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日本だけに起きた奇跡 アメリカ人研究者はこう見た(銃と剣をめぐって)

2024年05月25日 | 侵略を免れた日本
★以下は、次のユーチューブ動画の前半部分の要約です。全体の議論を見たいかたは次からお入りください。
 ⇒ 日本だけに起きた奇跡 アメリカ人研究者はこう見た(銃と剣をめぐって)

1980年にアメリカで実写ドラマ化されたジェイムズ・クラベルのベストセラー小説「SHOGUN」。それが、ハリウッドの製作陣の手で、真田広之主演の戦国スペクタクル・ドラマシリーズ「SHOGUN 将軍」全10話として新たに映像化されました。米国ではFXとフールー(Hulu)、日本や英国を含む他の地域ではディスニープラス(Disney+)で2024年2月より配信が始まると、たちまち話題となり、絶賛の嵐といってもよいほどの高い評価を得ています。映画レビューサイト「ロッテントマト」では、批評家からも一般視聴者からも高評価が続出しています。

主演の真田広之は、プロデューサーも務め、「日本人として日本の文化を正しく世界へ紹介したい」という思いをこのドラマに込めたと言います。「僕はこのプロジェクトに参加できて本当にうれしいし、幸せです。僕にとって奇跡のようなプロジェクトでしたし、プロデューサーとして初めての経験でした。プロデューサーとして僕たちの文化について全てを語ることができました」と彼は語っています。

物語は、関ヶ原の戦い前夜の日本を舞台に、徳川家康や石田三成ら歴史上の人物にインスパイアされて、天下獲りに向けた陰謀と策略に明け暮れるさむらいたちの闘いを壮大なスケールで描きます。物語の主人公は、五大老と敵対し、命をかけて戦う武将・虎永(真田広之)です。そんなある日、英国人航海士ジョン・ブラックソーン(後の按針)が、虎永の領地へ漂着します。虎永は、戸田鞠子(アンナ・サワイ)に按針の通訳を命じ、次第に按針と鞠子の間には固い絆が生まれ始めます。一方、難破船にはマスケット銃や大砲、さらに銀貨などがあり、虎長は天下取りの最大のライバルである石堂和成(モデルは石田三成)に優位に立ちます。

このドラマを見た海外の人々の多くは、日本の歴史にも興味をもち、もっと知りたいと思うことでしょう。事実そんなコメントが散見されます。そして、日本史に関心をもった人々が戦国時代以後の日本の歴史を探るならば、ある不可思議な事実に突き当たるでしょう。それは日本だけに起きた奇跡であり、銃と刀にまつわる次のような奇跡です。

日本に鉄砲がもたらされたのは、1543年。その年にポルトガル人が日本の南の島、種子島に漂着したのです。そのポルトガル人から二丁の鉄砲を購入したその島の領主が、刀鍛冶に鉄砲の製作を命じ、その結果、鉄砲がこの極東の島国に伝来してから1年余りで、その国産化に成功したといわれます。それ以来鉄砲は、日本中に短期間で広まりました。
それは、その時代の日本が戦国時代で、鉄砲は敵に勝つために極めて威力のある武器となったからです。そして日本はまたたく間に、ヨーロッパのいかなる国にも勝る、世界最大の鉄砲の生産・使用国になったのです。
にもかかわらず、その後まもなく日本人は、鉄砲を捨てて、刀剣の時代に舞い戻りました。武器の歴史において、他に例のない、信じられない逆行が起こったのです。しかも日本の他の技術はゆっくりではありますが確実に進歩していたのです。日本人は、あまりこの事実を意識しませんが、この退行は世界史的な視野から見れば、驚くべき奇跡なのです。世界史において戦争は付き物で、戦争がある以上、つねにより威力のある武器が求め続けられるからです。

西洋では、ポルトガル人が日本に漂着し鉄砲をもたらしたころ、つまり地理上の発見時代から、やがて帝国主義列強の時代へと大きく変化していきました。そしてその間に植民地に対する戦争だけでなく、西洋諸国間や一国内でも多くの戦争を繰り返しました。
たとえばドイツ30年戦争、英蘭戦争、英米戦争、ナポレオン戦争などです。
つまり16世紀後半に西洋と日本は共に鉄砲の時代を迎えたにもかかわらず、その後、一方は鉄砲の使用の拡大による激しい戦争への道を歩み、他方は鉄砲の放棄あるいは削減にともなう平和への道を歩んだのです。

