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今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

アマテラス:『神話と日本人の心』を巡って(3)

2015年06月07日 | 現代に生きる縄文
◆『神話と日本人の心

第四章「三貴子の誕生」(続き)

《アマテラスとアテーナー》
ギリシアの神々のなかで、日の女神アマテラスにもっとも類似するのはアテーナーではないか。アテーナーも父から生まれている。

ゼウスの正妻はへーラーとされるが、それ以前に女神メーティスがいた。聡明な女神だったが、大地と大空がゼウスに忠告した。二人の間に生まれる子は、もし男子なら父親を凌ぎ、神々と人間たちの君になるだろう、もしゼウスが永遠に統治権を握りたいなら、適当な処置が必要だ、と。ゼウスはその意見にしたがい、メーティスが懐妊したとき、彼女を自分の腹の中に呑み込んだ。その胎児がゼウスの頭の中で成長し、やがてゼウスは大変な頭痛を覚えたので、斧で頭を打ち割らせた。するとアテーナーが武装して雄たけびをあげて飛び出してきた。彼女は軍事にも携わったが、機織りにも長けていた。(アマテラスの機織との共通性)

日本神話との違いは、ゼウスが自分の統治権を守ろうとしたのに対し、イザナキは、自分の統治権をあっさり娘に譲り、自分は身を隠してしまうことであり、この差は大きい。

アメリカのように極めて父権意識の強い国では、女性の地位は長く低く見られてきたが、それに対しウーマン・リブ運動が起こり、女性も男性と同等の能力をもつと主張した。その結果、多くの職業に女性も進出し、女性の社会進出は成功した。しかし、その成功の陰で自分たちの「女性性」が犠牲になり、傷ついていると感じる女性も多かった。成功の一方、女性に固有なアイデンティティ、女性的な価値が失われるのは、西洋では、女性の価値が男性との関係でのみ決定されることが多いからではないか。ユング派の女性分析家は、そんな自分を「父の娘」と呼ぶ。

アマテラスはアテーナーに似て「父の娘」だが、ギリシアではあくまでもゼウスが主神である。一方日本ではアマテラス自身が主神である。彼女は、母を知らないという意味で地母神ではない。イザナミは黄泉に行き、地下の神となり、アマテラスは天上の神となる。もしアマテラスがイザナミの娘であれば、見事な母権制の社会ということになるが、そう単純ではないところが日本神話の特徴である。(注)

(注)無意識は、意識化された自我の一面性をつねに補償する働きをもつ。そのような無意識の世界を自我に統合していくプロセスが、ユングのいう「個性化の過程」だ。ユングの患者たちは、キリスト教文化圏の人々だから、彼らの無意識から産出される内容は、正統キリスト教の知を補償するものであることが多かった。

父なる神を天に頂く彼らの意識を補償しようするのは、母なるものの働きである。ユングはそのような観点からヨーロッパの精神史を見直し、正統キリスト教の男性原理を補うものとして、ヨーロッパ精神の低層に、グノーシス主義から錬金術に至る女性原理の流れを見出していった。

西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。キリスト教を中心にしたヨーロッパ文化の危機の根源はここにあるかも知れない。

唯一の中心と敵対するものという構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出される。これに対して日本神話の場合はどうか。例えばアマテラスとスサノオの関係は、それほど明白でも単純でもない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。

男性原理と女性原理の対立という点から見ると、日本神話は、どちらか一方が完全に優位を獲得し切ることはなく、一見優勢に見えても、かならず他方を潜在的に含んでおり、直後にカウンターバランスされる可能性を持つ。著者はここに日本神話の中空性を見る。何かの原理が中心を占めることはなく、それは中空のまわりを巡回しながら、対立するものとのバランスを保ち続ける。日本文化そのものが、つねに外来文化を取り入れ、時にそれを中心においたかのように思わせながら、やがてそれは日本化されて中心から離れる。消え去るのではなく、他とのバランスを保ちながら、中心の空性を浮かび上がらせる。(河合隼雄『中空構造日本の深層 (中公文庫)』)

非ヨーロッパ世界のなかで日本のみがいちはやく近代文明を取り入れて成功した。男性原理に根ざした近代文明は、その根底に先に見たような危機をはらんでいる。日本の文化は、近代文明のもつ男性原理や父性原理の弊害をあまり受けていないように見える。それは、日本が西洋文明を取り入れつつ母性的なものを保持したからだろう。しかし単純に女性原理や母性原理に立つのではなく、中空均衡型モデルとでもいうべきものによって、対立や矛盾をあえて排除せず、共存させる構造をもっていたからではないのか。

日本が、男性原理の上に成り立つ近代文明を取り入れ成功しながら、なおかつ男性原理の文明のもつ弊害を回避しうる可能性を隠すことが、今後ますます重要な意味をもつかも知れない。

(付録)シャーロット・ケイト・フォックスへのインタビュー
別所 日本の女性とアメリカの女性との違いは?

シャーロット 米国では「パワフル」「ストロング」「セクシー」、この三つが合わさって「彼女はビューティフル」になるんです。「キュート」って言われると、見下されているように感じます。だから私も当初、日本で「かわいい」と言われると戸惑いました。でも、「かわいい」には、英語の「キュート」にとどまらない、いろんな意味が含まれていることが分かってきました。

ここ日本で「美しくあること」って難しい。米国と全く違いますから。一方で、自分の内面に向き合い直すよい機会だとも思っています。自分の内面を再考察するといえば、言葉を発する前にまずきちんと考えてみることですね。米国では必要以上に感情が高まったり、あまりにも直接的なものの言い方になってしまったりするんです。感情の起伏が激しくなってしまうんです。特に人を愛することに関しては。
別所 日本女性の長所って見つけましたか?

シャーロット 日本女性のパワーの源を学んでいるところです(笑い)。米国の女性と違うんですよね。内に秘めたパワーというか。本当にとても強いパワー。まるで魔法のようです。私の友人は優しくて、嫌われずして得たいものを得るんです。不思議です。(毎日新聞-2015/03/26)

縄文語は抹殺されなかった

2015年02月19日 | 現代に生きる縄文
◆『縄文語の発見 新装版』(小泉保)

本ブログでは、「縄文文化の記憶が、現代日本人の心や文化の基層として生き続けている」ということを主張の根幹に据えている。である以上、当然、縄文時代から弥生時代へも文化の継承がなされたのであり、そこに大きな断絶はないという立場をとる。またそういう主張をしばしばしてきた。以下を参照していただきたい。

縄文と弥生の融合
日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?
日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ


また、縄文語から弥生語への移り変わりも、断続ではなく連続性があったという見解に何度か触れたことがある(→★日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き))。言語学者である小泉氏による上の本は、そのような立場から縄文語を探求しようとする、私が知るかぎり唯一の研究書である。これまでの研究者は、縄文語と弥生語との間には断絶があったと決めてかかっていた。弥生語が縄文語を駆逐して、それに入れ替わったと主張できる証拠は何もないのに、研究者のほとんどはそういう億説に縛り付けられているという。

人類学や考古学の近年の研究成果には驚くべきものがあるが、日本語の起源を探る研究もそうした成果に裏付けられたものでなければならない。人類学や考古学が縄文時代と弥生時代は連続していると主張しているのに、言語学者が、両者が断絶していると何の根拠もなく決めてかかるのだとすれば、それは知的誠実さに欠ける。

人類学でほぼ定説になっているのは、日本列島には縄文時代の一万年にわたってアイヌ人を含む南方モンゴロイド系の縄文人が生活しており、紀元前二・三百年ごろ北方モンゴロイド系の渡来人が移入してきたことである。

しかし、大量の渡来人が一挙に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。縄文人が抹殺されたり、奴隷にされたりして、日本列島から縄文文化が消滅したわけでもなかった。大陸からある程度の集団的な渡来があったとしても、この時代の渡航技術からして先住民を一気に駆逐したり虐殺したりできるほどの大規模な移動はできなかった。

渡来人の移入以前、縄文人は、前期からすでに日本列島にはひろく住んでおり、土器の生産に従事し、相互に交流していた(ヒスイが糸魚川で産出し加工され、日本列島に広く流通していた例など)。縄文人はかなり均質化した文化をもっており、とすれば、地域差はあったにしろ、異言語の乱立するような状況は考えにくい。縄文前期からすでに縄文語という原日本語が形成され始めたのではないかと著者はいう。 

ある程度の年月をかけて小集団ごとに渡来した人々は、最初は多少の摩擦はあったとしても、やがて相互に影響しあい、やがては縄文人と溶け合っていくほかなかったはずだ。近年、そうした融合を裏付ける考古学上の研究成果が多くなっている。土器の形や文様も、縄文土器から弥生土器へと連続的に変化しているという研究が見られるようになった。縄文土器が徐々に変化して弥生土器が生まれた可能性が高いというのだ。

とすれば、言語もまた制圧と断絶という形で入れ替わったとは考えにくい。しかも日本語は、様々な学説はあるものの、現在までのところ琉球語以外にその同族関係が証明されていないという。「周辺言語との同型性を証明する比較方法の手がかりがつかめないとするならば、日本語は、日本列島が孤立して以来一万年の間に、この島国の中で形成されたと考えなければならない」と、著者は主張する。155 確かに、二千数百年前に渡来した弥生人が縄文語を消滅させてしまったなら、大陸のどこかに弥生語ときわめて親近性の高い言語が残っているはずなのに、それが見つからないのだ。日本語は、縄文文化とともに始まり、断続なく現代に連なる長い歴史ももっているというべきだろう。

それゆえ著者は、縄文語の有力な方言のひとつから弥生語が形成されたという仮説にたって、現代日本語の諸方言をもとに、比較言語学と地域言語学(著者の専門領域)という手法を使って縄文語を再現しようとする。それは、この本の中核をなす研究だが、きわめて専門的で精緻なものなのでここでの紹介は控える。ただ、現代日本語のルーツが縄文語にあるという主張は、学問的にも無視できないものであるのは事実だ。

