Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

園児前衛論

2007-07-20 19:39:32 | 未分類
宮本顕治が死去しました。

雑感をメモします。

僕は、子供の頃から蟻、蜘蛛、毛虫などの均一の集団を見ると寒気がします。また、集団の行進、体操、ゲームなども同じです。
今もそれは変わっておらず、更に思想的な均一にも鳥肌が立ちます。

幼稚園児の運動会のリレーで、次の走者と一緒に走ったり、逆走したり、仲良しが来るのを待ったり、父母席に座り込んだりと、様々な光景が繰り広げられます。前衛の目的(リレー)のために、党員は園児のごとき思想の自由があるべきです。(園児前衛論)

日本共産党は1922年、コミンテルンの日本支部として創立されました。
コミンテルンからの指令による「綱領草案」(1923年)、「27年テーゼ」(1927年)、「32年テーゼ」(1932年)の頃の非合法(治安警察法、治安維持法)であつた日本共産党に宮本顕治は入党(1931年5月)しました。

1955年7月六全協、1972年民主青年同盟幹部らの「新日和見主義」派の摘発、また三派全学連、全共闘運動と対峙した民主青年同盟の破壊、逃亡などを見ますと、この党には、「自由と民主主義の宣言」*で書かれている「市民的政治的自由」は、同盟員、党員個々人には皆無と考えます。

また、個々人の思想の多様性を否定し、党中央の手の平でしか思想の多様性を許容せず、党か党員かの選択時には党員を切り捨ててきた党史といえます。

また、党か労働者かの選択時には労働者を切り捨てます、幹部連中の保身のため。

資本に対峙している労働を思想で食い物にする日本共産党にしてしまったのは、宮本顕治だと考えます。

宮本顕治の死去に伴い、党是と思える無謬性を、幹部連中が自己批判できるかに党の存亡がかかっています。

ただ希望が持てるのは、党員の高齢化により先細りとなり、政党から諸派への転落がそんなに先ではないことです。



労働者にとって「前衛」でないことは、「反動」であり労働者の敵ニャー。


* 市民的政治的自由の圧迫
 市民的政治的自由は、人間の尊厳と能力の全面的発揮のためにも、また社会の豊かな発展のためにも不可欠のものである。憲法は、その「第三章 国民の権利及び義務」のなかで思想および良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由、学問の自由など、国民の市民的政治的自由の保障をきびしく定めている。以下略

  自由と民主主義の宣言(1996年7月13日一部改定) 日本共産党HPより