとって害があったりなかったりします。

このため、1791年憲法では権利行使の限界について法律で定めるとしていると考えることが出来ます。

自由について国家の枠(法律)があること自体不可解です。


だっこすると、見た目にボロボロとなります。


混乱のメドゥーサ その5

2009-04-15 08:23:01 | 異形の滓
異形の滓 No.22

フランスの最初の憲法(1791年)に、「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。」とあります。

「自由・平等・友愛」がセットとしてありますが、友愛(博愛)も平等も自由を害する質をもっています。
また、国家を前提に自由を考えますと、国家からの、国家への、国家による、と考えられます。

「他人を害さない」とは、暴力、犯罪、違反、違法、身勝手、傍若無人、理不尽、狂気などの事柄を想定しているのでしょう。
例えば、刃物を振回す狂気は生命の危機がありますが、刃物でなく一輪の花は、風船は、フランスパンは他人を害するとは思いません。

内に秘めた狂気に勝るものはないと考えます。



第4条(自由の定義・権利行使の限界)
自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。


ペシャワール会近況

2009-04-14 06:32:48 | 未分類
伊藤和也氏亡き後、現地ワーカーは引き揚げ、中村医師だけが現地にて、現地スタッフ700名とともに孤軍奮闘しています。
09.04.01の会報(No.99)で、PMS事務長イクラム・ウッラーの報告のなかに、現地スタッフについて「日本人が去った後ある種の後ろ向きな反応を見せていましたが、統制を取り戻しつつあります。」とあり、一安心といったところです。

また、伊藤和也氏のご両親が「伊藤和也アフガン菜の花基金」を立ち上げられたことが報告されていました。

08.10.29の会報(No.97)のボランティアスタッフの後記に「伊藤さんの事件は私達事務局員にとりましても大きな試練でありました。伊藤さんのお母様と同年輩、又少し年上の三十人ほどの女性で構成されています。子を持つ母親の気持ちが痛いほど解る・・・」とあり、死は統計ではなく、一人ひとりの固有のものであり、共有されるべき姿が書かれていました。

カルト学会・カルト党と押し切られた自民党との合作、天下の愚策「定額給付金」は総選挙の露骨な買収ですから、ペシャワール会にカンパしようと考えています。



ペシャワール会報(No.99より)


混乱のメドゥーサ その4

2009-04-13 06:45:30 | 異形の滓
異形の滓 No.21

時間は、過去、現在、未来と直線的に流れているイメージが強いです。
例えば、友人と同じ教室の受験で、試験監督官を僕は女性、友人は男性と記憶していたときに、どちらが正しいのでしょう。

過去の出来事の正誤には意味がなく、単に比較できるにすぎません。が、その記憶は過去そのものです。

また、未来についてですが、明日があり、来月があり、来年があり、その時の自分をイメージできることから、直線的に流れているイメージが強いです。
1ヶ月後、1年後・・・等の自分のイメージは、今の自分の存在に何ら関係ありません。

連綿としてありつづけている存在は、この一瞬の自分に沈殿しのめり込まれたものであり、次の一瞬のために消滅していると考えます。

過去、現在、未来は、一瞬の自分に存在しているのであり、仏教で言われるところの刹那滅に近いかもしれません。



今朝の散歩、全てがモヤに包まれていました。


朝日ジャーナル

2009-04-12 01:27:44 | 未分類
朝日新聞夕刊の人脈記「素粒子の狩人5」(09.04.10)に、山本義隆が取り上げられました。
1960年代全共闘のある種の象徴だった彼は院生として、「レッジェ理論」*に取り組んでいたと書かれています。現在は科学史の著作を発表しています。

同記事は、朝日ジャーナル69.03.02号の「攻撃的知性の復権」を引用しています。
「ぼくたちはマスコミの言うように『玉砕』などはしない。一人になってもやはり研究者たろうとする。ぼくも、自己否定に自己否定を重ねて最後にただの人間-自覚した人間になって、その後あらためてやはり一物理学徒として生きてゆきたいと思う」この宣言通りに、彼は生きているようだ。(内村直之)

* レッジェ理論
超弦理論(超ひも理論)の前段階の弦理論(ひも理論)の元になった理論で、強い相互作用における散乱行列(いわゆるS行列)の解析性をモデル化した理論、としておきます。(理工系はmatrixを多用しますが、馴染みのない方が多いと思います。)


「攻撃的知性の復権」(山本義隆 朝日ジャーナル69.03.02号より)
この文章は、当時の全共闘の思考レベルを如実に現していると考えます。
1969年2月10日記となっています。

朝日ジャーナル「怒りの復活」(09.04.11 朝日)

92年に休刊した「朝日ジャーナル」が、週刊朝日緊急増刊として発売されます。売れ行きによっては定期化したいと書かれていました。

行き付けの本屋に取り置きをお願いしてきました。
まあ、定期化はむりでしょうね。


山本義隆(09.04.10朝日夕刊より)