ではなぜ日本は、世界の歴史の流れに逆らって鉄砲を捨てる奇跡の道を歩んだのでしょうか。まず歴史的事実を確認しましょう。西暦1600年に、関ヶ原の戦いにおいて全国の大名がふたつに分かれ戦いました。。結果は東軍が勝利し、この軍を率いた徳川家康が、全国を支配する実権を握り、1603年に徳川幕府を開きました。最初に触れたテレビドラマ「Shogun」は、この時代を舞台としています。

そして1615年には家康は、大阪城に残っていた西軍の勢力を滅ぼしました。これによって戦国時代は終わり、その後1867年に徳川幕府が滅びるまでの250年間、日本はほぼ戦争のない平和な時代が続くのです。そして、鉄砲は、戦国時代の終わりと共に放棄されていったのです。平和な時代になったからこそ、鉄砲は必要なくなったのだと言えるかも知れません。
 
しかし、いくつかの疑問が残ります。最初の疑問は、鉄砲は放棄されてもなぜ侍は、その後もずっと刀を持ち続けたのかということです。 次の疑問は、戦国時代のあとなぜ日本は250年もの平和を維持することができたのかです。

★以下は、次のユーチューブ動画の前半部分の要約です。全体の議論を見たいかたは次からお入りください。
 ⇒ 日本だけに起きた奇跡 アメリカ人研究者はこう見た(銃と剣をめぐって)


侵略に晒された韓国と侵略を免れた日本

2015年06月17日 | 侵略を免れた日本
本ブログでは、日本文化のユニークさを「日本文化のユニークさ8項目」の視点から論じている。その4番目は次のようなものであった。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

これまで、こうした日本文化の特性を、他のどこかの国と比較して論じるということはほとんどなかった。今回は、日本と文化的な関係の深い韓国と中国をとりあげ、上の視点から比較して論じてみよう。まずは韓国である。

◆『侮日論 「韓国人」はなぜ日本を憎むのか (文春新書)

著者は、済州島出身で今は日本に帰化している呉善花氏である。彼女の本はこれまでにも何冊か取りあげてきた。たとえば『日本の曖昧力』などである。日本での深い異文化体験を根底に、洞察力に満ちた日本文化論を展開している。『侮日論』は、タイトルからいわゆる「嫌韓本か」と思われるかも知れないが、そう一括りにされる個々の本は、読んで見れば真摯な態度で韓国の歴史や文化を論じているものが多い。この本も、韓国の歴史や社会を見る目は深く、また誠実で、考察は鋭い。

著者によれば、韓国人は好んで「手は内側に曲がる」という。手は内側の何かをつかみ取るようにしか曲がらない。内側とはつまり、家族、親族、血縁である。家族や親族を守るのは当然だが、韓国人の場合は、何が何でも家族、親族、血縁を最優先するのが人間だという強い思いがあるらしい。それが民族規模になれば、「民族は一家族だ」という身内意識に強く支配されるという。それは強い情緒的な反応であり、反日教育が徹底されれば、強い反日情緒が生まれるわけだ。

韓国は、強固な血縁集団を単位に社会を形づくり、それを基盤とした伝統的価値観がしっかりと根付いた。それは「身内正義の価値観」だ。「身内=自分の属する血縁一族とその血統」が絶対正義であり、その繁栄を犯す者は絶対悪だという家族主義的な価値観だといえよう。

彼らは、民族を一家族と見なし反日を軸にしてまとまる面がある一方、内部では自分の一族の党派的な主張が唯一の正義になる。それゆえ、党派を超越して国家のために連帯するという発想がなく、その歴史は一族間のすさまじい闘争に終始したという。国家への忠誠よりも血縁集団への忠誠が優先されるのだ。一族の利益のためには社会全体の利益を損なうことさえ辞さない極度に排他的な傾向をもっている。大統領とその一族さえその傾向を免れなかった。

