Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編365. 浅草とズミクロン

2018年05月26日 | Tokyo city

 銀座があれば浅草がある。

 中学生の頃浅草にゆくと、映画館は古色蒼然とた個性的な形の建築であり、なんかスげぇーなと思ったし、怪しいマジックや出し物を演目とするどさ回りの仮設テントが立っていて、それが面白かったのだ。そう寺山修司の世界に近いのだ。観客が少なかったからサクラが始終出入りしてなんとか賑わいを演出するという涙ぐましい姿もあったりして笑えたし、街を歩けば、怪しい人間達と田舎の人間達とで混沌としており、スリも警察官もいたし、B級グルメの店が多く、焼きたての鯛焼きは中学生には美味しかった。ああっ、これが街だと思っていた。それが浅草を感じた最後だった。

 この画像を撮影した2000年には、浅草は古い特異な形をした映画館が取り壊され、どこにでもある商業ビルに新築されたりするなど様変わりした後だから、私の徘徊も消極的だ。まあそれでも夜は余計な景色を隠してくれるので、おどろおどろしい空気を少しだけ感じさせてくれたようだ。

 当時浅草からほど近い旧遊郭玉ノ井(東向島)にも出向いたが、永井荷風や漫画家滝田ゆうが描いた世界は既になくなり、食品スーパーが進出し住宅街に変わってしまっていた。

 そんな経験をすると、お祭りの時だけ下町っ子だとはしゃいでも、下町と銘打つのは商品の販売促進上やメディアの上でのことであり、下町という空気は形骸化してなくなったと思われる。

 大学の頃、浅草寺を「あさくさでら」と読んで、それ「せんそうじ」じゃないですかと群馬県人に笑われたが、それぐらい私の認識では浅草がなくなっていた。

 このとき海外調達のライツ・ズミクロン50mmを使っていたのだ。ピントの合ったところはシャープであり、それ以外は固めにボケてくれるM4時代のレンズだ。しかし何故かこのレンズは、その後さっさと売却してしまった。

 浅草と一緒にズミクロンも消えてしまったさ。

 

2000年、東京都台東区浅草六区

Leitz M-4P,Summicron50mm/F2.0,トライX

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