Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak85. 復活

2017年05月13日 | field work
  私はこの画像は、今みても綺麗だなと思っている。機材のボディは、9年前に発売されたFuji FinepixS5である。ニコンD200のボディを用いてFuji開発の独自センサーを積み込んだユニークな存在であり、ニコンはボデイのデザインがよかったし、そこへセンサーの色がよいFujiのCCDセンサーを組み込んでいた。
 といってそれは現在のCOMOSセンターに慣れた我々の眼からは少し独特の発色でもある。雲や民家の壁といった要素は、今でもこの機材がよい色を出してくれる。
 こうした優れた発色をしてくれるボディが当時25万円、そしていまは2~3万円位で入手できる。最近とりだしてまた使いだしたわけ。いまでも使えるじゃん。そうなるとどこか魔物に引きずられているようで少し悲しい部分もあるが、やはり今見ても色は使えるし中古ボディが3万だから、コンパクトデジタルカメラ並で入手できる。 
 いまはどっちがよいかといえば、コンパクトデジタルカメラの方が進化している。それでも手元のニコンAW130と比べると、こちらのほうがはるかに色がよい。わては部品とり用にこのバッテリーグリップ付きボディが2台あり持て余しているけどね。撮影機材は連写秒何コマといった仕様だけでは決まらない。やはり撮影素子で決まるのだろうと思われる。最近CCDセンサーが見直され復活の兆しがある。
 2009年9月といえば建築学会の大会に発表者ともども出かけた時である。広島工業大学で論文発表があったが、宮島や広島市内を見学して楽しい充実した旅だったと記憶している。みんな力があったんだナァーと思って当時の画像を見返していた。

広島市
2008年9月19日
Fuji FinepexS5pro,AFNikkor16-85mm/F3.5-5.6
ISO1000,焦点距離35mm,露出補正-1/3,f/4.5,1/30 
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Nikon Freak84. 広島焼「そぞ」

2017年05月12日 | field work
 昼間は少し暑くなってきた京都である。だからエアコンをいれている。当初はWEBをつくってデザインやってと意気込んでいたが、そんな意欲が次第に消えるほどに、毎日雑用が一ヶ月続く。そればかりしていると、さすがに創作意欲が減退してくる。こうなると暑い昼間はエアコンをかけて午睡し夕方から仕事をするかなというペースになりそうだ。 
 最近雑用が雑用を生むといってもよいぐらいだ。大学での残務整理は終わっと思ったら、こんどは町内会の仕事がでてきた。なに!、赤十字の募金集めだって、なんか面倒くさい話だ。それに家の本や書類の整理がまだまだだ。だから大学から持ち帰った資料で家の中はあふれている。先月一気にやればよかったのだがタイミングを失した。
 それにクレデンザが欲しいのだがデザインがよく町屋にあうものがない。A4書類やボックスファイルが入らないものが多い。ホントに家具を探すのは面倒くさいばかりだ。大学ではKnollのキャビネットを使用していたが、すでに廃盤になっている。Knoll だと青山まで出向かなきゃならないのか。おおいに面倒だな。仕事場づくりはなかなか時間もかかる。
 そういえば大学の研究室を整備する時はヨーロッパから家具が届くまで半年間は会議用長テーブルで過ごした事もあった。それよりは今回はましか。
 ブログも少し倦怠感を感じる毎日である。一寸話題を広島に変えよう。ここは広島駅前のビルが全部広島焼きのお店だった。というのもFBでお友達が広島焼きアップさせているのに刺激されて思い出した次第。食べ物は意識を連鎖してくれる。わても・・・という気分で。
 画像は、誰かがここがうまいと聞き込んできた「そぞ」というお店だ。ブログにアップさせておくと、後日広島に出かけたときに私が参照するのに都合が良いし、迷わなくてすむだろう。といって同僚の先生が広島を離れちゃったので、もう広島に行く機会はないだろうなあ。

広島市
2008年9月19日
Fuji FinepexS5pro,AFNikkor16-85mm
ISO1000,焦点距離35mm,露出補正-1/3,f/4.5,1/30
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EOSな日100. 文科系事務屋