最近「世の中を平和にする日本語と縄文時代」という記事で、日本語の話者は、自分を強く打ち出すよりも、周りと協調し、「全体の中に自分を合わせていくこと」を目指すことが多いことに触れた。それは日本語の構造によるところが大きいという。私は、そういう日本語が、縄文人の自然と一体となった生活のなかで形成されたのではないかと主張した。今回紹介した研究からも、言語を通じて縄文人の心が現代日本人に受け継がれていると確認できるのではないか。

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古代人と神々の交流

2015年02月17日 | 現代に生きる縄文
◆『日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)

著者・上野誠氏は、日本人が日本的だと意識している思考法の源流は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』に表れているという。これらの文献から古代的な心のあり方、正確には7世紀と8世紀の社会を生きた人々が聖なるものをどのように認識していたのかを明らかにすることが、本書の目的だという。

この本が興味深いのは、上に挙げたような文献を丹念に読むことによって、古代人が自然や神をどのように認識していたかを見事に浮かび上がらせているからだ。そして私自身の関心から興味深いのは、ここで描かれるような古代人の思考法から、文献的には検証できない縄文人の思考法がどうであったかを、ある程度推測できそうだ思われる点だ。

本格的な水田稲作文化が開始したとされる弥生時代の始まりを紀元前五世紀頃とするなら、縄文時代が終わったのは『古事記』が成立した紀元712年よりも千年以上も前だ。しかし一万年以上続いた縄文人の思考法が、この時代に消滅していたとは考えにくい。むしろ縄文人の心のあり方が基盤となってこの時代の人々の思考法が成立していたと考えるのが自然だろう。

多くの宗教学者が「日本の宗教は、その根底にあるものはすべて同じで、万物生命教というべきものであり、山川草木、山河大地も神仏である」と言い切るというが、そうした古代人の心のあり方は突然に出現したのではなく、一万年の長きに渡り「母なる自然」に抱かれながら生きた縄文人の心のあり方を基盤としているというべきであろう。

7・8世紀ごろに生きた日本人にとって、人もモノもすべてが霊的な存在だった。カミもオニも花も鳥も、要するにすべてが霊的・人格的存在だったという。たとえば著者は、『万葉集』の、天智天皇が皇太子時代に作ったとみられる歌を紹介している。

香具山は 畝傍(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしえ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき

香具山、畝傍山、耳成山の大和三山は、神代から互いに妻を争った。古もそうだったのだから、今も人は妻を争うのだという内容だ。これは現代人がするような「擬人法」ではなく、古代人の自然な発想ととらえるべきだという。生命あるものとないものとの垣根がきわめて低いのである。

生命あるものとないものの垣根が低いだけではない。神もまた垣根で仕切られていない。『古事記』に登場する神々は、山であり、木であり、風である。神々は、恋もし、妬みもし、罪を犯す。糞や尿や吐瀉物からもカミは生まれる。存在しうるすべてが神となり得え、無限にカミが生まれ続ける。

『古事記』の国土形成神話では、男女二神の性交によって島々が生まれたという。そしてイザナミノミコトは、火の神を産んで死ぬ。女性器が焼きただれて病み、嘔吐し、大小便を排泄して死を迎えた。その吐瀉物や排泄物からも、次々に神は生まれた。その神々は豊かな食物を生みだす女神であった。

ところでイザナミノミコトが産み落とした島々にはそれぞれに神名が記されているという。島産みは、同時に神産みであるということだ。島と神が対応し、地名と神名が対応する。そして、それぞれの土地に、それぞれの神がいる。地名があるということは、そこに神がいるということであり、その土地土地の神は「くにつかみ(国つ神)」と呼ばれた。

『万葉集』に「楽浪(さざなみ)の 国つ御神(みかみ)の うらさびて 荒れたる都 見れば悲しも」という歌がある。「楽浪(大津の宮のあった一帯)の国つ神のお心が、荒(すさ)んでしまって、荒れてしまった都を見るのが悲しい」という意味だ。土地の神の心が荒れれば、その土地もまた荒れてしまうというのである。

このように「人格」や「神格」があるように、土地にも「地格」というべきもの認められていた。その土地の霊を祀ることが重んじられるのは当然であったろう。このような考え方は、日本の宗教の根底にあって、現代でも多くの神社が、それぞれの地域の人々によって支えられているのも、そのような考え方が多かれ少なかれ受け継がれているからだろう。

以上は、著者の考察の一端に触れたにすぎないが、当時の文献に沿って古代人の心のあり方をあぶり出すという方法は、説得力がある。そして私にとっては、万葉の時代ですらこうなのだから、本格的な稲作農耕に至らず、周囲の自然により依存していた縄文時代の人々は、山川草木とともにいます神々とさらに生き生きと交流をしていたのだろうと想像させてくれるものであった。

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世の中を平和にする日本語と縄文時代

2015年02月06日 | 現代に生きる縄文
◆『日本語が世界を平和にするこれだけの理由

著者の金谷武洋氏は、カナダのモントリオール大学で長年、日本語を教えてきた人。この本は、その経験を随所に散りばめ、中学生でも興味をもって読めるように、やさしく書かれている。欧米語に比べ、日本語がいかに独自の素晴らしさをもっているか、英語を学び始めた若者たちにもそれを知ってもらいたいという、強い思いで書かれたようだ。ここでは、私の関心に重なる限りで、その内容の一部を紹介してみよう。

日本人なら富士山を見て「あ、富士山が見える」と言うだろうが、英語を母国語とする人なら、Oh, I see Mount Fuji. というだろう。この場合、日本語文の主人公は自然(富士山)だが、英語では「私」という人間である。日本人ならその場面の主人公は富士山であり、私のことなど念頭に浮かばない。

日本語の「ありがとう」には話し手も聞き手も、つまり人間が一人も出てこない。これに対し、Thank you は、元は I thank you であり、話し手と聞き手がしっかり登場する。英語は「(誰かが何かを)する言葉」、日本語は「(何らかの状況で)ある言葉」と言えるかもしれない。

日本語の「おはよう」は、「こんなに早いんですねぇ」と心を合わせ、二人で共感する言葉だと言えるが、英語の Good morning は、元々は I wish you good morning.であり、私があなたの朝が良いものであるよう祈るという積極的な「行為」を表現する。つまり「する言葉」なのだ。

両方とも、英語には人間が出てくるのに、日本語には出てこない。日本語の「おはよう」も「ありがとう」も、二人が同じ方向も向いて「視線を合わせ」ながら(「共視」しながら)、一緒に感動、共感しているだけで、文に人間が出てこない。日本語は、共感の言葉、英語は自己主張と対立の言葉であるとも言える。


日本語と、英語に代表される欧米語とは、様々な点でその「発想」が正反対である。たとえば地名についても、日本語では、ある有名人がそこの出身だからと言って、土地にその人の名前をつけるのは非常に珍しいが、英語では、人名が地名になるケースが多いのである(人名→地名)。では人名についてはどうだろうか。日本語は、地名(や地形など場所の特徴)が人名になる(地名→人名)が、英語の名前は、先祖の職業がなんだったかや父親は誰だったかなどによる場合が圧倒的に多い、つまり多くが人間に関係している。日本語の苗字は「先祖がどこに住んでいたか」に注目するが、英語では「先祖がどんな人だったか」が大切なのだ。ここにも、自然に立脚する日本人の発想と、人間に立脚する欧米人の発想との違いがありそうだ。

もし言葉を話す場を、劇の舞台にたとえるなら、英語はそれを演じる役者、「人間に注目」するのに、日本人は人間よりもその周りの舞台や背景、つまり「場所に注目」するのだとも言える。日本語の話者は、自分を強く打ち出すよりも、周りと強調し、「全体の中に自分を合わせていくこと」を目指すことが多い。「全体に溶け込む」ように努力するあまりに、聞き手を直視したり、大きな声で話すことを避けようとする。日本語という言葉そのものの中に「自己主張にブレーキがかかるような仕組み」が潜んでいるのかもしれない。

金谷氏には『日本語に主語はいらない』という本でも主張するように、日本語の基本文では、英仏語などと違い、述語があるだけでりっぱな文になるという。欧米語の発想からすると主語が省略されているように見えるが、実はそうではなく、もともとそれは述語に含まれているのだという。

欧米語、とくに英語は文の組立てに「主語」が不可欠だ。そのためか、英語の話者は聞き手と同じ地平に立たないどころか、自分を含めた状況から身を引き離して上空から見下ろしているようになってしまった。もともと欧米語も自然中心の言葉だったたが、少しずつ人間中心の言語に変化していき、その最先端に英語が位置すると著者はいう。

かつてこのブログで金谷氏の別の本、『日本語は亡びない (ちくま新書)』を紹介した。ここでも、日本語を、英語をモデルとした文法で理解しようとする愚かさが鋭く指摘されている。英語文法は、主語-述語を基本とした人間中心の構造をもつ。英語の話者は、他との関係で自分を捉えるのではなく、状況から独立した絶対的な私(主語)を中心に考える傾向が強くなる。それに対して、日本語文法は、自然や状況中心の文法であり、英文法モデルで分析するには無理がある。むしろ、混迷する世界の救える思想が日本語には含まれており、だからこそ日本語の脱英文法化が急がれなければならないという。日本語だけでなむ、日本文化全般への著者の愛情を感じさせる本だった。

では、日本語はなぜそのような特徴を持つのか。著者は、その理由を語っていない。しかし私には、その理由が、このブログで語、日本文化のユニークさ8項目のうち、とくに一番目に深く関係していると思われる。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。「縄文時代の環境に影響されているのではないか。

日本列島に生活した私たちの祖先は、定住段階に入ったにもかかわらず、狩猟・採集・漁撈を核とする生活を営み、森におおわれた大地と豊かな海との生態系に深く依存していた。新石器文化としては特異な、前農耕社会でありながら独自の土器を伴う質の高い生活形態を驚くほど長期にわたって保ち続けていたのだ。およそ1万年も続いたその生活スタイルの記憶や影響が現代の私たちに残っていないとする方が不自然であろう。しかもそういう環境の中で生まれたであろう縄文語が、おそらく現代日本語の基盤となって、私たちの発想法に影響を与えているのだ。

