クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

YouTubeで英語による日本文化の発信、チャレンジは始まった!

2020年10月10日 | 全般
SNSを使って英語でどれだけ日本文化を発信できるかというのが、最近の私の活動の中心で、このブログの更新が途切れているのも、私の関心がそちらに変化しているのが主な理由だ。これまでは、TwitterやFacebookが主な活動場所であった。とくにTwitterは、フォローも1万人を超え、私のtweetも毎回1万人前後の人が見てくれるようになった。

→ Tokyonobo 

ここでいろいろ交流できたことは、日本文化論をまとめるにあたっても、何かしら役に立つのではないかと思っている。

ここ数か月は、Youtubeにもチャレンジし始めた。Youtubeでは、音声も英語なのでよりハードルが高くなる。私の英語での動画をどれだけ外国の人々に見てもらえるか、大変だが挑戦のし甲斐はある。チャンネル登録者がようやく100人を超えた程度だが、継続していれば必ず爆発的に増加するときがやってくると信じている。

→ Kiyosumi Garden・清澄庭園

YouTube チャンネルはこちら → Spiritual Japan

コンテンツは、ツイッターへの投稿などでこれまでに蓄積した写真と、これから撮る動画の組み合わせてで、とりあえず東京の日本庭園や大公園を紹介していくことだ。前回は清澄庭園でアップロード、次回は上野公園ということで準備している。この方式だと、これまでに撮りためた写真を再利用して比較的気軽に一つの動画を作れるという利点がある。神社と寺の違いを説明しながら、日本の宗教の特質に迫るという企画も考えている。ここでも、これまでに撮りためた写真が大いに利用できる。東京やその周辺の紹介が終わったら、東京以外の名所にも対象を広げていくことができるだろう。

これまでの活動で、世界中に日本や日本文化のファンが信じられないほと多く存在することはわかっているので、日本文化の紹介という企画は、やり方次第では、かならず伸びるコンテンツだと思う。問題は、英語力をどれだけ高められるかだ。

Youtubeで英語で日本文化を世界にどれだけ発信できるか

2020年10月03日 | 全般
このブログを、ほとんど更新しなくなって久しいが、最近、ここに書き溜めたものをまとめる形で、短大の紀要に発表するための論文を書いている。実は昨年、「日本文化の相対主義的性格とその現代的意味」という論文を同じ紀要に発表したが、それはこのブログの9項目の視点のうちのひとつ、「(1)日本文化は一貫して、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。 その相対主義的な性格は、以下の項目と密接に関連して形成された」に対応するものだった。これは残りの項目を概観する意図も込めてまとめられた。

現在は、「(3)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し,縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた」に関連す論文を書いている。タイトルは「日本文化の母性的性格とその意味」。やはり、このブルグに書き溜めたものを整理して書いている。小まめにこのブログを更新していたころの蓄積が大いに役に立っているわけだ。

そんなわけで、日本文化論全体への関心も、再び高まり始めており、全体の構想を一冊の本にまとめるためにも、このブログの更新を再び活性化する意欲が湧いてきている。

ただ、この数年は、日本文化についての英語による世界への発信に私の関心が向いており、もっぱらそちらにエネルギーを注いていた。活動場所は、ツイッターが中心であった。

→ Tokyonobo 

ここでいろいろ交流できたことは、日本文化論をまとめるにあたっても、何かしら役に立つのではないかと思っている。

さらに最近は、英語によるYoutubeでの発信も始めた。初心者で不慣れだから動画作りに時間がかかり、まだチャンネル登録者もほとんどいない状態だが、徐々に工夫して発信力をたかめていくつもりだ。

今日は、久しぶりに東京、江東区にある清澄庭園という日本庭園を約6分の動画にしてYoutubeにアップした。今後、日本の庭園や寺社を英語で解説した動画をいくつかアップしていく予定だ。英語での発信がどれだけ通用するか、チャレンジし続けたいと思う。

→ Kiyosumi Garden・清澄庭園

YoTube チャンネルはこちら → Spiritual Japan

静かに桜咲く新宿御苑

2020年04月16日 | 全般
静かに桜咲く新宿御苑


3月23日に新宿御苑を訪れた。満開になった桜も多く、夢中で写真をとった。桜の時期でこんなに人が少ない御苑ははじめただ。コロナ問題が深刻化するなか、いやだからこそか、桜の美しさが身に染みた。これらの写真も海外発信用のツイッターにまず投稿したものだが、新宿御苑は訪れたことのある海外の人も多く、懐かしむ声も多かった。同じ日に撮影したYoutube動画を見たある外国人は、次のように感想を書いてくれた。

「お気に入りの公園。日本への旅行のたびにガールフレンドと何度も訪れた。あなたの動画を見て、彼女はほとんど泣きそうだった。この公園が懐かしい。
My favorite park! My girlfriend and I go to Shinjuku Gyoen several times each trip to Japan! She almost cried watching your video! We both miss this park! Thank you for posting this!」

Youtubeの動画は以下で。Sinjuku Gyoen Garden Cherry Blossoms in the Wind

桜咲く静かな上野公園

2020年04月16日 | 全般
桜咲く静かな上野公園

3月22日に上野公園にいった。コロナウィルスの問題は徐々に大きくはなっていたが、いまほどの緊張感はなかった。国立博物館に向かう有名な桜並木も通行禁止にはなっていなかった。満開には少し早かったが、宴会のない、そして外国人観光客もほとんどない上野公園は、静かに桜を楽しむことができた。一連の桜の写真は海外発信用のツイッターにも掲載したが、コロナ騒ぎで気持ちが落ち込むなか、日本の桜を見れてうれしいというものが多かった。このような感想は、世界に感染が広がるごとに増した。

以下は同じ日に撮影して投稿したYouTube動画である。例年に比べての人通りの少なさがよくわかると思う。

Quiet Ueno Park with Cherry Blossoms(桜咲く静かな上野公園)

