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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

エッセイ909. 雑貨屋の雑

2025年07月18日 | field work

 朝のブラカン市場の前で一番流行っている雑貨屋的お店。朝飯を調達する人達で混んでいるけど、インスタントなものやパンぐらいしかないから、ここでたべるわけではない。私が、こんな光景を目にするときは市場へゆくか、WIK WIKへ朝食にゆく時だった。
 フィリピン画像なら映像から切り出しせば画像は多々あるが、帰国後京都の撮影などしないので静止画の手持ちストックは皆無。だが最近の私の気分は、撮影することが面倒臭い。だからフィリピン映像切り出しの画像が続く。そして8月15日で私のブログも終了だから逃げ切れるということも意欲のなさの要因の一つだろう。
 さらに最近、毎日ブログを書くという行為に私自身が飽きている。マンネリ化しているのだから、引っ越しなどせずに絶筆という選択肢もある。だがクリエイションが身近にないのは寂しい。そのクリエイションの一つがドローイング・シリーズだったが、これも終了した。
 小説:小樽の翠は絶筆である。そうなると小説の登場人物達に会いたくなる。かってのコロナ過で外出自粛で人と接触するなといわれると出会いがない。そこで小説の登場人物達が、そんな出会い欲求を満たしてくれたのかもしれない。この小説は922回続いた。
 ドローイングは、シュミンケの絵具も片付けたし撮影機材はトランクにしまい込んでしまった。もう私の関心がない。
 今日は、散漫なブログだが雑貨屋をネタに雑の話が続いた。

トップ画像:フィリピン・ブラカン
機材:FX30、Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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エッセイ908. 私達のフィリピン交通事情

2025年07月17日 | field work

 およそ公共交通機関の少ないフィリピンだ。先ず鉄道が皆無に等しい。したがって広域交通は路線パスだけである。もちろんマニラからバギオにゆく観光路線のバスなどは快適だが、それ以外だと普通のバスが多い。私達はビガンからマニラへ10時間近くかけて乗車したこともある。
 近距離だと、画像手前にあるトライシクルである。暑いから歩く代わりに使う事もあるし、少し遠い街も国道を大型トラックや乗用車の隙間を縫って走る。それはちと怖い体験である。そして冷蔵庫やマットレスなども屋根に乗せて走る。便利というか無謀というか・・・。
 また近隣の足としては、運行区間が比較的定まっている画像奥のオレンジ色のジムニーがある。料金は安いので通勤通学の足には、ほとんどこのジムニーが使われる。もちろん路線図はないだろう。あっても古いかもしれない。
 そのほかに私達がブラカンからマニラの空港へ移動するときには、レンタカーを予約する。料金は高いが行動の自由がきくし、時間も早朝や深夜と迎えにきてくれる。特にセブ航空などの日本-マニラ便になると到着が深夜近くになり、ホテル泊まりを余儀なくされるがレンタカーだと来てくれる。マニラからブラカンまでだと5,000-6,000pesoである。高くても使い勝手がよい。というか、ブラカンから空港までバスやLRTやタクシーの荷物を持ちながらの乗換に比べたらはるかに楽であり、私達にはこの一択しかないというのが悲しい。
 そしてLRT以外はすべて民間であるというのもこの国の特徴だ。自動車交通に依存するあたりは、アメリカ合衆国と似ている。
 このあたりが私達が体験するフィリピンの交通事情だ。

トップ画像:フィリピン・ブラカン
機材:FX30、Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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エッセイ907. 思わぬ減量