縄文人は、一定の植物栽培を行っていたとしても、それは周囲の自然を根本から大きく変えるものではなかった。森におおわれた豊かな自然そのものが彼らの生活を支えていた。周囲の自然を荒らさず大切に守り、そこから許されるだけの恵みを得ることで、自分たちの永続的な生存が保障される。それほど密接な関係にある周囲の自然を、限度を超えて勝手に荒らせば、自分たちの生存が脅かされることを縄文人はいやというほど知っていた。彼らは、木や草や川や森や様々な生き物を自分たちと同格の存在、あるいはそれ以上の神聖な存在と感じ、その怒りに触れることを恐れた。こうして彼らは、周囲の自然の背後に、一切の生あるものを生み出す地母神や様々な精霊を感じ、その恵みに抱かれて生きていることを実感し、感謝しただろう。だとすれば、命あるものを限りなく生み出す「母なる自然」への縄文人の祈りや信仰は、農耕民よりももっと強かったと考えるのが自然だ。

そのような縄文人の生き方からは「人間中心」の発想は出てくるはずがない。自然に依拠し、周囲の自然を敬いながら生きた縄文人の世界観は、おのずとその言語にも反映される。一万年以上の年月の中で形成されたであろう縄文語は、他の縄文文化と同様に次の時代へと引き継がれていった。その世界観が現代日本語にも反映されているのだ。

以上に関連する記事は下に示したが、とくに★日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)を読んでいただければ幸いである。

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長江文明と日本

2014年09月15日 | 現代に生きる縄文
引き続き、日本文化のユニークさ8項目のテーマをのうち一番目、と二番目のテーマとの関連でいくつかの本を取り上げる。

◆『古代日本のルーツ 長江文明の謎
◆『対論 文明の風土を問う―泥の文明・稲作漁撈文明が地球を救う
◆『対論 文明の原理を問う

中国の雲南省から長江流域、そして西日本には多くの文化的共通点があるという。たとえば納豆や餅などネバネバした食べ物が好きであったり、味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、鵜飼と同じような漁が行われることなどである。中尾佐助氏や佐々木高明氏は、この文化的要素が共通する地域の文化を「照葉樹林文化」と名付けた。そして雲南の高地を中心とした半月形の地域を稲作農耕の起源地とした。

しかしその後の研究から稲作の起源地は雲南ではなく長江中・下流域であることがわかってきたという。6300年前に誕生し長江文明は、4200年頃に起こった気候の寒冷化の影響を受ける。漢民族のルーツにつながる北方の畑作牧畜民が南下し、長江文明を発展させた稲作漁撈民は、雲南省や貴州省の山岳地帯に追われたのだ。同時に、長江流域を追われた人々の一部は海に逃れ、台湾や日本に流れ着いた。日本に流れ着いた人々の影響を受けて弥生時代が開かれえていったという。とすれば日本の源流は、長江文明の系譜を色濃く引いていることになる。

四大古代文明は、畑作農耕民と牧畜民の融合から生まれたが、湿潤地帯を流れる長江には、元来牧畜民はいない。長江文明では、牧畜民ではなく、狩猟民や漁撈民から動物や魚などのタンパク源を求め、そこから両者の融合が始まったのではないかという。そして長江文明は、他の古代文明とちがい森の文明である。森には生命の再生と循環が満ちている。その世界観は「再生と循環」なのである。

長江文明の人々は、何よりもまず太陽を崇拝した。そして重要なのは、その太陽が女神だったということだ。それは、日本のアマテラスが女神であることとどこかでつながるのかもしれない。漢民族の太陽神は炎帝という男神であり、ギリシャのアポロンも男神だ。長江流域の稲作漁撈民ははまた、山を崇拝した。山は、米作りのいちばん重要な水を生み出す。同時に、山は天地をつなぐ架け橋(梯)だった。稲作漁撈民にとっては、天地がつながり雨が降ることが最も重要だった。日本の会津磐梯山の「梯」もそのような意味が込められているのだろう。さらに柱も山と同じように天地を結合する豊饒のシンボルだった。こうしてみると、それらが日本の古代の信仰ときわめて近いことが分る。

縄文人にとっても山は、その下にあるすべての命を育む源として強烈な信仰の対象であっただろう。山は生命そのものであったが、その生命力においてしばしば重ね合わされたイメージがおそらく大蛇、オロチであった。ヤマタノオロチも、体表にヒノキや杉が茂るなど山のイメージと重ね合わせられる。オロチそのものが峰神の意味をもつという。蛇体信仰はやがて巨木信仰へと移行する。山という大生命体が一本の樹木へと凝縮される。山の巨木(オロチの化身)を切り、麓に突き立て、オロチの生命力を周囲に注ぐ。そのような巨木信仰を残すのが諏訪神社の御柱祭ではないか。稲作漁撈民もまた、蛇や蝶やセミを大切にした。これら脱皮する生きものは再生の象徴であった。

こうして比べると、縄文人と長江文明を担った人々の宗教世界はきわめて近い。もし日本に稲作を伝えた人々が長江流域から流れ着いた人々であったなら、縄文人はその信仰世界をほとんど抵抗なく受け入れることができ、それは日本列島にたどりついた人々にとっても同様だったろう。もちろん日本への稲作の流入は朝鮮半島からのルートも無視できない。しかしどちらにせよ、弥生文化は縄文文化の要素をかなり受け継いでおり、断絶と言うよりは影響し合いながらの融合という側面がかなり強いことが、近年の土器の変化の研究などでも明らかになりつつある。私たちが、一万年の縄文文化の記憶を断絶なく受け継いできたひとつの大きな理由は、日本列島に新たにたどりついた人々との世界観の近さがあったのかもしれない。

《関連記事》
日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ

日本文化のユニークさ29:母性原理の意味

日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み

日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤

日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)

日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)

日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

日本文化のユニークさ35:寄生文明と共生文明(1)

日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理


《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

縄文の女神

2014年09月06日 | 現代に生きる縄文
このブログでは、母性原理的な傾向の強い縄文文化が、現代日本の文化や社会にまで深い部分で影響をあたえているという立場から、これまでにもいろいろと書いてきた。とくに日本文化のユニークさ8項目との関連で触れてきた。カテゴリー「母性社会日本」の項などを参照いただきたい。

(2)文化を父性的な性格の強い文化と母性的な性格の強い文化とに分けるなら、日本は縄文時代から現代にいたるまでほぼ母性原理が優位にたつ社会と文化を存続させてきた。(文言は、前半部分を変更した)

このテーマに沿って検討してきたが、ただ、縄文文化が母性的な性格の強い文化であるとどうして言えるのかという点について、それほどしっかりとした論拠をもって語ってきたわけではない。縄文時代は文字が残っていないので、縄文人の心や信仰を探る材料は、土偶や土器などの遺物に頼るほかないからだ。

しかし最近、土器の精緻な分類だけにとどまらず、総合的な視野から縄文人の精神性に迫ろうとする考古学者の研究が見られるようになった。その一つが渡辺誠氏の『よみがえる縄文の女神』であり、大島直行氏の『月と蛇と縄文人―シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観』である。今回は、前者を取り上げてみたい。

著者は「弥生時代の米づくり文化を築く土台となった縄文文化には、自然との共生で培った高度な技術と多様な生活様式、そしてそれらを支える輪廻の思想、死と再生の祈りやいのちを尊ぶ女神信仰が確かに存在した」という立場から、その精神文化のエッセンスが記紀神話へと引き継がれていったと主張する。

この主張は、著者自身の研究や先行する研究者たちの業績からたどりついたものであり、以下がその要点である。

1)貝塚は、ミ捨て場ではなく、人も動物も再生して豊かな恵みをもたらすことを祈る、魂(たま)送りの場である。
2)土偶は、女性の出産能力に象徴される女神の霊力を宿す。その多くはあらかじめ壊すことを目的につくられ、新たな生命の復活とムラの甦りのために、意図的にバラバラにして葬られた。
3)埋甕(うめがめ)は、甕に入れた死産児を竪穴住居の入口下に埋葬し、いつもそこをまたいで通る母親の胎内に再生することを願った風習である。
4)人面・土偶装飾付土器は、女神の顔または身体を口縁部にもち、土器の本体は女神の身体を意味する。つまり自身を焼いて生み出された食べ物が新しい命であり、日本神話のイザナミやオオゲツヒメの姿を連想させる。

最後の4)については写真を見てほしい。これは「顔面把手付土器」とよばれる深鉢だが、この土器で調理された食物は、女神像の内部からの贈り物を意味しただろう。とすればこの土器は、その体内から貴重な食物を無限に生み出し続ける地母、つまり「母なる自然」そのものであり、縄文人の地母信仰の端的な表現と見ることができる。

さて大地を母とし、農耕を生殖活動と同じとみなす世界観は、農耕民の原始宗教には広く見られる。世界に広く出土する土偶も、豊饒な母なる大地をあらわす地母神である。それは多産、肥沃、豊穣をもたらす生命の根源でもある。地母神への信仰は、アニミズム的、多神教的世界観と一体をなす。また地母神信仰は蛇信仰とも深く結びついている。

一般的に言って、豊かな森の恵みや大地の豊饒性に根ざす世界では女神が信仰されるといえよう。メソポタミアの各地でも、起源が同一とみられる一連の地母神(イシュタル、イナンナなど)が信仰された。エジプトでは豊かなナイルの土壌をあらわす女神イシスが最も広く信仰され、ギリシアでは、地母神であり、大地の象徴であり、世界と神々の母であるガイアが君臨した。

しかし、紀元前1200年頃の大きな気候変動があり、北緯35度以南のイスラエルやその周辺は乾燥化した。その結果、35度以北のアナトリア(トルコ半島)やギリシアでは多神教や蛇信仰が残ったが、イスラエルなどでは大地の豊饒性に陰りが現れ、多神教に変わって一神教が誕生する契機となったという。(安田喜憲『蛇と十字架』1994年、人文書院)

これは、大地の豊饒性の低下の中で、信仰の中心が大地から天へと移動し、宗教の性格も母性的なものから父性的なものへと転換したことを意味する。父性的な宗教の典型がヤーウェを唯一神として信仰するユダヤ教である。やがてユダヤ教からキリスト教が生まれてヨーロッパ世界に広がり、さらに遅れて、先行する二つの一神教に刺激されながら西アジアでイスラム教というもう一つの一神教が成立するのである。

