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日本文化のユニークさ35:寄生文明と共生文明(1)

2011年08月20日 | 自然の豊かさと脅威の中で
今回は、日本文化のユニークさ5項目のうち(2)、(3)、(4)についてさらに追及していきたい。そのさい参考にするのは、『森から生まれた日本の文明―共生の日本文明と寄生の中国文明 (アマゾン文庫)』と『奇跡の日本史―「花づな列島」の恵みを言祝ぐ』である。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

『森から生まれた日本の文明』では、ユーラシア大陸の文明を「寄生文明」と呼び、日本の文明を「共生文明」と呼ぶ。「寄生」という言葉自体は、かなり批判的なニュアンスが強く、刺激的だが、要するに自然に「寄生」するという意味だ。

乾燥した大草原を舞台とした麦栽培、羊や山羊などの家畜を飼育する草原農耕文明は、早くから階級分化と支配がはじまり、都市文明が生まれた、人間中心の文化は、森林を破壊しながら自然に寄生する文明として成熟していく。

森林を破壊した文明は、メソポタミア文明に端を発し、地中海地域からヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカやオーストラリアにまで拡散したという。黄土高原で生まれた黄河文明もまた、一方的な略奪と地力の搾取によって、その文明を支えた母なる大地を荒廃させ、森林を食いつぶした。

草原の資源が枯渇すると森に依存し、森が枯れれば森を捨てる。この人間中心の自然征服型文明は、わずか1万年あまりの間に地球を支配してしまった。

一方、日本列島は周囲を海に囲まれていることもあり、大陸の諸勢力が侵入することもなく、縄文時代から弥生時代にかけて、森林と共存しながら稲作が成立した。日本では、水田耕作社会を維持するためには、背後の山や丘陵の森林が不可欠とされた。これこそが、森林・自然との「共生」を維持しつづけた日本の複合農業文化であった。

日本文化の基層には、縄文時代以来の森の文化の伝統が流れている。弥生文化がはじまったとき、日本は稲作を受け入れたが、羊や山羊などの肉食用の家畜は受け入れなかった。その理由の一つは、日本の稲作が、羊や山羊などの家畜を持たない長江流域から伝播したからだという。もう一つの理由は、森の文化にとって家畜は天敵であり、それを知っていた縄文人が、家畜の受け入れを拒んだ可能性だ。

家畜は、森の若芽や樹皮を食べつくして森を破壊する。家畜を伴わない稲作文明だったからこそ、日本は豊かな森を維持することができた。また、肉食用の家畜を伴わなかったからこそ、ユーラシア大陸とは違って、人間と他の生物を厳然と区別しないユニークな人間観・生命観を維持することができた。

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日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

2011年08月18日 | 現代に生きる縄文
◆安田善憲『森のこころと文明 (NHKライブラリー)

今回が、この本を参考にしながら日本文化のユニークさを考える最後になると思う。

紀元前1500年ごろから、シリア北西部のラタキアのウガリットで天候神バールの信仰が盛んになったという。バール神は太陽の力をもち、嵐と雨の神、豊穣と多産の神でもあった。この天候神バールが、大地の女神のシンボルである蛇を殺す。シリアのある博物館には、ユーフラテス河畔で出土したバール神の彫刻がある。その彫刻は口ひげをはやした男神で、右手に斧を振り上げて、左手に握った蛇を殺そうとしている。

バール神は、もともとセム系の人々の神であったが、のちにフェニキア人やヘブライ人にも受け継がれた。とくにヘブライ人(ユダヤ人)は、一部の人々の中にあったバール神への信仰という迷いを断ち切ったからこそ、ヤハウェのみを神とする一神教を確立するに至る。ヤハウェとバールはヘブライ人の中で対立したが、ともに天候神の性格をもっていた。どちらも、これまでの蛇をシンボルとしする大地の豊穣の神とは対決する性格をもっていたのである。しかも大地の豊穣の神々が、主として女神としての性格をもっていたのに対し、バール神は明らかに男神として出現した。

日本の稲作技術は、気候の寒冷化をきっかけとして大陸からやってきた環境難民によって最初にもたらされたという。その後、弥生時代以降は、大陸から大量の人々が渡来した。こうして新たにやってきた人々は、蛇殺しの信仰をもっていた。こうした神話は、稲作と鉄器文化が結びついて伝播した可能性が高いというのが著者の推論だ。

その蛇殺しの神話を代表するのがヤマタノオロチの伝説だ。スサノオノ命が、オロチに酒を飲ませ、酔って寝込んだすきに、剣を抜いて一気にオロチの八つの首を切り落とす。この物語は、バール神が海竜ヤムを退治した物語によく似ているという。さらにスサノオノ命は荒れ狂う暴風の神であり、この点でもバール神を思い起こさせる。

バール神の蛇殺しもスサノオノ命の蛇殺しも、ともに新たな武器であった鉄器の登場を物語っている。バール神がシリアで大発展した紀元前1200年頃は、鉄器の使用が広く普及した時代でもある。日本の弥生時代も鉄器が使用されはじめた頃だ。こうしてみると、蛇を殺す神々の登場の背景には、鉄器文化の誕生と拡散とが深く関わっており、殺される大蛇たちは、それ以前の文化のシンボルだったのだと著者はいう。

しかし、日本に関してはスサノオノ命が大蛇を退治したから、それ以前の文化を葬り去った新時代の神とは単純にはいえない。これまで見てきたように、日本では蛇信仰は形を変えつつも生き残った。縄文文化は弥生文化によって抹殺されてしまったわけではない。むしろ縄文文化という根幹の上に、弥生文化が接ぎ木されていったと考えた方がよい。縄文の心が稲作農耕を中心とした弥生文化の中に流れ込み、溶け合っていった。

それを反映してか、男神であるスサノオノは、ヤマタノオロチ退治の前、アマテラスが住む高天原で大暴れをして、「根の国」に追放されたのである。つまり女神に男神が敗北しているのだ。女神や蛇に象徴される古い文化が、鉄器をもった男神によって葬り去られるという単純な図式では、きれいに整理できない。

しかも「根の国」に追放されたスサノオが、復活してヤマタノオロチを退治するのは、出雲の国である。出雲はもともと縄文文化の関係が深い地域でもある。もともと出雲族は近畿地方の中央にいたが、外部から侵入した部族によって四方に分断され、その一部が出雲と熊野に定住したという説もある。さらに出雲族の一部は、諏訪地方にのがれ、諏訪大社の基盤を作ったという。諏訪大社は、御柱祭からも推測できるように、蛇信仰や縄文文化と関係が深いのだ。

すなわち、スサノオノ命の大蛇退治は、その前後の物語も含めて考えると、稲作や鉄器に代表される弥生文化が,蛇信仰に代表される縄文文化を葬り去った物語と単純にとらえることはできない。むしろ縄文文化と弥生文化が複雑に入り組み、融合していくさまを、そのまま反映して、両方の要素が複雑に入り組んでいるものと理解すべきだろう。

かつて日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化という記事で、河合隼雄の論を紹介しながら、アマテラスとスサノオの関係に触れたことがある。

「西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。キリスト教を中心にしたヨーロッパ文化の危機の根源はここにあるかも知れない。

唯一の中心と敵対するものという構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出される。これに対して日本神話の場合はどうか。例えばアマテラスとスサノオの関係は、それほど明白でも単純でもない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。」(河合隼雄『中空構造日本の深層 (中公文庫)

