福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

自分の弱さをいとおしむ

2007-04-25 05:16:24 | 悩み

朝一番の新千歳空港発の飛行機には、道新(北海道新聞のこと)の朝刊をのせています。ある日、羽田に向かう飛行機の中で、道新朝刊のページをめくっていると、あるコラム、と言うよりは、そのコラムの執筆者名に眼が止まりました。

その名前は、庄井良信(北海道教育大学・助教授)。庄井良信? もしかして彼では?

その日、仕事を終え、帰宅後、インターネットでその名を調べてみました。やはり、そうでした。同級生だったのです。

私が入学した頃の新潟大学教育学部は、新潟、長岡、そして高田(現在の上越)に分れていました。高田、あるいは長岡の分校で2年間を過ごした後、多くの学生は3年次から新潟本校(当時は、新潟市の旭町にあった)へ移って勉強することになっていました。

長岡分校の前身は、女子師範学校。中越地区の山間部の子弟が多く通う長岡分校にあって、庄井君は新潟市(新潟県では最大の都会)からで、とても上品な方。彼も私も小学校教員養成課程の学生で、児童文化研究会に属していました。このサークルの主な活動は、人形劇や民話劇を山間部の小学校をまわって、行脚公演すること。中越地区は、2004年の中越地震でも良く知られるようになりましたが、山間部の僻地が多いのです。越後交通バスを何回か乗り継いで、何時間もかけてやっと辿り着く小学校の分校が多い地区でもあります。

1年生の時の夏休み行脚では、人形劇「PQおじさんの大冒険」と民話劇「夕鶴」を公演することになりました。庄井君は民話劇の裏方、私は人形劇のPQおじさん役(一応主役か?)。公演は、夕方、分校の体育館で行われ、小学生たちも親御さんも、とても楽しんでくれました。公演後、分校を立ち去ろうとする私たちを、子供たちは離してくれないことも良くありました。芸能人じゃないのに、サインを求められたり。その後、何年にも渡ってファンレターが届いたり。

ある分校での公演後でのこと。その日の公演の出来をみんなで反省した後、庄井君が暗くなった舞台にスポットライトをあて始めたのです。何事が始まるのかと思ったところ、彼が舞台に上がり、夕鶴の「つう」を演じ始めたのです。裏返った声で「つう」役を真剣に演じる庄井君を前にして、みんな大笑いです。華奢で弱々しい「つう」のイメージを大きく覆す、ダサイ「つう」の姿だったんです(庄井君、ゴメン!)。

そんな強烈な印象を私に植え付けた庄井君。彼は、当時から教育学に情熱を燃やした超優秀な学生でした。一方、私は、ガリガリに痩せた、冴えない学生。ただ、私も教育学の勉強を専門的にしたいと思っていたのですが、山間部の現場の教員になったときのことを考えて、理科を専門にすることにしました。身近な自然を通して、子供たちと接したいと考えたからです。

その後、専門コースが分かれたこともあって、新潟本校へ移ってからは彼との交流が途絶えました。

あれから四半世紀以上も経て、偶然目にとまった地元の新聞記事で庄井君が札幌にいることを知るとは、思ってもみませんでした。

庄井君は、現在、北海道教育大札幌校で臨床教育学を教えているのだそうです。彼の著書『自分の弱さをいとおしむ?臨床教育学へのいざない』 (高文研、ISBN-13: 978-4874983263)は、大学で働く教員にも、科学技術コミュニケーターを目指す人たちにも、子育てで悩んでいる親御さんにも、ちょっと人生に疲れた方達にも、お勧めの一冊です。

この本の中で、庄井君は、こんなことを言っています。

 私は、いま北海道教育大学の大学院に勤めています。この大学院(学校臨床心理専攻)には、子どもの心を深く理解できる教師やカウンセラーになりたいという青年たちがいます。また、幼稚園、小学校、中学校、高等学校など、厳しい現場で働きながら、教職の専門性を高めたいという教師たちがいます。さらには、親として、地域の子ども支援施設の指導員として、切実な問いをあたためながら研究を深めたいという人びともいます。
 講義・演習や教育相談の多くは、夜六時から十時過ぎの時間です。おだやかに「おつかれさま、今日もたいへんだったでしょう」と声をかけ合うのがあいさつです。講義の後は、研究室であつい紅茶をいただきます。吹雪の夜景をみつめながら厳しい教育現場に生きる人びとの声をしみじみと聴きとります。そしてそれを第一線の学術研究と結びつけながら、他にかけがえのない修士論文のテーマをつむぎあいます。
 矛盾の多い現代社会に傷つきながらもなお生きているいまの子どもや親や教師たち。その深い体験から生まれる一回性の声を聴きとること、その当事者のつらさやせつなさに心を寄せながら、冷静に、沈着に、おだやかにそれを理解し、それにもとづく援助のありかたを構想しあうこと。それが私の仕事だと思う毎日です。
   (庄井良信著『自分の弱さをいとおしむ』より)

やさしく、情熱家の庄井君は、今も変わっていないし、その風貌もしかり。

そんな庄井君に、今度、私の悩みを聞いてもらおうかと、思っているところです。もちろん、「憩いのお店」の和菓子を持って。いや、紅茶に合う洋菓子が良いのでは?


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