ところで日本列島は、世界的な気候変動にもかかわらず大地の豊饒性はそれほど変化しなかった。降水量に恵まれた風土は、森林の成育にとって好条件となり、温帯地域としはめずらしい程の豊かな森に恵まれた環境が維持された。それは豊かな「森の列島」であった。この好条件ゆえ、狩猟・漁撈・採集を中心にした縄文文化を高度に発達させながら長く存続させることができた。この豊かな森の中で、その恩恵をたっぷりと受けて育まれたのが縄文文化であった。縄文人の宗教的な世界も、豊かな自然に根差した母性的な性格を失わなかった。いや、ある意味で縄文人の宗教世界は、農耕民以上に母性的な性格をもっていたのではないかと推測できる。農耕には、自然に働きかけて変えようとする強力な意志が含まれるが、縄文人はありのままの自然に依存する傾向がより強いからである。

こうしていのちの宝庫である豊かな森は、縄文人によって様々な遺物に表現され、母なる自然への彼らの信仰を現代に伝えてくれるのである。旧大陸のほとんどの地域が農耕社会にはいり、イスラエルとその周辺地域から父性原理的な一神教が広がっていくなか、日本列島に住む人々は1万年の長きに渡って、豊饒な大地と森の恵み、豊かな海の幸に依存する高度な自然採集社会を営んだ。その宗教生活は、「母なる自然」を信じ祈る、きわめて母性的な色彩の濃いものであった。その独特の生活形態と自然観、自然との関係の仕方は、農耕社会以降の日本の歴史の4倍から5倍も長く保たれ続けたため、その後の日本人にとっては消し難い「文化の祖形」となったのである。

《参考図書》
森のこころと文明 (NHKライブラリー)
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
森を守る文明・支配する文明 (PHP新書)

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もののあわれとアニミズム:神話と日本人の心(5)

2013年11月10日 | 現代に生きる縄文
◆『神話と日本人の心

私は、この本を読み、日本神話の特徴が、その後に展開する日本文化の特徴にも深く関係するという点に注目し、そのいくつかを取上げて考えてきた。今回はまだ触れていなかった項目に簡単に触れたい。

②自国内よりも外国に基準を求める態度

古事記の成立は、712年。日本書紀は720年。この時代に日本人の国家意識が以前より強まり、大陸に対して日本という国の存在や基盤を示そうとする意図が強まった。国家の中心である天皇家の地位を明確にする意図も働いた。日本書紀の方が古事記よりそういう意図を強く打ち出しているのは確かだろう。そのためか日本書紀は、天地のはじめについても、最初から日本のこととして語るのではなく、中国の『三五歴紀』や『淮南子』の記述から借りた一般論から入り、「したがって」として日本のことを語り始めているという。

自国の神話さえも、他国のものを借りて一般論とし、それによって自国の話を強化しようとする姿勢は、神話としては珍しい発想だという。この事実は、国家成立の当初から自国の外に文明の規準を求めようとする姿勢があったということであり、日本人の辺境意識の根深さをうかがわせる。常に海外を意識しするこのパターンは現代の日本人にまで受け継がれているといえるが、一方で近年日本人にはそのような傾向から抜け出す動きも見える。これについては、

『日本辺境論』をこえて(1)辺境人根性に変化が

以下で詳しく語ったので、下の《関連記事》を参照されたい。

④人間がその「本性」としての自然に還ってゆく、自然との一体感という考え方
⑤日本人の美的感覚である「もののあわれ」の原型が認められる

これらは互いに深く関連しているのでいっしょに見ていこう。

人間は、自然の一部であると同時に反自然の傾向をも強くもっている。この矛盾にどのように折り合いをつけるかという問いとそれへの答えが、各神話にも読み取れる。旧約聖書においては、アダムとイヴが禁断の木の実を食べる話にこの問題が反映されている。彼らは木の実を食べたあと、自分たちの自然のままの姿を恥じて、いちじくの葉をあてがった。つまり反自然へと一歩踏み出したのである。神はこれに対し、「原罪」を負わせて楽園から追放する。ここでは、神・人・自然の分離が明確に表現されている。

日本神話では、神が人に何かを禁じるのではなく、「禁止」が神々の間で行われる。黄泉の国でイザナミはイザナギに、自分の姿を見ないようにと禁じたが、禁を破ってイザナギが見たのは、死体のおぞましい姿であった。ホヲリ(山幸彦)は、妻トヨタマビメの協力もあり、兄ホデリ(海幸彦)を屈服させた。その時、トヨタマビメは既にみごもっていた。ここでも妻は、出産する自分の姿を見ることを禁じたが、ホヲリは禁を破って、妻が本来の鮫の姿にたちかえっているところを見てしまう。その姿を見られたことを恥じた妻は、子を残して故郷に去る。このどちらにも共通しているのは、人間が結局「自然の一部」であることを知ったということだと著者は指摘する。

ここで注目すべきは、女性の本当の姿を見たときの男性の態度である。イザナギの場合は「見畏(みかしこ)見て」、ホオリでは「見驚き畏みて」と表現されている。つまりそこでは、いずれも本来の姿に接したときの「畏敬の念」が表現されている。畏敬の念は、宗教体験の基礎となる感情であり、神・人・自然が深いところで一体のものとしてとらえられていることを示している。

ところでイザナミは、禁を犯したイザナギに対して怒りに近い恨みをもってあとを追いかける。一方、ホヲリに禁を犯されたとトヨタマビメの場合はどうか。恨みの感情を抱くが、それでも恋しい心に耐えられず、妹のタマヨリビメに託して歌を贈る。ホヲリも歌を返し、互いに慕う気持ちが表現される中で、恨みは消えていく。これは、恨みが美的な形のなかに解消されていく「葛藤の美的解決」という方式といえよう。

このとき美の背後には深い悲しみの感情が流れており、これらを全体として日本人は「もののあわれ」と呼んだ。神話の世界にすでに「「あわれ」の原型が存在していたのだ。著者は、このような根源的な悲しみを「源悲」と呼ぶことを提案する。ユダヤ・キリスト教文化の根源に「原罪」がある。一方、人間と自然のつながりを切ることのない文化の根源には「源悲」があるというのだ。人間が自然と異なることを強調するときには「原罪」の自覚が求められ、人間がその「本性」として自然に還っていく、自然との一体感が大切にされるときには「源悲」の感情が働くという。

ここで、これまでこのブログで何回か語った私の主張を付け加えよう。「源悲」の感情は、おそらくアニミズム的な宗教をもつ文化にかなり共通するだろうことは著者も指摘するところである。とすれば、ヨーロッパでもキリスト教以前にあったケルト文化などにも共通するかもしれない。現に、アイルランドの昔話は日本のものと類似性が高いという。現代の日本で生み出される小説やマンガやアニメはどうだろうか。それらも、多かれ少なかれアニミズム的な要素や「源悲」の感情を引きずっているのではないだろうか。つまり人類のきわめて古い記憶の層が、日本の文学やポップカルチャーにも受け継がれているのではないか。そして、人類の古い記憶の層を断ち切ってしまった文化から見ると、それが不思議であると同時にきわめて魅力的なものとして映じるのかもしれない。

《関連図書》
中空構造日本の深層 (中公文庫)
母性社会日本の病理 (講談社プラスアルファ文庫)

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リーダーの不在:日本人と神話の心(4)

2013年11月04日 | 現代に生きる縄文
◆『神話と日本人の心

今回は、日本神話の特徴で、その後に展開する日本文化の特徴にも深く関係すると思われる8つのポイントのうちで、⑦に関連するものを見ることにする。

⑦明確なリーダー的存在なしでことが運ばれていく。中心に強力な存在があってその力で全体が統一されるのではなく、中心が空でも全体のバランスでことが運ばれるといいう「中空構造」

古事記によれば、スサノオはアマテラスとの誓約に勝ったことを誇るあまり、大いに暴れまわる。その乱行を見たアマテラスは、岩屋に身を隠ししてしまう。その結果、世界は闇に包まれ、永遠に闇が続くかと思われた。多くの災いが起こり、こまった八百万神が対策を練るために集まった。そして、それぞれの神々が、問題解決のために様々なことを行う。

神々がこのように力を尽くしていたとき、もちろんアマテラスは岩屋のなかで何もしていない。スサノオとの対決ののちのスサノオの無茶な実力行使に対して、アマテラスは闇に身を隠すことでまったくの無為の状態にとどまるのである。他文化の多くの神話では、このようなとき主神が手勢を率いて悪に立ち向かい勝利するパターンが多いが、アマテラスは徹底的に受動的で、逆にそれが八百万の神々の活性化を促したとも言える。

しかも神々のめざましい活躍にもかかわらずそこにはリーダーが存在しない。中心になるリーダーなしに神々の相談はうまくまとまり、準備も整って、アメノウズメが登場する。そして例の裸踊りが始まる。日本と同じく多くの神々が活躍するギリシア神話では、主神ゼウスが調整役を務めることが多い。日本神話ではこのような危機的な場面でも明確なリーダー役が存在しない。それでもことがうまく運ばれていくのだ。

著者は、このように強力なリーダーなしにことが運ばれていく特徴は、「中空構造」という一種のバランス構造をもとにしているという。そして、古事記神話においてもっとも重要なのがこの中空構造であるという。

日本神話において重要な三つのトライアドも、やはり中空構造になっている。

1)タカムスヒ――アメノミナカヌシ――カミムスヒ
2)アマテラス(天)――ツクヨミ――スサノオ(地)
3)ホデリ(海)――ホスセリ――ホオリ(山)

第一のトライアドでは、それぞれ父性原理、母性原理を象徴する神を両側に配し、その中心はアメノミナカヌシである。第二のトライアドでは、天を示すアマテラス、地を示すスサノオを両側にして、その中心は無為の神・ツクヨミである。第三のトライアドでも、中心にやはり無為の神・ホスセリがおり、その両側にそれぞれ海と山を代表するホデリとホオリがいる。ちなみに二人はそれぞれ海幸彦と山幸彦とも呼ばれる。

このように日本神話は、相対する両極をもちながら、その中心を無為の存在が占め、全体としてのバランスをとるという「中空均衡構造」を大切にしている。確かにアマテラスは神々の中心のように見えるが、アマテラスとスサノオは互いに相手を相対化し、その中心には無為の神ツクヨミがいると見たほうが妥当だと著者はいう。