二つの極が、一方的に善か悪か、勝者か敗者かで色分けされず、バランスが保たれるという構造は、実は縄文文化と弥生文化の出会いと軋轢の中でこそ経験されていたのだ。対立する極の一方を完全に排除してしまわないという特徴が、日本人の原体験として体験されていたのだ。その結果、縄文人の魂は、現代日本人の魂のなかにも生き残ることになったのである。

《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
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日本文化のユニークさ33:縄文の蛇信仰(2)

2011年08月15日 | 現代に生きる縄文
◆安田善憲『森のこころと文明 (NHKライブラリー)

続けて、上の本を参考にしながら、日本文化のユニークさ5項目のうちとくに(1)「狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている」について論じていきたい。なぜ現代日本人の心の基層に縄文的な精神が受け継がれたのだろうか。著者は環境考古学の専門家らしく、日本列島の環境という側面からいくつかの理由を挙げている。

縄文人の暮らしは季節によって条件づけられていた。春には山菜をとり、夏には魚介類をとり、秋には木の実をとり、晩秋から冬には狩りをする。イノシシや鹿の狩りは、この時期、つまりいちばんおいしい時に集中している。このようことを著者が福井県での講演会で話したら、「そんなことはなにも珍しくない、私は今でもやっている」と言ったので、会場が爆笑につつまれたという。

つまり、縄文人がやっていた生活のリズムが現代人にも理解できるのだ。縄文人の蛇信仰の名残りも現代の日本に存在する。注連縄(しめなわ)や諏訪神社の御柱祭り、いくつかの地域の祭りでの蛇にみたてた綱の綱引きなどだ。私たちの心は縄文人のこころにどこかでつながっている。これは日本文化を考えるうえできわめて重要なことだ。

たとえばアメリカでは、先住民が縄文人と同様の生活スタイルをもっていただろうが、現代のアメリカ人はそれを体験的に理解することはできないだろう。かつてヨーロッパに広がっていた森の民・ケルト人の文化がキリスト教文化によって抹殺されてしまったことは、このブログでも何度か触れた。その意味で現代のヨーロッパ人も、森の民のアニミズムを忘れてしまった。

日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化

北西ヨーロッパでは12世紀に大開墾時代と呼ばれる森の大開発が始まった。その背景には数頭の馬で粘土質の土を開墾できる重輪犂(すき)や水車・風車の開発などの技術革新があった。農地が広がって、森は急速に消えていった。その頃、この地域で動物裁判という奇妙な裁判が始まった。あらゆる動物が裁判にかけられて殺されていったのだ。それは、アニミズム的な信仰をもつ森の民とその森が消え、キリスト教が広まっていく過程にあらわれた特異な現象だった。動物の中でももっとも嫌われたのは蛇だった。キリスト教にとって蛇は邪悪の象徴だった(蛇の誘惑に乗って楽園を追放されたアダムとイブ)。

12世紀に中世ヨーロッパで動物裁判が始まった頃、日本では逆に動物の擬人化が進展した。日本の絵画の中で動物が主人公として盛んに描かれるようになるのは、平安時代末から鎌倉時代に入ってからだという。漫画のルーツともいわれる鳥獣戯画が成立したのも、まさにこの頃である。

この時代には日本でも、犂(すき)の利用や灌漑開発など農耕技術の革新がみられた。花粉分析の結果からも、12世紀から13世紀以降、関東平野の台地や丘陵で開発が進行し、アカマツの二次林が拡大し始めたことが分かるという。日本の場合は、原生林を破壊したあとに、二次林の資源に強く依存した農耕社会を作り上げたのである。アカマツや雑木林の二次林が生育する里山は、水田の肥料となる落葉、農機具用の木材、薪、キノコや山菜などの食糧源などが得られ、農民の生活と切り離せなかった。そして里山は、キツネやタヌキなどの野生動物の生息地でもあった。

ヨーロッパでは、日本の里山に相当する部分は牧草地に変えられてしまい、牛や羊など人間の食糧源としての家畜が飼育され、野生動物の姿は消えた。ケルトの民の森の生活と、キリスト教徒の農耕牧畜社会は断絶した。日本では、牧畜は存在せず、人間のすみかのすぐ近くに野生動物が生息し、動物と共存する世界が実現したのだ。

日本に森の多い風景が生き延びることができたのは、食肉用の家畜を飼育しなかったからだともいえる。山羊や羊などの、若芽を食べつくし森の再生を不可能にする家畜をもたなかったため、原生林が伐採されたあとにも二次林が再生できたのである。アニミズム的な縄文社会は、野生動物と共存する農耕社会と断絶することなく、原生林が里山に変わったとしても、野生動物が生息する森は保たれ続けたのだ。

こうして、日本文化のユニークさ(1)「狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。」と(2)「ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。」とは、密接にからみあっているのが分かる。(2)については、以下の記事で考察しているので、参考にしていただきたい。

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日本文化のユニークさ32:縄文の蛇信仰(1)

2011年08月13日 | 現代に生きる縄文
◆安田善憲『森のこころと文明 (NHKライブラリー)

引き続き上の本などを参考にしながら、日本文化のユニークさ5項目のうちとくに(1)「狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている」にかかわる問題を探っていきたい。

古代の日本は蛇信仰のメッカであった。蛇は祖神(おやがみ)である。外形が男根に似ているから、生命や精力、エネルギーの源とされた。脱皮をすることから生命の再生、更新の象徴とされた。マムシのように猛毒をもって相手を倒すから、人間を超えた雄そろろしい力をもつ存在として崇められた。(吉野裕子『蛇 (講談社学術文庫)』『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰 (講談社学術文庫)』)

縄文中期の土器は、生々しい活力に満ちた蛇の造形で注目される。縄文土器の縄文そのものが蛇にい関係していたかも知れない。遮光器土偶の蛇のような眼は、おそらく縄文人の蛇信仰が呪術にとって大切な意味をもっていたことを反映している。土偶に蛇の眼を与えることで、死者の再生を願ったのではないか。また神社の注連縄(しめなわ)は、交合する雄と雌の蛇の姿を現すという。縄文人の蛇信仰が、現代日本のありふれた生活空間の中にも生き残っているのだ。

現代日本人にとっても山は信仰の対象となるが、縄文人にとって山は、その下にあるすべての命を育む源として強烈な信仰の対象であっただろう。山は生命そのものであったが、その生命力においてしばしば重ね合わされたイメージがおそらく大蛇、オロチであった。ヤマタノオロチも、体表にヒノキや杉が茂るなど山のイメージと重ね合わせられる。オロチそのものが峰神の意味をもつという。蛇体信仰はやがて巨木信仰へと移行する。山という大生命体が一本の樹木へと凝縮される。山の巨木(オロチの化身)を切り、麓に突き立て、オロチの生命力を周囲に注ぐ。そのような巨木信仰を残すのが諏訪神社の御柱祭ではないか。(町田鳳宗『山の霊力 (講談社選書メチエ)』)

ところで蛇信仰は日本だけに見られるのではない。蛇とかかわりの深いメソポタミアのイシュタル女神は、死と再生、大地の豊穣性をつかさどる祭祀にかかわりをもっていた。地中海沿岸も、かつては蛇信仰の中心であった。ギリシアの聖地デルフォイには、黄金の三匹のからまりあう大蛇が聖杯を捧げている彫刻があった。アテネのパルテノン神殿には、人間の頭をもった三匹の蛇がからみあった彫刻がある。この他にも蛇が表現された遺跡は多く、古代地中海の人々と日本の縄文人とは、蛇によって象徴される何かしら共通した世界観をもっていたのである。

