Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

晴走雨読様へ

2007-08-14 18:26:06 | 未分類
エントリー「共同体世界」へのコメントありがとうございます。
コメント欄に書ききれないため、ここに書きます。

 自己を否定する

価値観を生活習慣、地縁共同体、文化的要素などに基づき物事の認識(の仕方)、発想(の仕方)を概念化したもの(≒思想)と考えると、自明とする価値観に「否定」が含まれます。(在ることは無いことを含みます。)

対象には、外的なものと内的なものとがあります。

内的対象(価値観、嗜好、習慣、信仰、感性、思想等)を否定すると、その人間の持っている価値観の肯定的うんぬん以前に、価値観自体が否定され再構築(止揚)を迫ります。

また、外的対象の方からその人間の持っている価値観を否定する場合があり、その時も価値観そのものの再構築(止揚)を迫ります。

「自己を否定する」とは、晴走雨読氏が、己の価値観と考えていることは単なる想念(思い込み)であることを知ることであり、つまり晴走雨読氏は「晴走雨読氏ではない」ことを知ることです。

このことを如実に表しているのは、「虚言ついても、・ ・ ・」と書かれていることです。
虚言の対象が自分自身の場合には、自分の何に対して虚言するのでしょうか。
この自分の中にある、自分と自分との差異に「自己を否定する」があります。

「疑え」に尽きます。

外的対象だけではなく自分自身についても「疑え」です。
己の「価値観」なんていう発語はドグマの固まりで、ボロクソに疑う対象です。

このことは、発端にすぎません。


 無農薬完熟トマト収穫中ですワン。


共同体世界

2007-08-14 05:49:45 | 読書ノート
読書ノートNo.9

「まえがき」その8

「精神の日常的なありかたである意識は、知という極と、知の対極をなす対象という極の二つからなっている。23P」

「意識のなかで、自我と自我の対象たる共同体世界とのあいだにずれが生じるとき、そのずれは共同体世界を分裂させる否定的なものである。だから、ずれのあることは対立する両極の欠陥と見ることもできるが、じつは、両極を運動へと誘う原動力なのである。23P」

ひとつの思弁の契機であり、個々人それぞれの思弁の契機があります。
自我の対象は、「共同体世界」だけではなく、「自然」に対してもズレ、対立、否定をみることが出来ます。
ここに吉本隆明「共同幻想論」のネタのひとつが書かれています。自己幻想、対幻想、共同幻想という構造は著者の独創です、念の為に。

「本体そのものがその本質からして否定体であって、内容に区別や特殊な性質が生じるのも、本体が本体そのものと知に二分されるのも、本体が否定体なるがゆえである。25P」

「自己否定」を是とすることになんら違和を覚えませんが、日常生活のために「自己肯定」派が多数であり、また、自分自身の中で、生き易さのために使い分けている所があります。
これが、「共同体世界とのあいだにずれ」のひとつです。
問題なのは、その質なんですが ・ ・ ・


テマリアジサイが雨を欲しがっていますニャー。