この構造は、たとえば『旧約聖書』のようにな、中心に唯一神をもちそれに敵対するサタンは徹底的に神に拒否されるという構造とは大きな違いである。このような日本神話の構造は、日本人の、あるいは日本人の集団のあり方と深く通じるものがあるのではないか。

かつて私はこのブログで、なぜ日本でキリスト教が広まらなかったのかをいくつかの面からまとめたことがある。もしこの「中空均衡構造」が日本人の心の深層に生きているとすれば、一神教的な構造が受け入れにくいのも不思議ではない。

キリスト教を拒否した理由:キリスト教が広まらない日本01
最もキリスト教から遠い国:キリスト教が広まらない日本02

それを全面的に受け入れれば日本民族の特性が失われ、日本が日本でなくなると言ってよいほどの要素がキリスト教にあったからこそ、日本人はこの宗教を受け入れなかったのだろう。一神教は、日本文化の根底にある「中空均衡構造」と相容れなかったともいえよう。

最近、権威を嫌う知的な大衆:「日本的想像力」の可能性(3)というエントリーで、社会を営むためには権威や権力は尊重されるべきだと考えている人の割合が、日本人の場合は、世界と比較して極端に少ないというデータを紹介した。もしかしたらこの傾向は、神話の時代からあったのだろうか。

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《参考図書》
中空構造日本の深層 (中公文庫)
母性社会日本の病理 (講談社プラスアルファ文庫)
「甘え」と日本人 (角川oneテーマ21)
続「甘え」の構造
聖書と「甘え」 (PHP新書)
日本文化論の系譜―『武士道』から『「甘え」の構造』まで (中公新書)

原始の根を保つユニークさ:神話と日本人の心(3)

2013年11月03日 | 現代に生きる縄文
◆『神話と日本人の心

この本を読んで興味深かったことは、日本神話の特徴が、その後に展開する日本文化の特徴にも深く関係するということであった。それは、ざっと挙げると以下のようなものである。

①男性原理とのバランスを取りながらの女性原理
②自国内よりも外国に基準を求める態度
③文明の原始的な根から切り離されず、連続性を保っている
④人間がその「本性」としての自然に還ってゆく、自然との一体感という考え方
⑤日本人の美的感覚である「もののあわれ」の原型が認められる
⑥何らかの原理によって統一するよりも原理的対立が生じる前にバランスを保とうとする調和の感覚
⑦明確なリーダー的存在なしでことが運ばれていく。中心に強力な存在があってその力で全体が統一されるのではなく、中心が空でも全体のバランスでことが運ばれるといいう「中空構造」
⑧恥の感覚の重視

これまでに2回にわたって①について見てきた。③についてもかんたんに触れたが、少し付け加えたい。前回指摘したのは、男性原理が女性原理に取って代わるのではなく、両原理がバランスをとりながらも女性原理優位の状態を保っていくという連続性であった。河合隼雄自身は、もっと具体的な別の面から③の特徴を指摘している。それは、神々の連鎖という特徴である。

記紀においてイザナキ、イザナミは国造りの主神だが、それ以前に「神世七代」と称される神々の名が連鎖的に告げられる。なぜ国造りの前に多くの神々の名が告げられるのか。その意味は、フォン・フランツの『世界創造の神話』が見事に解き明かしているという。

彼女によれば、ポリネシアやニュージーランドなどで重要な位置を占める神・タンガロアの創造神話は、まさに神々の連鎖だという。この地域の神話の特徴は、神々の連鎖のなかでだんだんと神々の姿が明確になっていき、それが人間へつながっていくことだ。日本の神話も、人間に至るには長い間があるが、やがて人間の世界へとつながる。つまり日本神話は、ポリネシアなどと同様に「原始的な根」をもち、その根との連続性を保っているというのだ。日本は、現代において「先進国」と呼ばれる国々の一つだが、その中で唯一、古代から現代に至る不思議な連続性を保っている国なのである。他の先進国はすべてキリスト教文化圏に属し、強烈な唯一神を中心とする父性原理的な宗教の力によって、「原始的な根」からほとんど切り離されてしまったのである。

このブログで探求している日本文化のユニークさ8項目のうち、一番目と二番目は次のようなものであった。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

これまで見てきたところからも明らかなように、これらの特徴は、日本の神話、とくに古事記の中にはっきりと読み取れるのである。そして(1)と(2)は、相互に深く結びついている。

先進国の中で日本が唯一、文明の「原始的な根」から切り離されていないということについて、現代の日本人はほとんど自覚すらもっていないかもしれない。いや、近年日本人は日本の伝統の大切さに少しずつ気づき始めたかに見える。しかし、日本人が「原始の根」から切り離されていないことの意味は、私たちが考えるよるもはるかに重要なのかもしれない。

日本文化に出会うことで、忘れられていたヨーロッパ文化の古層を思い出していった人物の一例をあげておこう。トマス・インモースは、スイス出身だが日本に在住するカトリック司祭であり、日本ユングクラブ名誉会長でもある。彼はその著『深い泉の国「日本」―異文化との出会い (中公文庫)』で、「神道とヨーロッパの先史時代とは共通のものを分かち合っている」という。スイスは、ケルト文明のひとつの中心地であった。それで、縄文的な心性が現代に残る日本という土地で、少しずつスイスの過去に出会うようになった。日本という「深い泉」に触れることで、自分自身のルーツのより深い意味を見出していったというのだ。「日本という土地の上で、私は少しずつ、スイスの過去に出会うようになった。バラバラだったものがひとつにまとまり、私は自分自身の過去も知るようになった。自分を理解するようになった。」

私たちは、日本文化の最も重要なこのような特徴を失ってはならない。そのためにはまず、この特徴をしっかりと自覚することが大切なのである。

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日本文化のユニークさ35:寄生文明と共生文明(1)

日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理


《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

アマテラスとスサノオ:神話と日本人の心(2)

2013年11月02日 | 現代に生きる縄文
◆『神話と日本人の心

この本を読んで印象深いのは、すでに日本神話の中に、その後に展開する日本文化や日本社会の特徴が色濃く現れているということであった。その一つが、「①男性原理とのバランスを取りながらの女性原理」であった。引き続きこの特徴を見ていこう。今回は、これと関係し「③文明の原始的な根から切り離されず、連続性を保っている」という特徴にも触れる。

イザナギは、死んだイザナミを追って黄泉の国へいったが、逆にイザナミに追われてこの世に逃げ帰る。イザナギは、禊(みそぎ)をして黄泉の国の穢れを払い、自ら三柱の神を産む。左目を洗った時にアマテラス、右目からはツクミヨ、鼻からはスサノオが産まれる。アマテラスとツクヨミは、父の命令のままに、それぞれ天井と夜の国を治めた。ところが、海を治めろと命じられたスサノオは、命に服さず泣き叫ぶ。

イザナギが理由を尋ねると、母に会いに根の堅洲の国に行きたいという。アマテラスが「父の娘」であるのに対し、スサノオは父から生まれたにもかかわらず「母の息子」である。イザナギは、怒ってスサノオを高天原から追放しようとする。スサノオは、それならと姉アマテラスのところへ挨拶に行くが、アマテラスはそれを自分の国を奪おうとして来たと誤解、武装して待ち構える。

スサノオは、来訪の真意を説明するが、アマテラスは信じない。つまり日本神話では、アマテラスは最高神でありながら間違いを犯すこともある神として描かれている。次の誓約の場面ではスサノオが勝つのだが、今度はスサノオが勝利に有頂天になりすぎて失敗する。つまり、日本神話では誰かが絶対的優位に立つことはできず、優位にあると思った間もなくすぐに転落する。では中心はないのかと言えば、実は何もせずにただそこにいるだけのツクヨミこそが真の中心なのである。これが前回挙げた「⑦明確なリーダー的存在なしでことが運ばれていく。中心に強力な存在があってその力で全体が統一されるのではなく、中心が空でも全体のバランスでことが運ばれるといいう『中空構造』」そのものであるが、詳しくは追って触れることになるだろう。

ところで、スサノオが勝利した誓約とは、スサノオの身の潔白を証明するため各々が子を産むという提案だった。スサノオはアマテラスの勾玉によって五柱の男神を産み、アマテラスはスサノオの剣によって三柱の女神を産んだ。アマテラスは、産まれた子はその材料の持ち主のものと判断し、スサノオは女神を産んだことを理由に潔白を宣言した。男女どちらを産んだら勝ちとあらかじめ決めていたわけではないので、女を産んだから潔癖だと宣言するのは、背景に女性優位の立場があるからだと著者はいう。

以上は古事記による物語だが、日本書紀ではこの話に多くのバリエーションがあるという。ただ日本書紀では、本文と付記されたバリエーションとのすべてで、古事記とは逆に男子を産んだことで清い心が証明されたとされている。その上で、互いの持ち物を交換し相手の所有物から子を産むという状況で、どちらをどちらの子にするかという判断が混淆する。

この日本書紀の記述に対する著者の結論は、母性原理と父性原理のどちらに優位を置くかに混乱ないし迷いがあったのだろうといことである。が、どちらかと言えば古事記は、母性原理優位でほぼ一貫しており、おそらくこれが古代日本の姿で、日本書紀は中国などへの対外的な意識から父性優位になっているが、父性原理だけで整合性を保つことにかなり難しさがあったということである。

この本で著者は、神話と歴史的な事実や背景との関係についてはほとんど全く触れていない。ユング派の心理療法家として、あくまでも神話と深層心理との関係という観点から論を深めている。著者は歴史家ではないから、それは当然の態度であろう。一方私としては、これまでのこのブログの流れからも、縄文文化と弥生文化との関係という視点から、母性原理・父性原理の問題に簡単に触れておきたい。

以前この問題については、日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)で論じたことがある。これをかんたんに振り返りながら進めよう。

紀元前1500年ごろから、シリア北西部で天候神バールの信仰が盛んになった。バール神は太陽の力をもち、嵐と雨の神、豊穣と多産の神でもあった。この天候神バールが、大地の女神のシンボルである蛇を殺す。シリアに残るバール神の彫刻は口ひげをはやした男神で、右手に斧を振り上げて、左手に握った蛇を殺そうとしている。

