みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Absolute Lordship Of Christ, #7

2015年08月16日 | 聖書研究・信仰
そこで、彼は次のような方法で神を説き伏せようとした。

「私が哲学博士となることに何か害はあるだろうか」

「ただのミスター・ポールよりも、ドクター・ポールの福音宣教のほうが主の御名にとってはるかに大きな栄光をもたらすことにはならないだろうか」

しかし、神は思いを変えなかった。

ミスター・ポールのどんなにしっかりした説得も主の御旨を変えるには至らなかった。

彼がそのことを祈る度に、帰ってくる答えは同じだった。

説得したが失敗に終わったので、次に神と駆け引きしようと思い立った。

神が博士号の取得を許してくれるなら、彼はあちこちへ行くことや、あれこれすることを約束した。

しかし、主は思いを変えなかった。

その間ずっと、ミスター・ポールは御霊の充満を知りたくてどうにもならなくなってきた。

このもめ事が彼の最終試験の2日前まで続いた。




The Absolute Lordship Of Christ, #6

2015年08月15日 | 聖書研究・信仰
主は彼を救い、召し出して教える者とした。

まもなく、大勢の信徒を抱える教会の牧師となった。

その頃には、すでに学位を取得し、博士を得るために勉学に励んでいた。

しかし、素晴らしい学問上の功績と牧師としての適性にもかかわらず、彼は不満を抱いていた。

彼はクリスチャンであったが、信仰者のような生き方ではなかった。

彼の中に神の御霊はいた。

しかし、聖霊の臨在を楽しむこともなく、また御霊の力を経験することもなかった。

自分に問うてみた。

「自分は福音宣教者であり、教会の牧師だ」

「人には神のみことばを愛するように教えている」

「しかし、実は聖書があまり好きではない」

「人には熱心に祈るよう勧めるが、自分はほとんど祈らない」

「人には聖い生活をするように言っているが、自分の生活が聖いとは言えない」

「人には世を愛するなと言っているが、表向きは避けているものの、実はこの世が大好きだ」

ストレスのあまり、彼は主に叫んだ。

内なる御霊の力を教えて下さるように。

数か月の間祈ったが、答えはなかった。

そこで、断食をして、主に嘆願した。

自分の人生の中で何か障害になっているものがあれば示して下さるように。

ほどなく答えが返ってきた。

こうだ。

「私は我が霊の力を知ってほしいと長い間望んできた」

「しかし、あなたの心は私の望んでいないところにある」

「あなたはひとつだけ私に明け渡していないものがある」

「それは、あなたが握りしめている博士号PhDだ」

「我々がお互いに呼び合う時なら、ただのミスター・ポールと呼ぼうが、ドクター・ポールと呼ぼうが、大したことではないかもしれない」

しかし、彼にとっては、その称号はまさに人生そのものだ。

彼はそれを小さいことから夢に見て、そのために青春時代を費やしてきた。

そして、それを今まさに手に入れようとしているのだ。

およそ2ヶ月もあれば、それは彼のものとなる。




The Absolute Lordship Of Christ, #5

2015年08月14日 | 聖書研究・信仰
アメリカにある友がいた。

いまや召されて主とともにいるが、若い頃から「いつかドクター(博士)・ポールと呼ばれたい」という希望を心に抱いていた。

まだうら若き頃から大学に進学したいという夢があった。

始めにMA目指して勉強して、次いでPhDを取得する夢を抱いていた。

そして、ついにドクター・ポールとして挨拶をする日がやっていた。

(注)
JD・・・法学博士
LLM・・法学修士
MBA・・経営学修士
MS/MA・・・修士(理系がMS、文系がMA)
BS/BA 学士(理系がBS、文系がBA)
PhD・・博士(文系)
MD・・・医学博士



