ここで、ローマ書の研究に戻る必要がある。
我々は6章の終わりで話をいったん終えた。
2つの関連する主題、すなわち神の永遠の目的-神との歩みのモチーフとゴール、そして聖霊-そのゴールへと我々を導いてくれる力と源、に関して検討した。
次に、多くのキリスト者が不要ではないのかと感じているローマ書7章へと移って行きたい。
旧創造はキリストの十字架によって排除され、新創造が主の復活によってもたらされたということを知っているというのなら、実際そうなのかもしれない。
もし我々がその事実を本当に「知って」おり、そして「十二分に熟知」しており、それに基づいて「自身を献げて」いるというのであれば、恐らくローマ書7章は必要がないと思われる。
我々は6章の終わりで話をいったん終えた。
2つの関連する主題、すなわち神の永遠の目的-神との歩みのモチーフとゴール、そして聖霊-そのゴールへと我々を導いてくれる力と源、に関して検討した。
次に、多くのキリスト者が不要ではないのかと感じているローマ書7章へと移って行きたい。
旧創造はキリストの十字架によって排除され、新創造が主の復活によってもたらされたということを知っているというのなら、実際そうなのかもしれない。
もし我々がその事実を本当に「知って」おり、そして「十二分に熟知」しており、それに基づいて「自身を献げて」いるというのであれば、恐らくローマ書7章は必要がないと思われる。