バール神は、ヘブライ人(ユダヤ人)の一部も信仰していた。やがてヤハウェのみを神とする一神教を確立するが、ヤハウェとバールはどちらも、これまでの蛇をシンボルとしする大地の豊穣の女神とは対決する性格をもつ男神であった。

日本の稲作技術は、気候の寒冷化をきっかけとして大陸からやってきた環境難民によって最初にもたらされ、弥生時代以降も、大陸から大量の人々が渡来した。こうして新たにやってきた人々は、蛇殺しの信仰をもっていた。こうした神話は、稲作と鉄器文化が結びついて伝播した可能性が高いというのが著者の推論だ。

日本神話でその蛇殺しの神話を代表するのがヤマタノオロチの伝説だ。スサノオが、オロチに酒を飲ませ、酔って寝込んだすきに、剣を抜いて一気にオロチの八つの首を切り落とする。この物語は、バール神が海竜ヤムを退治した物語によく似ている。スサノオノ命は荒れ狂う暴風の神であり、この点でもバール神を思い起こさせる。

バール神の蛇殺しもスサノオの蛇殺しも、ともに新たな武器であった鉄器の登場を物語っている。バール神がシリアで大発展した紀元前1200年頃は、鉄器の使用が広く普及した時代でもある。日本の弥生時代も鉄器が使用されはじめた頃だ。こうしてみると、蛇を殺す神々の登場の背景には、鉄器文化の誕生と拡散とが深く関わっており、殺される大蛇たちは、それ以前の文化のシンボルだったのだと著者はいう。

しかし、日本神話に関してはスサノオが大蛇を退治したから、それ以前の文化を葬り去った新時代の神だと言えるほど単純ではない。アマテラスが縄文以来の地母神を受継ぎ、スサノオが稲作と鉄器をもたらした新時代の神だとは割り切れないのが日本神話の興味深いところだ。スサノオは、女神を産んだことで身の潔白を宣言し、勝ち誇って大暴れをする。アマテラスの田の畔を壊したり、機織場の屋根を破って血だらけの馬を投げ入れ、驚いて逃げた機織女が、機織に御陰を刺して死んでしまう。

アマテラスが住まう稲作の地を破壊するのがスサノオなのだ。しかも大暴れをしたスサノオは、「根の国」に追放されてしまう。つまり男神が女神に敗北しているのだ。女神や蛇に象徴される古い文化が、鉄器をもった男神によって葬り去られるという単純な図式では整理できないのが、スサノオの物語だ。

ではどう考えればよいのか。母性原理と男性原理とのバランスが働く構造、アマテラスとスサノオのどちらが圧倒的な優位に立つわけではないという構造、そしてアマテラスは縄文時代以来の地母神を受け継ぐと見えながら一方で稲作に携わり、スサノオはアマテラスに追放されながら、大蛇を退治し新時代を代表するとも見える。
この単純に割り切れない構造をどのように理解すればよいのか。

私は、ここに日本人の原体験のひとつが反映していると考える。世界の多くの地域では農耕の広がりとともに農耕以前の文化は消えていく傾向にあった。男神による蛇殺しがそれを象徴した。おそらくそれは、古い文化を担う人々の抑圧や消滅を伴っていた。ヨーロッパでは、キリスト教が支配的になるとそれ以前のケルト文化はほとんど抹殺された。新しい文化が古い文化を完膚なきまでに葬り去ってしまうことが多いのだ。

西アジアの大草原で人類が農耕を開始したころ、東アジアの日本列島では、ブナやナラの落葉広葉樹の森で、狩猟・漁撈採集民としての生活を開始していた。日本列島の森の中は食べ物が豊富だったので、本格的な農耕を伴わない高度な新石器文化を形成し、一万年を超えて洗練することができた。そこへ大陸の人々が、稲作や鉄器を携えて渡来したとしても、一度に多人数が渡来できたわけではないから、人数の上でも縄文人を圧倒するほどの勢力にはなり得なかった。

つまり弥生人は、縄文人を一方的に追放したり、ましてや抹殺したりしたのではなく、せめぎ合いながらも、他方で和合したり協力したりして、縄文的な要素を大幅に取り入れながら最終的には溶け合っていったのである。その過程では様々な配慮や調整が必要な場面もあっただろう。異質なものを互いに受け入れ、配慮しあいながら融和していく。これが日本人の原体験になったのではないか。そして日本神話は、その原体験を反映する特質を持つに至ったのではないか。日本神話が、構造的に調和やバランスの感覚を大切にする(後に詳述)のも、この原体験に根ざしているといえよう。

以上からも、日本神話が「③文明の原始的な根から切り離されず、連続性を保っている」という特徴をもっていることも納得できるだろう。日本人の原体験は、「文明の原始的な根」を断ち切るところにあったのではなく、「原始的な根」と調和し、バランスを取り、受入れていくところにあったのだ。それは、「文明の原始的な根」に生き続ける母性原理を受け入れることでもあった。同時に、父性原理的な行為によって根を断ち切るのではなく、母性原理的な行為によってそれそれを受け入れることでもあった。

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強い日本女性のルーツは?

2013年09月21日 | 現代に生きる縄文
縄文時代の文化が、現代の日本に何かしら影響を与えているとすれば、それはどのようなものだろうか。このブログでは、それを大きく三つに分けて論じることが出来るだろうと指摘してきた。

第一に、豊かな自然の中で育まれた、自然への畏敬を基盤とする宗教的な心性。第二に、農耕の発達にともなう階級の形成や、巨大権力による統治を知らない平等で平和な社会が1万数千年も続いたことから来る強い平等意識。第三に、豊かな自然の恵みを母なる自然の恵みとみなす母性原理の心性である。

◆『縄文人に学ぶ (新潮新書)

前回取り上げた、上田篤氏のこの本でも上の三つの面とのかかわりがユニークな視点から論じられている。前回の「日本人はな玄関で靴を脱ぐのか」は、この三点のうちの第一点、「自然への畏敬を基盤とする宗教的な心性」に深くかかわっている。縄文人は、大型動物を追って移動するのを止め、それほど広くないテリトリーの中で大自然の豊かな幸を可能な限り利用しながら生きる道を選んだ。それを可能にしたのが竪穴式住居の中で燃やし続けた火だった。竪穴式住居は、火の神さまの住居でもあったのだ。

自然へ畏敬は、四季の変化や実りと結びついた太陽への畏敬であった。そして火は太陽(日)の子どもであった。日と火は一体となって、縄文人の宗教心を形づくった。

このブログでは、日本文化のユニークさを8項目の視点から論じ、その一番目の項目は、以下の通りである。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

ところで、現代日本人が縄文時代以来、受け継いできたであろう母性原理の社会については、二番目の項目として独立させて論じてきた。現代の日本文化を語るにも、それだけ重要だからである。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

上田氏の本では、縄文時代の平和や平等主義が母性社会と一体のものとして語られている。氏の論をおってみよう。縄文時代は、土器や竪穴式住居を中心とする一定の文化が1万年以上も続いた。あのエジプト文明ですらたかだか5千年だったことを考えると、これは人類史上稀有なことである。上田氏は、縄文時代が長く続いた理由のひとつを妻問婚に見る。縄文時代の妻問婚が古墳時代へと引き継がれていったというのだ。

妻問婚は、男が女のもとに通うことで婚姻が成立するが、それは一過性のものである。夫婦としての男女の同棲を伴わず、男が通わなくなることも多い。父は、自分の子どもが誰かに頓着しないが、女にとっては、父が誰であれ、産んだ子は等しく自分の子であり、平等に自分のもとで育てる。

子を持つ女たちは、食糧の採集に明け暮れた。いつくるか分からない男たちはあてにならない。そうした社会では母子間の絆は強くなる。そして氏族の先祖は、母から母へとさかのぼり、ついには「一人の仮想上の女性」に至りつくだろう。それが元母(がんぼ:グレートマザー)だ。縄文時代に作られた土偶は、何かしら呪術的な使われ方をしたのだろうが、それは元母の面影をもっている。縄文社会は母系社会だったと思われ、しかも豊かな自然を「母なる自然」として敬う宗教心は、元母への畏敬とも重なっていく。

縄文人の遺跡には、貝塚などの遺跡と並んで石群や木柱群がある。上田氏は、石群と木柱群が「先祖の祭祀」と「太陽の観測」という二つの機能をもつと考える。縄文人は、太陽と先祖の二つを拝んでいた。そして先にみたように火は、太陽の子であった。ところで太陽と先祖とはどのように結びつくのか。縄文人は、氏族の先祖を遡ったおおもとに元母のイメージをもっていただろう。その元母と太陽の両方の性格をそなえていたのは、女性神アマテラスである。元母の根源にアマテラスを見ると、先祖信仰と太陽信仰は完全につながるというのである。つまり縄文人の宗教心は、母系社会の先祖信仰と「母なる自然」への信仰、その大元としての太陽信仰とが結びついていたのではないか。

父系社会では、力の強い男が多数の女を抱えてたくさんの子どもを産ませ、「血族王国」を作りたがる。その結果、権力をめぐって男同士の争いが始まる。ところが母系社会では、男に子どもがない。女の産む子どもの人数には限りがあり、しかも女は子供を分け隔てなく育てるから争いも起きにくい。母系社会では、母はすべての子とその子孫の安寧を平等に願う傾向があるから、血族集団は争いなく維持され、社会は安定した。ここに縄文時代が一定の文化とともにかくも長く続いた秘密のひとつがあるのではないか。

こうして縄文時代は女性中心の時代であり、その伝統は後の時代に引き継がれた。父系性の結婚制度に移行したあとも、家の中での女性の力が比較的強かったのは、その伝統を受け継いでいるからだろ。「刀自(とじ)」「女房」「奥」「家内」「お袋」「主婦」などの言葉は、多かれ少なかれ家を管理する意味合いを持つ。日本では今でも主婦が一家の家計を預かるケースが多いが、欧米ではそのようなことはないという。

