異形の滓 No.24
毎朝のコーヒーと煙草と暗闇の妄念に、「自由」を放しますと、「自由」は、政治思想そのものではなく、様々な思想の基底にある共通の事柄であることに気づきます。
マルクスの国家廃絶、バークニンの国家廃絶等の基底には「自由」があり、権威・権力なき秩序ある自由があります。
さて、「秩序ある自由」は、観念に過ぎないと言い切れない魅力があります。
当ブログとリンクしています晴走雨読氏の「『子ども学序説』 その2(09.03.06)」において、革命的共産趣味者同盟氏が『労働本来の喜び』と書き、ブラック・ソルジャー氏が『労働本来の苦痛』と書き、展開を期待したのですが、終ってしまったようです。
僕自身は、国家廃絶等の基底にある「自由」は、当然のごとく「労働」を否定する事柄と考えています。
国家の権威・権力の管理通貨制度は、貨幣が商品を価値物と錯覚させていますし、労働の生産物が「商品」という形態は、あくまでも特殊であると考えます。
具体的有用労働の概念なら不生産的労働の共同体として、僕の中にストーンと落ちます。
ただ、国家も資本をも否定しますから、革命家の夢想が必要です。
ただし、「秩序ある自由」の「秩序」が曲者です。
今朝は、久々に農道を「散歩」しました、途中までですが。
約4ヶ月振りの「ニオイ」に、喜んでいました。
毎朝のコーヒーと煙草と暗闇の妄念に、「自由」を放しますと、「自由」は、政治思想そのものではなく、様々な思想の基底にある共通の事柄であることに気づきます。
マルクスの国家廃絶、バークニンの国家廃絶等の基底には「自由」があり、権威・権力なき秩序ある自由があります。
さて、「秩序ある自由」は、観念に過ぎないと言い切れない魅力があります。
当ブログとリンクしています晴走雨読氏の「『子ども学序説』 その2(09.03.06)」において、革命的共産趣味者同盟氏が『労働本来の喜び』と書き、ブラック・ソルジャー氏が『労働本来の苦痛』と書き、展開を期待したのですが、終ってしまったようです。
僕自身は、国家廃絶等の基底にある「自由」は、当然のごとく「労働」を否定する事柄と考えています。
国家の権威・権力の管理通貨制度は、貨幣が商品を価値物と錯覚させていますし、労働の生産物が「商品」という形態は、あくまでも特殊であると考えます。
具体的有用労働の概念なら不生産的労働の共同体として、僕の中にストーンと落ちます。
ただ、国家も資本をも否定しますから、革命家の夢想が必要です。
ただし、「秩序ある自由」の「秩序」が曲者です。
今朝は、久々に農道を「散歩」しました、途中までですが。
約4ヶ月振りの「ニオイ」に、喜んでいました。
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