酔生夢死とは関係無く
唯物論雑感 その1
観念論に組する気は毛頭ありませんが、古典力学の遺影を引きずる唯物論、荒く言えば唯物論における物質は「物質とは客観的実在を表す概念であり、真理の客観性、真理の認識可能性が唯物論の正しさを証明している。」ことと言えますが、ここで引っかかるのは物質の概念事態が変質してきていることです。
電子が静止していれば質点の近似として捉えることができ、古典力学の世界であり客観的実在が認識できますが、電子が動いているときには場の近似(その所で消滅し別の所で発生し、エネルギーの移動が行われる)として捉える虚数エーテルのモデルの領域に踏み込むと、客観的実在の認識は、私にとっては理解できても認識はできません。
僕の写真が、いつも暗いのは何故。
唯物論雑感 その1
観念論に組する気は毛頭ありませんが、古典力学の遺影を引きずる唯物論、荒く言えば唯物論における物質は「物質とは客観的実在を表す概念であり、真理の客観性、真理の認識可能性が唯物論の正しさを証明している。」ことと言えますが、ここで引っかかるのは物質の概念事態が変質してきていることです。
電子が静止していれば質点の近似として捉えることができ、古典力学の世界であり客観的実在が認識できますが、電子が動いているときには場の近似(その所で消滅し別の所で発生し、エネルギーの移動が行われる)として捉える虚数エーテルのモデルの領域に踏み込むと、客観的実在の認識は、私にとっては理解できても認識はできません。
僕の写真が、いつも暗いのは何故。