日本列島に生きた人々は、農耕の段階に入っていくのが大陸よりも遅く、それだけ本格的な農耕をともなわない縄文文化を高度に発達させた。世界でもめずらしく高度な土器や竪穴住を伴う漁撈・狩猟・採集文化であった。それが可能だったのは、自然の恵みが豊かだったからだろう。母系社会であり、母なる自然を敬う縄文文化がその後の日本文化の基盤となったのである。しかもやがて大陸から流入した本格的な稲作は、牧畜を伴っていなかった。牧畜は、大地に働きかける農耕よりも、生きた動物を管理し食用にするという意味で、より自覚的な自然への働きかけとなる。つまりより男性原理が強い。そして牧畜は森林を破壊する。

さらに日本列島の人々は、他民族にも襲われずに、母なる大地の恵みを最大限に受けながら悠久の昔からそこに住み続けることができた。そのような条件にあったからこそ、自然の恵みを基盤とする自然崇拝的な宗教を大陸から渡来した儒教や仏教と共存さて、長く保ち続けることができたのである。神仏混淆とは、生え抜きの文化が外来の文化に圧殺されなかった結果に他ならない。つまり、母性原理が生残ったのである。

父性原理が支配する社会では、激しい競争により社会は変化・発展するが、弱者は取り残され切り捨てられていく。民族相互の戦争により滅びていく民族は後を絶たず、森林破壊も進む。これらは大陸の歴史を見れば明らかだし、やがては日本もそれに巻き込まれていった。つまり、女性原理は「社会の持続と平等」を生み出すが、父性原理は「社会の進歩と格差」を進めるのだ。

日本では、1万数千年という長きに渡る縄文時代がその後の日本社会を形成する上で、無視できない強固な基盤となった。父性原理の大陸文明を受け入れるにしても、自分たちの体に染みついた縄文の記憶(母性原理に基づく宗教心や生き方)に合わない要素は、拒絶したり変形したりして受け入れていった。こうして中国文明から多くを学んだが、科挙や宦官や纏足は受け入れなかった。西欧文明は受け入れたが、キリスト教信者は今でも極端に少ない。私たちは、たとえ自覚はなくとも、縄文の記憶をいまだに忘れていないようだ。私たちの社会と文化の根底には母性原理が息づいているのである。現代日本の女性も、その遠い記憶に根ざしているから強いのかもしれない。

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日本人はなぜ玄関で靴を脱ぐのか

2013年09月15日 | 現代に生きる縄文
本ブログは、日本文化のユニークさを8項目の視点から論じているが、その一番目の項目は、以下の通りである。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

これまでも現代日本人が縄文文化をいかに受け継いできたかを折に触れて論じてきた。(→現代に生きる縄文

以下に紹介するのは、縄文文化の記憶が、現代日本人の生活のどんなところに生き続けているかをユニークで具体的的な視点から論じた本だ。

◆『縄文人に学ぶ (新潮新書)

この本の著者・上田篤氏は、もともと「未来を設計する建築学徒」であるが、「日本人のすまい」に興味をもって研究するうちに、その謎を追って結局は縄文時代にたどり着いたという。「日本人のすまい」の謎とは、たとえばなぜ日本人は玄関で靴を脱ぐのか、なぜ家の中に神棚や仏壇を祭るのかといったものである。

著者はこのような謎に対してひとつの「試論」を持つに至ったという。それは、「日本の家は神さまのすまい」というものだ。やがて、その「神さまのすまい」という発想のルーツが、縄文時代の竪穴式住居にあるのではないかと考えるようになったという。

1万2千年ほど前(縄文早期)に日本列島はしだいに暖かくなったが、にもかかわらず北海道から沖縄まで北方住居を思わせる竪穴住居が一斉に作られた。温暖な沖縄までなぜ竪穴住居なのか。それは竪穴住居が人間のすまいというより、「火のためのすまい」だったからではないのか。つまり、気候の温暖化で生じた激しい風雨から火を守るための囲いという意味が強かったのではないか。

著者がこのような「発見」に至ったのは、沖縄の古い家を見たことによるという。沖縄の田舎の旧家では、ついこのあいだまでいちばん大切な神さまは家の奥の地炉のなかの「火の神」だったという。沖縄では稲作文明が流入したのが13世紀であった。すなわち、それまでは稲作以前の「縄文時代」が続いていたわけで、縄文時代をルーツとする文化が色濃く残っているということである。

とすれば、縄文時代の人々も竪穴式住居によって「火の神」を守ったのではないか。火を風雨から守ることは生活に欠かせないだけではなく、神さまを守ることでもあったのだ。縄文人は、神さまの家に住んで、神さまをまもっていたのだ。

そう考えると「日本の家の謎」も解ける。日本の家は「火という神さまを祭るすまい」だった。だからこそ玄関で靴を脱ぐという世界に類のない習慣がある。家の中に神棚や仏壇を設けるも「神さまのすまい」という縄文の記憶にルーツがあるのだろう。

縄文が火を神さまとしたのは、それが定住を保証したからだろう。旧石器人は大動物を求めてさ迷ったが、縄文人は「大自然」そのものを相手にする道を選んだ。彼らは、親族単位で海に近い尾根筋などに住み、女が火を焚き、男が火を絶やさないためのすまいを作った。その住まいを中心とした数キロのテリトリー内で、女たちが木の実や茎、根、小動物、魚介類を採集し、土器で煮炊きした。つまり大動物を追い求めるのではなく、周囲の自然の恵みそのものに依存して生活するようになった。火がそうした定住生活の中心にあった。

そうした縄文人の宗教心はその後の日本の歴史に受け継がれる。たとえば古くからの日本の庶民の家の中心は囲炉裏だった。板敷のリビングに囲炉裏が切られ、その部屋に神棚がおかれた。現代の都会の家でダイニングとキチンが一緒になっている場合が多いのは、リビングと囲炉裏が一体となった古い庶民の家の名残りかもしれないと著者はいう。

今でも日本料理には鍋料理が欠かせない。家族が火加減しながら鍋を囲んで食事をするというスタイルは、欧米料理にはあまり例がないという。鍋料理は、縄文人が炉を囲んで炉の火にかけられた土器から食物をとって食べたであろう伝統を引き継いでいるのかもしれない。日本人が冬になると鍋料理が恋しくなるのは、私たちの中の縄文DNAのなせるわざなのだろうか。

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平等意識は日本人のDNA:縄文文明の原理05

2013年05月06日 | 現代に生きる縄文
今回は、日本文化のユニークさ8項目の1項目目を、田中英道の『美しい「形」の日本』に触れながらさらに検討してみる。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

現代に至るまで消滅せずに日本人のあり方の基層となっている縄文時代の記憶は次の三点に顕著に見られると私は思う。第一に、豊かな自然の中で育まれた、自然への畏敬を基盤とする宗教的な心性。第二に、農耕の発達にともなう階級の形成や、巨大権力による統治を知らない平等な社会が1万数千年も続いたことから来る強い平等意識。第三に、豊かな自然の恵みを母なる自然の恵みとみなす母性原理の心性である。

今回は再び、第二番目の平等意識についてやや別の角度からとりあげたい。田中英道は上に挙げた本の中で、文字を持つことが高度な文明へ条件だという過度な「文字信仰」を排し、文字を持たなかった高度な文化の意味を積極的に評価している。

世界最古のシュメール文字は、私有財産の記録や法律、契約のために案出されたという。金銭の貸し借りや契約を、形に残る文字という証拠として書きとめ、ある階層が別の階層を支配するために使用したのが文字の始まりだというのだ。その意味で西洋社会は、契約内容を文字として書きとめ証拠とすることを、必要不可欠とみなす伝統を築いてきた。たとえばローマ帝国は、紀元前から版図を広げ、ヨーロッパ大陸を支配した。その支配関係の中でも文字として記された契約や法は重要な意味をもったのである。

一方、一万数千年続いた日本の縄文時代は、素朴で平和な共同体を営み、支配・被支配の関係がほとんどない平等社会だった。それゆれ文字として記録を残すことで人を縛る必要性がまったくなかった。同時に、火焔土器に見られるような「形」の美しさにこだわる高度な文化を形づくっていたのだ。その後、巨大古墳に見られるような何らかの権力構造が生まれるが、日本列島の広範囲におよぶ、きわめて共通性の高い古墳の形態は、文字による記録にたよらない高度な口承文化という長年の伝統があったからこそ確立されたものだった。

四方を海に囲まれた日本列島は、外部からの侵略者もなかったから、侵略者とそれに抑圧される被支配階級という強い階級差も生まれなかった。また大陸に見られるような強大な権力者もいず、限られた土地のなかで比較的に同質性の高い平穏な社会を保つことができた。不要な争いは避けて、きるだけ話し合いで解決し、みんなが共存共栄できるような社会の伝統が築き上げられた。だからこそ、契約や掟や法律といった、人を縛る証拠としての文字をあまり必要としなかったと思われる。

現代でも、契約書がないと何ごとも始まらない西洋人のやり方に、日本人は少なからず違和感を感じるはずだ。現代日本人も、形としての契約書は取り交わすにしても、それ以前にお互いの信頼関係がはるかに重要視される。信頼関係の上に成り立った口約束から、自然に仕事は始まるのである。

さて、日本文化のユニークさ8項目のうち、7番目と8番目は次のようなものであった。

(7)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

(8)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。

ここにも、縄文時代以来の平等意識の記憶が、何らかの形で反映しているとみるべきだろう。アニミズムや自然信仰のような素朴な宗教は文字との関係が薄いが、儒教、仏教、キリスト教、イスラム教といった巨大宗教が、いずれも文字との関係を抜きにしては語れないというのは、たいへん興味深い事実だ。別の言い方をすれば、これらの巨大宗教は多かれ少なかれ、支配・被支配の関係を抜きにして語れないということである。もちろん、これらの宗教が生まれた当初から支配構造を強化する働きを担っていたわけではない。むしろ正反対の性格をもっていたかもしれない。しかし、歴史上何らかのかたちでそのような役割をになったのは確かであろう。たとえば儒教を抜きにして中国の歴代王朝の歴史は語れないだろうし、キリスト教を抜きにしてローマ帝国によるヨーロッパ支配の歴史は語れない。

