書道家Syuunの忘れ物

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前橋まつり その3 マーチングバンド2

2008-10-14 18:54:27 | 風景写真館
マーチングバンドがいつからパレードをしているのか知らないが、昔は鼓笛隊だった。
その鼓笛隊というものが前橋市内の小学校で一斉に作られたのが、多分昭和37年頃だったかもしれない。
だから、その翌年昭和38年(1963)頃が最初だろう。

小生に頃は鼓笛隊だから、太鼓の連中はがんばっていたが、その他大勢の笛の方は「やる気なし」で吹いた真似という連中が多くいた。
だから、小生の小学校は格別演奏が下手だった。



パレードのうちの中央小学校を忘れていた。
中央小学校というのは、前橋駅から5分の一等地にある小規模小学校。
元々桃井小学校から分離したいきさつのある学校で、沿革を見たら創立が昭和32年だった。
(設立当初・児童数1579名 教職員46名 31学級(含 栄養士))



元々桃井小学校の通学区域を同一にするようなところだから、学校間も校舎の屋上からなら見えるほど近い。
戦後のベビーブーマーが入学して、桃井小学校がパンク状態になって、前橋市立第一中学校移転した後に仮校舎として作られたとあった。
近年、桃井小学校は、終戦時の総理大臣として有名な鈴木貫太郎の母校でもあるが、今や1学年50人足らず。
学校選択制も来年度廃止されるものの、中央小も同程度の人数で、近々桃井小に統合される。
何か、最近では危機感を持って教育に力を入れていると言う噂なのだが。



保護者(昔の言い方で・父兄)は、街の周り中を走り回ると言うのがこのパレードの特徴。
もちろん子供の写真、ビデオを撮るためである。



この清里小学校も新市街地にあるもので、沿革から言うと明治7年青梨子村正法寺内に学校を開設とある。
しかし、この手の小学校というのは、今で言う私塾に近く、実際は「明治25年、清里尋常小学校となる。」というのが本当のところだ。



ここも新市街地の小学校。
駒形小学校と言えば、ほとんど伊勢崎と思えるようなところで、昔は「駒形」として栄えたところだろう。
沿革は、明治6年駒形新田に小学校を創設し、豊受小と称する。‥‥とあって、明治26年に駒形尋常小学校と改称する。‥‥とある。




この山王小学校は、新興住宅地の拡大に伴って出来たところ、だから創設は昭和54年。
それでも、20年度新入生が90人と言うことだから、一世代が終わったというところだろう。




下川渕小学校。
HPには、創設明治8年とある。
しかし、昔は前橋市ではなかったところの利根川の渕。
だから下川渕。
ただ、高度成長期の終わり頃も大団地が建設されて、拡充されたのがこの小学校というものだ。



芳賀(はが)小‥‥これは赤城山の南面にある学校でその上に芳賀団地という団地が作られた。
沿革を見たら、昭和3年に上空から取られた全景写真があった。
昔の郡部の小学校というのは、大方歴史は古いことが多い。


桂萱東小学校。
桂萱を「かいがや」とは中々読めなかった。
実は、桂萱小学校と言うのがあって、今では移転した前橋高校に近くなってしまったが、それより東。
合併してしまった大胡に近いところの学校が桂萱東小学校。
昔は、知らなかったと言うのか、なかったかもしれない。HPを見たら沿革などなかった。
一方、桂萱小学校と言うのは歴史が古く、「明治7年上泉町玉泉寺を仮校舎として開校、上泉学校と称する。」
とあった。



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