※この記事は、一度誤って未完成のまま投稿したものをすぐに削除し、再投稿したものである。ご迷惑をおかけしました。

このブログの今後の展望:海外発信とそのフィードバック

2020年04月15日 | 全般
 このブログをほとんど更新しなくなって久しい。しかしクールジャパンという言葉に関係するテーマから関心が遠のいたわけではない。実はこのブログに書いてきた内容をもとに去年、アパ懸賞論文に応募したりしている。ただ、この懸賞論文のテーマは「真の近現代史観」であったが、私の論文のタイトルは「『辺境』日本の世界史的意味」であり、近現代史というより縄文時代も含めた日本文化全体を扱うものだったので、はじめから賞を得る可能性は低いと思っていた。事実、賞を得ることはできなかった。しかし、自分の考え方をまとめるよいきっかけにはなったと思う。数日後から、この論文の内容をこのブログに順次掲載しようと思う。

 ところでここ数年、私はもっぱらツイッター(Tokyonobo)フェイスブックで海外に向けて日本文化を発信することを主に行っていた。しかし、たとえばツイッターには文字数の制限もあるし、もっと本格的に海外発信したいという思いもあって、ここ数週間は、ユーチューブで実験的に何回か投稿している。いまはまだ試行錯誤段階だが、近々、ここで語ってきたようなことを基礎として、本格的に英語で発信を始めようと思っている。

 とりあえず試作的に投稿したものをここにいくつかリンクしておきたい。これまでにツイッターに投稿した豊富な写真をもとにして練習用につくったものである。

最初は、Why do Japanese love cherry blossoms? 美しい桜の写真もかなり好評であった。

次は、Why do Japanese love hot springs?

さらに、Kimono ----- Rivaval of the Tradition

一番最近のは、Yosakoi Festival (よさこい祭り)--Why is it so popular in modern Japan?

まだ、チャンネル登録者数が57名ときわめて少ないが、そこは気長に、大きな夢をもって投稿を続ける予定である。ユーチューブ投稿が本格化すれば、そこでの反響に対する考察などがここでもできるかもしれない。

 

新たな視点も含めて日本文化を考える

2019年06月02日 | 全般
このブログでは以下のような8つの視点から総合的に日本文化の性格を考えてきた。しばらく更新をしていなかったが、最近、この8つにもう一つ新たな項目を付け加えて考えるべきだという思いが湧き、それ以降、考察をさらに続ける意欲が出てきている。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。
(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。
(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をほとんどもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。
(5)大陸から適度な距離で隔てられた島国であり、外国に侵略された経験のない日本は、大陸の進んだ文明の負の面に直面せず、その良い面をひたすら尊崇し、吸収・消化することで、独自の文明を発達させることができた。
(6)海に囲まれ、また森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。
(7)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。
(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。
 本論のテーマは、このうち7番目の項目に関係する。ただしこれらの8項目は相互に深く関連しており、7番目以外の項目のすべても、何らかの意味で日本文化の相対主義的な性格が形成された理由になっている。よって、これらの項目に沿って順に論を進めていきたい。
 
9番目の項目は、まだ文章としてはまとめていないが、「悟り」に関係する視点である。日本文化の特質の一つに「道」の文化があると思う。武士道、茶道、華道、書道などというときのあの「道」である。道の思想は、禅を中心とした仏教から多大な影響を受け、もちろん神道や儒教、老荘思想との関係も深い。しかも、私たちに受け継がれた修行、修道の文化のなかにそのエッセンスが集約されている。これを抜きにして日本文化を語ることはできないだろう。

しかも、私自身の長年の中心テーマは、「悟り」を哲学的、心理学的に考察することであった。その考察の副産物として『臨死体験研究読本』という本を十数年前に出版した。なぜ臨死体験と悟りが結びつくのか。

臨死体験者は、なぜ生き方をプラスの方向に激変させるのか、なぜ「悟り」と言っていいような深い意識変容をとげるのか。この謎を、これまでの膨大なデータをもとにとことん追求し、さらに臨死体験を脳の幻覚とするとする代表的な科学的理論の矛盾と限界を明らかにしたのがこの本だからである。臨死体験には、脳の見る幻覚以上の意味があることを丁寧に論証し、科学的物質主義を超えた視点から生と死を見直したのである。

ともあれ、長年の悟りの研究と日本文化の在り方とを結びつける視点が私の中に芽生えることによって、日本文化の考察への意欲が再び高まったのである。




日本人はクリエイティブ、なぜ?(4)

2012年05月15日 | 全般
今回は、「日本文化のユニークさ」6項目のうち、残りの2項目との関連で、日本人のクリエイティビティを見ていくことになる。

(5)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。
(6)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

これらの特徴がどうして創造性と関係があるのか。いうまでもなく、宗教やイデオロギーによる制約がないと相対主義的で多角的なものの見方が許され、自由な発想と表現が可能となるからである。ただ、この点については、前回すでに触れているので、今回はかんたんに振り返るにとどめたい。

日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、儒教であれれキリスト教であれ、宗教による強力な一元的支配を必要としなかった。イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた。強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築を経ず、村的な共同体から逸脱しないで、それをかなり洗練させる形で、大きくしかも安定した、高度な産業社会を作り上げてしまった。ここに日本のユニークさと創造性のひとつの源泉がある。

西洋人は、そしてユーラシア大陸の多くの民族も、宗教やイデオロギーのような原理・原則の方が優れていると思っている。ところが日本人は、イデオロギー的な宗教支配なくして、とくにキリスト教なくして、キリスト教から派生したはずの近代国家を形成した。農耕文明以前の、自然崇拝的な精神を基盤としたまま高度産業社会を発展させた。

この事実は、文明史的な観点からいってもきわめて特異なことだろう。その特異さは、文化的な観点からいってもきわだっている。宗教などによる一元的な価値観の支配なくして高度に現代的な社会を営み、しかも世界のあらゆる文化的アイテムを相対化して自由に使いこなしながら、相対主義的な価値観にたった作品を次々の生み出してく。

一元的な宗教を基盤とし、多少なりともハードな統合性をもった文化から見ると、日本のポップカルチャーはどこか無原則的に見えだろう。しかし、その何でもありの柔軟性や融合性の中から思いがけない発想の作品が生まれてくる秘密があるのだ。堅固な宗教的基盤を背景にする国々は、日本のアニメやマンガに接すると、自分たちがよって立つ文明原理を根底から揺さぶり動かされるような衝撃と、同時に魅力を感じるのかもしれない。