2017年05月11日 | Shonan coast
  さてEOSな日シリーズの100回目の画像はどれにしようかと考えたが、やはりこれだろう。
 台風が来ているときの湘南海岸は、どんなだろうと思っていたら簡単にその機会が巡ってきた。台風は沖合を通過していったので幸いにも湘南へのロードは機能していた。海岸に着くと5mを超えドドッと崩れる音がする波は迫力がある。とはいいつつも海岸を犬をつれた主婦が散歩していたけど。
 話題は変わるがYouTubeでNHK特集の福島第一原発(F1)のいくつかのドキュメンタリーをみていた。いかにも技術者集団の現場と管理者組織の相克が露呈したなと思った。
 その管理者的組織というのが、まさに文科系事務屋がつくったピラミッド型組織である。だから専門技術者同士が横に直接情報の連携ができない組織となり、下からあげた意見が上で咀嚼されて他の下部へ情報が加工されて伝わるとする現象を構造的に持っている。つまり情報の共有が行われてない。
 そうしたピラミッド型組織は、実はわが京都市の町内会の組織と同じである。一つの町内会が複数あつまってグルーブをつくり、いくつかのグループが集まって一つの学区コミュニティをつくり、それが複数学区集まって一つの区を形成し、そして区の数だけそうした組織が存在して京都の街をつくるといった案配である。当然上から下へと情報が伝達されるというなんとも事務屋的組織である。まあ京都の街は昔からこれで回っているのでそうで、これでええのだろうが、科学技術の最先端がそれでいいかというのとは話が違うだろう。科学技術の最先端であれば、ネットワーク型の組織で情報共有が同時に進められる方がベターである。
 さらにいえば管理者あるいは事務屋はマニュアルがお好きである。マニュアルはこれが想定外の事には対応できないという宿命を当然持っている。
 それよりは情報開示だろう。理工学系の知識があれば、情報の中から最適解を得るヒント、あるいは新しい数式を発見するだろう。実は未知の出来事には、こちらも未知の数式を組み立てるほかないと思われる。そんな新しい最適解を発想するという環境は文科系的頭ではできないことである。
 現在科学技術の場面で現場の専門家がかろうじてコントロールできているのは、医学の世界だけだろうと思われる。科学技術が高度に専門化してゆく社会は、科学技術の専門家でありつつ事務的知識があるというのが今の社会で求められる姿であろう。その理工学系技術者が一端管理職につくと人種でもかわるように意識が変わり文科系的事務屋的発想をするのが恐ろしいし、科学技術の知識があるだけに余計な評論家を多数発生させることになる。
 私も経験したが、事務屋というのは現場が全くわかっていない。いちいち反論するのも時間がかかるので、適当に相づちをうってやり過ごす。それで彼らの世界が静かに動くというのは不思議な事だと思っている。なんだろう文科系事務屋というのは!?。

鎌倉市コジキ浜
2005年9月5日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO200,焦点距離400mm,露出補正-1/3,f/9,1/800
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EOSな日99. ラブリー

2017年05月10日 | Shonan coast
 「君!、なんか元気ないよ!・・・」、男の気分としては「夕べはやりすぎて体力ないですぅー!・・・」という平和な会話がもろに聞こえそうだ。
 このお姉ちゃんは骨盤がでかいためか色っぽさを感じさせてくれるボディだ。だが色白でふくらはぎがモチモチしているあたりから察すると全然スポーツをしないタイプだな。やはり筋力は少し鍛えた方が格好よいのだが。もう10年前の画像だから今ではどうなっているかということのほうが興味深いけど。
 さて人間のコミュニケーションの属性を示す上位概念は、フレンドリーとラブリーしかなかったのだろうか。それ以外だと敵対する言葉しかみあたらない。
 そんなカップルにみとれて道草をしている場合ではなかった。この日はよい波がきているので、いつもの撮影スポットに急いだことが続きのストック画像でわかる。
 今日は、こんなブログを書きながらYou Tubeでサーフィンの画像を見つつ、私が若い頃にやっとけばよかったと後悔するが既に遅い。
 さて京都の家の窓を全開にしたので町屋の中をとおり抜ける風は、眼をつぶって想像すれば海の風のようにも感じられる。京都で海を感じている。鼻風邪がなおりきらないで沖縄のダイビングも少し躊躇している。躊躇している間に沖縄は梅雨になる。

藤沢市江ノ島海岸
2008年8月13日
EOS40D、EF100-400mm
ISO160,焦点距離400mm,露出補正0,f/7.1,1/40
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番外編284. 模写と作品

