Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日100. 文科系事務屋

2017年05月11日 | Shonan coast
  さてEOSな日シリーズの100回目の画像はどれにしようかと考えたが、やはりこれだろう。
 台風が来ているときの湘南海岸は、どんなだろうと思っていたら簡単にその機会が巡ってきた。台風は沖合を通過していったので幸いにも湘南へのロードは機能していた。海岸に着くと5mを超えドドッと崩れる音がする波は迫力がある。とはいいつつも海岸を犬をつれた主婦が散歩していたけど。
 話題は変わるがYouTubeでNHK特集の福島第一原発(F1)のいくつかのドキュメンタリーをみていた。いかにも技術者集団の現場と管理者組織の相克が露呈したなと思った。
 その管理者的組織というのが、まさに文科系事務屋がつくったピラミッド型組織である。だから専門技術者同士が横に直接情報の連携ができない組織となり、下からあげた意見が上で咀嚼されて他の下部へ情報が加工されて伝わるとする現象を構造的に持っている。つまり情報の共有が行われてない。
 そうしたピラミッド型組織は、実はわが京都市の町内会の組織と同じである。一つの町内会が複数あつまってグルーブをつくり、いくつかのグループが集まって一つの学区コミュニティをつくり、それが複数学区集まって一つの区を形成し、そして区の数だけそうした組織が存在して京都の街をつくるといった案配である。当然上から下へと情報が伝達されるというなんとも事務屋的組織である。まあ京都の街は昔からこれで回っているのでそうで、これでええのだろうが、科学技術の最先端がそれでいいかというのとは話が違うだろう。科学技術の最先端であれば、ネットワーク型の組織で情報共有が同時に進められる方がベターである。
 さらにいえば管理者あるいは事務屋はマニュアルがお好きである。マニュアルはこれが想定外の事には対応できないという宿命を当然持っている。
 それよりは情報開示だろう。理工学系の知識があれば、情報の中から最適解を得るヒント、あるいは新しい数式を発見するだろう。実は未知の出来事には、こちらも未知の数式を組み立てるほかないと思われる。そんな新しい最適解を発想するという環境は文科系的頭ではできないことである。
 現在科学技術の場面で現場の専門家がかろうじてコントロールできているのは、医学の世界だけだろうと思われる。科学技術が高度に専門化してゆく社会は、科学技術の専門家でありつつ事務的知識があるというのが今の社会で求められる姿であろう。その理工学系技術者が一端管理職につくと人種でもかわるように意識が変わり文科系的事務屋的発想をするのが恐ろしいし、科学技術の知識があるだけに余計な評論家を多数発生させることになる。
 私も経験したが、事務屋というのは現場が全くわかっていない。いちいち反論するのも時間がかかるので、適当に相づちをうってやり過ごす。それで彼らの世界が静かに動くというのは不思議な事だと思っている。なんだろう文科系事務屋というのは!?。

鎌倉市コジキ浜
2005年9月5日
EOS KIss Didital,EF100-400mm
ISO200,焦点距離400mm,露出補正-1/3,f/9,1/800
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