Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

Asyl

2010-09-29 06:46:50 | 未分類
貨幣について、何度が断片をメモしてきました。
根っこのところで貨幣に対してある種の「ケガレ」、「怨念」、「不快」があります。
これは、お金にまつわる悲喜交々の話を見聞きしたり、様々な物語を読んだ結果でもなく、なにか根っこのところに横たわっています。

網野善彦氏の著作はほとんど読んでいないのですが、短大の講義録である『日本の歴史をよみなおす』(筑摩書房[ちくま学芸文庫])に目を通しました。

その中で、貨幣の持つ「キヨメ」について書かれており、中世(13・14世紀)から、現在の貨幣の役割が庶民に広がったことが書かれています。
それまでは(金属)貨幣は呪詛の対象でしかなかったと。

この書籍は、中世に人々の感性、思考、価値等が大きく変わった(曲がった?)ことが書かれています。貨幣で見ましたように、「モノの経済」から「貨幣の経済」へ、「人の外にある人=」から「差別される人=」へ等

このような一文を読んで、自分の中の不可解さの原因の姿がなんとなく見えたと(古層を意識した意味ではありません。)。

物々交換におけるモノの商品化は、市場が「無縁所」であるから贈与互酬を断ち切りモノとモノとの交換により商品経済が成り立つと。
共同体内の贈与互酬の「モノ」から、無縁所においては「商品」となる様がかかれており、「労働時間」「生産性」「使用価値」、「交換価値」とかを論ずる前に、たかだか5,6百年前までは「貨幣」のない「商品」の時代が、この島国で続いていたことを。

この本に目を通していて、網野善彦氏の思索に大きな影響を与えたと言われる「アジール」について書かれた書籍を思い出しました。
以前書店で見かけたときに読むか迷ったもので(購入した本が読み切れない状態が続いており購入せず。)書店に急行しました。


「アジール―その歴史と諸形態」(オルトヴィン・ヘンスラー 国書刊行会*)
資料、知識、興味として読む類と落とし込むために読む類があり、この本はどちらになることやら・・・

*デジカメ用ソフトはまだインストールしていないためAMAZONより