日本のマンガ・アニメの発信力の理由を5つの視点に注目して、これまでにアップした記事を集約、整理している。5視点は次を参照のこと。→アニメとアニミズム:世界に広がるマンガ・アニメ02
今回も引き続き、次に示す5番目の視点を取り上げる。
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤とし、その価値観を反映する。
ただし、今回取り上げる例は、⑤以外の視点から見ても面白く、とくに初音ミクの現象は5つの視点のすべてが当てはまる好例だと思う。
◆マンガ・アニメの発信力:セーラームーン(1)
アメリカの女性人類学者による、「クール・ジャパン現象」をめぐる本格的で緻密な研究書である『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』の第5章で「セーラームーン」を取り上げている。
アメリカのセーラームーンのファンは、この国に溢れているありきたりの男性スーパーヒーローとのちがいに惹かれた。女性アクションヒーローの登場や、誰か一人を特別扱いしたり悪者にしたりするのではなく、さまざまな要素を絡めて描く複雑なストーリーが絶賛された。
アメリカのファンたちが繰り返し称賛したのは、「セーラームーンには、戦闘とロマンス、友情と冒険、現代の日常と古代の魔法や精霊とが混在し、並列して描かれている点だ」という。物語と登場人物をさまざまな方向から肉づけすることで、ほかのスーパーヒーローものよりも、「リアル」で感情的にも満足できる、というのだ。
この本で紹介される、ファンの代表的な声を抜き出してみよう。
「米国のテレビキャラクターのように無敵でないところがいい。」
「普通の女の子がスーパーヒーローに変身する物語に魅了された。」
「死や真実の愛といったテーマにさまざまな角度から向き合っている。」
「セーラー戦士は男性ヒーローよりも不器用だが、女の子でもヒーローになれるというまったく新しい視点を与えてくれた。」
「変身して人間を超えた力を授かり、戦士として戦う一方、アイスクリームを食べたりビデオゲームをしたりショッピングをしたりといった日常の描写が重要なのだ。」
「泣き虫でもヒーローになれるのよ」
「セーラームーンはごく普通の女の子だと思います。」
「何でもない女の子たちが宇宙を守るなんてすごい。」
こうして並べるとあきらかなように、これらの声は、日本のマンガ・アニメの発信力⑤にいちばん関連がある。意識的にそういうものを選んだこともあるが、全体としてそういう内容のものがかなり多かった。「ごく平凡な主人公」が、しかもアメリカでは従来ありえなかった普通の女の子が、スーパーヒーローに変身するというところに、ファンは強烈な驚きと魅力を感じたようだ。
◆マンガ・アニメの発信力:セーラームーン(2)
ファンである子どもにとっても、また大人にとっても、セーラームーンの一番の魅力は、登場人物がアイデンティティを変化させるという点だろう。「少女がモンスターに、モンスターが少女になるという双方向の変化があり、どちらに変化してもそれぞれの特徴が出ている」 そして少女が、そのアイデンティティをファッションで表現するのと同じ感覚で、アクションシーンにおいても、装備やボディパーツを身に着けるのだ。登場人物は、服を変えるのと同じようにかんたんに、身体をアクションモードに切り替える。
セーラームーンが米国で放送されはじめた当初(1995年)は、登場人物のフレキシブルな変化など、米国にない特色が視聴者に違和感を感じさせ、それが一時的な失敗の原因になったかもしれない。しかし、2000年になると日本語、着物、侍、寺などはっきり日本とわかる要素を前面に出していくことは、ファンを失うどころか、むしろ「クール」とみなされプラスに働くようになったという。
しかし私は、そのような表面的な日本的要素が「かっこいいもの」として受容されるようになっただけではなく、日本文化の根元とつながる発想が受容されるようになったのだと思う。たとえば「登場人物のフレキシブル」な変化、つまり登場人物たちがアメリカのアニメに比べるとはるかに自由にいろいろなものに変身するということは、マンガ・アニメの発信力5項目の①に深くかかわっている。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別せず、またあの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
人間とほかのもの(動物でも、モンスターでも、機械でもよい)との区別があいまいだからこそ、いともかんたんにその境界を飛び越えて双方向に変化が行われるのだ。日本のアニメが、クールと受け止められる底流には、このような発想が米国のファンにも肯定的に受け入れられるようになったという事実があるのだと思う。
◆日本発ポップカルチャーの魅力01:初音ミク
◆日本発ポップカルチャーの魅力02:初音ミク(続き)