マンガ・アニメの創造性と相対主義的な価値観との関係は次の記事を参照されたい。

マンガ・アニメの発信力と日本文化(3)相対主義
マンガ・アニメの発信力と日本文化(4)相対主義(続き)
ジャパナメリカ02

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『菊とポケモン』、クール・ジャパンの本格的な研究書(2)
オタク文化と製造業をどう結びるけるか(1)
オタク文化と製造業をどう結びるけるか(2)
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《関連図書》
★『日本型ヒーローが世界を救う!
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)
★『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること
★『格差社会論はウソである
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
★『日本の曖昧力 (PHP新書)
★『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力
★『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)

日本人はクリエイティブ、なぜ?(3)

2012年05月13日 | 全般
日本人がクリエイティブであるなら、それはなぜか。二番目の理由は、「日本文化のユニークさ」(4)に関係する。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

かかわりがあるのはこの前半である。日本が大陸から適度に離れた島国であることは、日本文化に二つの特徴を与えた。

ひとつ目、日本は大陸の文化を侵略などによって押し付けられたことがなく、自分たちの必要に応じて「いいとこどり」(堺屋太一)することができたことだ。日本人は中国の文明も、間接的にインドの文明も、下っては西欧の文明も、抵抗なくむしろ憧れをもって自由に選んで受け入れていった。そして、他文明の原理原則にこだわらないから、さまざまな文明の要素をくったくなく併存させていったのである。おそらくそれは自分たちの縄文的心性を犯さない限りにおいてであった。だからあれほど熱心に西欧文明から学び取りながら、一神教そのものはほとんど拒否したのである。

縄文的心性に合わないものはほとんど無意識に拒否するという傾向は保持した。だから一神教だけではなく、奴隷制も宦官も科挙も日本には入ってこなかった。しかし、一度取り入れたものは、その背景にある原理原則にこだわらず自由に組み合わせて、そこから独自のものを生み出すことができた。それぞれの文化の背景にある宗教やイデオロギーに縛られずに、さまざまな要素を融合させてしまう柔軟さは、現代のポップカルチャーにもいかんなく発揮されている。例を挙げればきりがないが、たとえば宮崎駿のアニメ作品のなかにどれだけ神道的な要素や古代中国的な要素や西欧的な要素が融合しているかを見ればよい。

さて、日本が島国であることからくる二つ目の特徴は、日本が異民族による侵略がほとんどない平和で安定した社会だったというこである。異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。

異民族に制圧されなかったことが、日本を相対的に平等な国にした。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となり、そういう信頼を前提とした庶民文化が江戸時代に花開いたのだ。

江戸の庶民文化が花開いたのは、武士が、権力、富、栄誉などを独占せず、それらが各階級にうまく配分されたからだ。江戸時代の庶民中心の安定した社会は世界に類をみない。歌舞伎も浄瑠璃も浮世絵も落語も、みな庶民が生み育てた庶民のための文化である。近代以前に、庶民中心の豊かな文化をもった社会が育まれていたから、植民地にもならず、西洋から学んで急速に近代化することができたのである。(中谷巌『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること』)

幕末から明治初期にかけてヨーロッパとくにフランスを中心としてジャポニズムと呼ばれる現象が巻き起こった。これもまた、江戸時代の豊かな庶民文化が背景にあり、庶民の生活から生み出された浮世絵や工芸品だったからこそ、当時のヨーロッパ市民階級の共感を呼ぶものがあったのである。

現代の日本も、江戸時代の庶民文化のあり方を引き継いでいる。近年、貧富の格差が拡大したとはいえ、世界の他地域に比べるとまだまだ階級差の少ない社会を形成している。とくに知的エリートと大衆との間の格差が少なく、教養の高い圧倒的多数の大衆が日本の社会を支え、また日本人の創造性の基盤となっている。

日本人はクリエイティブ、なぜ?(1)へのコメントで漫画家の方が、「この国のクリエイティブさはやはりすごいと思います。まずは圧倒的な層の厚さ。多くの人が、何かしら描いたり書いたりできる。アマチュアの質と量が、プロの頂点を押し上げてくれています。」と書き込まれていたが、その層の厚さが他の多くの分野にも当てはまるのだ。「初音ミク」が新たな潮流になりつつあるのも、プロではない無数の人々が作曲し、CGを作り、協力しあいながら作品を作り上げていくからだろう。大衆相互の切磋琢磨が、日本人の創造性のひとつの源泉となっている。

ここまでの議論をまとめよう。まず日本人の縄文的な古層と現代の最先端のテクノロジーという類を見ない組み合わせが、創造性のひとつの源泉となっている。しかし、それだけではなく、その古層の上に、中国文明やインド文明や西欧文明のさまざまな要素が自由に融合されていった。そして、それらを学びとり、消化し、そこから自由な発想で新しいものを生み出すことのできる層の厚い大衆がいた。これらの特徴は、現代にまで引き継がれ、複合的に働くことで現代日本人の創造性を形づくっている。

「日本文化のユニークさ」(5)(6)は、ここまで述べてきたことかなり重なるのだが、次回かんたんに触れてみたい。

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★『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)

日本人はクリエイティブ、なぜ?(2)

2012年05月12日 | 全般
4月27日付の「日本人はクリエイティブ、なぜ?(1)」では、「最もクリエイティブな国・都市」は日本・東京 でも日本人は自信がない──Adobe調査」という記事に触れながら、世界で日本がいちばんクリエイティブな国と思われているのは、どのようなところがそう思われているのかという問題や、日本人自身は自分たちをクリエイティブだとは思っていないという、世界の見方と自己認識とのギャップの問題を考えた。これについては、日本人は本当にクリエイティブなのか、そうだとしらどうしてかなどいくつかのコメントをいただいた。

世界の主な国に日本人がクリエイティブだとみなされているのは確かだとして、ではなぜクリエイティブなのか。今回はそれを考えたい。その理由はひとつではなく、複合的に説明すべきなのではないか。私にやはり「日本文化のユニークさ6項目」が大いに関係していると思う。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきたこと。

(3)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(5)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(6)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