韓国人が、家族、親族、血縁を最優先するのは、「信じられるのは家族だけ」という意識が強いからでもある。そうした意識の背景には、外国から繰り返し侵略された歴史があるともいえよう。異民族間の抗争・殺戮が繰り返され、社会不安が大きければ大きいほど、血縁しか頼るものがないという意識が強くなる。もともと「中華文明圏」では、宗族(そうぞく:男子単系の血族)が半ば独立した有機体のように散らばり、社会はその寄せ集めによって成り立ってといってもよい。宗族は、倫理的には儒教の影響を受けた家を中心とした家族観の上に成り立ち、強力な血縁主義でもある。血縁だけしか信じられるものはないという社会のあり方は、異民族との抗争の歴史と裏腹なのだともいえよう。

一方、日本のように、異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが可能だったし、それを育て守ることが日本人のもっとも基本的な価値感となった。その背後には人間は信頼できるものという性善説が横たわっている。さらに大陸から海によって適度な距離で隔てられていたため、儒教文化の影響をもろに受けることもなかた。宗族社会と違い日本はイエ社会であり、男系の血族だけでは完結しない。それは、婿養子のあり方を見ればわかるだろう。その分、社会がフレキシブルになっているのだ。

韓国では李氏朝鮮も、外国からの侵略という危機に際し、強固な国家支配体制を強固な家族主義の道徳規範で支えることを説く儒教、とくに朱子学を採用して乗り切ろうとした。崩れかけていた「血縁村落」を再び強化することで、さらに国家的な団結力も強化しようとした。韓国では、国にとっての敵に対しては、「一つの家族」という意識が前面に出る。とくに近年では対日本でそうした傾向が異常に強い。しかし、国内では我が家族や一族以外は容易に信じてはならないという、二面的な傾向をもつようだ。

また韓国独特の「恨(はん)」の感情もまた、異民族による支配の歴史を反映している。日本では怨恨というときの怨も恨も似たような感情だが、韓国人の「恨」は独特な意味をもっているという。それは、「我が民族は他民族の支配を受けながら、艱難辛苦の歴史を歩んできたが、それにめげることなく力を尽くして未来を切り開いてきた」という歴史性に根ざす「誇り」を伴う感情のようだ。個人のレベルでは、自分の悲運な境遇に対して恨をもつのだが、それを持つからこそ、それをバネに未来に向けて生きることができる、という前向きな姿勢につながるのが恨だという。まるで凝固したかのような恨をどこまでも持ち続ける、それが未来への希望になるというのだ。韓国人にとっては、生きていることそもののが恨なのである。

こうして見ると、韓国の社会や文化が異民族による侵略に常に悩まされるなかで形成され、そうした歴史に深く影響されていることがわかる。朝鮮半島と日本列島は距離的には近く、その文化も影響し合った面があるが、一方でその地政学的な条件に根本的な違いがあり、それがお互いの社会文化の形成に決定的な違いを生み出していることも明らかなのだ。

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《関連図書》
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること』)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)
☆『日本とは何か (講談社文庫)

幕末の日本の何に驚いたのか

2014年02月06日 | 侵略を免れた日本
◆『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

この本は一度、「子どもの楽園(1)」、「子どもの楽園(2)」という記事で取り上げたことがある。江戸末期から明治初期の日本を、そのころ来日した外国人がどう見ていたのか、膨大な資料を駆使しながら克明におっていく。そこから浮かび上がるのは、封建的な圧政のもとに苦しむ農民や町民といったイメージとは程遠い姿だ。貧しいながらも、この頃の日本は、こんなにも豊かで人間味に満ちた面影をもっていたのかと、かつての自分たちの国の本当に姿に深い感慨を感じずにはいられない。今回は、この本の第7章「自由と身分」を取り上げるが、例によってこのブログの柱になっている「日本文化のユニークさ8項目」と関連づけながら見ていきたい。今回、関連を見たいのは、第4項目めである。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

幕末から明治い初期の日本に滞在した多くの欧米人の驚きの中で最大のものは、日本人民衆が生活にすっかり満足しているということだったという。まず1820年から29年まで、出島オランダ商館に勤務したというフィッセルの次の言葉をみてみよう。「日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと普通想像される。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない」。「自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえ報酬なしには行われない。勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階のものもほぼ満足している」。「日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう」。