初音ミクは、もともと音楽のソフトとして発売されたが、そのキャラクターをこれほど反響があるとは発売元の会社も考えてもいなかったようだ。しかしキャラクターはイラストや動画として二次創作され、予想もしなかった盛り上がりを見せていく。多くの初音ミクのファンが、音楽ソフトに添えられたキャラクターに命を吹き込んでいく、文字通りanimateしていくプロセスがすごい。ファン一人ひとりの並々ならぬ情熱が、ソフトによる固有の声をもったヴァーチャルアイドルを、あたかも実在するかのように作りあげ、そのアイドルのライブに熱狂し始めたのだ。そして日本のポップカルチャーに関心を持つ世界の若者たちが、日本で始まったこの現象に注目し、ライブの歌やダンスの質の高さに驚き、もっと詳しい情報を得たい、自分たちもライブに参加したいと待ち焦がれている。
日本のポップカルチャーの発信力の秘密という観点から、この現象を考えてみよう。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする
まさに①のアニミズム的なものへの親和性が、私たちの心に流れているからこそ、ファンの一人ひとりの力を結集してヴァーチャルなものに命を吹き込んでいこうとする動きが、こんなにも盛り上がるのではないか。
そしてヴァーチャルアイドルが、こんなにもファンの心をつかむひとつの理由が、動きがあれほどリアルでありながら、どこか現実ばなれした純粋無垢なかわいらしさの象徴のような表情をしていることにあるのではないか(②)。あれが、もっと生々しい現実的な顔をしていたら、これほどの盛り上がりはなかったかもしれない。
初音ミクらは、音楽ソフトにで作られた音声で自由に歌い、信じられないくらい上手にダンスをする「お人形さん」なのだが、もはや子どもではない若者たちがそれに熱狂することに何の違和感も感じない(②、③)。
おそらくキリスト教文化の本流は、こうしたすべてのことに本来抵抗感をもつので、ヴァーチャルアイドルに熱狂するというような動きは、その文化の内側からは生れて来にくいだろう(④)。
さらに日本語という共通の言語をもった、巨大で知的な庶民が、コンピューターテクノロジーを駆使して、協力しながら創作していったからこそ、ヴァーチャルアイドルのクオリティーの高いパフォーマンスが実現したのだ(⑤)。
こうして考えてみると、日本のポップカルチャーの発信力の秘密のすべてが、初音ミク現象の背後ではたらいているといえそうだ。
今回も引き続き、次に示す5番目の視点を取り上げる。
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤とし、その価値観を反映する。
ただし、今回取り上げる例は、⑤以外の視点から見ても面白く、とくに初音ミクの現象は5つの視点のすべてが当てはまる好例だと思う。
◆マンガ・アニメの発信力:セーラームーン(1)
アメリカの女性人類学者による、「クール・ジャパン現象」をめぐる本格的で緻密な研究書である『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』の第5章で「セーラームーン」を取り上げている。
アメリカのセーラームーンのファンは、この国に溢れているありきたりの男性スーパーヒーローとのちがいに惹かれた。女性アクションヒーローの登場や、誰か一人を特別扱いしたり悪者にしたりするのではなく、さまざまな要素を絡めて描く複雑なストーリーが絶賛された。
アメリカのファンたちが繰り返し称賛したのは、「セーラームーンには、戦闘とロマンス、友情と冒険、現代の日常と古代の魔法や精霊とが混在し、並列して描かれている点だ」という。物語と登場人物をさまざまな方向から肉づけすることで、ほかのスーパーヒーローものよりも、「リアル」で感情的にも満足できる、というのだ。
この本で紹介される、ファンの代表的な声を抜き出してみよう。
「米国のテレビキャラクターのように無敵でないところがいい。」
「普通の女の子がスーパーヒーローに変身する物語に魅了された。」
「死や真実の愛といったテーマにさまざまな角度から向き合っている。」
「セーラー戦士は男性ヒーローよりも不器用だが、女の子でもヒーローになれるというまったく新しい視点を与えてくれた。」
「変身して人間を超えた力を授かり、戦士として戦う一方、アイスクリームを食べたりビデオゲームをしたりショッピングをしたりといった日常の描写が重要なのだ。」
「泣き虫でもヒーローになれるのよ」
「セーラームーンはごく普通の女の子だと思います。」
「何でもない女の子たちが宇宙を守るなんてすごい。」
こうして並べるとあきらかなように、これらの声は、日本のマンガ・アニメの発信力⑤にいちばん関連がある。意識的にそういうものを選んだこともあるが、全体としてそういう内容のものがかなり多かった。「ごく平凡な主人公」が、しかもアメリカでは従来ありえなかった普通の女の子が、スーパーヒーローに変身するというところに、ファンは強烈な驚きと魅力を感じたようだ。
◆マンガ・アニメの発信力:セーラームーン(2)