逆に言えば、日本はそのような巨大宗教によって社会を強力に一元的に支配するほどには、ひどく抑圧された被支配階級や強い不満をもった異質な分子が存在しなかったということである。それだけ社会が、同質で平穏で、共同体としてのまとまりが強かったということである。日本にキリスト教がほとんど流入しなかった理由はこれまでにも何回か触れた。ここでひとつだけ付け加えるなら、唯一絶対神への信仰は、現実の社会の支配・被支配の構造を何らかの形で反映しているということである。日本社会のように強力な専制君主なり独裁者がほとんど必要なかった社会には、唯一絶対の神への信仰は、何かしら異質な信仰形態だったのだと思われる。

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自然のままが好き:縄文文明の原理04

2013年04月19日 | 現代に生きる縄文
安田善憲の『縄文文明の環境 (歴史文化ライブラリー)』を取上げながら、日本文化のユニークさ8項目の1項目目と触れ合う部分を中心に検討してきた。今回は、この本とは離れる。しかし、

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

に関連して、現代まで消滅せずに日本人のあり方の基層となっている縄文文化の記憶とは何かを、小林達夫『縄文の思考 』を参考にしながらもう少し探りたい。

旧石器文化を人類史の第一段階とするなら、農業の開始とともに始まる新石器文化はその第2段階をなす。縄文文化は、土器を制作し定住していたという、明らかに旧石器文化にはない特徴をもっている。それでいながら新石器文化の本質をなすはずの本格的な農業を伴わない。農業を新石器文化の前提としてしまうと、縄文文化をうまく位置付けることができない。

縄文文化は、「新石器文化に併行あるいは相当する日本列島の文化」というような苦し紛れの定義でもしないと世界史上に位置付けられないユニークさをもっているのだ。人類史上の第2段階に、農業を伴うものと伴わないものという二つがあり、縄文文化は後者だと考えざるを得ない。

私は、本格的な農業を伴わない新石器文化という縄文文化の特徴は、日本文化全体を語るうえでどれほど強調してもし過ぎることはないほど重要な意味をもっていると考える。日本列島に住む人々が、1万数千年にわたってこのような縄文文化を生きたということが、その後に展開した日本文化の全体に深く影響していったのではないか。

日本列島で歴史の第1段階から第2段階へという縄文革命が起こった引き金は、土器の制作と使用だったという。土器を使うことで煮炊き料理が可能となり、食糧事情も安定した結果、ムラでの定住的な生活様式も始まった。

縄文時代の土器の制作量は、本格的な農耕をともなわない社会としては、世界のどの地域にくらべてもきわだって多いという。縄文人が、土器を日常的に煮炊きに使っていた結果である。縄文社会が、農業を基盤とした大陸の社会に劣らない文化的な充実度をもっていた大きな要因に、煮炊き用の土器の普及があったと言えよう。土器はそれほど重要な歴史的意義をもっていた。

農耕民は、自然に依存しながらもそれをあるがままにせず、開墾して農地を拡大する方向に進む。ムラという人工空間の外に、農地=ノラというもうひとつの人工空間を作り、それをさらに拡大しようとする。その意味では、自然に依存するだけでなくそれを征服しようとする意識も強化される。

一方縄文人は、ムラの周囲のハラを生活圏とし、その自然と密接な関係を結ぶ。自分たちの生活がそこに依存するハラを勝手に荒らせば、自分たちの生存が脅かされることを縄文人はいやというほど知っていた。周囲の自然を荒らしすぎず大切に守り、そこから許されるだけの恵みを得ることで、自分たちの永続的な生存が保障されるのだ。こうして彼らは、ハラのさまざまな自然の背後に精霊を感じ、その恵みに抱かれて生きていることを実感しただろう。縄文人は、木や草や川や森や様々な生き物を自分たちと同格の存在、あるいはそれ以上の神聖な存在と感じていたのだ。
(上述『縄文の思考』)

大切なのは、日本列島に生活した私たちの祖先は、新石器文化の段階に入ってもなお、そのような自然との関係を1万数千年も保ち続けていたということだ。新石器時代の人類としては、かなり特異な自然との共生を、世界の他地域よりも驚くほど長期にわたって保ち続けていたのが、私たちの祖先なのだ。その記憶や影響が現代の私たちにまで色濃く残っていたとしても不思議ではない。

その影響のひとつの例として、現代の日本人がもっている「人為」と「無為」についての感じ方を挙げてみたい。私たち日本人は傾向として、意識的・作為的に何かを「する」ことよりも、計らいはよくない、自然のまま、あるがままの方がよい、という価値観をかなり普遍的に共有していないだろうか。私たちの美意識の中にもそういう傾向が色濃く残っていて、けばけばしい作為的、人工的な美よりも、自然にかぎりなく近い、計らいのない美しさにひかれる。

こうした傾向は、老荘思想や仏教の影響から来ているともいえなくもないが、それ以前の私たちの祖先の生活がつよく影響しているのではないか。農耕という、ある意味で作為的な営みよりもはるかに長く、自然と共生する生き方を続けていた縄文人の記憶が、弥生時代以降も残り続け、それが老荘思想や仏教思想と共鳴し、現代人の心の中にまで連綿と受継がれてきたのではないか。

日本人なら誰しも多かれ少なかれ、自然には完成した美しさがあり、一方、人為や計らいによって作られた人工的なものは、完成には程遠い不完全なもの、自然の完璧さや美しさにははるかに及ばないものという感覚があると思う。

ところがヨーロッパ的な発想では、必ずしもそうではない。たとえばパウロは、「被造物全体が、今に至るまで共にうめき、共に産みの苦しみを続けていることを私はしっている」(「ローマ人への手紙」)という。被造物、すなわち自然界もまた未完成であり、あるべき状態を苦しみつつ模索しているというのだ。自然の中に究極の美しさを感じ、あるがまま、自然のままであることを善しとする日本人の感覚と何という違いだろうか。

この違いを指摘したのは山本七平(『日本人の人生観 』だが、彼は日本人のそういう感覚の根拠を、日本の稲作文化に求めている。国民の85%から90%が稲作に従事し、3月に苗造り、梅雨には田植え、秋には穫り入れと、1年の気候変化に的確に対応して、いわば社会も個人も「ごく自然に自然の秩序に従って、同じように対応していれば安全」だったという長年の体験がそういう感覚を作り上げたというのだ。

しかしすでに述べてきたように、日本人のそういう感覚のいちばん深い層には、本格的な稲作を開始する以前の、豊かで長い縄文時代の体験があったことを忘れてはならないだろう。

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長い平等の時代:縄文文明の原理03

2013年02月11日 | 現代に生きる縄文
(昨日、未完成のまま気づかに記事をアップしてしまったことをお詫びします。)

引き続き、安田善憲の『縄文文明の環境 (歴史文化ライブラリー)』を取上げながら、日本文化のユニークさ8項目の1項目目と触れ合う部分を中心に検討していきたい。今回は、この本で、縄文文明の原理のひとつに挙げている「②平等主義に立脚した社会制度を有していた」についてである。

縄文時代は戦争などによる集団殺戮がほとんどなかった。それは縄文時代が平等主義に立脚した社会だったからである。三内丸山遺跡から整然とならべられた墓がいくつも発見されたが、大小の差はほどんどなく副葬品にも差がなかった。縄文文化は、土器と貝や骨の装飾品、魚や動物を捕獲するための石製品はあるが、金属器をもたない。そして、どこの博物館にも人を殺すための武器は見つからない。人が集団で人を殺し合うことがめったにない世界が1万年以上続いたのである。

戦争がなかったのは、縄文時代がおおむね平等な社会だったからだ。エジプトやメソポタミアのように、巨大な権力をもった王は現れなかった。たしかに縄文中期以降は、階級差を示唆するものも存在するが、巨大権力が生まれなかったのは、階級社会の装置を文明原理に取り入れない、平等性を保つ何らかの独自の社会制度があったものとみなされる。生産物の貯蓄が容易なため貧富や階級差が生まれやすい穀物農業を受容することを回避する何らかの力が働いていたのであろう。

実際に、縄文時代終末期になるまでと稲作は定着しなかった。それはなぜか。第一に、ドングリやクリあるいは豊かな海の幸、そしてイノシシやシカなどに依存する社会が、稲作を必要としないほどに豊かだった。第二に、稲作をもたらした人々が、当初の段階ではきわめて少数であり、コロニーを作って稲作を行うほどの力がなかった。第三に、女性中心が重要な役割を担い、男性の指導性に依存しない縄文社会にあっては、男性指導型の稲作を実施に移すのが困難であったなど。

問題は、1万数千年も続いた、ほとんど階級差のない平等な社会であった縄文社会の影響が、現代にまでどのように続いたかということである。この問いは、縄文文化の他の要素、自然への畏敬を基礎とする宗教的な心性や母性原理の文化が、なぜ現代にまで影響を与えたかという問いと重なる。これらと合わせて、追ってまとめて考えてみたい。

とりあえず、これまでに書いてきた記事をもとに、かんたんにまとめると以下のようになるだろう。

①縄文時代から弥生時代への移行が、弥生人による縄文人の征服、縄文文化の圧殺という形で行われたのではなく、両者の融合というかたちで進んだので、縄文文化が濃厚に引き継がれたということ。→日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

②日本列島は、国土の大半が山林地帯だ。水田稲作の長い歴史があるが、その特徴は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきたことだ。つまり巨大な権力やそのイデオロギーによって縄文時代以来のアニミズム的心性や平等主義、母性原理の文化が圧殺されにくかったということ。→日本文化のユニークさ22:宗教的一元支配がなかった(2)

③大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。そのため、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかく、縄文時代以来の、自然への畏敬と生命の再生と循環の思想を基にする文化が生残ったのである。

大切なことは、世界のほとんどの地域で失われてしまった、農耕文明以前の森の文化が、暴力的な圧殺を免れて生残ったのは、ほとんど奇跡に近いような稀なことだということである。それは、奈良・平安から江戸時代へと至る長い日本の歴史のなかできわめて洗練されていった。しかも、高度に文明化されたハイテクノロジーの社会の基盤にそれが流れているのである。私たちは、そのユニークさをこれまでほとんど自覚してこなかったが、今こそしっかりと自覚すべきときだろう。

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《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架