雑誌「諸君!」の意図的・休刊疑惑はありや
今日のニュースには、「文芸春秋のオピニオン誌の月刊「諸君!」が、5月1日発売の6月号で休刊することが3日、分かった。」(産経新聞)
「諸君!」と言うのは、実は最近書店で売っていないことが多い。
あっても1冊か2冊程度。
この現象は、ここ2-3年のことなのである。
この手の保守派の雑誌というのは、最近では公立図書館にも置いてあるようになって大分普及してきたように思う。
しかし、本屋に売っていないのであれば販売部数が増えるはずがないと言うものだろう。
ここで穿った見方をすれば、発行部数を徐々に減らして意図的に廃刊したのではないかという疑惑だ。
なぜなら、本家「文藝春秋」は元々保守派の雑誌と言う事になっていたが、左派系の雑誌が廃刊になったために今では、保守派の最左派、左派論壇と呼ばれるようになってきた。
この様な疑似保守派、左派系論壇の特徴というものは、物事を大上段に取り上げるものの最後は尻つぼみで結論を言わないというところにある。
だから、「それでなんだ」と問い詰めたいところなのだが、結局曖昧にして逃げしてしまう。
残るのは、大上段に構えた中身の伴わない「見出し」だけである。これではゴシップ週刊誌と同じではないかと言うものだが、「文藝春秋」も似たようなところがある。
それに比べ「諸君!」は、はっきり物を言う雑誌というか、はっきり物事を言う論者の文章が掲載されている。
そうは言うものの保守派と今では似非保守派と変貌した論者のまだらな論壇である。
「諸君!」でも以前は「保守派」として通用した人達が、時代の変化、又隠されていた真実が明らかになるにつれ「左派人士」に数えられるようになっている。
以前は、秦 郁彦氏なども「諸君!」に保守派論客として登場して喝采を博したものだが、よくよく読み返してみると本当は妙だったりする。
そのためか、その人達の追求が昨今「諸君!」(例、「田母神俊雄=真贋論争」を決着する / 秦 郁彦 西尾幹二)紙面でもなされている。
そして、保守派論壇誌でありながら「保阪正康 ナショナリズムの昭和(41)」という昭和史の虚構を掲載し続けているというのは実に妙であった。
保阪正康氏の「ナショナリズムの昭和」が虚構であるというのは、マッカーサーによる検閲によって言論統制されていた新聞、雑誌を端にして論考をしているからである。
そしてその検閲に協力するか、GHQの検閲を恐れて事実をねじ曲げた世情、政治をそのまま昭和の「本当の歴史」として綴っている憤懣さに尽きる。
これは、西尾氏が批判している秦 郁彦氏などと同じトラウマに毒された人物で、同じ様に新たに明らかになった歴史的な事実を無視する。
それで、日本に不都合と思われるところは、不確実なものまで積極的に取り入れる姿勢である。これは、正に東京裁判史観というものなのだろう。
こんな風に穿った見方をするとすれば、今では論壇「左派」になってしまった「文藝春秋」の政治認識に対して、「諸君!」は右に寄りすぎていると思ったのではないかと言う事だ。
実際、「諸君!」を出している文藝春秋社というのは、妙な会社だと思ったもので、休刊、廃刊となれば、やはり「諸君!」論調には耐えられなかったかと思うものである。