2017年05月09日 | Design&3DCG
 私の大学研究室のHPがまだ残っていた。そんな画像をみながら大学で行ってきた3年生の3DCG実習のことを考えていた。
 それは3年生前期では、パリの建築物の3DCG化である。最初にオルセー美術館、ルーブル美術館、パリオペラ座、最後にポンピドーセンターである。毎年違う課題を用意したのは先輩データの拝借を警戒したためである。図面や資料を用意し不足があればGoogleのサイトが活躍してくれた。結果は教員を超す技量を持った学生も登場し、彼らの得意とするところ力が顕著に引き出された。
 だがこれは絵画の分野でいえば、模写である。どんなに模写が巧みでも、それだけでは作家にはなれない。当時自分の作品を描けることが重要だと私は考えていた。
 そこで3年生後期の授業では、ヴァーチャルアイランドブログラムを行った。コンセプトクリエイション、マーチャンダイジング、スケマティックデザインを従来から教えているマスタープランとに集大成したもので、これまで日本の建築教育では扱うことがなかった方法で環境をデザインしようというものである。だから私が制作した参考作品をつけている。というのも従来からの建築的方法に依存しない全く新しい方法論なのだから。
 でっ、学生達にこのブログラムをやらせてみた。参考作品があるので全体のストーリーは大きな流れにのっており第一関門突破である。ついで各デザインをみてみると、ここが千差万別である。つまり自分の絵が描けない。それでは画家ならぬデザイナーにはなれない。そこには三つの学生達の勘違いが存在している。
 第一は、3DCGができればデザインができるという勘違い。3DCGはドローイング画材がコンピュータに変わっただけであり、つまり画材の一つである。デザインは、本来創造力を発揮しなければ作品はできない。その創造力は個人の頭の中にある。私が教えられるものではない。私ができることは創造力を形成する方法だけだ。要は学生達の創造力の資質がなかったということである。
 第二は知識量の実態を読み違えたこと。私には勉強してきた建築の知識が存分にある。そのうえでの参考作品であり、ソフトウェアの攻略本で取り上げられる粗末な参考作品ではない。参考作品には、この水準まで到達せよという命題がふくまれているのである。そうした知識量の差も大きい、そのことを学生達は考えていなかったのだろうか。だから学生達は図書館にこもって学び、私に追いつくことをあまりしなかった。
 第三はこれが簡単にできると思い込んだ。まあ実習の授業と終わった時間をつかい、あとはバイトの隙間でやればよいか。それがとんでもない勘違いである。私は賞味一ヶ月半のほとんどを丸一日中この作業に没頭し、移動中の新幹線の中でもアイデアを考えデザインを煮詰める作業に没頭し、そして3DCG化していったのである。だから制作にかけている時間が全く違うことを学生達は理解できなかったようだ。実はみたほどに簡単ではなかったのであった。
 つまり創造力の欠落、知識量の欠落、制作時間の読み違え、この三つの要素が重なると、どんなもデザインもできない。多くの受講学生達は見事にこの三つの要素に欠落していたのである。つまり模写はできたが自分の作品が描けなかったということになる。そう3DCGができるだけではアカンのである。それ以前の個人が頭の中にある自分の世界観、こんなのをつくりたいというイメージが必要なのであり、それは画家やデザイナーがみんな兼ね備えているものである。
 これまで教えてきてことに対して、個人のイメージや世界観を加えて表現しきった学生はこれまでに1人だけ。大方は全体に手をつけているプロセスを理解したから良しとするか、イタリア教会のデータを貼付けただけですか、あんたの創造力じゃしょうがないよね、という極めて緩い評価で送り出した。
 今世の中、特にWEBの世界は、そうした緩い評価のメジャー的なデザインであふれかえっている。本物のデザイナーではないが社員でありながらデザインもできますというコンビニエンスなところに芸術工学の意図の一つがあったのだろう。それはそれで社会から大いに重宝されているようにも思われる。卒業生達は天才デザイナーとして新しい表現を見せてくれたわけでないが、少なくとも社会のメジャー層のデザインの質を、コンピュータを駆使して少しばかり向上させてきたことは確かだろう。
 私自身、美術系大学の教育を受けているからデッサンもできるけど、デッサンを勉強しない工学系でデザインを教えると、そんな違いが顕著に見てとれた。それはそれで面白い現象だったといえる。
 それにしても模写と作品だって。なんとも古くさいタイトルだな、自分で笑っちゃうよ。さてこの3DCGのリゾートを実際につくるとしたら、いくらかかるだろうか。城壁があったとしてこれを利用し2,000億円位でできるかなぁ。