2025年07月16日 | field work

 フィリピンでは、人なつこい子供達に元気をもらいながら撮影していた。泥棒街で誘拐も起きたと教えてくれたのも彼らだが。
 ふとこんな表情が日本で撮影できるだろうかと思われた。多分無理じゃないですか。日本は時勢柄警戒心が先にくる。そうなると撮影意欲も減退する。
 ふと、gooの私のブログアップもあと1ヶ月を切った。8月15日を過ぎたら引っ越し作業を始めようという魂胆だから、それまではいつものように執筆している。だが心はいつものようにではない。やはりgooのサービス終了という足かせが執筆意欲に影響している。それにフォロワー達が一目散に引っ越した気配が濃厚。それは少し寂しいが、こちらは切りの良い18年の節目で引っ越しだ。
 フィリピンでの病の後遺症がある、今一普通の活動ではない。疲れやすいのだ。なにしろ体重54kgが50kgに減少し、体脂肪や内臓脂肪も2ランク下がった。それは外見にも表れ、痩せいていてスポーツをしている体型ではない。思わぬところで減量目的をはたしたが、なるほど痩せるというは、こんなにも老人くさい体型なのか。
 来月からはウェイトトレーニングとエアロビクスで筋力の回復をはかろうと考える。皮下脂肪がないのは幸い。今は体力がないから最初のジム・トレーニングはつらいだろう。さあどうなるかな?。

画像:フィリピン・ブラカン
機材:FX30、Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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エッセイ906. 蛸壺環境

2025年07月15日 | field work

 さてさて日本の画像がない。病の静養中で出歩かないし、撮影していないからあるわけがない。そして京都の街に映像機材のレンズを向ける意欲がない。
 何故だろう。ふと思うと多分全ての物事が蛸壺の中にキッチリ納められている感じがするからだ。それらは蛸壺から出てくることがない。蛸壺同士はSNSなどでつながっていて直接コミュニケーションすることはない。最近私の周りの世界がそんな風に見えている。
  例えばInstagramをみると、お笑い芸人がいたかと思うと、次はバッチリメイクしたモデル、その次はウクライナ戦争の3DCGによる嘘画像・・・、といった具合だ。それぞれの蛸壺環境で個別に完結しているといった具合にだ。
 そこが蛸壺環境という所以だ。もちろん蛸壺に入っていては、大きな変革はできない。だが政治家も蛸壺の中だ。そりゃ何も変わらんでしょう。だって円安を放置し、放置すれば石油などのエネルギー依存のわが国は物価高に当然なり、農業など石油消費の最たるもので米の価格はあがり、古米をだされても一時的解決で抜本的な解決をせず、いまだに円安傾向が続く。
 蛸壺環境の無為無策。これをヨーロッパ流に言うとディープ・ステート達だ。私はウクライナのお笑い芸人あがりに、NATOに入れてあげると甘い水を差し向け、結果ウクライナ戦争に突入させたマクロンやフォンデア・ライネンのやり方だと考えている。そうしたディープ・ステート達と戦っているのがトランプ大統領だし、そのことがわかっているのが聡明なプーチンだ。これまでの国際社会の構造は大きく変化している。
 話は、飛躍するがそれが蛸壺環境のなれのはての姿だ。

画像:フィリピン・ブラカン
機材:FX30、Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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エッセイ905. 朝の挨拶

2025年07月14日 | field work

 日本の5月は初夏のはずだが気温は13°〜23°と4月並の気温だ。フィリピン帰りからすれば身体は慣れないから、家に籠もって静養するほかない。それにブログにアップさせる京都の画像がない。さらに私のブログへの関心がない。
 ところで私の街にはゲストハウスがあるから、毎朝外国人達と出会う。だから私は「Good Morning!」と一方的に挨拶する。するとためらったような小さな声で返事が返ってくる。予想外の挨拶に戸惑うというのは日本人でもありそうだ。こちろはどまどってもかまへん。
 大学の先生をしていたから、朝など挨拶は当たり前で、知らない学生や空振りでも挨拶をしていた。
 こんな話があった。パリに出かけた画家が路地奥の滞在先の窓を開けたら、向かいの住人から大きな声で「Bonjour Monsieur!」と挨拶をされた。これがパリか・・・。そんな話を聞いていたので、私も大きな声で挨拶する習慣がある。ただし、英語ではなく「おはよう、旦那さん」といったほうがよかったかもしれない。
 ある朝、ゲストハウスから出てくる中国人風に英語で挨拶したら、ゲストハウスのオーナーの父上だった。そういえば内覧会でおめにかかっていた。中国人に見えたのだよ。
 ちなみに私が挨拶しても、中国人旅行者は目線を伏せてとまどっている。そういう文化の人達なんだろうと私は理解している。
 ちなみに私が1997年に中国・雲南省の田舎を訪れた時は自然に挨拶が帰ってきた。それに人に声をかけることが好きだ。「お前の靴はよごれているじゃん、俺に磨かせろ!」といった具合に。こちらは「アホ!、登山靴だ。よごれていていいんだよ。お前の黒のクリームで塗られた台無しだろうよ」。私が理解している中国人である。
 それを思いだせば、習近平政権下の中国大都市部の人間達に限った心理だといえる。

