Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

原爆投下必要なかった

2007-08-05 09:50:04 | 憲法・非戦・平和
戦後とか終戦とかではなく、敗戦の8月が始まりました。
罪のない市井人を無差別に殺戮することは、殺人そのものと考えます。
敗戦前後の米軍資料により、原爆投下が犯罪であることが浮かび上がりました。

米軍神話覆す機密資料(8月3日時事通信) より

 広島、長崎への原爆投下が太平洋戦争を終結に導き、何百万人もの人命を救った-。米国が繰り返す原爆正当化の論理は、「(投下は)しょうがない」とした6月の久間章生前防衛相の容認発言と相まって、被爆者の怒りをかき立てている。だが、その正当化論は戦後につくられた「神話」にすぎないことが、終戦前後の米軍資料から浮かび上がってくる。
 ◇終戦の決定打はソ連参戦
 「原爆を使用せずとも、対日戦争は(1945年8月9日の)ソ連参戦でほぼ終わっており、遅くとも46年2月半ばまでには終戦を迎えていた」。戦後間もない46年4月、当時の米陸軍省情報部門の研究チームがまとめた極秘報告書がワシントン郊外の米国立公文書館に保管されている。2発の原爆投下が直接的に太平洋戦争を終結させたわけではないと、第一線の米軍情報担当官らが告白していたことは注目に値する。
 報告書は、米軍が原爆を使用しなかった場合の戦局の推移を研究したもので、昭和天皇は早ければ45年6月20日には終戦を決意していたと指摘。ソ連参戦に至るまで、日本指導部は原爆投下にほとんど言及していないとして、和平の仲介を依頼していたソ連の参戦が「日本にとって終戦の理由を完成させた」と結論付けている。
 ◇侵攻後の米軍死者、30日で1万人
 日本が降伏しなければ、米軍は45年11月1日を期して九州侵攻作戦(オリンピック作戦)を発動する計画だったが、報告書は、原爆を併用せずとも作戦開始後2カ月以内に九州占領に成功し、その間の米軍死傷者は7万5000~10万人と試算。46年春に計画していた関東侵攻作戦(コロネット作戦)の開始は不必要になっただろうと判断している。
 オリンピック作戦の計画書(45年春作成)でも、作戦開始後30日間の米軍死傷者を4万9000人(死者・行方不明者1万950人、負傷者3万8050人)と予測。47年に当時のスティムソン陸軍長官が「原爆は米兵100万人を救った」と主張して以来、連綿と続く米国の原爆正当化の論理との乖離(かいり)が浮き彫りになっている。

 以下略

 
写真:太平洋戦争末期、米軍が作製した九州侵攻作戦(オリンピック作戦)用の地図(米国立公文書館所蔵)


今年の初めにモデルハウスを見に行った事を書きましたが、それ以来何もしていませんでした。
先月の末にハウスメーカーに電話をし、営業の方に来て頂きました。
今日、契約しました。
ささやかな平屋の離れが、晩秋までに出来あがります。