森が消滅した現代のギリシアでは、夏の岩肌に蛇はめったに見れない。森が消えるとともに蛇も姿を消し、森のこころは永遠に失われてしまったのである。

しかし、蛇信仰の消滅については、気候や環境の変化を含めてもう少し詳細に語らなければならない。紀元前1500年から紀元前1000年の頃に地球界世界の人々に、世界観の大きな変化があった。蛇をシンボルとする大地の豊穣の女神から天候と嵐の男神へと中心が移動した。

ここでも気候の変動が深く関係している。紀元前1200年ごろ、西アジア一帯は気候が寒冷化した。ギリシア・トルコは、寒冷化とともに湿潤化したが、イスラエルやエジプトは寒冷化とともに乾燥化した。気候が乾燥化した地域の牧畜民は砂漠を追われて、農耕民の住むオアシスや河畔に侵入し、侵略するようになる。この牧畜民の侵入が、天候神中心の世界への変化に寄与した。天候神はもともと牧畜民のものであった。

これに対して牧畜民との接触のなかった日本列島の人々は、牧畜民の神々からの影響を受けることなく、多様な森の環境の中で育まれたアニミズム、あるいは多神教的な神々を維持する条件に恵まれていたのである。

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日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤

2011年08月10日 | 現代に生きる縄文
◆安田善憲『森のこころと文明 (NHKライブラリー)

引き続き上の本に触れながら縄文時代が、いかに日本文化のユニークさの基盤になっているかを考えていきたい。昨日、都市文明の誕生について少し触れたが、その過程にはやはり気候変動が関係していると著者はいう。人類に文明の光をもたらした古代文明(メソポタミア、エジプト、インダス)は、半乾燥地帯の大河の中・下流域で誕生した。しかも、いずれも麦作と家畜をセットにした農耕が古くからおこなわれるいる。

およそ5000年前に気候変動(寒冷化)が起こり、これらの地域を乾燥化させた。麦作農耕が富の貯蔵と階級支配の文明を推し進めたが、都市文明の誕生には、農耕が牧畜とセットになっていたことと、牧畜民との接触の機会が多い農業であったことが深くかかわっている。気候の乾燥化によって、大河周辺の乾燥したステップで生活していた牧畜民が、水を求めて河畔に集中し、農耕民と接触したり侵略する機会が多くなったのだ。

農耕民がもっていた富と余剰労働力が、牧畜民の文化と結びついて都市文明は誕生した。「都市文明を特色づける個人の所有権、契約、外国との交易、英雄叙事詩、武器や貴金属の装身具は、本来、牧畜民の中にあった文化的・社会的要素とみなされる。」

農耕と牧畜はセットになって都市文明を形成した。大陸の文明のルーツには農耕と牧畜がある。同じころ縄文人は牧畜をまったく知らず、牧畜民との接触もなく自然と森の恵みの中で生活していた。弥生時代に本格的な稲作農業が入ってきたあとも、牧畜はなかった。何度もいうようだが、これが日本人の精神文化に与えた影響は大きい。日本人の生命観の根幹に影響を与えている。その意味は、昨日挙げた以下のエントリーでも詳述したが、大切なので再掲する。

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日本文化のユニークさ5項目のひとつとして(2)「ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。」という項目を作った理由がここにある。

さて、メソポタミアなどで気候変動がきっかけとなり都市文明が生まれた5000年前、日本列島では気象変化によって寒冷・湿潤化に見舞われていたという。関東平野ではこの時代以降、海岸線が30キロメートル以上も沖合に前進した。そのため縄文時代前期の生活を支えた豊かな内湾が消える。代わって縄文時代中期になると、関東西部や中部山岳の八ヶ岳山麓などに遺跡が急増する。内湾の資源をあきらめ、内陸部のナラ、クリ林に依存するようになったためとみられる。

縄文中期には八ヶ岳山麓のような特定地域に、著しい遺跡の集中現象がみられるという。この頃、配石遺構や土偶・土面など呪術や儀礼に関する遺物が多く出土するようになる。しかも、ナラやクリの生育する東日本の落葉広葉樹林帯に急増する。土偶などの遺物が急増するのは、人口の集中や増加による社会的緊張をやわらげるための必要性からだったのではないかと推測する研究者もいる。

縄文時代に都市文明を誕生させるような土木技術がなかったわけではない。三内丸山遺跡の巨木遺構など、縄文時代の巨大な遺構が、最近次々と発見されている。これらの巨大遺構は、人口30人から50人のムラがいくつも集まって共同で作業しないと作れない。それは都市文明の一歩手前の段階とみなさる。にもかかわらず特定の権力をもった王は誕生しなかった。

縄文人たちは、不平等が顕在化したり、富が一部にのみ集中することを意識的に避けたのではないか、そして代わりに呪術や儀礼を発展させて、平和で安定した平等社会を維持したのではないかと、著者は考えているようだ。

縄文人が、はたして「意識的に」不平等や富の集中を避けたのかどうかは分からないが、やはり縄文人が基本的には狩猟・漁撈採集の民であったことが最大の理由だったのではないだろうか。そして、日本列島という湿潤で森の豊かな環境のなかで、大陸からの農耕民が一気に大量に押し寄せることもなく、まして牧畜民との争いもなかったために、初期からの縄文人としての生活や文化を大きく変える必要性がなかった。そんな社会と文化を一万年も継続させた経験が、私たち現代日本人のこころの底に流れているのだ。この経験が、現代日本人のあり方に無関係であるはずがない。

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日本文化のユニークさ30:縄文人と森の恵み

2011年08月09日 | 現代に生きる縄文
◆安田善憲『森のこころと文明 (NHKライブラリー)

今回は、この本のレビューをかねて、日本文化のユニークさ5項目のうちとくに(1)「狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている」について考えてみたい。著者は環境考古学の専門家であり、古い地層の花粉分析のデータなどから各時代の植生と文明のかかわりを追求する手法は、すこぶる興味深い。

★麦作農耕の始まり

シリアなど大陸で見つかる旧石器と比べると日本の旧石器は、かなり小さいという。しかも日本の後期旧石器時代の遺跡からは、一部が磨かれた局部磨製石器が出土する。旧石器時代の磨製の石斧は世界ではたいへん珍しいのだが、日本ではすでに30カ所以上の遺跡で見つかったとのことだ。それは、おそらく日本が森の多い環境であったため、森の資源・植物食を利用するために制作されたのではないか。これにたいし大陸の大草原は、ゾウ、サイ、バイソンなど大型の哺乳動物を捕獲したため石器も大型だった。

ところがヨーロッパでマンモスは、1万3000年前に絶滅した。後期旧石器時代の末期、大型哺乳動物が姿を消し、西アジアの大草原でも人々は途方にくれた。その頃、気候の温暖化でシリア北西部の地中海沿岸には落葉ナラの森が拡大した。人類は、姿を消した大型哺乳類のかわりに、森の木の実や小動物を食べて森の中で生活を始めた。しかし1万1000年ごろ、突然気候が氷河時代に逆戻りして、森の資源が減少し深刻な食糧危機が訪れた。森の中で植物利用になれていた人々は、森の周辺に広がるイネ科の草木に着目し、そこで農耕を始めたのである。

人類は、ステップに自生する野生の麦類を採集し栽培化することで晩氷期の食糧危機を乗り切った。この西アジアの麦作農耕地帯は、初期から羊、山羊などの家畜をともない、それを貴重なタンパク源としていたのが特徴である。これに対して日本文化のユニークさの一つは、食糧源としての家畜を伴わなかったことである。これが大陸の人々に対して日本人の精神構造のユニークさを形成する重要な要因になったことは、これまでに何回か取り上げた。

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ところで、狩猟採集民には個人の所有や富の貯蔵という行為はなく、獲物はみんなで分かち合った。農耕・牧畜が開始されると、物を貯蔵し、所有して、なわばりも意識するようになる。富の貯蔵と所有を前提とした社会は、競争の原理を強化し、異なった集団間の摩擦や激しい殺戮を生んでいった。余剰と富がますます蓄積されるようになると、その蓄積の上に立った権力と搾取・殺戮は急速に拡大した。そしてこの草原に出現した麦作農耕の中から、人類初の都市文明が誕生する。その都市は、シュメール文明という源流の時代からすでに城壁に囲まれていたのである。

★そのころ日本列島の縄文人は?