画像:フィリピン・ブラカン
機材::FX30、Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA

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エッセイ904. 運転免許の更新

2025年07月13日 | field work

 gooのブログも寂しくなった。私のブログは8月15日で最後。それからgooブログデータをダウンロードし、はてなブログに申し込もうと考えている。優勝が決まった後のプロ野球の残り試合消化みたいだ。
 今日は、これかな・・・。
 フィリピンの在留カード申請が遅れに遅れたおかげで、一度は放棄しようと考えた日本の運転免許証の更新。なにしろ帰国日が5月1日で免許証の更新期限日が5月30日だ。しかも70歳以上は運転実習が必須。
 帰国後市内の教習所で申し込みをしようとしたら、「30日迄というのは無理です。今は3ヶ月先の予約を受け付けています」とつれない返事。最後の砦、京都市外れにある京都府警察運転免許場だ。ここに電話し事情を話したら予約を入れてもらえた。23日午後11時40分集合、午後3時免許受領というスケジュールを聞いたとき朝早く起きなくて良いことに好感をもった。
 いろんな手続きに係官がつきそい4人ずつ案内してくれる高齢者対応はラクチンだ。こういうのをオムツをはいた猿対応とでも呼んでおこうか。昼を挟んで午後から眼の検査(動体視力?、なにこれ?)やら講習やら・・、私は一番最後に実習だ。ここに来る人は普段運転しているベテランが多そうだ。こちらは10年間運転してない。
 実習は小さな教習車に乗り込み、「方向指示器はどれですか?」と幼稚な質問をしたら係官が「右のレバーですよ。日本の車はみんな同じでしょうよ!!」と呆れられた。じゃ左は何だ?、と操作したらウォッシャーかよ。
 そんな調子で、50kmで走れ(土地が広いといいな)、左折時の幅寄せ、右折の曲がり方、急ブレーキなどなど(このあたりは教習所で教えてくれたものばかりだ)と30分近く走り回され、次第に慣れてきた頃終わりだ。最後の停車が少し曲がっているじゃん。係官がおもむろに「あなたは、これからも乗るんですか?」といかにももう乗るなと言わんばかりの空気で尋ねてきた。「はい、在留カードがあるフィリピンで乗ります」。「ああっ、それで歩行指示器がわかんなかったのか・・・」。そんなやりとりを経験し控え室にゆくと、すぐに私達が呼ばれ、免許手続きと写真撮影などをされ更新免許が交付された。
 さて次は国際運転免許証だ。自撮りマシンで空き時間に顔写真(運転免許証の顔写真はくれない)をとっておいてよかった。帰国後の病み上がりだから人相が悪いが、手続きを進めるとほどなく交付された。
 つまり一カ所で懸案事項だった2つの仕事が一度に全て片付いた。しかも早起きしなくて良い時間帯で気候も暑くなく。こんなにうまく私の理想ペースで片付くことはすくないが、難儀な仕事も終わって安堵!。
 試験場までJRの駅からタクシーで往復したのは正解だった。だって阪急バスは1時間に1本あるかないかだからさ。そんな大変行きにくい京都の僻地だった。
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エッセイ903.映像データの保存