このうち(1)(2)(3)は、合わせて一つの理由として考え、(5)(6)も同様に合わせて考えると、三つほどの理由に整理できるかもしれない。

まず第一の理由は、現代日本人に縄文人の心性が地下水脈のようにして受け継がれているということである。その事実がどうして日本人の創造性に関係があるのか。たまたま一昨日、一年以上前に書いた記事にツイートしてくれた方がいた。その記事を読み直したら、まさに縄文的心性と創造性という今回のテーマにぴったりの内容だった。それは次の記事である。

『日本力』、ポップカルチャーの中の伝統(2)

記事の内容を要約しながら考えよう。

ケータイにストラップをつけるのは、日本以外ではあまりない。海外では、ケータイは単なる機械だという。しかし日本人は、そこに自分の気持ちを入れる、命を与える。現代の若者はケータイにストラップをつけることを、ただそうしたいから、そうしないと何となく物足りないと感じるからやっているのだろう。しかし、そこに日本人の伝統的な心が働いている。

そういう傾向が、今すこしずつ復活している。ネイルアートも「痛車」も「初音ミク」もそういう傾向の表れかもしれない。ヴォーカロイド「初音ミク」とCGによるこだわりのコラボは、コンピューターのプログラムによってまさに命を吹き込む作業で、かつての職人の心、もっとさかのぼれば縄文人の心が、現代の最先端によみがえっているのかもしれない。

菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』で著者アン・アリスンも次のように言う。日本人はケータイに、ブランド、ファッション、アクセサリーとして多大な関心を払い、ストラップにも凝ったりする。そうしたナウい消費者アイテムにも、親しみ深いいのちを感じてしまうのが日本人のアニミズムだ。このように機械と生命と人間の境界があいまいで、それらが新たに自由に組み立て直されていく、日本のファンタジー世界の美学を著者は「テクノ-アニミズム」と呼ぶ。日本では、伝統的な精神性、霊性と、デジタル/バーチャル・メディアという現代が混合され、そこに新たな魅力が生み出されているのだ。

世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)』の基本コンセプトは、オタク文化と製造業の融合だったが、それを一言でいうならまさに「テクノ-アニミズム」ということになるだろう。かつての「たまごっち」というサイバー・ペットの世界的な流行も、日本的な「テクノ-アニミズム」が世界に受け入れられていく先駆けだったといえなくもない。

以上のいくつかの例が示しているのは、現代の最先端のテクノロジーと農耕文明以前の、人類の最古層の心性との、他国ではありえない驚くべき結びつきである。その意外な組み合わせから、世界から見て思いもよらぬアイディアや製品が生まれてくるのだ。農耕文明以前の文化の記憶は、ユーラシア大陸ではほとんど失われてしまっている。ヨーロッパも中国も、お隣の朝鮮半島でさえその例外ではない。だからこうした組み合わせによる発想自体が、日本以外では生まれようがないのだ。そこに日本人の創造性の一つの秘密がある。

ちなみに、日本に牧畜文化が存在しなかったことは、縄文的なアニミズムが存続するひとつの理由になっている。牧畜を行う地域では、人間と家畜との間に明確な区別を行うことで、家畜を育て、やがて解体してそれを食糧にするという事実の合理化を行う傾向がある。人間と、他の生物・無生物との境界を強化するところでは、アニミズム的な心性は存続できないのだ。


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震災後、日本は何を生み出すのか06:日本の好条件

2012年05月06日 | 全般
前回の記事へのコメントで、「仮定の話が多すぎる。論拠となる土台の構築が欲しい」とのご批判をいただいた。確かにその通りだと思う。

今日のニュースでは「北海道電力泊原発3号機の定期検査入りで5日、国内で稼働する原発がゼロになることで、関西電力も原発ゼロのまま夏を迎える可能性が高まってきた」と報じられ、今夏の日本の電力不足がますます深刻になるという。このような状況下、新エネルギー開発への切迫度は、ますます日本で強まっていく。もちろんだからといって、それだけで日本で新エネルギー革命がおこるとは限らない。あくまでも日本で新エネルギー革命がおこる条件の問題なのだが、その条件について経済分野で参考になる主張があるので紹介したい。

歴史を振り返ると、これまで大々的なバブル崩壊を経験したのちに新たな成長モデルを築きあげることができた国が、世界の経済的な覇権を握ったという。それは、オランダ、イギリス、アメリカの三国であり、しかもこれらの国が構築した新成長モデルは、必ず「エネルギー」が絡んでいたというのだ。

1637年にチューリップバブルで崩壊したオランダは、その後風力エネルギーの活用、宗教がからまない交易の拡大、株式会社制度の発展などで世界経済の覇権を握る。

次にイギリスは、1720年に南海株式会社の株式大暴騰と大暴落を経験し、その反省から資本主義の基本となる仕組みを整えていったという。さらに産業革命で圧倒的な生産力を得た。ナポレオン戦争でオランダがフランスに占領されると、ヨーロッパの海上貿易の主役は完全にイギリスに移った。一時は、世界の輸出総額の半分をイギリスが占めたという。これはヴァラニャックのいう第5次エネルギー革命に対応する。

さらにアメリカはの場合は、フォードがT型フォードを発売し、これによって現代につらなる成長モデルの萌芽が生まれた。その後1929年の大恐慌を経て、アメリカがイギリスに替わって世界経済の覇権を獲得した。アメリカが新たな成長モデルのために活用したエネルギーは、もちろん石油である。これがヴァラニャックのいう第6次エネルギー革命である。(『2012年 大恐慌に沈む世界 甦る日本』)

日本は1990年にバブルが崩壊している。2008年にはアメリカ発でサブプライムローン危機が起こった。中国でのバブル崩壊もささやかれ、欧州の経済危機も大恐慌寸前の状態とまでいわれている。しかも日本で起こった原発事故により、原子力エネルギーの限界が意識され始めた。つまりこれをきっかけにして第7次エネルギー革命の時代が終わる可能性が高いのだ。

上述の本で三橋氏は、新たな成長モデルを確立する可能性がいちばん高いのは日本ではないかとする。そのための条件がもっともそろっているのが日本だというのだ。その条件を、彼が挙げたものを参考にしながら列挙してみよう。