西アジアの大草原で人類が農耕を開始したころ、東アジアの日本列島では、ブナやナラの落葉広葉樹の森で、狩猟・漁撈採集民としての生活を開始していた。1万3000年前の日本列島の気候は、温暖化・湿潤化したのである。この頃日本列島でも、大型哺乳類に代わり、サケ・マスなどやドングリ類を食糧とする生活を開始する。これが縄文文化である。ブナ・ナラの森が拡大すると同時に土器も使用されるようになる。土器によって縄文人は、ドングリ、イノシシ、鹿、サケなどを煮て、アクヌキ、消毒、新しい味覚などを伴う新たな食生活に入ることができた。

大型哺乳動物が消えた大草原で途方にくれて立ちつくした西アジアの人々とは違い、日本列島の森の中は食べ物が豊富だったのである。森の中では、物を貯蔵し、人のものを収奪する必要がなかった。所有の概念は強化されず、社会的不平等も顕在化しなかった。大陸で農業が生まれ、都市文明が勃興し、異民族間の戦争が繰り返されていたころ、日本列島では縄文人が1万年近くの長きに渡って、貧富の差も、階級差も、他集団との間の大規模な殺し合いも知らず、森の恩恵の中で自然を崇拝しつつ生活していたのである。この一万年の経験が、現代の日本人の心にも脈々と受け継がれているはずなのである。

「このように1万3000年前は、個人の所有が発達し、富を貯蔵し、権力者を生み、巨大な神殿や王宮を建造する階級支配の文明と、個人の所有が発達せず、富の貯蔵もあまり発達しない、権力者や貧富の差がなく、巨大な建築物をもたない平等主義に立脚した文明の、大きな分かれ道であった。」

巨大な神殿や王宮は、強力な宗教によって可能となるが、もちろん縄文人はそのようものを知らなかった。一万年もの間、そのような宗教を知らなかった日本列島の人々は、大陸から仏教や儒教を学び取るときも、これまでの森の民としての経験や必要性に合わせて、自分たちにいちばんしっくりとくる形に変形しながら、それらを取り入れたのも当然だろう。もちろんこの事実は、日本文化のユニークさ(4)「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった」の基盤となっていく。

《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

《関連記事》
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(3)

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日本文化のユニークさ29:母性原理の意味

2011年08月07日 | 母性社会日本
昨日の末尾で、「かわいい」文化は、おそらく一神教的な父性原理の文化とは正反対の、アニミズム的ないし多神教的な母性原理の反映であり、一表現だと指摘した。少なくとも「かわいい」という表現の大元には、母性愛的な感情がある。砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない男性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。

日本の縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多い。渦は古代において大いなる母の子宮の象徴で、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。土偶そのものの存在が、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。日本人は、縄文的な心性を色濃く残したまま、近代国家にいちはやく仲間入りした。大宗教によって一元的に支配される経験をもたず、古代の心を受け継いだまま近代化してしまったのが日本なのだ。

日本が、農耕文明以前からの母性原理的な文化を破壊されず、それを基盤としながら、外から学び取るという形で近代化を達成したことは、人類の歴史上でも、奇跡的なことなのかもしれない。そういう奇跡的な基盤の上に「かわいい」文化も花開いたのろう。縄文的な心性を現代にまで残してきた日本文化のユニークさは、世界のどの文明もかつてはそこから生れ出てきたはずの、農耕・牧畜以前の文化の古層を呼び覚ますのだ。

以上については以下のエントリーで論じてきた。

『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(3)
「かわいい」と日本文化のユニークさ(1)
日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化

今回は、7月31日の記事東日本大震災後の日本を語る本でも短く紹介した次の本を取り上げながら、日本文化が母性原理を「文化の祖型」にし、それが現代にまで及んでいることをみていこう。

ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)(2011年7月出版)

縄文人の信仰や精神生活に深くかかわっていたはずの土偶の大半は女性であり、妊婦であることも多い。伊勢神宮の主神にアマテラスを仰ぐ日本人にとって、本来、神は女性であることを意味した。日本の「文化の祖型」に女性が君臨していた、と著者・町田宗鳳氏はいう。

沖縄では、イザイホーなどほとんどの宗教儀礼において、女性が中心となっている。女人禁制どころか、男子禁制が当たり前で、それが母系制社会のまっとうな宗教のあり方なのだという。神道にもその名残があって、伊勢神宮では、宮司よりも皇女である斎宮(いつきのみや)が高い地位を与えられている。女性が神の憑座(よりまし)となるからだ。日本全国の霊山でも、山の神はたいてい女性で、女人禁制という慣習も、山の神の嫉妬心を刺激しないために生まれたという(『山の霊力 (講談社選書メチエ)』)

日本文化のもう一つの祖型は、「曖昧の美学」だ。「曖昧」は成熟した母性的な感性であり、母性原理と結びついている。単純に物事の善悪、可否の決着をつけない。一神教的な父性原理は、善悪をはっきりと区別するが、母性原理はすべてを曖昧なまま受け入れる。能にせよ、水墨画にせよ、日本の伝統は、曖昧の美を芸術の域に高めることに成功した。それは映画やアニメにも引き継がれ、一神教的な文化とは違う美意識や世界観を世界に発信している。

日本は曖昧な「ナンデモアリ」の社会だが、その「いい加減さ」の背景には、母性原理の文化を、一神教を背景とした文明によって圧殺されずに、縄文時代から連綿と引き継いできたことがある。そこに仏教が入ってきて、神道と混淆していく。仏教によって日本に送り届けられた平等観は、縄文以来の自然崇拝的な世界観と重なり合って、「山川草木国土悉皆成仏」という言葉に代表されるような日本独自に平等思想を生み出していく。町田氏は、「その精神遺産の尊さを、日本人自身がもっと鮮明に自覚した時、世界に向けて、強い発信力をもつ」だろうという。

町田氏はさらに、仏教にかぎらず、日本の宗教的伝統にある、もう一つの長所は、究極的な悪としての悪魔の概念が不在であることだという。キリスト教社会での「魔女狩り」に典型的に見られるように、一神教では神の栄光を際立たせるために、神に敵対する悪魔の存在を構造的に必要としてきた。両者は、光と闇のように決して交わらることはない。アメリカには、仮想敵を必要とする「文化の祖型」があるが、それはピューリタニズムというプロテスタントの中でももっとも原理主義的な思想が建国の理念になっているからだろう。清教徒の反対側に「清らかでないもの」を想定しているのだ。一神教的な発想が、世界の紛争の根元にある場合は多い。

