みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Flesh And Man’s Breakdown, #3

2015年08月28日 | 聖書研究・信仰
しかし、彼は次のように考え始める。

私はキリストとともに死に、彼とともに復活した。

そして、主に自分を永遠に明け渡した。

主は私のために多くのことをなさったのだから、今こそ恩返しすべき時だ。

主を喜ばせたい。

主の御心を行ないたい。

献身して後、このクリスチャンは神の御心を見い出そうと努力する。

そして、主に従い始める。

ここで、奇妙なことに気が付く。

自分は神の御心を行なうことができると思っていたし、それが大好きだと考えていた。

しかし、最近必ずしもそうではないと思っている。

気が乗らないことがある。

そうしようと思うが、できないと思う。

そんな経験を何かおかしいと思い始める。

自問する。

本当に知っているのか?

もちろん!

本当に吟味したのか?

もちろん!

本当に明け渡したのか?

もちろん!

献身を止めるか?

否!

一体何がどうなってしまったのか?

神の御心を行なおうとすればするほど、ますますできない。

最後に、自分は神の御心をやりたくないのではないかという結論に達する。

そこで、御心を行なうための願いとパワーを得るために祈る。

自分の不従順を告白し、2度と逆らわないことを約束する。

がっくりと落ちた膝をしっかり立てようとするが、また再び崩れ落ちる。

勝利の直前で、敗北を意識してしまう。

そこで、自答する。

「たぶん自分が下した最後の決断が十分明確ではなかったのかもしれない」

「よし今度は、絶対に明確にしよう」

そこで、彼はその状況に耐えるだけの意志の力を懸命に絞リ出そうとする。

結局、さらなる敗北があり、もう一度再起すべき機会が待っているだけなのだが。

そして、パウロのことばを繰り返すことになる。

ローマ7:18
私は知っている
私の中には宿っていない
私の肉の中にはない
善は
欲する思いが
私に存在する
良いことを遂行するということ


同7:19
私は善いことをしたい
これをしない
しかし
私は悪いことをしたくないということ
それを私はくり返している