八坂道を徘徊していたら、こんな路地を発見。京都の旧市街地は碁盤の目の整然とした構造だが、1200年の時間が経つと、そんな構造の隙間に様々な路地が発生する。そんな人為の跡を発見するのが、この街を徘徊する面白さだ。路地を人力車が入ってきた。彼らは、よく知っている。今度路地巡りで人力車に乗ろうか。
と、書いてきて、これは本を書くときの文章だと気がついた。当然のことながら私は文章の書き方を、変えている。論文を書くとき、本を書くとき、ブログを書くときといった具合にである。
論文では、データといった論拠があるから書き方もクールで論述的であり、言葉の概念も整理されているので、私にとっては一番書きやすい文章だ。
それにひきかえブログは、精々アップさせる画像ぐらいだから論拠が薄く、文章もそのときの精神状態次第であり、いってみれば雑文の域を出ない。本を書くときはその中間ぐらい。
最近、そういう気分だけの文章にも飽きてきたわけです。どいうわけか、インターネットのサイトをみていると論拠なき気分だけの記述ばかりで、そんなものを集めたのがFace Bookなのだけど、あきるんですね。つまらない情報の羅列ということが。
こうした情報の羅列も一過性の時代の象徴であり、最近ではスマホに移行しつつあり、本格的なビジネスやクリエイションの世界にパソコンも戻りつつあるのかなと思われる。
ここ何年かは、自宅のMacもG5がクラッシュして以来
iMacオンリーだった。その後G5の新しいモデルが出なかった、大学が出勤簿に自分で押印せよという事務システムになり研究資料をすべて大学にもっていってしまった、などという理由があり、ハイスペックのPCにはご無沙汰している。情報の羅列というムーブメントが去りつつあるので、そろそろMac proで本格的な仕事だろうかと思われる。
京都市・八坂道
OLYMPUS OM-D E-M5 Carl Zeiss Distagon25mmf2.8
ISO200,露出補正-0.3.f8,1/200.
と、書いてきて、これは本を書くときの文章だと気がついた。当然のことながら私は文章の書き方を、変えている。論文を書くとき、本を書くとき、ブログを書くときといった具合にである。
論文では、データといった論拠があるから書き方もクールで論述的であり、言葉の概念も整理されているので、私にとっては一番書きやすい文章だ。
それにひきかえブログは、精々アップさせる画像ぐらいだから論拠が薄く、文章もそのときの精神状態次第であり、いってみれば雑文の域を出ない。本を書くときはその中間ぐらい。
最近、そういう気分だけの文章にも飽きてきたわけです。どいうわけか、インターネットのサイトをみていると論拠なき気分だけの記述ばかりで、そんなものを集めたのがFace Bookなのだけど、あきるんですね。つまらない情報の羅列ということが。
こうした情報の羅列も一過性の時代の象徴であり、最近ではスマホに移行しつつあり、本格的なビジネスやクリエイションの世界にパソコンも戻りつつあるのかなと思われる。
ここ何年かは、自宅のMacもG5がクラッシュして以来
iMacオンリーだった。その後G5の新しいモデルが出なかった、大学が出勤簿に自分で押印せよという事務システムになり研究資料をすべて大学にもっていってしまった、などという理由があり、ハイスペックのPCにはご無沙汰している。情報の羅列というムーブメントが去りつつあるので、そろそろMac proで本格的な仕事だろうかと思われる。
京都市・八坂道
OLYMPUS OM-D E-M5 Carl Zeiss Distagon25mmf2.8
ISO200,露出補正-0.3.f8,1/200.