このような観察は特殊なものではない。イギリスの外交官で初代駐日総領事だったオールコックも、民主的制度を持っていると言われる国よりも「日本の町や田舎の労働者は多くの自由をもち、個人的に不法な仕打ちをうけることもなく、この国の主権をにぎる人々によってことごとに干渉する立法を押付けられることもすくないのかもしれない」と語る。オールコックはさらに、下層階級の日本人が身をかがめて主人の言いつけを聞いている姿にさえ、奴隷的というより、「穏やかさと人の心をとらえずにはおかぬ鄭重さ」を感じ取った。

日本で海洋技術を指導したオランダ海軍軍人・カッテンディーケもまた言う、「日本下層階級は、私の見るところをもってすれば、むしろ世界の何れの国のものよりも大きな個人的自由を享有している。そうして彼らの権利は驚くばかり尊重せられていると思う」。これ以外にも多くの人々によって類似の発言が見られ、欧米人たちが江戸期の日本に、思いがけない平等な社会と自立的な個人を見出していたのがわかる。

デンマーク海軍の軍人で幕末の日本に滞在したスエンソンは言う、「日本の上層階級は下層の人々を大変大事に扱う」、「主人と召使の間には通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西洋自由諸国にあってはまず未知の関係といってよい」と。さらに明治中期に日本に滞在したアメリカ人女性教育者であったアリス・ベーコンも「自分たちの主人には丁寧な態度をとるわりには、アメリカとくらべると使用人と雇い主との関係はずっと親密で友好的です。しかも彼らの態度や振る舞いのなかから奴隷的な要素だけが除かれ、本当の意味での独立心を残しているのは驚くべきことだと思います。私が判断するかぎり、アメリカよりも日本では家の使用人という仕事は、職業のなかでもよい地位を占めているように思います」。

これらの言葉を読んで私がとくに印象に残るのは、奴隷制、奴隷的などの言葉である。フィッセルが日本では「奴隷制という言葉がまだ知られていない」と言うのは、日本に奴隷制はなく、欧米人がアフリカや南北アメリカで展開した奴隷制についても日本人がほとんど知らなかったということだろう。オールコックも、日本の主人と召使との間に奴隷的なものを感じさせるものがなく、人と人との間の鄭重さを感じて心打たれた様子である。逆に言えば、欧米では主人と召使の関係が奴隷制に端を発する何かしら主人と奴隷の関係を匂わせるものだったということである。スエンソンも、主人と召使との間の、欧米にはない友好的で親密な関係に感銘を受けた様子がうかがえる。また南北戦争が終わっってそれほど経っていない時期に日本にやってきたアリス・ベーコンが日本の主従関係に奴隷的な要素がないことに強い印象を持つのは、アメリカの奴隷制のことを考えれば当然なのかもしれない。

幕末の頃、つまり19世紀末、欧米の列強は世界中に植民地をもち、そこの住民を奴隷的に扱っていた。しかしそれだけでなく、欧米諸国の内部にもかなり強い階級差があり、上層階級と下層階級との間には、日本の上級者と下級者との間に見られるような「丁寧で温和」、「友好的で親密」な関係はなかった。そこにはどこか主人と奴隷の関係に似た冷徹なものがあった。だからこそ、日本にはそれがないことに強い印象を受けるのである。

ではなぜ日本の主従関係に、奴隷性的な匂いが感じられず、むしろ温かい人間的なものが通っているのかといえば、それが最初にあげた日本文化のユニークさのひとつ、「異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず」、征服民が被征服民を奴隷的な隷属状態に置くような支配関係が歴史上ほとんどなかったことに関係するのではないか。

異民族に制圧されなかったことが、日本を相対的に平等な国にした。もし征服されていれば、日本人が奴隷となりやがて社会の下層階級を形成し、強固が階級社会が出来上がっていたかも知れない。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となり、そういう信頼を前提とした庶民文化が江戸時代に花開いたのだ。江戸末期に日本を訪れた欧米人が残した多くの記録に、そうい日本に接した驚きが見事に表現されているのである。