ファンである子どもにとっても、また大人にとっても、セーラームーンの一番の魅力は、登場人物がアイデンティティを変化させるという点だろう。「少女がモンスターに、モンスターが少女になるという双方向の変化があり、どちらに変化してもそれぞれの特徴が出ている」 そして少女が、そのアイデンティティをファッションで表現するのと同じ感覚で、アクションシーンにおいても、装備やボディパーツを身に着けるのだ。登場人物は、服を変えるのと同じようにかんたんに、身体をアクションモードに切り替える。
セーラームーンが米国で放送されはじめた当初(1995年)は、登場人物のフレキシブルな変化など、米国にない特色が視聴者に違和感を感じさせ、それが一時的な失敗の原因になったかもしれない。しかし、2000年になると日本語、着物、侍、寺などはっきり日本とわかる要素を前面に出していくことは、ファンを失うどころか、むしろ「クール」とみなされプラスに働くようになったという。
しかし私は、そのような表面的な日本的要素が「かっこいいもの」として受容されるようになっただけではなく、日本文化の根元とつながる発想が受容されるようになったのだと思う。たとえば「登場人物のフレキシブル」な変化、つまり登場人物たちがアメリカのアニメに比べるとはるかに自由にいろいろなものに変身するということは、マンガ・アニメの発信力5項目の①に深くかかわっている。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別せず、またあの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する。
人間とほかのもの(動物でも、モンスターでも、機械でもよい)との区別があいまいだからこそ、いともかんたんにその境界を飛び越えて双方向に変化が行われるのだ。日本のアニメが、クールと受け止められる底流には、このような発想が米国のファンにも肯定的に受け入れられるようになったという事実があるのだと思う。
◆日本発ポップカルチャーの魅力01:初音ミク
◆日本発ポップカルチャーの魅力02:初音ミク(続き)
初音ミクは、もともと音楽のソフトとして発売されたが、そのキャラクターをこれほど反響があるとは発売元の会社も考えてもいなかったようだ。しかしキャラクターはイラストや動画として二次創作され、予想もしなかった盛り上がりを見せていく。多くの初音ミクのファンが、音楽ソフトに添えられたキャラクターに命を吹き込んでいく、文字通りanimateしていくプロセスがすごい。ファン一人ひとりの並々ならぬ情熱が、ソフトによる固有の声をもったヴァーチャルアイドルを、あたかも実在するかのように作りあげ、そのアイドルのライブに熱狂し始めたのだ。そして日本のポップカルチャーに関心を持つ世界の若者たちが、日本で始まったこの現象に注目し、ライブの歌やダンスの質の高さに驚き、もっと詳しい情報を得たい、自分たちもライブに参加したいと待ち焦がれている。
日本のポップカルチャーの発信力の秘密という観点から、この現象を考えてみよう。
①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、アニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが作品に反映する
②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の魅力
③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している
④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想と表現と相対主義的な価値観
⑤民族や言語、階級などによって分断されない巨大で知的な庶民を基盤にする
まさに①のアニミズム的なものへの親和性が、私たちの心に流れているからこそ、ファンの一人ひとりの力を結集してヴァーチャルなものに命を吹き込んでいこうとする動きが、こんなにも盛り上がるのではないか。
そしてヴァーチャルアイドルが、こんなにもファンの心をつかむひとつの理由が、動きがあれほどリアルでありながら、どこか現実ばなれした純粋無垢なかわいらしさの象徴のような表情をしていることにあるのではないか(②)。あれが、もっと生々しい現実的な顔をしていたら、これほどの盛り上がりはなかったかもしれない。
初音ミクらは、音楽ソフトにで作られた音声で自由に歌い、信じられないくらい上手にダンスをする「お人形さん」なのだが、もはや子どもではない若者たちがそれに熱狂することに何の違和感も感じない(②、③)。
おそらくキリスト教文化の本流は、こうしたすべてのことに本来抵抗感をもつので、ヴァーチャルアイドルに熱狂するというような動きは、その文化の内側からは生れて来にくいだろう(④)。
さらに日本語という共通の言語をもった、巨大で知的な庶民が、コンピューターテクノロジーを駆使して、協力しながら創作していったからこそ、ヴァーチャルアイドルのクオリティーの高いパフォーマンスが実現したのだ(⑤)。
こうして考えてみると、日本のポップカルチャーの発信力の秘密のすべてが、初音ミク現象の背後ではたらいているといえそうだ。