日本の宗教や文化は、対立ではなく和解、分裂ではなく融合を特徴としている。それは国際社会を生き抜くうえで弱点になることもあるだろうが、伝統文化から現代のサブカルチャーにいたる日本の文化全体が、クールなものとして世界に受け入れられる一因にもなっている。ルネサンスが、古代ギリシャ・ローマの文化をモデルにして花開いたのと同様に、父性原理に根ざす近代文明は、縄文のような母性原理に根ざす文化をモデルにして行き詰まりを打開する必要があるのかもしれない。そうだとすれば、一神教を受け入れずに近代化を成し遂げた日本のような文化のあり方は、今後、果たすべき役割が大きいではないか。

《関連図書》
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見

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マンガ・アニメの発信力:「かわいい」文化の威力

2011年08月06日 | マンガ・アニメの発信力の理由
今回は、昨日も取り上げた櫻井孝昌氏の『ガラパゴス化のススメ』に触れながら、「マンガ・アニメの発信力の理由」を考えてみたい。これまでこのブログでこのテーマを扱う中でまとめたのは、以下の5点であった。

①生命と無生命、人間と他の生き物を明確に区別しない文化、あの世や異界と自由に交流するアニミズム的、多神教的な文化が現代になお息づき、それが豊かな想像力を刺激し、作品に反映する。

②小さくかわいいもの、子どもらしい純粋無垢さに高い価値を置く「かわいい」文化の独自性。

③子ども文化と大人文化の明確な区別がなく、連続的ないし融合している。

④宗教やイデオロギーによる制約がない自由な発想・表現と相対主義的な価値観。

⑤知的エリートにコントロールされない巨大な庶民階層の価値観が反映される。いかにもヒーローという主人公は少なく、ごく平凡な主人公が、悩んだりり努力したりしながら強く成長していくストーリが多い。

櫻井氏が評価する日本の最大の魅力は「オリジナリティ」だという。「日本でしか生まれないものを次々に創り出していく」というのが、世界の若者がもっとも評価する点だというのだ。日本のアニメについていえば、その独創性のいちばんのかなめは、「日本のアニメだけが、アニメーションは子どもが観るものという世界の常識を無視して作られている」ことだ。これはもちろん上の5項目でいえば、③に関係が深い。もともと子ども文化と大人文化に断絶がなかったからこそ、マンガ・アニメが大人の表現形式にもなり得たのだ。

もちろん日本のアニメの強さは、他にもある。週刊マンガ誌という強力な母体から原作が生み出されること、在野のクリエーターのすそ野が広いこと、脚本やキャラクターの設定が深く、次の展開が読みにくいこと、制作上のタブーがきわめて少ないことなど。とくに最後のタブーが少ない点は、上の5項目の④と深くかかっている。タブーが少ないということは、マンガでもアニメでもファッションでも、何かを表現しようとするときに選択の自由があるということだ。

日本人はパリに憧れるが、逆にパリの若者たちはそこでの暮らしに満足していないという。そして彼らの眼は東京に向いている。「東京には選択の可能性がある」。パリをふくめ、ヨーロッパの若者たちは幼いころからアニメやマンガに囲まれ、日本への妄想に近いような思いを抱いているという。ヨーロッパの都市や人が意外と保守的なのは、その宗教に根ざした文化によるのかもしれない。

ファッションジャンルで日本の存在を急速に世界の若者に注目させたものに「ゴスロリ(ゴシック&ロリータ)」がある。ゴシックファッションは、もともとヨーロッパの伝統に根ざしているので、それをロリータと結びつける独創的な発想は、日本以外では生まれえなかった。上の5項目の②にあるような「かわいい」文化の独自性があったからこそ、こうしたユニークな結びつきが可能となったのだろう。

21世紀に入ってもっとも世界に普及した日本語は和製英語の「アニメ」だろうが、それに続く言葉が「カワイイ」ではないかと櫻井氏はいう。世界の若者が「カワイイ」といいう言葉を使うとき、そこには「東京的な」とか「日本的な」といった意味が含まれると語る女の子もいるという。確かに、キュートやミニョンを使わずわざわざ日本語のカワイイを使う以上は、そこに独自のニュアンスを込めたいからだろう。そこには日本や日本のポップカルチャー全体への憧れのようなものが反映されているのだろう。

カワイイという概念が急速に世界に広がったものまた、インターネットの力が大きい。ロリータファッションの愛好家に、その出会いを聞くと、やはりきっかけはアニメであることが多いという。アニメを通して、日本の生活やファッションに興味を持ち、インターネットで日本のものを次々にチェックしていく。櫻井氏の本を読んで知ったのは、どうやら世界では、日本のアニメ・マンガや日本の若者文化の魅力そのものが「カワイイ」という概念で特徴づけられる傾向が強いらしいということだ。「かわいい」文化のもつ発信力がますます大きな影響力をもちはじめているということか。

「かわいい」文化は、おそらく一神教的な父性原理の文化とは正反対の、アニミズム的ないし多神教的な母性原理の反映であり、一表現だ。だから、②の「かわいい」文化の独自性と、①のアニミズム的、多神教的な文化が生み出す想像力の魅力とが結びついている。今、世界は一神教的な文化の強大な影響力のもとに置かれ、しかもそれが行き詰まりを見せている。「かわいい」文化は、一神教的・父性原理的な文化に対する「反乱」の始まりを意味するかもしれない。

《櫻井孝昌氏の関連著作》
アニメ文化外交 (ちくま新書)
世界カワイイ革命 (PHP新書)
日本はアニメで再興する クルマと家電が外貨を稼ぐ時代は終わった (アスキー新書 146)

《関連記事》
『日本はアニメで再興する』(1)
『日本はアニメで再興する』(2)
アニメ文化外交 (ちくま新書):YouTubeでのJapan熱を裏付ける本(1)
「カワイイ」文化について
コメント (2)
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クールジャパン現象は終るのか?(2)ジャパン関連イベントなど

2011年08月05日 | クールジャパンを考える
昨日紹介したように、「ニューヨーク・コミコン」や「アニメエキスポ」なのアメリカのイベントはいずれも来場者が増大し、成功を収めている。アメリカでもマンガ・アニメのファンは確実に増えているのだ。にもかかわらずマンガの売り上げは激しく減少している。

MANGA、宴のあとで】(朝日新聞グローブ (GLOBE)2011年2月7日)

全米で500万人を超えた、とも言われるファンの順調な拡大とは対照的に、マンガの売り上げの方は急速に落ち込んでいるのだ。

米市場調査会社ICv2の推計によると、米国での日本マンガの売り上げは2002年以降順調に伸びてきたが、07年の2億1000万ドルをピークに減少に転じた。09年は1億4000万ドルまで低下。10年はさらなる下落が予想され、大手出版社ではタイトル数の削減と大規模な人員整理を急ぐ。

業績不振の原因は、金融危機後の景気低迷だけでは説明しにくい。バットマンやスーパーマンといった英雄モノで30・40代の男性読者を引きつける米国マンガ(コミックブック)は、09年の売り上げが07年比で6%減。これに対して日本マンガは同じ時期に33%の大幅減だったからだ。


もちろん、ファンが増えているにもかかわらず売り上げが減少するひとつの理由は、インターネット上に海賊版が出回っていることである。「ファンや出版業界の中には、海賊版が出回ることで逆に海外で日本マンガの認知度が高まり、実売にも好影響を与えてきた、との見方もある」という。そういう見方があるというよりも、これはまぎれもない真実であり、アニメ、そしてマンガがここまで世界に広がった無視できない理由のひとつだろう。しかし、「マンガ販売の減少に悩む出版社にとって、海賊版サイトの存在は命取りになりかねない。数が多い海賊版サイトと出版社との争いは「いたちごっこ」」なのだという。

