綾瀬はるか・主演映画「僕の彼女はサイボーグ」
この年末、綾瀬はるか主演映画の「僕の彼女はサイボーグ」のDVDを見た。
この映画に興味を持ったののは、紀伊國屋書店のDVDコーナーでデモを見ていたからなのだが、どうも初めのシーンしかなかったようだ。
ストーリーは韓国映画のリメイク版という事で、あまり期待せず事実見てみてると粗雑というか、日本人的な叙情が少ない直接的な部分が多いTV映画のようだ。
DVDの初めにやはり「綾瀬はるか」主演の「ICHI」という女座頭市(瞽女)の予告シーンがあった。
最近の座頭市の映画としては北野武監督の「座頭市」(2003年ヴェネチア国際映画祭・監督賞他多数)がまだ記憶に新しく、何やら設定が妙ながする。
「綾瀬はるか」主演の「ICHI」は「瞽女(ごぜ)を扱った物語」という事なのだが、映画公開中という事で見ていない。
さて、「僕の彼女はサイボーグ」では、綾瀬はるかの胸が高いモデル体型がサイボーグというか人造人間体型に合って中々であった。
映画は、綾瀬はるかのための映画のようで、多くの映画評の通り綾瀬はるかが驚くほど綺麗に見えたという事は、間違いない。
しかし、以前フジテレビ系の「はねるのとびら」の「ほぼ100円ショップ」(5月28日放送)に、ゲストとして(映画『僕の彼女はサイボーグ』)キャンペーンを兼ねて綾瀬はるか・小出恵介した。
CFでは度々見ていたが、こういうTV出演だと妙な映像トリックを使わないので結構素顔やらその体型が分かる。
そこでの印象は、映画ではその大柄なモデル体型というのはあまり分からないが、実物を見たら違った印象なのだなと思うことしきりだった。
何故なら、身長は165cmと公表しているがヒールを履けば170cmを越える。
驚くほど顔が小さくて、座高が低いから座れば小柄に見えるが立ったらビックリという感じ。
実社会にいたら、どうかなと言う気がする。
その昔、TVCMなどに出ていたモデルさんや女優さんを近くで見た事があった。
実際見ると、TV映像とのギャップに驚かせるものがあり、あまり垢抜けなくてパットしない女優さんなどが実際は驚くほど綺麗だったりする。
映画は、最後に多少どんでん返しがあるのだが、唐突に綾瀬はるかの二役の別の女性が出現してしまうのには誰もが違和感があるようだ。
「時にかける少女」のTV版でも、過去の次元に知り合った、又深い関係にあった人物が10年20年後に、別人として現れるというラストシーンがある。
その続編を思わせるシーンだが、日本映画だとこういう風に終わる。
少なくとも、この韓国映画風の直接的な表現では物語は終わらない。
恋愛映画だけでなく、こういう映画というものは今後どうなるのだ、と思わせるシーンで終わるというのがハリウッド映画を含めて一般的なのではないか。
そんなところが無かったのがこの映画を駄作、B級映画にしてしまった気がする。
映画というのは、ある意味ラストシーンで決まるということもある。
あの『シェーン』(Shane)アラン・ラッド主演「1953年、パラマウント映画製作」のラストシーンは、「シェーン! カムバック~」
永遠に残るラストシーンではないか。
再度言うようだが、この映画では普通誰も着ないような、そして着ても似合わないような綺麗な衣装を着て、魅力的で可愛い綾瀬はるかが出演する映画であるという事だ。
この年末、綾瀬はるか主演映画の「僕の彼女はサイボーグ」のDVDを見た。
この映画に興味を持ったののは、紀伊國屋書店のDVDコーナーでデモを見ていたからなのだが、どうも初めのシーンしかなかったようだ。
ストーリーは韓国映画のリメイク版という事で、あまり期待せず事実見てみてると粗雑というか、日本人的な叙情が少ない直接的な部分が多いTV映画のようだ。
DVDの初めにやはり「綾瀬はるか」主演の「ICHI」という女座頭市(瞽女)の予告シーンがあった。
最近の座頭市の映画としては北野武監督の「座頭市」(2003年ヴェネチア国際映画祭・監督賞他多数)がまだ記憶に新しく、何やら設定が妙ながする。
「綾瀬はるか」主演の「ICHI」は「瞽女(ごぜ)を扱った物語」という事なのだが、映画公開中という事で見ていない。
さて、「僕の彼女はサイボーグ」では、綾瀬はるかの胸が高いモデル体型がサイボーグというか人造人間体型に合って中々であった。
映画は、綾瀬はるかのための映画のようで、多くの映画評の通り綾瀬はるかが驚くほど綺麗に見えたという事は、間違いない。
しかし、以前フジテレビ系の「はねるのとびら」の「ほぼ100円ショップ」(5月28日放送)に、ゲストとして(映画『僕の彼女はサイボーグ』)キャンペーンを兼ねて綾瀬はるか・小出恵介した。
CFでは度々見ていたが、こういうTV出演だと妙な映像トリックを使わないので結構素顔やらその体型が分かる。
そこでの印象は、映画ではその大柄なモデル体型というのはあまり分からないが、実物を見たら違った印象なのだなと思うことしきりだった。
何故なら、身長は165cmと公表しているがヒールを履けば170cmを越える。
驚くほど顔が小さくて、座高が低いから座れば小柄に見えるが立ったらビックリという感じ。
実社会にいたら、どうかなと言う気がする。
その昔、TVCMなどに出ていたモデルさんや女優さんを近くで見た事があった。
実際見ると、TV映像とのギャップに驚かせるものがあり、あまり垢抜けなくてパットしない女優さんなどが実際は驚くほど綺麗だったりする。
映画は、最後に多少どんでん返しがあるのだが、唐突に綾瀬はるかの二役の別の女性が出現してしまうのには誰もが違和感があるようだ。
「時にかける少女」のTV版でも、過去の次元に知り合った、又深い関係にあった人物が10年20年後に、別人として現れるというラストシーンがある。
その続編を思わせるシーンだが、日本映画だとこういう風に終わる。
少なくとも、この韓国映画風の直接的な表現では物語は終わらない。
恋愛映画だけでなく、こういう映画というものは今後どうなるのだ、と思わせるシーンで終わるというのがハリウッド映画を含めて一般的なのではないか。
そんなところが無かったのがこの映画を駄作、B級映画にしてしまった気がする。
映画というのは、ある意味ラストシーンで決まるということもある。
あの『シェーン』(Shane)アラン・ラッド主演「1953年、パラマウント映画製作」のラストシーンは、「シェーン! カムバック~」
永遠に残るラストシーンではないか。
再度言うようだが、この映画では普通誰も着ないような、そして着ても似合わないような綺麗な衣装を着て、魅力的で可愛い綾瀬はるかが出演する映画であるという事だ。