何もないデスクは、美的である。そして非現実的である。というのも、私たちが生活していれば様々なこだわりが発生し、デスクの上はやがて雑物で埋まってしまう。それを捨て去るのには、かなりの勇気が必要だ。
ならばかなりの勇気を持って捨て去ることにしよう。この資料は使えそうだとか、これは参考になるとか、そんな思い入れが資料を増やしてゆく。 さらにはマニアックな趣味グッズまで含めたら、 部屋はいわばゴミの集積場となってゆく。だがそうして残していった資料が、後日役に立ったということは大変少ない。だから捨ててしまっても差し支えないのである。
私のデスクにも、当時30万はした23inchモニターとか、使えないマックとかが散乱している。当然はやばやと処分しまってもよかった。パソコンの進化が早いので、当時の眠い画質のモニターなど価格が高かったにも関わらず、一寸みる勇気はない。
それにMOディスクというものがある。OSもソフトも異なり、今から開くのであろうか。でも原稿などがつまっているので保存用として、どうしたものか。
あとはフィルム時代の撮影機材だ。いつも、どうしようかと思う。いつかは気分転換に使うだろうという思いもあるので残してあるが、冷静に考えれば今後とも使うことはない。残してもニコンFとライツぐらいだ。
今私に必要なのは、最新のマック、それに描きやすい画材とスケッチブック、それにイエローノートブック位だ。いつも部屋の中はそれだけにしておきたい。次に行う新しい仕事のために。私流の大掃除イメージといったところだろうか。
はてどうなることやら。掃除というのは、葛藤がつきものだよなと、いつも痛感させられる。
天龍寺塔頭宝厳院,2011年12月4
OLYMPUS PEN E-PL1,M ZUIKO17mm,f2.8.
ISO1600,露出補正0,f2.8,1/20,i-Finish
ならばかなりの勇気を持って捨て去ることにしよう。この資料は使えそうだとか、これは参考になるとか、そんな思い入れが資料を増やしてゆく。 さらにはマニアックな趣味グッズまで含めたら、 部屋はいわばゴミの集積場となってゆく。だがそうして残していった資料が、後日役に立ったということは大変少ない。だから捨ててしまっても差し支えないのである。
私のデスクにも、当時30万はした23inchモニターとか、使えないマックとかが散乱している。当然はやばやと処分しまってもよかった。パソコンの進化が早いので、当時の眠い画質のモニターなど価格が高かったにも関わらず、一寸みる勇気はない。
それにMOディスクというものがある。OSもソフトも異なり、今から開くのであろうか。でも原稿などがつまっているので保存用として、どうしたものか。
あとはフィルム時代の撮影機材だ。いつも、どうしようかと思う。いつかは気分転換に使うだろうという思いもあるので残してあるが、冷静に考えれば今後とも使うことはない。残してもニコンFとライツぐらいだ。
今私に必要なのは、最新のマック、それに描きやすい画材とスケッチブック、それにイエローノートブック位だ。いつも部屋の中はそれだけにしておきたい。次に行う新しい仕事のために。私流の大掃除イメージといったところだろうか。
はてどうなることやら。掃除というのは、葛藤がつきものだよなと、いつも痛感させられる。
天龍寺塔頭宝厳院,2011年12月4
OLYMPUS PEN E-PL1,M ZUIKO17mm,f2.8.
ISO1600,露出補正0,f2.8,1/20,i-Finish