しかし、このブログの関心は、ビジネス戦略としてクールジャパン現象をどう利用するかではなく、世界での、日本のサブカルチャー人気そのものに陰りがでているのかどうかということであった。マンガ・アニメについてのビジネス戦略に関心のある方には、次のブログが参考になるかもしれない。下にタイトルを掲げ、リンクだけしておく。

アメリカでアニメやマンガが売れなくなった本当の理由?Too much expectations and not enough marketing lead to manga slump in US

さて、ここでは昨日も触れた櫻井孝昌氏の本のうち、このブログでまだ取り上げていなかった『ガラパゴス化のススメ』に触れながら、話をすすめよう。世界のジャパン熱の現状とそれが若者文化に与える影響についてである。

現在、世界中で1万人を超える日本関連のイベントは珍しくもなんともないと櫻井氏はいう。彼が2010年に参加した大型イベントだけでも、パリのジャパンエキスポはもちろん、ハワイの「カワイイ・コン」(2010年、1万人参加)、米国ボルチモアの「オタコン」(2010年、2万9千人参加)、スペイン・バルセロナの「サロン・デル・マンガ」(2009年、7万5千人参加)などがあるという。

ちなみに、英語版ウィキペディアの、世界の主なアニメ・コンベンションのリストには、95のコンベンションが挙げられている。これはアニメに特化されたコンベンションのリストなので、ゲームなどのジャンルも含めた日本関連のコンベンションの実数は、はるかに多いだろう。今は時間がないが、それぞれのコンベンションの規模や参加者数の増減などもじっくり調べてみたいと思っている。これらを丹念に調べることが、世界のクールジャパン現象の動向をつかむのにある程度役立つだろう。

ところで櫻井氏によれば、現在ジャパン熱を世界にもたらした大きなポイントは、アニメ・マンガのクリエイティブなオリジナリティであり、それを一気に広めたネットの存在だという。ネットの役割は大きく、そこにはネット上の海賊版という問題も含まれる。しかし、世界各地でこれだけジャパン関連のイベントが開かれる背景にネットによるアニメ・マンガの普及という事実があるのは否定できない。

ビジネス関連でいえば、パリジャパンエキスポに関しては、今年は日本企業の参加もだいぶ多くなっているが、たとえばバルセロナなど他のイベント会場には、日本人、まして日本企業の参加はほとんどないという。ジャパンエキスポに割り込んででも自国コンテンツの拡大をねらう韓国などに比べ、日本企業は世界中に広がるジャパン関連のイベントをまったく利用していないというのが実情なのだ。日本企業が積極的に参加・支援をすることで、これらのイベントがさらに盛大になる可能性は高いのではないか。

「MANGA、宴のあとで」のレポートの中にも「海賊版を取り込め」という発想でのいくつかの試みが紹介されているが、ネットの力で世界中に広がったジャパン関連イベントを、今度は絶好のビジネスチャンスとして最大限に活かしていく発想の転換こそが必要だろう。

さて、私の関心事のひとつであった、世界のクールジャパン現象に動向については、主なイベントの規模拡大や櫻井氏のレポートで知るかぎりは、陰りどころかますます熱が上がっているように思われる。しかし、もう少し数字的な裏付けが欲しい。これについては時間をかけて世界のそれぞれのイベントに当たってみたい。

私自身は、日本のサブカルチャーが世界に大きな影響を与えつつあるという大きな流れは、ほとんど変化しないと思っている。これについては『ガラパゴス化のススメ』の内容を紹介しながら、次回に触れてみたいと思う。

《櫻井孝昌氏の関連著作》
アニメ文化外交 (ちくま新書)
世界カワイイ革命 (PHP新書)
日本はアニメで再興する クルマと家電が外貨を稼ぐ時代は終わった (アスキー新書 146)

《関連記事》
『日本はアニメで再興する』(1)
『日本はアニメで再興する』(2)
アニメ文化外交 (ちくま新書):YouTubeでのJapan熱を裏付ける本(1)
「カワイイ」文化について

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クールジャパン現象は終るのか?(1)

2011年08月04日 | クールジャパンを考える
MANGA、宴のあとで】(朝日新聞グローブ (GLOBE)2011年2月7日)

「クール・ジャパン」の行方
昔浮世絵、今MANGA。現代日本のポップカルチャーの代表格であるマンガは多くの国の言葉に翻訳され、出た先々でファンを生み、世界を席巻する勢い──のはずが、最近は売り上げ減少、苦戦を強いられているという。ブームは早くも黄昏(たそがれ)を迎えたのか。「クール・ジャパン」とはやし立てたあの盛り上がりは一時の宴(うたげ)に過ぎなかったのか。


このような出だしで始まるレポートは、フランス、アメリカ、ベトナム、韓国などの「マンガ」出版事情を扱い、かなり分量がある。ただし、このレポートはいわゆるクールジャパン現象の、ビジネス面での陰りを扱っているにすぎない。各国の「マンガ」出版に少し陰りが見えることは、私も少しは気になる。しか私自身の本来の関心は、クールジャパン現象が世界の文化にどんな影響を与えているのか、それが文明史的にどんな意味があるのかということである。日本のポップカルチャーは、世界に大きな影響を与えてきたし、今もそれは変わっていない。

日本のポップカルチャーがなぜ、世界に大きな影響を与えてきたのか、その背後にある文明論的な意味が理解されれば、ビジネス面での多少の浮き沈みはあっても、大きな流れに急激な変化はないことが分かるはずだ。たとえばこのブログでは「日本文化のユニークさ」を5項目に分けて追及し続けているが、マンガやアニメの魅力の背後にはそのユニークさが息づいているのだ。世界は、マンガやアニメを通して無意識のうちにも、そのユニークさに魅力を感じているのではないか。

まずは、このレポートでも示される、フランスでの「マンガ」売り上げの数字を見ておこう。

昨年仏国内で発行されたマンガ単行本は、前年より100点以上増えて1631点。しかし、売り上げは約1億ユーロ(約111億円)で、前年比3.6%の減。仏語圏にマンガが広く普及して以来例のない大幅な後退となった。(中略)

フランスは日本のアニメやマンガが最も愛される国として有名だ。パリ郊外で毎年開かれる日本文化の祭典「ジャパン・エキスポ」は、昨年18万人が集う盛況ぶりだった。なのに、なぜ売り上げが伸び悩むのか。米国でも最近マンガが売れなくなっている。何かが起きているに違いない。


フランスのある編集者が言うように、「頭打ちになっていることは確かだ。日本マンガは売れすぎた。『ナルト』は仏文学のどんな有名作家よりも売れた。今も売れ続けている。ただ、続く大ヒットが出てこない。新しい少年マンガがフランスには必要だ」というのが、フランスでの実状だろう。

一方で、こうした報告もある。

パリ・ジャパンエキスポに19万人以上 昨年を上回る】(アニメ!アニメ!ビズ2011年7月13日)

6月30日から7月3日までフランス・パリ郊外で開催されたジャパンエキスポの来場者が過去最高となった。ジャパンエキスポによれば、今年の来場者数は当初予想していた19万人を大幅に超えたという。 過去最高であった2010年の来場者数17万5000人を上回った。
 
