書道家Syuunの忘れ物

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綾瀬はるか・主演映画「僕の彼女はサイボーグ」

2008-12-31 23:43:49 | 映画鑑賞関係
綾瀬はるか主演映画「僕の彼女はサイボーグ」

この年末、綾瀬はるか主演映画の「僕の彼女はサイボーグ」のDVDを見た。
この映画に興味を持ったののは、紀伊國屋書店のDVDコーナーでデモを見ていたからなのだが、どうも初めのシーンしかなかったようだ。
ストーリーは韓国映画のリメイク版という事で、あまり期待せず事実見てみてると粗雑というか、日本人的な叙情が少ない直接的な部分が多いTV映画のようだ。
DVDの初めにやはり「綾瀬はるか」主演の「ICHI」という女座頭市(瞽女)の予告シーンがあった。
最近の座頭市の映画としては北野武監督の「座頭市」(2003年ヴェネチア国際映画祭・監督賞他多数)がまだ記憶に新しく、何やら設定が妙ながする。
「綾瀬はるか」主演の「ICHI」は「瞽女(ごぜ)を扱った物語」という事なのだが、映画公開中という事で見ていない。
さて、「僕の彼女はサイボーグ」では、綾瀬はるかの胸が高いモデル体型がサイボーグというか人造人間体型に合って中々であった。
映画は、綾瀬はるかのための映画のようで、多くの映画評の通り綾瀬はるかが驚くほど綺麗に見えたという事は、間違いない。
しかし、以前フジテレビ系の「はねるのとびら」の「ほぼ100円ショップ」(5月28日放送)に、ゲストとして(映画『僕の彼女はサイボーグ』)キャンペーンを兼ねて綾瀬はるか・小出恵介した。
CFでは度々見ていたが、こういうTV出演だと妙な映像トリックを使わないので結構素顔やらその体型が分かる。
そこでの印象は、映画ではその大柄なモデル体型というのはあまり分からないが、実物を見たら違った印象なのだなと思うことしきりだった。
何故なら、身長は165cmと公表しているがヒールを履けば170cmを越える。
驚くほど顔が小さくて、座高が低いから座れば小柄に見えるが立ったらビックリという感じ。
実社会にいたら、どうかなと言う気がする。
その昔、TVCMなどに出ていたモデルさんや女優さんを近くで見た事があった。
実際見ると、TV映像とのギャップに驚かせるものがあり、あまり垢抜けなくてパットしない女優さんなどが実際は驚くほど綺麗だったりする。

映画は、最後に多少どんでん返しがあるのだが、唐突に綾瀬はるかの二役の別の女性が出現してしまうのには誰もが違和感があるようだ。
「時にかける少女」のTV版でも、過去の次元に知り合った、又深い関係にあった人物が10年20年後に、別人として現れるというラストシーンがある。
その続編を思わせるシーンだが、日本映画だとこういう風に終わる。
少なくとも、この韓国映画風の直接的な表現では物語は終わらない。
恋愛映画だけでなく、こういう映画というものは今後どうなるのだ、と思わせるシーンで終わるというのがハリウッド映画を含めて一般的なのではないか。
そんなところが無かったのがこの映画を駄作、B級映画にしてしまった気がする。
映画というのは、ある意味ラストシーンで決まるということもある。
あの『シェーン』(Shane)アラン・ラッド主演「1953年、パラマウント映画製作」のラストシーンは、「シェーン! カムバック~」
永遠に残るラストシーンではないか。