再掲載:Virtual Island ver2,2009年5月21日
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EOSな日98. フレンドリー

2017年05月08日 | Shonan coast
 連休帰りの新幹線は混んでいたのだろう。京都の街の上をヘリコプターが空撮していた位だから。
 その新幹線の多くは一見の客なのだけど、連休が終わると常連客が登場してくる。名古屋まで通勤していた頃、いつも同じ顔ぶれに遭遇する。米原で降りる常連(多分医者だね)、岐阜羽島で降りる常連、岐阜羽島から乗ってくる常連、私同様に名古屋までゆく外国人常連(きっとインド料理レストランの支配人風)といつも同じ列車で同じ顔ぶれに遭遇する。
 新幹線を通勤に使うというのは、今は利用者が少ないために料金が高いだけの価値がある。なんといってもすいていて座れるし、短時間で移動でき、朝の一時をゆっくりお茶を飲みながら快適に過ごせる幸せ感は大変大きい。これを一度やるともう二度と満員の通勤電車なんかには乗れない。 
 京都に引っ越してから9年間位は名古屋までの新幹線定期を毎月購入していたが、その間JR東海の職員からは一度もフレンドリーな言葉もなく客の顔を覚えられることもなかった。あるいは覚えていても口に出すことはなかった。これがアメリカ人だと「やぁmic!、今月も名古屋までカフェ代わりにゆくかい!!・・・OKちょいと待っててね」、それぐらいのことは言ってくれるフレンドリーさがある。
 大量の客を扱うのでいちいち顔と名前は覚えられないという反論もあるだろう。だがコンピュータには、VISAカードを使用した定期券の購入履歴が残っているはずである。それをストックしておけば、高額利用者のデータベースができると思うのだけど。だから顔はしらなくても、毎月利用していることはわかるだろう。
 それができないならば、かってのようにポイント付与してほしいですけどね。私は年間140万円以上をJR東海に支払っていたから、ヨドバシ並みに5%のポイントにすれば年間7万円分のポイントが付く。 そのポイントをもとにして遠出の旅もできるだろう。毎年そんなに高額の費用を支払ってもらえるのは、富裕層のクラブ位とか限られているけどな。ホントにサービスのめちゃくちゃに悪いJR東海だ。
 そうそう新幹線通勤のなかで唯一フレンドリーな会話があった。京都駅東京行ホームの中程にある珈琲スタンド「PARK COFFEE」である。「今日は寒いよ!」、「今日は列車遅れているよ!!」、「久しぶりじゃん、元気!!!」などなどが毎日の会話である。だから330円にぎりしめ「いつもの」といえば、ホットレモンティーがでてくる。それにここは朝早くから開いているし、なんといってもおばちゃん達が目の前でつくっている作り立てのサンドイッチ(防腐剤のたっぷりはいったパサパサしたコンビニのとは違うからね)。おすすめはカツサンド、ただし揚げたカツが届く8時頃からかな。つくりたてのよい香りが漂う。
 今度は、ここのサンドイッチとホットレモンティーを調達して横浜に行こうかと旅のイメージを膨らませている。

鎌倉市七里ガ浜
2005年6月11日
EOS D40,EF100-400mm
ISO400,焦点距離400mm,露出補正-2/3,f/11,1/1000
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EOSな日88. スマホカメラ!!!