今年で12回目を迎えるジャパンエキスポは、毎年夏にノール・ヴィルパント展示会会場で4日間にわたり開催される日本カルチャーの大型イベントである。当初はアニメ・マンガ・ゲームなどを中心としていたが、近年はJ-POPやファッション、さらに伝統文化なども取り込んでいる。また、日本の行政や企業などの関わりも拡大しており、日本の文化発信の拠点として注目されている。

そうした取り組みは、来場者数の急増にも表れている。2008年の13万5000人、2009年の16万5000人、2010年の17万5000人と、来場者は10万人を越えたあとも一貫して増え続けている。2011年は前年比で1万5000人増の高い目標を掲げたが、これをクリアーした。

米国では7月1日から4日までロサンゼルスで開催されたアニメ・マンガのイベント アニメエキスポが、今年の来場者が過去最高、12万8000人を超えたと発表している。米仏で日本のカルチャーイベントが勢いを増している。

ジャパンエキスポでは、期間中は昨年と同様に10万㎡もの会場に600もの出展ブースが設けられた。また、ライブイベントも数が多く、4日間で20を超える無料コンサートが開催された。

日本からはマンガ家のいがらしゆみこ さん、内藤泰弘さん、アニメーターの結城信輝さん、音楽家 大島ミチルさん、X-JAPAN、May’nさんら数十人ものゲストが招かれている。また、日本の東日本大震災からの復興を応援するプロジェクトも行われた。

ジャパンエキスポは、2012年も7月5日から7月8日まで4日間引き続きパリで開催を予定する。さらに2011年は新たに、フランス中部のオルレアン、隣国ベルギーのブリュッセルでも同様のイベントを開催する。既に継続的に開催されているフランスの南部マルセイユのジャパンエキスポ・シュードと併せて年4イベント体制となる。


2011年のジャパンエキスポの最終的な入場者数についてはレポートによって少し違いがあるが、19万人をかなり超え、20万人に達したという報告もある。フランスでのマンガの売上高のわずかな減少は、ジャパンエキスポで見る限り、日本のポップカルチャー人気の衰えを示しているとはいえないようだ。

一方アメリカの場合はどうだろうか。

米国アニメエキスポ 来場者過去最高 128000人超える】(2011年7月05日)

7月1日から4日まで、米国ロサンゼルスで開催された日本アニメ・マンガの大型イベント アニメエキスポ(Anime Expo)は、来場者数が実数で4万7000人以上、延べ人数で12万8000人を超えたと発表した。アニメエキスポは1992年からカリフォルニア州で開催されている。日本アニメ・マンガのイベントでは北米最大規模を誇る。

これまでの過去最高は2009年の4万4000人(実数)、2010年は実数では前年比を下回ったともされているが延べ人数10万5000人だけが明らかにされている。2011年は、この双方を大きく上回ったことになる。また、延べ人数では前年比で22%増と、来場者は2006年以来の高い伸びとなった。

今年のアニメエキスポが大きな伸びをみせたのは、業界を取巻くムードの変化もあるのかもしれない。近年は大手企業の撤退が相次ぎ業界全体が重いムードに包まれていたが、そうした動きも一段落しつつある。また、2011年は6000人を動員したボーカロイドのアイドル 初音ミクのコンサートなどボーカロイド関連の積極的な動きも影響したかもしれない。
 
また、ゲーム関連の存在感の拡大、ニコニコ動画やクランチロールなどの動画配信サイトのライブ中継の本格化など、新しい時代の流れを取り込みつつある。

一方で、ここ数年、米国で指摘される関連イベントの成長とアニメ・マンガのビジネス不振のミスマッッチ問題は解決されていない。アニメは2000年代半ば以降、マンガは2008年以降、北米での売上げが急減しているからだ。

2011年のアニメエキスポ成功は、依然北米には多くのファンと潜在的なマーケットがある可能性を感じさせる。アニメ・マンガの北米展開に、大きな課題を投げかけるものだ。


この記事の最後にも示されているように、アメリカでの「マンガ」販売売上の落ち込みは、フランスよりもかなり深刻だ。前年度比20%減だという。にもかかわらず、アニメとマンガのイベントは、アニメエキスポ以外でも盛況が報告されている。昨年10月のイベント「ニューヨーク・コミコン」は、5回目となったが、マンガやアニメの熱狂的なファンが全米各地から押し寄せた。来場者は3日間で9万6000人、これまでで最多を更新したという。

このギャップを私たちはどうとらえるべきなのか。これまで何回も紹介してきた櫻井孝昌氏の本でも、各国のマンガ・アニメ関連フェスティバルの熱狂的な様子が熱く語られており、日本のポップカルチャー人気はますます盛り上がっているのことが分かるのだが‥‥。

《櫻井孝昌氏の関連著作》
アニメ文化外交 (ちくま新書)
世界カワイイ革命 (PHP新書)
日本はアニメで再興する クルマと家電が外貨を稼ぐ時代は終わった (アスキー新書 146)

《関連記事》
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日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ

2011年08月03日 | 現代に生きる縄文
さらに『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』(2011年7月出版)を参考にしながら、日本文化のユニークさを考えていきたい。今回も、

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

にかかわるところに触れる。

縄文時代から弥生時代への移り変わりは、大量の渡来人が一気に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。日本文化のユニークさ5項目のうちの(3)の前半「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった」という事実は、縄文時代から弥生時代という日本という国の創成期にも当てはまるのである。

そのあたりの事情を、上の本にしたがって少し詳しくみよう。縄文人がかなり早い段階でかんたんな農耕を始めていたことは、三内丸山遺跡などの発掘で明らかになりつつある。もちろん狩猟採集も行われ、これが生活の重要な位置を占めていた。弥生人により九州北部で本格的な稲作が始まり、それが東進してくると、縄文人はそれを跳ね返そうと呪術を用いた。それが土偶だという。弥生文化と縄文文化が接するところで土偶が盛んに用いられたのはそのためだ、と著者はいう。

主に狩猟採集を生活の糧にしていた縄文人は、必要以上に獲物を乱獲すれば、やがてつけは自分たちに回ってくることを知っていた。狩猟採集民は、長い経験からそういう知恵を持っていたのである。大自然に畏敬の念をもち、土地を安易に傷つけることもなかった。そのため、土地を貪欲に開墾し、奪い合い、増殖していく稲作民の行動に、本能的に拒絶感をもつ縄文人がいたのではないか。

ただし稲作文化をかたくなに拒んだ縄文人もいたが、稲作を積極的に受け入れた縄文人もいたようだ。最近の考古学は、そのような縄文人がかなりいたことを明らかにしつつある。たとえば、九州の菜畑遺跡や板付遺跡など初期の水稲農耕の遺跡から、縄文系の土器が出土し、石器も縄文系のものが多いという。このように稲作民の中に縄文人が混じっている事例は多い。したがって単純に「弥生人=渡来人」なのではなく、「弥生人=稲作を選択した縄文人+弥生人」ととらえる方が実態に近いというのが著者の主張だ。

現代人に占める縄文系と渡来系の血の配分は、1対2ないしは1対3だとされ、大量の渡来人が流入してきたと信じられてきた。しかし、渡来人が北九州に稲作を根づかせ、少なからぬ縄文人も稲作を受け入れ、渡来人と混じり合っていったとすれば、どうか。狩猟採集民は自然環境とのバランスの中に生きざるを得ないので基本的に人口は増加しないが、稲作民の人口増加率はかなり高い。それが渡来系の血を圧倒的に多くしていった。しかし文化的には、縄文系の風俗、習慣、信仰心などに溶け込んでいったので、縄文文化は抹殺されず、むしろ生き生きと後の時代に受け継がれていくことになったのである。つまり、日本の歴史はその原初から、従来の文化を基盤としつつそこに新しい文化を取り入れ、自分たちに適した形に変えていくという、その後何度も繰り返えされる歴史の原型を作っていたのである。

