Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

大神神社

2014-04-09 21:19:47 | 未分類


先月、元職場に用事があり久々に顔を出しました。
普段被らない帽子を深く被り、大きなマスクをして。

対応してくれた方に一発でばれてしまい、「せっかく変装をしてきたのに。」と話すと笑っていました。
幸い他の方には気付かれずに済みました。

* *

昨年読みました「出雲と大和」(村井康彦 岩波新書)の記憶があったせいか、雑誌コーナーに「大神(おおみわ)神社」(週刊日本の神社 デアゴスティーニ)があり、購入し目を通しました。

大神神社には本殿はなく三輪山を神体とし、三輪山に大国主神(と配神として少彦名神(すくなひこなのかみ))を祀っています。

山中には三つの磐座(いわくら)があり、大国主神、少彦名神、大己貴神(おおなむちのかみ =大国主神)*鎮座しているといわれ、古神道の姿を伝えています。

*大国主神には異名別称があり、古事記では「大穴牟遅神おおむなち」、「葦原色許男命あしはらしこお」、「宇都志国玉神うつくしくにたま」、日本書紀では「大物主神」、「国作大己貴命」(=大己貴神)、「葦原醜男」、「八千戈神」、「大国玉神」、「顕国玉神」とあります。


「大神神社」(デアゴスティーニ)

「出雲と大和」では、出雲王国、邪馬台国、大和王権等について現地を訪ね歩き古代国家の姿を論考した内容です。

大和王権の中心である三輪山に、なぜ出雲の神である大国主神が祀られているのか、大和に進出していたのは出雲の人々で邪馬台国を創ったのではと論考されています。

邪馬台国の場所は、魏志倭人伝の邪馬台国への道程が唯一の手がかりですが、その解釈を次のようにしています。

「魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」(石原 道博 岩波文庫)では、
「南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。略」
南へ水行20日で、投馬国に至る。
「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。略」
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る

南への水行30日(20日+10日)を「東」の方角指示の誤りとし、日本海の対馬海流にのり東進し、丹後辺りで久美浜湾で上陸し、南に陸行1月で邪馬台国(奈良県)に到達したと述べられています。

これらの事柄は本書では詳細に述べられており、大変興味深く読みました。


「出雲と大和」(村井康彦 岩波新書)

* * *

無業者となりまる2年が過ぎました。

この2年間に購入した本がTVの前を占拠し、デッキ類の操作は出来ず、この頃では画面を隠すまでに増殖しました。

ストックしてあった大型の本棚3本を組み立て、TV前の本を大移動しました。分野毎の整理をすべきなのですが、そうすると読み入ってしまうためひたすら棚に詰め込みました。

サッカーのTV観戦の環境が整いました。

問題なのは、それ以前の巨大な本の山々をどうするか、なのですが・ ・ ・


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