2025年07月12日 | field work

 8TBシノロジーのNASが、フィリピンの映像がストックできないだって?。
 ならばiMoveで制作した映像1TBを全部捨てよう。これは映像勉強初期の制作だから、データなど未整理のままiMoveにぶち込んだ。しかもiMoveのアイコンをそのままシノロジーに保存するという暴挙までやっていた。これじゃ整理もできない。
じゃ削除。
 だが全然iMoveファイルが削除できない。ファイルの中にロックされるなどの認識をされたものがありそうだ。ならば手動で個々のファイル毎に削除。3分の映像でも撮影画像の他に、サムネールなどのファイルが大量に自動生成されている。そんなファイルは、わたしも認識していない。だがiMoveは背後で大量にファイルを作り出していた。やたらにファィルを多数生成するというのはMacソフトの特徴のようだ。1映像で300位のサムネールファィルを生成してくれた。
 次にどのファイルにロックがかかったと認識されたかを調べる必要がある。消去法で調べてゆくとサムネールファイルが怪しい。おそらくどの映像も同じファイルだろう。そこで250本ほどの映像ファイルのなかの全てのサムネールファイルを手動で削除。これに半日は要した。もちろん初期の作品は、データ毎消え失せた。残るはYuoubeにアップさせた画像のみ。
 そしてフィリピンで制作した映像やドローイングをNASに保存できた。保存には数時間かかるようだ。
 何故データが一杯になるかと調べたら各ファイルのデータ設定だった。静止画に3TBの余裕はいらないだろう。
 日本に帰ってから放置していたNASの管理をはじめた。

画像:フィリピン・ブラカン
機材::FX30、Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
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エッセイ902.小説:小樽の翠のカテゴリーをdrawingに集約した。

2025年07月11日 | field work

 病み上がりで体調今一の時だから、単純整理作業が調度よいだろう。かねてから気になっていた、小説:小樽の翠をdrawingのカテゴリーにすべて集約した。ただgooは最新アップ版から遡及する逆構造になって表示される。
  第1回目はトップ画像で示した「2020年1月10日、冬の旅の妄想」である。新型コロナが拡大するまさに直前の頃。以後コロナ禍の外出自粛という時代背景の中で小説:小樽の翠は妄想から架空の世界へひろがってゆく。
 この小説の前座として、私が描いた裸婦クロッキーを並べドローイング・シリーズとしてアップしていた。延べ240人ほどのモデルさんの人体を描いたのは大学受験時に美術研究所に通っていた頃以来だ。ブログに裸婦をアップしてみたら、それで何が面白いんだろうと私は考えた。そのあたりの事情が、小説化という架空の世界のクリエイションに拡大する布石となったようだ。
 この小説も結末を迎えた。
 最初の頃はドローイング・シリーズも裸婦をどのように表現するかで試行錯誤していたようだ。ただモデルを描きました程度では小説となじまない。やはり女のボディの魅力やいやらしさが表現出来た方が面白い。
 風景も試行錯誤して描いている。その多くは想像であり、こんな風景なら小樽やその周辺にもあるだろうとする考え方からだった。
 集約したので小説の全頁を一応見直しながら、Indesignで編集しPDF、あるいは紙媒体に出力し製本しておく方法を考えている。
 gooのサービス終了に伴って、私の試行錯誤したクリエイションの軌跡ぐらいは残したい。今見るとイラストも下手だと思うところは多々ある。それでもコロナ過という未経験の時代の中で試行錯誤したクリエイションの軌跡といってもよいか。だからこのシリーズだけは残したいと思われる。
 
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ドローイング1015.小説:小樽の翠919. 小樽の初夏

