Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

法頂禅師 余話

2010-05-05 07:45:20 | 未分類
商い仲間と話しをしていて。
彼も朝日新聞の記事を読んでいて、法頂禅師が話題になりました。

彼曰く
「悟りと言わないまでも、フッキレタ境地に達したい。」
「数十年生きてきて、これはというものがぼんやりしている。」
「座禅をし、自己問答かな、否、空っぽになれば近づけるかな。」
「死は、自分のどこかで受け入れてしまっている。」etc

法頂禅師の記事が、彼に事実存在を改めて喚起させたようです。
彼女と彼の話しをしていて。(商い仲間とは、家族同士の付き合いです。)

僕曰く
「宗教家とはいえ私物は「眼鏡と万年筆」は、結構インパクトがあるかも。」
「様々な欲とその欲が満たされることがアイデンティティと勘違いしている人間には、到底理解できないだろうな。」
「僕は、お金とか名誉とか食べ物とか物欲は淡白だからなぁ。」
「本が読めて、考える時間があればそれで十分。」

彼女曰く
「その本は、物欲ではないの?」



本屋の袋から出されないままです。
このような袋が積読山脈に埋もれています。


最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
どうもお久しぶりです。 (カタバミ)
2010-05-08 01:59:42
法頂禅師・・・こちらではポプチョン・スーニムと呼ばれていましたが「僧」の字の発音が「スン」なので敬意と親しみを込めて(かどうかは不明ですが)お坊さんたちはスーニムなのかもしれません・・・
我が家にもツレの蔵書中に法頂禅師の著書が何冊かあります。
随想録ですとか・・・
読んで見たことはまだありません。
私も実家に山脈までは行きませんがツンドラならぬ積読の丘が形成されつつありましたがこちらに来る前に袋からは出したものの読むまでに至れなかったものも・・・
返信する
カタバミ様へ (管理人)
2010-05-11 19:23:02
コメントありがとうございます。

本なんて読まないに越したことはないと思いながらも、自分の関心領域に触れる書籍に出会うと、見境なく購入してしまっています。
知識の多寡ではなく、日常生活のささやかな出来事を通して、どれだけ自分と向き合って、徹底した思考をしきれるかが、大切と考えています。

禅宗に興味があり、道元の「正法眼蔵」に目を通したことがあります。
「禅」そのものを語る知識はありませんが、「禅」には「魂(霊)」は否定しており、身体と精神は一体であり、分けることが出来ないとする考えがあります。
視点を変えると、旧態依然とした唯物論そのものを止揚しているのかもしれません。

他の宗派の信仰と異なり、哲学としての意味があると考えています。
ただ、禅宗は教理上止む得ないのかもしれませんが、食事の作法、トイレの作法等の厳格さについていけない面(嫌悪)があります。
返信する
こちらまでいらしていただき誠にありがとうございました。 (カタバミ)
2010-05-11 22:52:54
私の母は曹洞宗の女子高を出ていて禅の授業もあったと話していました。

実は十五年前に他界した父方の祖母が尼僧で私は幼い頃から毎日経を読む祖母の姿を見て育ちました。
祖母は日蓮宗でしたので禅宗とはまた違いますが、多くを語らない中に心で教わることも又多かったと思います。

私自身はこちらでツレの勧めで瞑想のサークルに6,7年前に一時参加してみた時があります。
不思議な一体感を感じ妙な心持になったものでした。
返信する
カタバミ様へ (管理人)
2010-05-13 21:05:30
ご丁寧にありがとうございます。

僕自身宗教は、ハインリッヒ・ハイネの「宗教は救いのない、苦しむ人々のための、精神的な阿片である」と、それを引用したカール・マルクスの「宗教は、・・・民衆の阿片である。」また、ウラジーミル・イリイチ・レーニンの「宗教は毒酒である。」と考えています。

「禅」は、フランスではカルトとされているようですが、座禅、瞑想、ヨーガ、自己啓発など精神性に重きのある類は、マインドコントロールが要素としてあります。

洗脳、マインドコントロールは、簡単に人格を破壊することができます。

一人の人間として、個性ある人間として、自らの意思によって自我と素朴、拙い、朴訥、愚鈍、苦痛等であっても、向かい続けるべきと考えています。

昔日母が、シベリア抑留の兄が帰国したとき、大日本帝国陸軍の軍人が、ボリシェヴィキの軍隊(赤軍)の軍人になっていた、と語っていました。
返信する
こうしたことを目の当たりにされているお話を近く聴かれる機会がおありだったんですね。 (カタバミ)
2010-05-14 11:35:52
私自身は他の人が本人が必要を感じて帰依している宗教等は本人が満足しているのならそれはそれで良いと思う反面、それを勧められる事はお断りしています。