2017年05月07日 | Shonan coast
 今週の散歩に9年前に発売され多いに入れこんだFuji FinepixS5と、EOS1Ds mark3とを使い分けてみた。前者は1200万画素(iPhone7と同じ)だが特殊な素子の配列なので実効は600画素、ツァイスのレンズ(iPhoneにもツァイスのレンズがある)をつけても色は綺麗だが今ひとつシャープさに欠けるのは画素数の差か。後者は今風に使えているがレンズがいささか古い。そしてそれらよりシャープなのがiPhone7だったりする。レンズの明るさf1.8で5倍のデジタルズーム機能を持つiPhone7の優れもの感がわかる。
 そうなる、iPhone7だけあればよいことになる。せいぜい互角なのはオリンパスぐらいだから、これを残して以前あれほど入れ込んだすべての機材を処分するのがデジタル時代の合理的判断なのだろう。
 しかし、そういう風に感情が合理的精神に追随しないところに時代の差を感じている。つまり思い入れや思い出しがあって、困ったことに古い機材をネチネチといじりまわしている。
 今はその一眼レフという言葉自体がなくなりつつある。iPhoneにサードパーティー製の超望遠ズームなんかつければいいじゃん、といわれれば確かにその通りである。 実際Lantooというブランド名で18倍ズームレンズが三脚付き3,588円だよ。 
 だから次第に撮影機材というが概念自体がなくなりつつある。それは、つまり撮影機材自体もいらなくなりつつあるということだ。そして撮影を商売にする仕事もなくなるかもしれない。それは写真家です、なんてふんぞりかえっているいる場合ではない。そんな存在自体がなくなりつつあるのだから。
 研究者からみれば、研究機材と素人機材とは仕様も価格も決定的に違う。それが写真の世界では、みんな同じ機材を使用している。そのこと自体がこれからのプロという概念を成立できにくくしている。もはや写真の世界でプロという概念が存在する余地があるのだろうか。そのように問いただせば写真の弱さがそこにある。
 もう一ついえば、研究機材と素人機材との差もなくなりつつあると思われる。つまり科学技術というのは一般化する方向を目指しているからだ。パソコンも専門的なオペレーションをすることなく使えるというのも一般化の結果なのだ。そうなるとこちらも研究者ですなんてふんぞり返っている場合ではない。こちらも危うい仕事になっちまうではないか。さらにその上を目指さなければ。
 今や誰でもがiPhoneを始めとするスマホカメラで最もよい瞬間をとらえられるようになった。そこにいあわせた誰でもが文章を書き写真も撮りアップさせるという時代なのだ。雑誌出版社の要請でもなければ、写真家達が登場する余地はないのだろう。
 つまり、スマホカメラ!!!が結構優秀なんだという話。今日のアップ画像なんかスマホカメラで望遠ズームなんか付けちゃうと連写モードで撮れるんじゃないですか。

鎌倉市コジキ浜
2005年5月7日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO200,焦点距離330mm,露出補正-1/3,f/8,1/500
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番外編283. 赤提灯

2017年05月07日 | Yokohama city
 横浜駅西口幸川の川端にあった十数軒ほどの赤提灯を下げた屋台街である。もう20年以上前から、道路の不法占拠なので立ち退けと看板が出されていたが、ようやく最近強制撤去されてしまった。横浜の戦後の昭和の風景がかすかに残っていた。
 経営者も高齢化していたという記憶はある。博多の屋台街のように公園内であり行政が設備を整備しつつ、経営者が変わってゆくという代替わりはできなかったのだろう。
 都心は、すべて建前ばかりのビジネスライクな店になってゆくようでもある。いつもフランクに立ち寄れてヒューマンコンタクトを感じる常連さんの多い飲屋は京都にはままあるが横浜には少ないだろう。名古屋なら大学のそばで主とお上さんとで切り盛りしている「よっちゃん」だな。
 帰り道や近所にあること、顔を覚えてくれること、主とお上さんとでまかなっていること、冷凍食品ばかりを肴にしない、そのあたりが常連飲屋の条件か。今の全国チェーン的居酒屋では何回通っても客の顔は覚えないし、料理は冷凍食品の加工ばかりだし、そんな物事を数でこなそうというそっけない店は一度行くと通いたい気分にはならない。
 さらにWEBに居酒屋が登場するとしらけてしまうから、地元の人しかしらないほうがよい。そうはいっても京都の私がゆきつけの飲屋も、まあ料理がうまいこともあり口コミで最近の週末はほぼ満席。
 どうしても赤提灯が恋しいという太田和弘さんのような趣味があるならば、京都には赤垣屋と神馬がある。ビジターはそちらへどうぞ。どっちも老舗飲屋だしいつも混んでいる。

NikonF4,AFNikkor20-35mm,Vervia.
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番外編282. 都市感