The Absolute Lordship Of Christ, #4

2015年08月13日 | 聖書研究・信仰
あなたは主のために生きているか、それとも自分のためか。

あまりに一般的な質問だと思う。

もっと特異的な質問に変えてみたい。

神から頼まれているのに保留にしていることはないだろうか。

あなたと神の間でもめ事はないだろうか。

あらゆる議論が解決し、聖霊が注がれると、聖霊の働きにより、キリスト者の心にキリストの命が十二分に再現されるようになる。



The Absolute Lordship Of Christ, #3

2015年08月12日 | 聖書研究・信仰
啓示は聖への最初の1歩であり、献身がそれに続く。

人生のある日、その日は必ず来る。

我々が改心した日と同様に確かな日。

自己の権利をすべて断念し、イエスキリストの絶対的主権にすべてを委ねる瞬間。

我々の献身の真実性をテストするために、神により実践的な課題が与えられることもある。

そうであってもなくても、予約なしで我々が神にすべてを委ねる日が来る。

今から先、完全に主の意のままになるために我々は主のものになる。

その日から我々は自分がご主人様ではない、ただの給仕。

聖霊が我々の中で効果的に働くので、間もなくイエスキリストの主権が我々の心の中に確立される。

すべての支配権が主に委ねられるまで、神は我々の命を事実上管理することはできない。

我々の命における絶対的権威を主に与えることがなければ、主はおられるが力を発揮することができない。

聖霊の力は止まってしまう。




The Absolute Lordship Of Christ, #2

2015年08月11日 | 聖書研究・信仰
この聖句によって、我々はさらに上の段階へと進んでいくことができる。

我々の体が神の住家であるという事実を見い出したなら、我々自身を神に明け渡すことが次に来るはずである。

我々が神の神殿であるということが分かれば、この体はもはや自分のものではないということが直ちに認識されるであろう。

献身が啓示に続く。

勝利のキリスト者と敗北のキリスト者の違いは、聖霊が宿っているか否かの問題ではない。

聖霊の内住を知っているか否かの違いである。

つまり、命の所有権が神にあることを認識しているキリスト者がいる一方で、いまだに自分がご主人様であるキリスト者がいるということだ。



The Absolute Lordship Of Christ, #1

2015年08月11日 | 聖書研究・信仰
第1コリント6:19
あなたがたは知らないのか
あなたがたの体は神殿である
あなたがたの中に、聖霊の
あなたがたが神から得た
そして、自分自身のものではない


同6:20
あなたがたはある価格で買われた
神の栄光を称えよ
それ故、あなたがたの体の中の



Coffee Break, #16

2015年08月10日 | コーヒーブレイク
We should take a rest on the seventh day, so that God could perform miracles as He wills.



The Treasure In The Vessel, #6

2015年08月10日 | 聖書研究・信仰
聖霊のパワーを経験したことのないキリスト者が多い理由とは何か。

御霊が心の中に宿っているというのに。

それは啓示の欠落による。

啓示がない理由は、御霊の臨在という事実に目が開かれていないからだ。

その事実は確かにそこにあるのだが、それを見たことがない。

勝利の命を生きている者たちがいる一方で、絶えず敗北の状態にある者たちがいるのは何故か。

これは御霊の臨在或いは欠落とかという問題によるのでない。

聖霊はすべての神の子らの心に宿っておられる。

聖霊の内住を認識しているのかどうかによる。

聖霊の内住という事実の啓示は、すべてのキリスト者の人生を一新するであろう。

注)以下のように訂正
revelation;啓示、すなわち神のことばなどによる明示があって、manifestation:霊によるしるし、現れ、現出が続く。つまりrevelation=manifestationではない。順番がある。但し、Neeはrevelation=manifestationと考えている可能性がある。



The Treasure In The Vessel, #5

2015年08月09日 | 聖書研究・信仰
あなたが改心した時何が起きたか理解しているだろうか。

あなたの心の中に神が入り、それを神の神殿としたのだ。

旧約の時代には、神は石でできた神殿に住まわれた。

今日、神は生ける信徒たちから成る神殿に住んでおられる。

神が我々の心を住家としていることを知る時、何と深い敬意の念に包まれることか。

すべての軽薄、軽率は終わる。

そして、我々が神の神殿であり、神の霊が内に宿っていることを知る時、すべての自分満足的歩みも終わる。

あなたが行く所どこでも、神の御霊があなたとともに運ばれていることを了解しているか。

自分の聖書を運んでいるのではない。

神に関する良い教えを運んでいるのでもない。

神ご自身を運んでいるのだ。