みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Absolute Lordship Of Christ, #6

2015年08月15日 | 聖書研究・信仰
主は彼を救い、召し出して教える者とした。

まもなく、大勢の信徒を抱える教会の牧師となった。

その頃には、すでに学位を取得し、博士を得るために勉学に励んでいた。

しかし、素晴らしい学問上の功績と牧師としての適性にもかかわらず、彼は不満を抱いていた。

彼はクリスチャンであったが、信仰者のような生き方ではなかった。

彼の中に神の御霊はいた。

しかし、聖霊の臨在を楽しむこともなく、また御霊の力を経験することもなかった。

自分に問うてみた。

「自分は福音宣教者であり、教会の牧師だ」

「人には神のみことばを愛するように教えている」

「しかし、実は聖書があまり好きではない」

「人には熱心に祈るよう勧めるが、自分はほとんど祈らない」

「人には聖い生活をするように言っているが、自分の生活が聖いとは言えない」

「人には世を愛するなと言っているが、表向きは避けているものの、実はこの世が大好きだ」

ストレスのあまり、彼は主に叫んだ。

内なる御霊の力を教えて下さるように。

数か月の間祈ったが、答えはなかった。

そこで、断食をして、主に嘆願した。

自分の人生の中で何か障害になっているものがあれば示して下さるように。

ほどなく答えが返ってきた。

こうだ。

「私は我が霊の力を知ってほしいと長い間望んできた」

「しかし、あなたの心は私の望んでいないところにある」

「あなたはひとつだけ私に明け渡していないものがある」

「それは、あなたが握りしめている博士号PhDだ」

「我々がお互いに呼び合う時なら、ただのミスター・ポールと呼ぼうが、ドクター・ポールと呼ぼうが、大したことではないかもしれない」

しかし、彼にとっては、その称号はまさに人生そのものだ。

彼はそれを小さいことから夢に見て、そのために青春時代を費やしてきた。

そして、それを今まさに手に入れようとしているのだ。

およそ2ヶ月もあれば、それは彼のものとなる。



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