エントリー「共同体世界」へのコメントありがとうございます。
コメント欄に書ききれないため、ここに書きます。
自己を否定する
価値観を生活習慣、地縁共同体、文化的要素などに基づき物事の認識(の仕方)、発想(の仕方)を概念化したもの(≒思想)と考えると、自明とする価値観に「否定」が含まれます。(在ることは無いことを含みます。)
対象には、外的なものと内的なものとがあります。
内的対象(価値観、嗜好、習慣、信仰、感性、思想等)を否定すると、その人間の持っている価値観の肯定的うんぬん以前に、価値観自体が否定され再構築(止揚)を迫ります。
また、外的対象の方からその人間の持っている価値観を否定する場合があり、その時も価値観そのものの再構築(止揚)を迫ります。
「自己を否定する」とは、晴走雨読氏が、己の価値観と考えていることは単なる想念(思い込み)であることを知ることであり、つまり晴走雨読氏は「晴走雨読氏ではない」ことを知ることです。
このことを如実に表しているのは、「虚言ついても、・ ・ ・」と書かれていることです。
虚言の対象が自分自身の場合には、自分の何に対して虚言するのでしょうか。
この自分の中にある、自分と自分との差異に「自己を否定する」があります。
「疑え」に尽きます。
外的対象だけではなく自分自身についても「疑え」です。
己の「価値観」なんていう発語はドグマの固まりで、ボロクソに疑う対象です。
このことは、発端にすぎません。
無農薬完熟トマト収穫中ですワン。
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自己を否定する
価値観を生活習慣、地縁共同体、文化的要素などに基づき物事の認識(の仕方)、発想(の仕方)を概念化したもの(≒思想)と考えると、自明とする価値観に「否定」が含まれます。(在ることは無いことを含みます。)
対象には、外的なものと内的なものとがあります。
内的対象(価値観、嗜好、習慣、信仰、感性、思想等)を否定すると、その人間の持っている価値観の肯定的うんぬん以前に、価値観自体が否定され再構築(止揚)を迫ります。
また、外的対象の方からその人間の持っている価値観を否定する場合があり、その時も価値観そのものの再構築(止揚)を迫ります。
「自己を否定する」とは、晴走雨読氏が、己の価値観と考えていることは単なる想念(思い込み)であることを知ることであり、つまり晴走雨読氏は「晴走雨読氏ではない」ことを知ることです。
このことを如実に表しているのは、「虚言ついても、・ ・ ・」と書かれていることです。
虚言の対象が自分自身の場合には、自分の何に対して虚言するのでしょうか。
この自分の中にある、自分と自分との差異に「自己を否定する」があります。
「疑え」に尽きます。
外的対象だけではなく自分自身についても「疑え」です。
己の「価値観」なんていう発語はドグマの固まりで、ボロクソに疑う対象です。
このことは、発端にすぎません。
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