1)新エネルギーへの切迫性。中国や米国はなおも原子力に頼ろうとする意識が強いが、日本の場合は、原子力へ不信感は強烈でしかもエネルギー問題がきわめて切実である。これが第一の条件であり、すでに挙げたものである。

2)ほとんどの生産工程を自前でまかなえる。アメリカの製造業は衰退分野が多い。中国は、製品の核心部分は輸入に頼り組み立てのみ行うことが多い。日本の場合は多様な生産技術の組み合わせの中や競合の中から、エネルギー関連の新技術が生まれてくる可能性が高い。

3)資本財の輸出割合が高い。資本財(将来の生産のために使用する機械、設備などの財)が総輸出額の50%を超える。それだけ基幹的な技術での蓄積があるということで、これも新技術の開発に有利な条件だ。

4)公務員の割合が他国に比べて少なく、民間の供給能力が高い。その分、デフレに苦しめられているが、民間の自由な発想を経済に投入しやすい。それを可能にする言論の自由も保障されている。

5)金融資本主義による国民経済の破壊の度合が少なく、一神教的ではない独自の文化に根ざした経済システムを構築できる余地を残している。

以上のうち、1)については三橋氏があまり強調していない条件である。日本の切実さは群を抜いているが、現在の日本からどんな新エネルギー技術が生まれるか、それが新時代を担いうるのかまったく未知数である。ここで、可能性のある新技術を具体的に挙げる準備はないが、いつか検討してみたい気持ちもある。

5)は、三橋氏が挙げていない条件である。そして、これが前回挙げた中沢氏のモデルと関連するものである。三橋氏には、その「成長モデル」や「覇権」という言葉遣いからも分かるように、今後の世界を決定づけるようなモデルが、これまでの「成長モデル」や世界観を根底から覆すようなものになる、あるいはなるべきだという発想はない。あくまでも第7次エネルギー革命までの成長モデルの延長線上で次の時代を考えている。

これに対して中沢氏の発想は、この原発事故をきっかけにして、これまでの一神教的な近代文明とはまったく異質のモデルが生まれてくるだろうし、くるべきだと考えている。そして、近代文明の受容と発展にこれほど成功しながら、近代文明とは異質の、自然との「媒介型」の文明をも体内に保存している文明として、日本文明に期待しているのである。

次回は、条件の5)をより詳しく検討するという形で、中沢氏の大転換論に立ち戻りたい。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
日本の大転換 (集英社新書)
資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか
日本人て、なんですか?
日本復興(ジャパン・ルネッサンス)の鍵 受け身力
日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)


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東日本大震災と日本人(4)突きつけられた問い
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『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が
『日本辺境論』をこえて(2)『ニッポン若者論』
『日本辺境論』をこえて(3)『欲しがらない若者たち』
『日本辺境論』をこえて(4)歴史的な変化が
『日本辺境論』をこえて(5)「師」を超えてしまったら
『日本辺境論』をこえて(6)科学技術の発信力
『日本辺境論』をこえて(7)ポップカルチャーの発信力
『日本辺境論』をこえて(8)日本史上初めて
『日本辺境論』をこえて(9)現代のジャポニズム
『日本辺境論』をこえて(10)なぜ若者は伝統に回帰する?

震災後、日本は何を生み出すのか05:新エネルギー革命は日本から?

2012年05月04日 | 全般
◆『日本の大転換 (集英社新書)

もともと人類は、自分たちの生態圏を超えた思考はしなかった。神々すらも生態圏を超える存在ではなかった。ところが一神教は、「人類の思考の生態圏にとっての外部を自立させて、そこに超越的な神を考え、その神が無媒介的に生態圏に介入することによって、歴史が展開していく」という発想に立った。こういう超越論的な立場から自然や歴史を見る視点を基盤として近代の科学・技術は生まれた。

さらに、一神教が思考の生態圏に、超越神という「外部」とそこからの介入とを想定したことは、生態圏にほんらい存在しなかった核反応という太陽圏の現象を持ち込んだことときわめてよく似た発想なのである。原子力発電は生態圏内部の自然ではないのに、一神教的な発想を知らない日本の科学者は、あたかもそれが自然の一部であるかのように扱ってしまった。そもそもここに間違いの根本があったのかもしれない。

ところで仏教は、生態圏の外部に超越者を立てることを否定する。自然宗教である神道は、仏教から高度の理論を借りて自らの思想を表現することに成功した。逆に仏教は日本で、神道を通して具体的な自然に即した民衆の宗教となった。仏教はどこの世界でも自然宗教と折り合いがよいという。そして一神教的な文明は、仏教的な世界観を基盤にした文明へと変わっていくのではないか。

日本文明は、自然と人工とを明確に区別しない。自然の力を受け入れて人工の組織の内部に組み込んでいく。自然と人為とが接し、交じり合うインターフェイス型の思考法が発達した。日本人は、自分たちが作った世界が、転変する自然の法にたえずさらされており、世界が無常であることを深く実感していた。人々の生き方にもそれが深く刻まれている。

日本文明は、自然の営みに逆らわず、生態圏の生成に即して作られてきた媒介型の文明である。一神教的な発想から生まれた原子力発電やグローバル経済は、自然を内部に深く組み入れる日本文明にとっては、もともと異質な性格をもっていたのである。

原子力発電の技術は、自ら生み出す大量の放射性廃棄物を安全に処理することができないという致命的な欠陥をもつ。生態圏内に生きる者の視点からは、原子力発電から脱出することこそが、生態圏を守るための正しい選択になる。

いま日本は、原子力発電再開が否かを巡って激しく対立している。いずれにせよ、原子力発電所が老朽化するという事実と、新たな原発を造ることは用地の確保などの問題からほとんど不可能だという事実とにより、原発とともに展開した第7次エネルギー革命の時代は、日本でもっとも早く衰退していくだろう。だからこそ、第8次エネルギー革命への圧力は、日本がいちばん強く受けることになる。今はそれが「夏の電力不足への不安」として露見している。

しかし、その圧力のもとで日本文明は、新たな世界観に立ったエネルギー技術を生み出す潜在的な力を秘めている。中沢氏は、新たなエネルギー革命の可能性は日本文明にとって大きな僥倖(ぎょうこう)だという。それは、たんなるエネルギー革命にとどまらず、経済を含む文明のあり方を根本から変えていく変革になるだろう。