さらに上の(4)に関連しては次のようなことがいえる。日本列島は、国土の大半が山林地帯だ。水田稲作の長い歴史があるが、その特徴は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきたことだ。

一方中国大陸では、広大な平野部で大規模なかんがい工事を推し進める必要から、無数の村落をたばね無数の労働力を結集させる力が国家に要求された。巨大な専制権力が必要だったのだ。それを可能にするのに政治的、文化的な統治イデオロギーも必要だった。そのイデオロギーをやがては儒教が担うことになる。こうしてしだいに農耕文明以前の精神性(日本でいえば縄文的・多神教的な精神性)が失われていった。

逆に、日本列島のように農耕に適した土地がみな小規模だと、強大な権力による一元支配は必要なかった。島国であるため外敵の侵入を心配する必要もなかったから、軍事的にも大陸に比べ小規模でよかった。そのため日本では、強固な統治イデオロギーによる支配も必要とせず、縄文時代以来のアニミズム的な精神性が消え去ることなく残った。 (呉善花『日本の曖昧力 (PHP新書)』)


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《関連図書》
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
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日本文化のユニークさ27:なぜ縄文文化は消えなかった?

2011年08月02日 | 現代に生きる縄文
引き続き『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』(2011年7月出版)に触れながら、日本文化のユニークさについて考えてみたい。今回は、日本文化のユニークさ5項目のうち、次の2項目、

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

にかかわるところに触れる。

上の本の著者、関祐二は古代日本史の研究者なので、弥生時代以降も縄文文化の基層が抹殺されなかった経緯を、歴史的に突っ込んで考察している。著者によれば、仏教が初めて日本に入ってきたとき、すでに日本側では「日本的な習俗に仏教をあわせていく」という作業が始まっていたという。仏教というイデオロギーによって社会と文化が一元的に支配されず、神仏習合が起こったため、縄文的な流れをくむ信仰や習俗が抹殺されずに生き残ったのだ。

たとえば、卑弥呼は巫女(みこ)であり、神に仕え、現実の政治は弟が仕切ったといわれるが、この関係は、推古天皇と聖徳太子の間にも当てはまるかもしれない。この体制はのちに、伊勢神宮の斎宮(さいくう)と天皇の関係に変化するが、重要なのは祭祀の中心に女性がいることだ。仏教が日本に伝来したとき、まずは尼僧が登場したのも、日本人にとって「神と女性」がセットになっており、「仏を祀るのも女性」と考えたからだろうという。

渡辺昇一によれば、聖徳太子の後、日本は唐から律令制を導入するが、神祇伯(神祇官の長官)のような唐にない制度を設けた。これも、律令制度や仏教は導入しても、日本の神々のことも忘れていないということを示している。こうして神仏習合は起こるべくして起こったのである。たとえば仏教で信仰される大日如来が、天照大神として日本に垂迹(すいじゃく)したという本地垂迹説は、神仏習合の典型だ。これがもっと洗練されると、もともと同じ神が、インドでは大日如来となり、日本では天照大神となったということになる。(『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)

これは、まさに日本文化のユニークさである。世界のほとんどの国では、複数の宗教が両立することはなかった。たとえば百済は、仏教国となったとき、それ以前の土着の宗教(日本の神道にあたる)は消えてしまった。その後、朱子学が入ると仏教がおとしめられ、仏教は迷信の塊とみなされた。李朝でも上流階級には仏教徒は一人もいなくなったという。朝鮮半島に見られるような宗教の歴史こそが、世界の普通のあり方で、日本のように縄文文化やそこに根ざす神道が脈々と受け継がれていくということの方が例外なのだ。

なぜ日本では縄文的な宗教心が抹殺されなかったのか。それは、日本文化のユニークさ(4)で指摘したように「宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった」からだろうが、そのような一元支配が起こらなかったのは、同じく日本文化のユニークさ(3)の前半「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった」ことが大きいだろう。仏教は、日本の人々が自ら取り入れたのであり、無理やり押し付けられたのでもなく、ました異民族による侵略の結果でもないからだ。だからこそ、自分たちにとって大切な習俗や信心を残しながら取り入れることができたのだ。もう一つの理由は、広域を支配する巨大な権力が存在せず、一元的で強力な宗教を利用した支配が必要なかったからだろう。

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日本文化のユニークさ26:自然災害にへこたれない

2011年08月01日 | 自然の豊かさと脅威の中で
昨日『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』(2011年7月出版)に一言コメントを添え、「本ブログのテーマとも重なり参考になる」と書いた。本ブログでは日本文化のユニークさを以下の5項目に分けて論じてきたが、この5項目のいくつかについてさらに深く論じるのに役立った部分を抜き出して、論じてみたい。


(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった。一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

(5)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

まずはこの5項目のうち(3)に関連して、著者の考えを紹介しよう。著者によると欧米人は子供を守る時、加害者に正対して立ち向かうが、日本人は子供を抱き、加害者に背を向けるという。この日本人の行動には、長い年月の間にすり込まれた「恐ろしく強いものには抵抗しない」という行動規範が隠されているのではないか。そして、この「戦わない」という行動こそ、意外にも、日本人が災害にへこたれない理由のひとつではないかと著者はいう。侵略を受けてこなかった日本列島の住民にとって「最大の恐怖」は、自然災害であった。そして自然災害を敵にし戦うことの愚かさを、日本人は熟知していたのだ。

子供を抱きかかえ敵に背を向ける姿勢が、自然災害の多さと本当に関係するかどうかは分からないが、そういう日本列島に何代にも渡って住み着いてきたことが、日本人独特の自然観・人間観や行動様式を作ってきたことは確かだ。たとえば今回の津波のような巨大な自然災害に対しては、戦うことも抵抗することもできず、ただ黙って受け入れ、耐えるほかない。身内が死んでも、財産の一切を失っても、誰を恨むでもなく、きっぱりと現実を受容したうえで、新たに生活を立て直すしかない。そういう経験を何度も繰り返してきたからこそ、災害にへこたれない強さも育まれたのではないか。

異民族間の戦争の歴史の中で生きてきた大陸においては、信頼を前提とした人間関係は育ちにくい。戦争と殺戮の繰り返しは、不信と憎悪を残し、それが歴史的に蓄積される。一方日本列島では、異民族による殺戮の歴史はほとんどなかったが、自然災害による人命の喪失は何度も繰り返された。しかし、相手が自然であれば諦めるほかなく、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせ協力して生きていくほかない。こうした日本の特異な環境は、独特の無常観を植え付けた。そして、人間への基本的な信頼感、優しい語り口や自己主張の少なさ、あいまいな言い回しは、人間どうしの悲惨な紛争を経験せず、天災のみが脅威だったからこそ育まれた。(この部分は「日本文化のユニークさ24」から再録)

著者は、政府が無能でも、東北地方は着々と復興していくだろうという。日本人は、指導者がいなくとも、それぞれの持ち場を支え助け合い、現場での復興を成し遂げてしまう力を備えているのではないかという。私たちは、自分たちでは十分自覚していない災害に対する対処方法を身につけている。地震と津波のあとに見せた日本人の秩序維持や他者へのいたわりはまさにそれだ。これが海外のメディアでは、驚嘆をもって報道された。

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