読書ノートNo.8
「まえがき」その7
「思想というものは、自我の否定力や観念の純粋な力を土台ないし要素として存在するのにたいして、感覚的なものは、受動的ただそこにあるというだけの存在だからである。思想が流動化するには、内面に直接に存在する純粋思考が全体の一要素とみなされるか、あるいは純粋な自己確信が断念されるかのいずれかが必要である。22P」
深読みするとかなり小難しいので、「自己肯定」と「自己否定」との選択としておきます。
ちょっと余談になりますが、お喋りの「自己肯定」派、皮肉屋の「自己否定」派と見ているところがあります。
ついでにもうひとつ、よく「自死」は己を否定して死に至る究極の「自己否定」と言われますが、違います。
最後に死に至る己を肯定していることから、究極の「自己肯定」の結果です。
*精神現象学 (ヘーゲル 長谷川宏訳 作品社 1998年発行)
蕎麦の花です、ワン。
「まえがき」その7
「思想というものは、自我の否定力や観念の純粋な力を土台ないし要素として存在するのにたいして、感覚的なものは、受動的ただそこにあるというだけの存在だからである。思想が流動化するには、内面に直接に存在する純粋思考が全体の一要素とみなされるか、あるいは純粋な自己確信が断念されるかのいずれかが必要である。22P」
深読みするとかなり小難しいので、「自己肯定」と「自己否定」との選択としておきます。
ちょっと余談になりますが、お喋りの「自己肯定」派、皮肉屋の「自己否定」派と見ているところがあります。
ついでにもうひとつ、よく「自死」は己を否定して死に至る究極の「自己否定」と言われますが、違います。
最後に死に至る己を肯定していることから、究極の「自己肯定」の結果です。
*精神現象学 (ヘーゲル 長谷川宏訳 作品社 1998年発行)
蕎麦の花です、ワン。