2025年07月07日 | field work

 翠が、日勤で病院から帰ってきた。
翠「食材メニューは買っておいてくれたかな?」
「もちろんさ。だって雲丹にヤリイカ、甘エビ、さくらますと書いてあれば、朝一番に市場にいきましたさ」。
翠「じゃ、雲丹ヤリイカ丼とサラダをつくろうか」。
この時期の小樽の代表的な味覚だ。
・・・
そんな夕飯を終えて、風呂にはいれば、あとはサッポロ生を飲むほかない。
翠がベッドに入り込んできた。
翠「あら、もう酔っ払っている。アチキってあまり酒のまないよねぇー」。
「うん、酒よりウニ丼、いや翠のアワビだ・・・」。
翠「じゃあ今日も元気かな?」。
そういって翠が細い指でアチキの股間をさぐる。
翠の冷たい細い指が下腹部を這ってゆく感触が少し刺激的だ。
ガバッと上体を起こし、翠のスエットの隙間から股間に手を滑らす。
手のひらで翠の股間をゆるく撫でる。
やがてウウッ、と呻き声がする頃には翠の股間も潤ってくる。
翠「アチキー・・・いれて・・・」。
翠の身体に覆い被さり、翠が骨盤を押してきてアチキのペニスを刺激する。
やがてペニスの先端を膣にあてる。
翠が上向きながら・・・、
くぐっと射し込むと翠が眼をつぶり上体が上に反りかえる。
きっと入り込んでくる感触が良いのだろう。
奥まで入れると翠がアチキの眼を見ている。
翠「アチキ・・子供ほしい?」。
「タダでいただけるものなら、なんでも欲しいです」。
翠「もう、現金なんだから」。
そのあとは翠の骨盤を一緒に上下させながら、翠の嗚咽がつづく。
翠がアチキの肩にあてた指をトントンとして・・・、
翠「だしていいよ・・・」。
そういって激しく二つの骨盤が上下してグイッと奥まで射し込んだペニスが撃ちはなった。
勢いをつけた精子は子宮を這い上がり卵巣に届くだろう。
さて今日は排卵日だったか?、いや違う、卵子は不在の日だ。
欲望だけがみたされ、翠を抱えて意識は薄れてゆく。
翠「アチキー・・あら寝ちゃった。なんだ私生理が遅れていることを伝えたかったんだけど・・・」。
・・・
小樽の山から海に向かって心地よい風が吹いている。
今が一番心地よい小樽の初夏だ。
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エッセイ901.日本の急ぎ仕事

2025年06月30日 | field work

 本来一ヶ月から二ヶ月とWEBで書かれていた在留カードの申請期間は、今年2月の制度改革で厳しくなり4月30日に取得できたことは前にも書いた。結局昨年の12月12日から今年の5月1日迄フィリピン滞在を余儀なくされた。後半にはフィリピンで処方された薬の副作用で体調を崩した。
 帰国後日本の医者に通い血液検査を受けた。血液自体に問題はなく貧血だと指摘された。当然意欲と体力の減退だから力仕事はできず必要な事務仕事を毎日少しずつかたずける。これでも疲れる。鉄分の補給か・・・。
 日本に帰ってからの仕事は、先ず申請途中だった会社の減資の書類を法務局へ提出した。登記料も更新されて支払わされる羽目に。ついで会社の税金を全て支払った。そしたら入れ違いに差し押さえの書類がきていた。笑える。さらに運転免許証更新の締め切りが5月30日。私の場合は高齢者実習が必要になり教習所で受ける。だがどこも予約満杯で今受け付けられるのは3ヶ月後といわれると間に合わない。そこで京都府警察運転場と相談し、ここで実習を受け付けてもらえた。これで免許を更新する段取りができた。取り急ぎの事務仕事は、それでよかろう。あとはいろいろあるがオイオイと・・・。だって俺、体調が悪いんだ・・・。

画像:フィリピン・ブラカン州ブラカン
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エッセイ900.体力回復の日々

2025年06月29日 | field work

 小さな川がはしり護岸に店が並ぶ。夕方は涼しくなるから子供達はバスケートボールで遊び、夕涼みにやってくる人も多く、各家々は夕飯の支度があるから野菜やお惣菜の店や行商の店が並ぶ橋詰め広場界隈といったらアーバンデザイン的好ましい風景であるが・・・。ここの子供達に言わせれば泥棒街であり誘拐事件も起きたそうだ。つまり生活はそんなに豊かではないエリアだろう。だが私はここに何回も撮影に足を運んだ。そして陽が沈む頃、長い田舎道を足早に家に帰った。
 さて日本で血液検査の結果異常はなかったが、貧血であるという医者の指摘だった。貧血というと動悸、息切れ、めまい、倦怠感、頭重などが挙げらるが幸いに私はこうした症状はない。ただ疲れやすく気力が乏しい。食事療法なのだろう。これは次第に栄養をつけて行くほかない。
 だから少し仕事をすると疲れてベッドに横たわって休息。いつもの体調に回復しない毎日が続く。歳をとると回復が長引くとする説もある。帰国後の静養もたしかに時間がかかる。といってかたづける仕事が山積みであり、昨日は法務局から、書類を1枚作成してくださいと電話があり、タクシーで往復した。
 今日もまたかたづけるべき仕事ででかける。毎日少しずつ片付けながら、体力の回復を期待しているのだが・・・。