再度言うようだが、この映画では普通誰も着ないような、そして着ても似合わないような綺麗な衣装を着て、魅力的で可愛い綾瀬はるかが出演する映画であるという事だ。

イスラエル軍のガザ空爆報道について妙な感じを思う

2008-12-31 18:26:07 | 新聞社説・正論・主張を読み解く
イスラエル軍のガザ空爆報道について妙な感じを思う

ガザ空爆に関して、29日に新聞各社社説で
朝日新聞「ガザ空爆―まずイスラエルが自制を」、
毎日新聞「ガザ空爆 国際的仲介で流血の拡大防げ」、
読売新聞「ガザ空爆 報復のスパイラルに陥るのか(12/30)」、
産経新聞「ガザ空爆 事態の拡大をまず止めよ」
と掲げているが、内容的には微妙な違いでしかない。
但し、その微妙な違いにいろいろ面白い事が気づくというものである。
まず毎日新聞は、「オバマ次期政権の発足を待つしかないのか、と苦い思いが込み上げてくる。」と無い物ねだりをし、「米国の仲介が難しいというなら、国連を中心とした実効ある枠組みに転換すべきだ。」と無意味な国連中心主義を貫く。
そこにイスラエルの生存をかけた戦いというものに言及していないことから見て、「戦争」というものの本質を理解していない事が良く分かる。
その無理解は、朝日新聞も同じで「国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長や欧州連合(EU)は「即時停戦」を求めた。国連緊急安保理も招集された。国際社会は何よりもイスラエルに対して軍事行動の自制を強く迫る必要がある。」
‥‥と国連の説得に期待するというところなのだが、国連というものがほとんど役に立たないというのは、イスラエル自体がよくよく理解しているところである。
朝日社説では「ハマスはイスラエル南部の都市に向けて手製のロケット弾を撃ち込んだ。」
と書きながら、「ハマスのロケット攻撃は非難されるべきだ。威力や命中精度が低いとはいえ、いつ飛来するかも知れないロケット弾へのイスラエル市民の恐怖は理解できる。」
と如何にもハマスを単なる武装組織であるような言い回しである。
しかし、既に数百発もロケット弾を発射し、日に30発という事もある。そのロケット弾はイスラエル南部30km地点にも着弾している事から「手製」などといういい加減なものではないことが分かる。
朝日新聞というのは、ベトナム解放戦線を単なるゲリラと表現していたが(他紙も同)、実は北ベトナム製正規軍だった言うことを報道していなかったり、軍事に関して甘すぎる感じがある。

産経新聞は
「来年1月1日から再び国連安保理の非常任理事国になる日本の役割も小さくない。日本は政治的働きかけでは限界があるものの、双方の信頼醸成を目的としたプロジェクトや、過去15年間で約10億ドルに上るパレスチナ民生支援など中東和平への環境づくりで特異な貢献をしてきた。これらを土台にさらに地道な努力を続けたい。」
‥‥とノーテンキな日本の対応に幾分期待する感じがあるが、日本の対応というものは感謝こそすれ、根本的な解決にはならない。
パレスチナ民生支援とはいえ、国の消滅が懸かっている戦いに於いてはその存続に対する対応でないと無理というものだ。
だから何時も日本の「金」と言うものは国際社会では政治的な意味を持たず、感謝もされず、無駄金に終わる事が大きい。
もっと酷いのは当然朝日新聞の最後の一文で
「米国はこれまで安保理などで常にイスラエル擁護の姿勢をとってきた。しかし、中東で流血が続くことはイスラエル自身がいつまでも苦しみ続けることでもある。真の友人を自任するなら全力で説得にかかってほしい。」
‥‥と「話せば分かる」という朝日論を展開している。

イスラエルは、やられた事に対して「三倍にして」お返しするという体制で、今後絶対に手出しはしないというまでは絶対に戦いは止めない。
そして、それはイスラエルの存続する道であるというのは、イスラエル自体が良く分かっている事である。
日本と当時の国民党との戦争で、盧溝橋事件、通州事件、上海事変と続く支那事変で日本は、戦争を回避しようとして戦況を見誤った。
回避するのにも、戦争を拡大するにしても常に難しい対応を迫られるというのが現実である。
今の日本にのように、単に話をすれば分かる、戦争反対、平和を唱えるだけでは戦争が無くならないと言うのは、現実問題として存在するという事を再度認識する必要があるのだろう。