そのような大きな転換は、日本でこそ起こる可能性が高い。大地震と津波のあとにあれほど深刻な原発事故を経験した日本だからこそ、原発を基礎にした第7次エネルギー革命を超えていく必要にもっとも迫られるのだ。しかも変革は、日本文明の本来の姿に立ち返えり、その源泉からエネルギーをくみ取ることによってこそ可能だ。「どんな文明も、自分をつくりなしたおおもとの原理に帰るのでなければ、未来への可能性をみずから開いていくことはできない」からである。

一神教的な発想が科学技術を生み出し、そして第5次、6次、7次と世界のエネルギー革命を推進した。その発想が世界を覆い尽くすようになった。そして環境や経済など、さまざまな面で問題を露呈しはじめた。日本で起こった原発事故も、現代文明がかかえる問題の深刻な現れであった。しかし日本には一神教的ではない文明のあり方の記憶が色濃く残っている。それどころか、農耕と牧畜の発達による第2次エネルギー革命よりも前の記憶が、縄文の記憶として人々の心の中にも文明の形の中にも深く刻み込まれている。

そして、第8次エネルギー革命の原理は、一神教的な近代文明以前の文明のあり方に立ち返り、そこから新たな活力をくみ取ることによってしか生み出されないだろう。日本は、この震災によって衰退するのではなく、新たな文明を生み出す重要な役割を担っていると自覚すべきなのではないか。

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日本人はクリエイティブ、なぜ?(1)

2012年04月27日 | 全般
「最もクリエイティブな国・都市」は日本・東京 でも日本人は自信がない──Adobe調査

以下は、この記事の要約である。
 ──米Adobe Systemsによる「クリエイティビティー」(創造性)に関する調査

調査は今年3月から4月にかけ、米国、英国、ドイツ、フランス、日本の 18歳以上の成人5000人を対象にオンラインで実施した。

「最もクリエイティブな国」として36%の回答者が日本を挙げ、米国の26%を10ポイント上回ってトップだった。 英仏独では日本を挙げた人がトップだったが、 米国と日本では米国を挙げた人が最多だった。

「最もクリエイティブな都市」として挙がったのは東京が30%。 ニューヨークの21%、パリの15%を上回っている。英仏独に加え、米国でも東京だと答えた人がニューヨークを挙げた人を僅差ながら上回っていた。 一方、日本ではニューヨークを挙げた人が最多だった。

「日本以外では各国の人々が自国に対して持つプライドが明らかに示され、 英、独、仏の回答者は自国とその都市が日本の次に最もクリエイティブであると考えていた」 ただ、自らを「クリエイティブだ」と考えている日本人は19%にとどまり、ダントツの最下位。

全体の52%が「教育システムにおいてクリエイティビティが抑圧されている」と感じ、特にまた多くはクリエイティビティーは教育システムに必要だと考えているという。


《私の論評》
この記事には、二つの気になることがある。一つは、これらの国の人々により、日本がいちばんクリエイティブな国と思われているのは、どのようなところがクリエイティブだとみなされているのかということ。もう一つは、日本人自身は自分たちをクリエイティブだとは思っていないという、世界の見方と自己認識とのギャップの問題だ。

まず一つ目。20世紀後半から今世紀にかけて世界の産業や生活をもっとも大きく変えたのは、IT革命やインターネット、それらに関連する一連の製品化などだろう。それらの多くはほとんど米国からもたらせれている。最近でいえば、スマートホンなどもその好例だ。にもかかわらず米国ではなく日本がダントツでクリエイティブな国とみなされているのはなぜだろうか。

おそらくこういうことだ。米国はたしかに時代を変える革命をもたらした。しかし、その事実と米国民が大衆のレベルから見てもクリエイティブといえるかどうかとは同じではない。庶民・大衆のレベルで見れば、圧倒的に日本人の方がクリエイティブだという印象が世界にいきわたっているのだ。

そういう日本のイメージが広がった大元は、やはりマンガ・アニメの人気だろう。そこに自分たちになかった新しい発想や自由な表現を見て、日本人はクリエイティブだと感じるのだ。たとえばヨーロッパの都市や人は、その宗教に根ざした文化によるのか、意外と保守的だ。そうした目から見ると日本発のポップカルチャーは驚くほど新鮮に見えるらしい。ボーカロイドから生まれたアイドル・初音ミクのライブに熱狂するというのも、世界の「常識」を覆す出来事にちがいない。そういう「変なもの」が次々日本から生まれてくるのだ。

★マンガ・アニメの創造性については次の記事を参照のこと→マンガ・アニメの発信力の理由:記事一覧

ファッションジャンルで日本の存在を急速に世界の若者に注目させたものに「ゴスロリ(ゴシック&ロリータ)」がある。ゴシックファッションをロリータと結びつける独創的な発想は、日本以外では生まれえなかった。その自由な発想に驚くのだ。マンガ・アニメやファッションを通して、世界の若者の眼は東京に向いている。「東京には選択の可能性がある」、そう感じさせる何かが東京に、そして日本にあるのだ。

インターネット上で日本関連の動画に世界から寄せられるコメントを見ていても、大衆レベルでの日本人のクリエイティビティに驚いている様子が分かる。たとえば日本の高性能トイレを紹介する動画はYoutubeでもかなり多い。そこまでトイレにこだわる日本人に興味津々、やはり日本人は変だと笑うコメントも見れるが、そのテクノロジーや「創造性」に驚くコメントも多い。自動販売機もよく紹介されている。その高性能さや種類の多さ、温かいものと冷たいものが同じ販売機で売られていることやカードを触れるだけで買えることに驚くコメントが多い。

例を挙げればまだまだありそうだが、つまりは、こういう大衆レベル、生活レベルから生まれてくる「創造性」では、日本が世界を圧倒していると見なされていることが、調査の結果にも反映されるのだろう。

二つ目は、世界の見方の日本人の自己認識とのギャップの問題だ。日本人が、自分たちは創造性がないと思っているのもある意味で無理もない。なにしろ日本人は、明治以来ひたすら欧米の真似をし続け、「猿まね」日本人と言われ、自分たちもそう思ってきたのだから。しかし、そういう日本人の自己卑下的な傾向、「辺境人」根性に変化が現れはじめたことは、最近このブログでも詳しく論じた。(《関連記事》を参照のこと)

