Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE302. デザインの話

2012年03月27日 | Kyoto city
 このブログで京都の古い風景を毎回アップさせていると、ここを訪れた人達は私がえらく懐古趣味だと思うかも知れない。実は私は1980年代から1990年代にかけて 浜野商品研究所 で仕事をしており、日本のデザインの最先端にいた。
 そんなことを思い出したのも、先日我が大学のOBで若くして亡くなったグラフィックデザイナーの遺作展をみたからである。アメリカで仕事をしていたから、デザイナーとしては優れているのだけど、私はあれっ!、似たようなデザインをみたことがあると思った。
 それは従来のアカデミックなデザインに対して反旗を翻し、AXISという雑誌のプロモーションによってデザインを生活のレベルで実現し、今のデザイン文化の基礎をつくりあげた浜野商品研究所であった。
 私の仕事場の階下がグラフィックデザイナー達のアトリエであり、そこで商品の全てをつくりきったと言うぐらいに説得力ある八木保さんの仕事や、クールな外立正さんのデザインを目の当たりにしていた。私の階下から、ESPRITの仕事をはじめ最先端のデザインが世界に飛び立っていったわけだ。その後八木さんも外国のアパレルブランドのチーフデザイナーとして、ここから飛び立っていった。そしてもう一つ言えば、今のデザインのあらゆる手法は、この時代にほとんどやりつくしてしまったということである。
 90年代半ばからインターネットが普及し出す。いまのデザイナーや学生達はWEBサイトから、私たちがやりつくした仕事の残骸という膨大な情報を引き出し、それを自分の感性の糧にしてゆくのだろう。多分先のOBデザイナーもそんな仕事をしていたことがわかる。コンピュータはそんな特殊解のデザインを、誰でもが出来るように一般化したことである。それによって街のデザイン事務所でも、高品位なデザインをするようになった。
 そうした感性情報の再生と再創造ばかりしていて、デザイン本来の意図である特殊解、つまりオリジナリティある社会的に刺激的なデザインのクリエイションは、誰がどこでいつするのだろうか、という大きな問題も発生する。
 だから今のデザインは、FB風に言えば「いいね」なのだけど、どこかひ弱に私は感じてしまう。そのひ弱さが今の時代のテイストかもしれないが、やはり私の時代と類似性あるデザインでは、説得力を欠いていることは間違いない。そうした感性刺激手法自体に、伸び悩む今のデザイン上の問題があるのだろう。
 ではどうすればよいかということは別の機会に書きたいが、一つ言えば、私たちは情報媒体ではなく、実物を追いかけていった世代だということである。
 東京で生まれ育ち、東京で最先端の仕事をしてきた私にとって、今住んでいる京都の町屋は、これとは全く正反対の存在である。そんな両極にある相反する性格が、今の私の感性を刺激しているのかもしれない。この一年間個人的な事情もあり、デザインの話を書かなかった。また少し本業のデザインの話を、たまには書きたいと思う。

祇園新橋,2012年2月20日
OLYMPUS PEN E-PM1,M ZUIKO DIGITAL12mm/f2.0
ISO320,露出補正-1/3,f3.2.1/1000,モノトーン
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