2017年05月06日 | Yokohama city

 特定の都市に関心を持つということは、その人の人生の中で関わりがあったところというのが一番大きな要因である。関わりがあるからこそ好きにも嫌いにもなる。都市に関心を持つというのは、都市を教えてきた立場としては推奨したい心がけである。
 そして都市の側に記憶に残る街の風景があるということも二番目の大きな要因。それがシティスケープであったり、お店であったり、心地よい人々であったりすることなどがあげられる。
 三番目の要因は、そこに住んでいたり何回も訪れたりと都市を共有する時間の長さである。
 都市との関わり、記憶に残る風景、都市を共有する時間の長さ、これが都市を意識する三大要因といっておこう。もう一つ生まれ育った街はどうなるかという話であるが、実はこれがあまり三大要因とは関係なく、場合によっては忘れたいところになっている場合もある。
 個人的にいえば、横浜、青森、名古屋と記憶に残る都市はあるが、生まれ育った東京の神楽坂や仕事をした西麻布は私の意識の中には登場しないし再度訪れたいとも思わない。またエキゾチックな函館がいいですよといわれても、私の意識の中には青森の個性的な風景の方が強く残っているから隣接地では代用できないわけだ。
 別の言い方をすれば、今でも何度でも出かけたくなる都市を訪ねたらみんな答えが違うだろう。それを都市感と呼んでおく。これを人に尋ねてみるのも面白いと思っている。つまり都市感を持っているというのはいろんな経験や意味付けがあって初めて可能なのだろう。
 さらに都市感のない人もいる。一生同じところに住み続けてきた人達だ。つまり常民なのである。だから都市感は流民的固有の考え方かもしれない。

NikonF4,AFNikkor20-35mm,Vervia.

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番外編281. 横浜にはジャズが似合う

2017年05月05日 | Yokohama city
 横浜から湘南海岸は近い。連休にかこつけて横浜の話題を思い出しつつ。
 もちろん若い頃横浜のデッサンの先生のアトリエに通い、その後横浜に住んでいたから話題は多いが、総じて暮らしやすかった街である。
 私が住みだした1989年頃は、健康保険証をみながら「東京の人だもんねぇー」と風邪で通院していた平和病院の看護士さんからいわれたぐらいだから、東京に対抗する横浜の意識があった。  
 当時港のそばのバンドホテルも健在であり、夜通し踊り明かしたわという言葉も記憶にある。バンドホテルは、踊れなくてもホテルの従業員さんがエスコートしてくれて演奏でもりあげて多いに楽しませてくれた。そこがなにかと蘊蓄と形式を必要とし、敷居が高く、お高くとまった徳川幕府の末裔都市東京とは違うところであり、横浜は明治期から外国人を相手にしてきたから、どこかエキゾチックな空気が漂うさばけたな街なのである。
 今ではそのバンドホテルもなくなり、東京からの移住者や移転してくる企業も多くなり、随分横浜らしさがなくなってきた。いまでもあるジャズの老舗の一つ野毛の「パパジョン」は私も知っている。
 3~4年位前に横浜経済新聞社の杉浦さんと四川料理を食べたのが最近の記憶である。なにかと機会ができたらふと訪れたくなる横浜である。
 さてその横浜だと何処に泊まるか、一押しはニューグラウンド、次いで関内のJALシティか馬車道のリッチモンドホテルで決まり。夜出やすいところは限られてくる。湘南へ出かけたり夜フラッと遊びに行くのに面倒な東京のホテルはパス。それに東京だと、常に仕事に追われているようで何処に泊まっても落ち着かないのだ。もうその気分になっている。そんな仕事が来ないかな。
 当時東京で仕事をしていたためか、休日は横浜・湘南と東京に背を向けて暮らしていた。そして横浜にはジャズが似合う。

横浜市大桟橋
ニコンF4、AF35-70mm、プロビア
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EOSな日97. 連休が始まった