そういう変化の中でももっとも遅れているのが、このクリエイティビティにかかわる自己イメージなのかもしれない。日本が、創造性や独創性を育てる教育に力を入れているとはいえないし、むしろ個性を殺して集団に協調することを重視する教育を行っていると思っている。だから日本人に創造性や独創性などあるはずがないという思い込みが根強いのだろう。

しかし、世界から見ると現実はどうも逆のようだ。世界の認識とのギャップが大きいことこそが日本人の問題点なのだ。私たち日本人がこのような自己イメージを、現実に合わせて変えていくべき時に来ているし、実際変わっていくにちがいない。

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日本の長所はいつの世から?今後の計画など(2)

2011年01月14日 | 全般
引き続き、このブログでの今後の大雑把な計画、企画を挙げておきたい。

2)「日本の長所はいつの世から?」というタイトルについて。ブログのカテゴリー「日本の長所」では、現代日本を訪れたり、住んだりしている多くの外国人の感想などをもとにして、日本の長所を次の11項目に整理して、その裏付けとなるような事例も取り上げてきた。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

これらの長所を今度は、できるだけ過去にさかのぼって、たとえば安土桃山時代に日本を訪れた宣教師たちが本国に送った手紙、幕末や明治初期に日本を訪れた外国人による記録などで裏付けることができるかを、ゆっくりやってみたい。もちろん11)などは現代的視点からの特徴だし、すべての項目を文献的に確認できるわけではないとは思うが。

ひとつだけ例を挙げておく。7)に関連して、幕末の1965年に日本を訪れたシュリーマンの言葉だ。

「(横浜の)家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。」
「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。」(『シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

こんな感じでゆっくり集めていきたいと思っている。

3)上の11の長所を、日本文化のユニークさ四項目と関連付けて、歴史的な背景をさぐること。日本人の長所はどんな歴史的背景から形成さされたのかということだ。これは2、3回で終わる短期的な企画になるだろう。

<日本文化のユニークさ四項目>

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

4)ブログのカテゴリー「日本文化のユニークさ」では、上の四項目についてかなり考察してきた。ただこれをもう少し世界史的な視点との比較を多く取り入れてさらに深く探求したいと思っている。たとえば(3)について、日本ではほとんどなく、世界史では数え切れなかった異民族同士に悲惨な戦いの実態を把握することで、日本史との違いを際立たせるなど。これもじっくりやっていければと思う。

5)エントリー「マンガ・アニメの発信力:異界の描かれ方」で触れたテーマを個々の作品について続けていくこと。「マンガ・アニメの発信力:BLEACH―ブリーチ―(2)」でやったことを、

BLEACH―ブリーチ―
涼宮ハルヒの憂鬱
DEATH NOTE デスノート
鋼の錬金術師
犬夜叉
幽・遊・白書
ヒカルの碁

などでもやっていくということだが、これがいちばん手ごわく、時間もかかりそうだ。日本文化の中での異界のとらえかかたを探る、それを世界の宗教と比較する、個々の作品を読み込むなどをしっかりしないとできない。

とりあえず頭に思い浮かぶのは、以上のような企画だ。続けるうちにまた新しいアイディアが生まれてくるかもしれないし、たち切れになる企画もあるかもしれない。マイペースでやっていければと思う。

若者の文化的「鎖国」が始まった?今後の計画など(1)

2011年01月13日 | 全般
今回は、今後このブログでどんな話題を展開していきたいか、現時点での大雑把ないくつかの計画を書いておきたい。

1)まず今日のタイトルに掲げた「若者の文化的『鎖国』が始まった?」だが、「鎖国」という言葉を使うのはかなり誤解を招きやすいかもしれない。最近の若者に対する意識調査など読み取れる傾向をちょっと刺激的な言葉で表現しようとすると文化的「鎖国」という言葉もありかなと思った。若者が海外旅行や留学にあまり興味を持たなくなった、洋楽や洋画よりも、JPOPや邦画を好むようになった、日本的な伝統文化を誇りに思う率が高くなったなど、和風志向や日本回帰、伝統的な価値観の復活の傾向が、いくつかのアンケートからはっきりと読み取れる。

これはもしかしたら、長い日本の歴史の中で三番目の文化的・心理的な「鎖国」傾向が始まる兆しかもしれないと私は思っている。

遣隋使、遣唐使が中国から多くを学び取り、律令国家体制を築いたあと、やがて遣唐使を廃止して平安朝の国風文化が花開いたのをかりに第一の文化的「鎖国」とする。

第二番目は、フランシスコ・ザビエルなどイエズス会の宣教師たちがキリスト教とともに南蛮文化を日本にもたらしたあと、国内でのキリスト教の広がりに危機感を感じた江戸幕府がおこなった文字通りの鎖国である。その後、いくばくかの時を経て豊かな江戸庶民文化が開花した。

そして明治維新後は主にヨーロッパから、第二次大戦後はアメリカからも、日本人は必至にあまりに多くを学び、多くを取り入れ続けた。もちろん個別にはまだまだ学ぶべきことはあるだろうが、大勢としてはヨーロッパやアメリカと同列、いや一部はかなりすぐれたところまで来たと日本人は気づきはじめた。そこから第三の文化的、心理的「鎖国」が始まったのだ。そういう時代の流れを無自覚に、しかしいちばん敏感に感じとっているのが、20代の若者たちではないのか。

もちろんこれだけ情報化し、グローバル化した現代に文字通りの鎖国などありえない。しかし、「学ぶべきモデルはすべて欧米にあり」という心理的傾向は今の若者にはない。それが学ぶこと一般への情熱の減少にもつながっているかもしれない。そして日本の若者は、少しずつ始まった心理的な「鎖国」傾向のなかで、世界中から集められた素材で煮込んだポップカルチャーを生み出してきたのであり、それが知らず知らずのうちに世界に発信されるようになっていた。江戸時代の鎖国と違い、文化の出力の方は閉ざさしていないから、日本発ポップカルチャーは生み出されるとほぼ同時に世界に広まっていく。浮世絵が幕末になってやっと世界に知られたのと大きな違いだ。

