みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Coffee break,# 17

2015年08月19日 | コーヒーブレイク

https://www.youtube.com/watch?v=uFsUehJSosE

 

 


The Absolute Lordship Of Christ, #10

2015年08月19日 | 聖書研究・信仰
神は、すべての議論の鎮静を待っている。

ミスター・ポールに関しては、学位が問題であった。

我々に関しては、やや話が異なるかもしれない。

主への絶対的明け渡しが、一定の基準として定まっているのが通例だ。

そして、神の出番はそのある基準を超えた後に来る。

神にはそうする必然がある。

何故なら、神は我々のすべてを掌握する必要があるからだ。

ある偉大な国民的指導者が、彼の自叙伝に書いた一言に大変感銘を受けたことがある。

「私は自分のために欲しいものはない」

「私は祖国のためなら何でも手に入れたい」

ある男が祖国のためにすべてを手に入れて自分には何も必要ないというのなら、我々が神に対して次のように言うことはできないだろうか。

「主よ、私は自分のために何も欲しくはありません」

「私は主のためなら何でも手に入れたい」

「私は主が望むものが欲しい」

「私は主が望む以外のものは何も欲しくはありません」

私が召使となって初めて、神は主としての地位を獲得できる。

主はご自分の主義主張のために、我々をかしずかせるよう召し出すのではない。

主はご自分の御旨のために、我々を明け渡すよう要請しているのだ。

あなたは、主が望んでいることを快く請け負うだろうか。