2017年05月04日 | Shonan coast
 病み上がりで飲み会へ出かけたのが逆効果だったのか、 風邪が三日も続いても治らない。もう心は折れそうだ。
 昨日新幹線で朝帰りしたときに名古屋駅のコンコースはザワザワと人であふれ自由席はわざわざアナウンスされる位に満員立ち状態だった。連休が始まったのだ。幸いにも名古屋始発・広島行き各駅停車のひかり号ですわれたのはラッキーだった。新幹線も満員御礼状態が続く連休が始まった。今年は人手が何処も多いと思われる。休みが続き出かけやすいのだろう。
 だからもう何ヶ月も前から準備した人だけが連休に動けるという現実。そうでない人は無理ですというわけだ。そこまで事前準備してまで出かけたい日本だとは思わないが、それにしても連休とは無関係な海外都市へ行くのに連休料金というのはすこし解せないようにも思われる。
 どこに出かけても渋滞・満席・満室というのは、やはり万事キャパシティが小さいことと多くの人が一斉にうこきだすことの両方が重なっているからだろう。渋滞している高速道路の光景をみていると、例えば災害時に都市を車で脱出しようという行動ができないことを示している。まあそれはおいといて・・・。
 こちらは、しゃあない連休は京都で過ごすほかなさそうだ。雨等が降り続いてくれると、しっとりと静かでよいのだが。そんな風に思っていても素晴らしい晴天だったが今日は家にこもっていた。家の窓を全開にしていたら少し冷たい風が通り過ぎてゆく。眼をつぶるとやはり海からの風と思えなくもない。
 風邪が治らない。春の季節は長引くようだ。いっそ薬に頼るのを今日はやめてみた。そしたら次第に鈍痛も和らぎつつあり、風邪症状から抜けつつあるようだ。なんだーの気分である。

鎌倉市七里ガ浜
2005年6月11日
EOS Kiss Digital,EF100-400mm
ISO400,焦点距離400mm,露出補正-2/3,f/11,1/1000
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EOSな日96. 金山で飲み会

2017年05月03日 | Shonan coast
 塩分をふくむ風でこのように木の建具が劣化してくると、いかにも湘南の民家の風情だ。海岸沿いは建物のいたみが激しいが、そんなところが海岸沿いの家らしいのだが。
 相変わらず風邪が抜けない。今インフルエンザが流行っているからと人は言うが、ホントにそうなのかいと疑わしくなる。どうも風邪を引いた時の常套句ではないか。いっそガンと熱が出て思いっきり汗をかいて、これまでのたまりにたまった老廃物を全部流してくれた方がありがたいと思うのだが。相変わらず体がだるい。
 昨日は夕方から名古屋で筑波大学時代の同級生達、つまり芸術専門学群の連中達と金山で飲み会であった。こちらとしては、まあズルズルした風邪の症状に刺激を与えようという作戦で名古屋へ出かけた。意識がシャンとすれば、むしろ風邪が遠のいてゆく場合もある。
 飲み会は友人宅まで続き、大学時代の先生達の付き合いが良かった話で盛り上がった。芸術学きっての理論家阿部公正先生なんかが一番付き合いが良く、教員宿舎で毎晩のように学生達が押し掛け議論半分の娯楽半分の宴会となり、豪傑のS君が阿部先生のタマタマを握って、戦場帰りの経験を持った先生を唖然とさせたという話題がでたり、あの子誘ってくれたのに邪魔が入り抱きそびれた、今じゃ完璧なおばはんだよ、そういえばI先生に1万円借りたけどいまだに返していない、アトリエに描かれていたK 女子の落書きを花札屋に就職したI君が世界的キャラクターに育て上げた話・・・などなど当時の芸術専門学群は個性的な輩が多かった。今の大学でこうした教員も学生も天真爛漫に一緒に飲みあかすフランクな飲み会はまずないといってよいだろう。
 そんな話を肴にして、結局我々の通例のごとく朝帰りとなったしまった。そう半分気の病なんだと意気込んだ風邪は結局治らなかった。

藤沢市江ノ島
2008年8月16日
EOS40D,EF100-400mm
ISO400,焦点距離100mm,露出補正0,f/5.6,1/100
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EOSな日95. 病み上がり

2017年05月01日 | Shonan coast
 病み上がりである。おとといプールで泳いでから鼻がつまり、口で呼吸をしていたらのどが痛くなり、あげくの果てに熱まである。もう休日診療所にかけこむ。今朝になりまだ鼻がつまり。こんどは耳鼻科にかかる。さしあたりの治療はこれで全部だ。もう寝ているほかない。
 このブログも臨時的に古いiMacを用いて書いている。すでにiWebがサポートされないので、そろそろBindなどを用いて刷新したいところである。
 とはいいつつも、画面上には使用予定の30カット位の画像が並んでいる。一応順番を決めたりもするがストーリーによって突然変更したりもする。ただしテーマは湘南海岸あたりで一貫している。海を感じる画像でいたいという気分の方が強のは、海のない京都にいるためか。
 もう元気がないから静養に徹する。

鎌倉市七里ガ浜
2008年8月13日
EOS40D,EF100-400mm
ISO800,焦点距離100mm,露出補正0,f/4.5,1/40
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