こちらは国民性と云いますか、自分がいいと思うことをとにかく勧めてくるところが日本以上に強いと感じています。

日本的感覚ですと生活が主で特に帰依しないでも生活自体にそうした(宗教的)要素や考え方が溶け込んでいると私は思いますので特に何かにすがる必要はないと思いますがこちらですともう所属する宗教が生活自体になっている方も見られます。
時間のある年配の女性などです。
私と年の変わらない人も昼間などに懸命にしている人もたまに見かけますが私はそうした共同体的な事は絶対に御免蒙りたいのでRetrieverさんと同じく自分なりに考えてやっています。

以前接した座禅というか瞑想も連れの勧めで最初は気乗りしない中始めましたが方法論とその実感までは良かったんですが団体を形成しているとその中で色々あるようで(創始者の神格化や団体や会員にイデオロギーを持たせようとするような雰囲気が後にありました)自然と行かなくなってしまいました。

長くなりましたが最後に一つだけ。
祖母が尼僧になったきっかけはこのままでいると失明するといわれてそこから信心して弱視も克服したそうです。
返信する
カタバミ様へ (管理人)
2010-05-16 08:16:48
コメントへのお礼、遅れて申し訳ありません。

言い訳になるのですが、月に二桁はアップしようとしているのですが、PCの電源すら入れない日々が増えてきています。

年明けから、ある事柄に関する雑読と妄念に時間を割いており、空いた時間は家庭の雑事で潰れてしまっています。

無頓着で粗野丸出しですが、これに懲りずにお立ちより下されば幸いです。

商い仲間から、内臓の調子が良くないので気功に行ってきたと話がありました。
その師(?)が話すには、物質を形作っているところの一番小さな物を動かすことができると語ったそうです。

素粒子(クォークとレプトン)は、巨大な実験装置と巨大なエネルギーで、間接的にしか確認できない類のことを話しました。

数千種類あると言われる健身気功法ですが、商い仲間が行かれたところは宗教気功のようです。
返信する
月に二桁ですか・・・ (カタバミ)
2010-05-17 12:20:45
私は今月やっと三件です・・・

Retrieverさんはひとつのことを深く突き詰めて探求していらっしゃるんですね。

私も文型人間ですが量子力学も関心分野です。
でも咀嚼して説明された本を探す機会ももうないですし忙しさにかまけて思ってみてもなかなか出来ないことだらけです。

健身気功法ですか・・・
詳しく接する機会もありませんでしたがこれも興味深いですね。

私は大学時代に空手の一流派の武道をしていましたが卒業前の昇段試験の際に初めて呼吸と気と丹田との関連を感じたように覚えています。
大会で型の演武を見ているとやはり亀の甲より年の功で年配の方たちのほうが気の充溢のさせ方が巧かったようです。

また、勤めていた頃研修の部署にいたものでして社員と一緒に招請した講師の「気の研修」なる合気道の研修を受けたこともあります。

先に述べた瞑想でも体の悪い部分をイメージで潰すなどして病気が良くなったなどの報告もあるようです。

鍼灸もそうですが経絡の詰まりをなくして気の流れをスムーズにすることが健康な体作りの共通事項のようですが雑念の多い私如きの現代人?は何かに集中して健康の為に気をつけることがついついおろそかになってしまっているようです。
返信する
こんばんは。 (カタバミ)
2010-05-24 00:16:30
ひとつの記事にいつまでもコメントをつけすみません。

先日の釈迦誕生日はこちらは公休日でこちらの民放では法頂禅士の特集番組をやっていてその際に知ったのですがこの方も学生の頃はお金が出来ると全て本を買うのに充てていて、生家の部屋からは本しか出てこなかったとのことです。

代わりに靴代を惜しんで大学四年間をゴム靴で通い通したそうです。
返信する
カタバミ様へ (管理人)
2010-05-24 20:56:25
コメントへのお礼、遅れて申し訳ありません。

学生の頃は、実験に追われながらも新刊と古本を漁っており、食費が犠牲となっており、現在の体型とは異なっていました。
友人に、同じような奴がいましたが、彼はそのうち読むことではなく、本を買うこと自体にある種のカタルシスを覚えたらしく、現在、神田で古書店をしています。

しかめっ面して読まなければならない本(読んだ後が大変)もありますが、様々な分野の猥雑な好奇心を満たす本も結構好きです。

失礼が多々ありますが、お立ち寄りくださればと考えます。
返信する

コメントを投稿