早くも咲きはじめた散歩道の蠟梅
2024年が幕開けし「正月三が日」も過ぎ今日は1月4日。多くの企業などが「仕事始」の日である。新しい年を迎えるにあたり「今年こそは平和で平穏な一年」である願った。しかし残念ながら新年早々その願いを打ち砕くがごとく三つの事態が発生した。
一つには1月1日午後4時10分、石川県能登地方を震源とする最大震度7という強い地震(能登半島地震)の発生である。その被害は甚大である。数多くの家屋が倒壊、土砂崩れで押しつぶされ、津波で押し流された。地滑りや地割れで道路は寸断され、電気や水道なども機能不全。そんななか発生した火災も、消火栓も使えず消化活動に困難をきわめた。輪島市で発生した火災はたちまち200棟以上の建物を失った。観光名所「輪島朝市」のある街並みが「まるで戦場のように」焼け焦げてしまったという。死者が石川県で1月4日時点82名とされているが、倒壊した建物に数多くの人々が残されていたり、孤立し連絡の取れない地域がいくつも存在しているなど、4日目にして未だ被害の全容は明らかにされていない。正月早々に住む家を失い、生活基盤を失い、家族も失うなどで苦しみ悲しんでいる被災者のことをおもうと心が痛む。政府は各級機関を総動員し、まずは人命救助と被災者支援(衣・食・住の確保)に全力を尽くすとともに、この際「辺野古」や「万博」とかにムダ金を注ぎ込むことを直ちに止め、そのお金を「復旧・復興」と「被災者支援」に充てるよう求める。
二つには、この地震から一日経過した1月2日の午後5時50分頃、羽田空港で「能登半島地震」の救援のため新潟空港に向かおうとしていた海上保安庁の飛行機と、日本航空機(JAL)が衝突し両機が炎上するという「前代未聞」の事故が発生したことである。幸いにもJAL乗客乗員379名は全員脱出できたとのことだが、海上保安庁機の搭乗員6名中5名が亡くなるという痛ましい事態を招いた。「正月休み返上」で被災地派遣を急遽命じられ、その任にあたっていただけに、命を失った搭乗員たちとその家族にとって、非常に無念且つ悲しい出来事である。この事故の「直接原因」のみに目を奪われてはならない。ましてや「業務上過失」と称した「犯人捜し」への矮小化は断じて許されない。「過密ダイヤ」に起因してはいないか、「管制官」に過密労働が強いられていなかったか、管制システムに問題はなかったか、両機の操縦士に過密労働が強いられていなかったか、「ヒューマンエラー」を引き起こす要因は存在しなかったか、等々、事故を引き起こした背景・要因を徹底究明したうえで、同様事故の「再発防止策」を講じられたい。
三つには、昨1月3日の午後3時10分頃発生した小倉駅前の大火災である。商店街と飲食店街で35店舗2900平方メートルが焼けた。この火災は、鎮火まで17時間という長時間を要したとも報じている。生活の糧を失った多くの被災者への手厚い支援策が求められる。このように、正月早々から非常に痛ましい不幸な出来事が連続して発生するなど、過去にもあっただろ うか???。
年末に帰省した長男一家や隣に住む義姉の子や孫たちも昨1月3日には、それぞれの地へ戻っていき我が家そして隣も閑散と化した。そして本日1月4日、同居の家族も隣の家族もみんな寂しそうな顔している。そんななか2024年初の「デジカメ散歩」に出かけた。久々に「川岸コース」ひたすら歩き、早くも咲いていた蝋梅をはじめナズナ、マンリョウ、アメリカセンダングサの実、ビワの花、サザンカなどをカメラに収めて帰った。
ナズナ(別名ペンペン草/アブラナ科)
アメリカセンダングサ(北アメリカ原産の帰化植物)の実
マンリョウ(ヤブコウジ科/常緑小低木)
あちこちで見かけた癒してくまれるサザンカ
賀正マークをつけて走る「DL津和野稲成号」(JR山口線/2024/01/01)
SLやまぐち号は、C57号機およびD51号機が不具合により、ディーゼル機関車が牽引する「DLやまぐち号」としして運転されている。そのDLやまぐち号が、昨年末の12月24日・25日に「DLクリスマス号」として運行されたのに続いて、2024年の1月1日~3日、「DL津和野稲成号」として運行された。上記画像は、元旦に我が家近くのJR山口線を走る「賀正マーク」をつけた「DL津和野稲成号」の姿である。牽引しているディーゼル機関車は、1962年から鉄道車両の無煙化・動力近代化(蒸気機関車の置換)のた国鉄が製造した「DD51形機関車」である。同型機関車はJR西日本で8両しか存在しておらず、今や全国的にも「希少な機関車」とのこと。