日本の歴史は、国外から必死に学び取る時代と、内向化して学び取ったものを自分流に熟成して独自のものを生み出す時代とを、交互にくり返してきた。今は、ひたすら学び取る時代は終わり、次の段階に入りつつある時代なのではないか。日本史の、こうした長いスパンの中で、現代若者の意識変化や、世界に広がるクールジャパン現象を位置づけてみたい。ゆっくりやっていきたいが、こんな企画をひとつ考えている。

《関連図書》
欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)
ニッポン若者論 よさこい、キャバクラ、地元志向 (ちくま文庫)

《関連記事》
クールジャパンに関連する本02
  (『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)』の短評を掲載している。)

お別れのスピーチ

2010年05月01日 | 全般
今日は、このブログとしてはちょっと異質なのだが、私が昨日行なったスピーチを掲載する。私が勤めていた高校での、全校生徒を前にしたお別れの挨拶である。

そのスピーチの一部が、このブログのテーマに関係するからだ。スピーチをするにあたって、いろいろ考えたのだが、やはり私がいまいちばん関心をもっていることを通して、生徒に語りかけるのがよいと思った。

実際に話した内容は、時間の関係などで下に掲載したものとはかなり違ってしまった。しかし、主旨はほぼこれと同じである。なお、本文の中の、フランス人、ベトナム人へのインタビューからの引用は、『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』からである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みなさん、こんにちは。私は○○高校で9年間勤務しました。
○○高校で働いていちばん印象深かったことは、9年間で生徒の印象が大きく変化したことす。一言でいうと、毎年毎年、生徒たちがまじめで素直になっていったということです。

(中略)

ところで最近私は、ある発見をした。○○高校の生徒は急激に素直で真面目になっていったけれど、これは日本の高校生全体に言えることだったんだなと。もちろん、○○高校生にとくに顕著にはっきり現れていた傾向なのだけど、今の日本の若者は多かれ少なかれ真面目でおとなしくなっている。

ひとつだけ例をあげます。
電車や街中で地べたに座る、電車の中で大声で話す、電車の中で携帯で話す、下着が見えそうな服装をする。こういうのをみんなどう感じますか。8年・9年前の若者に比べると、こういうのに違和感、抵抗感を感じる若者がどの項目でも2・3割ずつ増えているのだそうだ。ということは、それだけそういうことをする人が少なくなっている。日本の若者全体が、それだけ真面目になっているということでしょう。(数字は、地べたに座る96%、大声で話す95%、下着が見えそうな服装で70%が違和感を感じる、『欲しがらない若者たち(日経プレミアシリーズ)』より)

もしかしたら、これは若者に活気がなくなった、反抗心がなくなったという面につながるのかも知れないけれど、一方で今の若者も、日本の社会のよさを確実に守っていく方向に変化しているな、という良い面もあると思っている。

日本の社会の良さとは何か。それは日本の中にいるとあまり分からない。実は私も海外に長期滞在したという経験はありません。ただ今はインターネットが発達しているから、たとえばYutubeなんかで、日本の様子を写した動画を世界中の人がかんたんに見ることができ、すぐにその反応、感想を書き込む。そういうのを見ていると、世界中の人が日本のどんなところに良さを感じているのかがすぐわかる。

たとえばこれは、日本に3年ほど住んでいるフランス人の感想だけど、「これまでにパリ、ベルリン、ロンドンにも住んだことはありますが、日本の街の安全性は特別です。通常、大都市で生活するときは緊張感が伴います。街を歩くとき、基本的には行き交う人々と視線を合わせないほうがいいと言われています。しかし、東京では初めからそういう緊張は感じませんでした。新宿や渋谷など、いろいろな人々が行き交う繁華街でさえも、大都市で安心して生活できる――そうしたすばらしい気持は、日本でしか感じられません。」

日本の電車の中では、みんな安心して眠ったり、本を読んだりしているけれど、パリやロンドンでは、みんな緊張して自分のカバンをしっかり抱えているそうだ。安心して眠るなんてできない。いつ何を盗まれるか、分からないからね。

日本は、安全な国であり、ルールをよく守り、社会に秩序がある。中国から日本にやってきた人々がびっくりすること。ホテルを出るとき退出検査がない。部屋の小物を盗むような日本人は、ほとんどいないからだろう。犬を散歩させるけど糞は、飼い主がその場で掃除をする。これも、びっくりするらしい。アメリカ人も中国人も驚くこと、日本には自動販売機が多い、しかも誰もそれを壊して金を盗まない。自動販売機が鉄孔子で囲われていなくとも、盗む人はいない。

もうひとつ紹介しよう。これは日本でベトナム料理店を開いているベトナム人の感想です。
「日本に来て本当によかったと思います。日本人は正直で、几帳面、他人を騙す人は少ない。それは従業員を使ってよく分かりました。例えば、ベトナム人は、自分の都合で予告なく休みます。自分の都合を優先します。突然の休みでお店はてんてこ舞いになる。それでも同じことを繰り返す。その点、日本人は事前に休みを申請し、店側に迷惑をかけないよう気配りしてくれます。仕事に対する意識が違うのです。」

こういう感想もすごく多い。たとえばたとえばスパゲッティのゆで方ひとつとっても、日本人の仕事への情熱、完璧を追求する精神がよく分かるという。日本のどんな小さなイタリア料理店にいっても、イタリアと同様のアルデンテの状態(理想的なゆで上がりである歯ごたえのある状態)で出てくる。ヨーロッパの国では、高級イタリア料理店を除くと、このアルデンテに遭遇する確率はきわめて少なくなるのだそうだ。

インターネット上などで外国人が述べている日本の社会の良さをまとめると、

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)サービスの質の高さ、公平で丁寧な公共サービス
6)清潔さ(ゴミが落ちていない)
7)環境保全意識の高さ 

などです。

私は、この9年間での○○高校生たちの変化を見ていて、こういう日本の良さは、かんたんには崩れない、かなり保たれていくのではないかと思うようになった。みんなが、日本の良さを自覚して、その良さを守っていこうと意識すれば、ますますその良さが保たれていくように思います。日本の将来を担っていくみなさんへのお別れの言葉とします。