画像:フィリピン・ブラカン州ブラカン 
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エッセイ899.植物に喰われる家 追記:イスラエル-イラン停戦合意

2025年06月28日 | field work

 ブラカンのカテドラルの裏をあるいていたら、こんな家もある。構造はコンクリートだけど外壁が見事に植物で覆われている。熱帯地方の成長力が強い植物に家が喰われかけている。こんな風景は沖縄県でも見かけた。人が住んでいるようだが、教会の裏なので関係者達の住まいかもしれない。実際この通りの反対側は教会の墓地になっている。
 この時静かな住宅街を撮影して、映像化できないかと考えていた。だがあまりにも単調な風景が続くので、次第にそんな気力は薄れていった。それがこの田舎町のスケールなんだろう。
 それでもブラカンの町は、比較的撮影した。それでよしとしよう。
 この画像は、使わなかった映像のクリップから書き出した。映像はストーリー性が必要だから、関係性が薄いクリップはおそらく永遠に使わないだろう。そのままNASに保存されたままになっている。そのNASが容量一杯の動作、おかしいな。不用な京都の練習用映像を1テラバイトほど削除しようとしたらできない。悩ましい事が続く。
 今日本に戻り、翌日クリニックで血液検査を受けたら、異常値は見られないが貧血といわれた。栄養失調である。フィリピンで処方してくれた薬の副作用だろうか。たしかにフィリピンでは食事が進まず食べられない日々が続いた。だから体重は随分と減った。そこで先ずは王将でレバニラ炒めだ。
 そんな風にして目下体力回復に勤めている。多分一ヶ月はかかるだろう。熱帯の土地から帰ると5月の京都の気候は寒い。寒い気候に喰われそうな日々である。

画像:フィリピン・ブラカン州ブラカン

追記:イスラエル-イラン停戦合意
 この2週間のイスラエル-イラン紛争をYouTubeで眺めていた。なかでもアメリカ人の国際政治学者ギルバート・ドクトローの視点は興味深い。そんな情報を集めているとトランプさんの巧みな戦術が浮き彫りにされ、世界は変わってきたんだと思われた。
 イランのイスラエルへの報復攻撃は結構深刻でテルアビブの主要都市はかなり攻撃されていたとみられる。ただし報道規制がしかれていた。内実ネタニヤフは怒り心頭だったのだろう。放置しておけば核兵器をどこからかかりだしてイランへ核攻撃をしかけかねない状況だったとみられる。
 そこへトランプさんが、ネタニヤフが戦争の最大の目的としていたイラン核施設の奇襲攻撃をおこない破壊したと断言した。このときメディアは、アメリカが戦争突入と報じたが、核施設攻撃で死者はいない。それを戦争といいきってよいのか?。メディアの早とちりにもまいった。なぜ死者がいないか、事前にイラン側へ情報がはいっていたからだ。
 従ってアメリカのイラン核施設への攻撃により、イスラエルは戦争への大きな目的を喪失したことになり、短期間で停戦合意にたどり着いた。トランプさんの戦略の勝利である。
 そんな経緯をみていると、経済人がおこなう戦争の使い方という新しい方法があるということ。アメリカ・メディアは枝葉情報にかき回され誤情報を発信していること。もちろん日本のメディアは誤情報にもとづいて発信しているので論外、などなどが勉強になった。
 その新しい方法とはトランプ・ドクトリン。
その一つ、アメリカの国益を特定する。
 従来の政権における国益は、民主主義の拡散や米国流自由の導入といった大義名分だった。トランプ政権の国益は国民の利益。そして敵対国の道徳的資質など気にせず、国民に利益をもたらす事だけに注視し、転覆に値する神権政治であっても軍事力で転覆を謀ることはせず、国民の利益になるかで交渉する・・・。
 そんな情報をあつめると大義名分的な国際社会も最後は戦争というこれまでの選択肢から、戦争の順序が変わり最終選択肢ではなくなった。それが国際社会の変化しつつある現象である。これまで世界は、長く古くさい構造に支配されていたんだということに気づいた。
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エッセイ898.バハイボ

