
この時期フィリピンは、乾季だから雨が少なく過ごしやすい毎日が続く。といって日中は気温30℃。動かなければ汗をかくわけではない。概して暮らしやすい気候だ。
だから毎日着替えるからフィリピンと洗濯物は不可分だ。それは道路にも大量に干すポルトガルの洗濯物の光景と似ている。1週間もたたないうちに大量の洗濯物が溜まる。
私は、あまり着替えは持ってこなかったが歩いてゆける範囲に衣料雑貨のスーパーが午前8時から開いている。ここで200ペソ(400円)のポロシャツなどを調達している。つまり着捨てだ。
幸いマロロスのショッピングセンターにゆけばユニクロがある。フィリピンでは、スポーツウェアについで知られているブランドだ。これは心強い。だから衣類に不自由はない。そんな大量の衣類をNIKKAの叔母さんが、まとめて洗濯してくれる。
その衣料雑貨スーパーの道の対面が広場である。広場を横切り、大通りに通りにでる。大通りの正面にブラカン教会の古い建物がそびえている。フィリピンの歴史遺産だ。大通りを進むとセブンイレブンがある。ここでも私は店員さんに顔を覚えられてしまった。
今日でフィリピン滞在45日経過、多分中間点を過ぎたところだ。ビザを取りに来いという連絡はない。フィリピン政府の書類申請だから!、といえば国民が納得するほど政府の仕事の遅さは知れわたっている。
この辺りまで来ると、もう日本の出来事がどうでもよくなる。といってまだ学術論文の提出があるので気力をだして片づけている。合間にブロガーたちのページを訪れる。「寒梅」という文字が、はるか遠くに見える。ああっ、いま日本は冬でしたね!。冬は疲れるんだな。それがないから、こちらは気楽さ。冬逃れをするのが当初からの目論見だった。
我々の研究仲間でも1年以上海外の教育機関などにゆく人間は多い。それを思い出せば私などはましだ。だが理想を言えば適度に環境を変えながら、冬逃れ、猛暑逃れ、京都逃れをしたい。
気候変動で京都の夏はフィリピンより気温が高く、人間の生存可能温度35°を越える日が続く。それはフィリピンより高い!。つまりフィリピンは気温の変化が少ないかわりに、4月からの雨期では、スコール状態の雨と高い湿度と強い照り返しがある。夕方から教会の礼拝が始まる頃、町の活気も盛んになる。朝と夕方の街だ。
日本の4月、5月、6月の環境はすばらしい季節だ。5月の心地よい風が懐かしい。それはなにをしても、私を元気にさせてくれる。
そんな環境のなかで、このブログ執筆が、唯一日本と私を繋ぎ止めている。日本忘れにならないために。
(記:2025年1月26日)
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