2025年06月27日 | field work

 フィリピンの伝統的住宅のバハイボである。今も時折見かける住居様式だ。壁は竹でつくり開放的だ。屋根も竹組で葉の部分を積み重ねたようだ。それ以上はわからない。なによりも風が通り抜け大変涼しい。ここはパーティー好きのフィリピン人の宴会の場所である。だから居住機能は希薄だ。台風の時は雨風が吹き込み住めないだろう。つまり日本でいえば東屋だ。
 この竹でつくった大きな住宅を写真で見たこともある。実際涼しそうだし、快適だろう。だが竹をまげたり組み立てたりと構造的によくわからない事もある。現場で考えながらつくるのかもしれない。ここに最近のシステムキッチンが設えられ、ちゃんとして居住機能もある。屋根は建築にあわせて曲面の連続であり、どこか伊東豊雄風だ。台風の時はしなりながら耐えるのであろう。竹のしなる力に期待していることになる。構造計算が面倒だ。
 フィリピンの住宅でも構造計算はおこなわれて建築確認申請書類が作成される。そのあたりの事情は、やはり台風が頻繁に通過する土地柄だからだろう。

画像:フィリピン・ブラカン州ブラカン

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エッセイ897.変貌ぶり

2025年06月26日 | field work

 フィリピンの住宅もコンクリートとブロックの混構造が圧倒的に多い。確かに秋には台風が通過するし、建物は先ず丈夫である必要が求められる。そういう点では合理的だが、風が通り抜けることはなく室内は暑い。だからエアコンに依存しているようだ。
 そして泥棒よけとしてスチールの柵を窓に覆うなど、ますます閉鎖的な設えになってゆく。私は風通しを無視するというのはいかがなものかと思われるが、ここではそんなに重要視されない。
 画像は祝祭日の時は、門扉開放され主屋との僅かな隙間に椅子やテーブルが設えられ、居室とも開放されパーティーの場になる。そんな光景が横丁沿いに連なる。
 それは見事な変貌ぶりだと感心させられる。

画像:フィリピン・ブラカン州・ブラカン

画像:フィリピン・ブラカン州ブラカン
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エッセイ896.フィリピンの家の設え

2025年06月25日 | field work

 手元日本の画像はないがフィリピンの画像は映像から切り出せば結構ある。しばらくこれを使ってゆこう。
 毎朝パニックストリートの橋を越えたら右の住宅街の間をゆく横丁に入る。大きな車がこないので歩きやすい。途中の雑貨屋の叔母さんとは挨拶する中だ。途中には小さな教会があり、ここで死者を三日間弔っている姿に遭遇した。私は物式に手を合わせて通り過ぎた。この横丁の先にGT7という衣料の格安店がある。ここでTシャツやらトランクスから結構着替えを買いそろえた。この前がパブリック広場であり、正面にブラカンの教会を横に見てセブンイレブンへゆくか、その先の市場の前のWIUK WIUK?という屋台でバーガーとブコジュースの朝食にするかである。田舎町とはいえ都心に近いというのは、やはり便利だ。
 この横丁の途中にある、いかにもフィリピンスタイルの民家だ。高床式というのが高温多湿なこの気候風土に合いそうで軒の出が深い。だがこのスタイルで家をつくる事はなく大方はコンクリートと土間が続く民家が圧倒的に多い。どんな民家でも人々が集まるテラススペースが必ず横丁側に設けられていて、宴会の場となり、洗濯の場となるなど多彩な使われ方がされている民家が多い。
 このブログでも大晦日のこの横丁の映像をアップさせた。道路が祝の舞台になり、民家のテラスが人々のたまり場になる。フィリピンの家には、こうした設えが欲しいのであろう。

画像:フィリピン・ブラカン州ブラカン
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