「逝きし世の面影」は、現代の日本の社会から完全に消えてしまったわけではない。むしろ私たちの日常の人間関係の中にも、東北大震災のような危機的状況でのいたわり合いの関係のなかにも歴然と生きている。私たちは、ユニークな日本の歴史の中で受け継いできた私たちの長所をはっきりと自覚し、それを守り、後の時代に引継いでいくべきだろう。


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☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)
☆『日本とは何か (講談社文庫)

城壁なき都市が許された国:侵略を免れた日本04

2012年10月26日 | 侵略を免れた日本
日本文化のユニークさ7項目にそってこれまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。7項目は次の通り。

日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07)

今回も引き続き、(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった」に関係する記事を集約して整理する。

日本文化のユニークさ25:日本人は独裁者を嫌う
日本と同じ東アジアの隣国でありながら、中国や韓国など「中華文明圏」では、社会構造が宗族(そうぞく:男子単系の血族)が細胞のように存在し、その寄せ集めによって成り立っているといってもよい。宗族は、倫理的には儒教の影響を受けた家族観の上に成り立ち、強力な血縁主義でもある。中華文明圏では、アイデンティティの根拠が深く血縁集団に根ざしているため、非血縁集団への帰属意識は、日本人には考えられないほど低いという。異民族間の抗争・殺戮が繰り返され、社会不安が大きいだけ、血縁しか頼るものがないという意識が強くなる。

宗族のそれぞれが砂粒のようにばらばらで、各宗族の人々は究極的には一族の繁栄しか考えていない。いくつかの宗族で権益を独占し、這い上がってくるものを蹴落とす。このような伝統社会を背景としているため、中国の共産党独裁や朝鮮王朝のような政治形態が出現せざるを得なかったのかもしれない。宗族中心主義は、「自己絶対正義」という姿勢の根幹をなし、その影響は現代の東アジアの外交問題にまで及んでいるようだ。

一方、日本文明はイエ社会であり、男系の血族だけでは完結しない。それは、婿養子のあり方を見ればわかるだろう。その分、社会がフレキシブルになっている。また日本人は、独裁よりも合議制を好み、そのため談合も絶えないが、合議制を無視する独裁者は、めったに生まれない。これも、日本列島では異民族の侵入、略奪、異民族との熾烈な抗争といった経験が、ほとんどなかったことと関係する特性だろう。歴史的に、独裁的な強力なリーダーシップをあまり必要としなかったのである。もちろんこの点は、今回の大震災や原発事故後にはっきり示されたように、日本人の短所にもなっている。

日本とは何か(2):城壁のない都市
以下は『日本とは何か (講談社文庫)』(堺屋太一)に刺激されながらの考察である。

もし、日本と中国大陸や朝鮮半島を隔てる海がドーバー海峡ほど狭かったら、「日本の歴史はまったく違った経過を辿り、日本人は別の文化を持っていたことだろう」と、堺屋は指摘する。先進文明との距離と国土のまとまりという点で、日本は他に類例のない条件を持ち、それが日本の歴史に決定的に影響した。

日本と大陸との間は、古代の技術では渡航困難なほど広くはないが、大規模な移民や軍事攻撃を組織的に行うにはあまりに広すぎた。もし渡航したとしても、軍団はばらばらとなり、統一行動がとれない可能性が高かったであろう。

つまり、大陸との間に交流はあり、文化や知識は流入したが、大量の移民が押し寄せたり、大規模で組織的な軍事攻略が行われたりすることは不可能だったのである。これは多くの識者が指摘することであり、日本文化の形成を語る上でもっとも基本的な事実のひとつだろう。

大量の移民が一度に押し寄せることが無理だったという事実は、日本文化の形成のもっとも基層の部分でも重要な意味をもっていた。一度に大量の渡航がなかったからこそ、縄文人が弥生人に駆逐され圧殺されることなく、両者の文化が融合したのである。もちろん堺屋は、縄文時代を視野に入れていない。しかし弥生人と弥生文化の渡来が、縄文人にとって恐怖と不幸だけの体験ではなかったことが、その後、日本が外来文化を受け入れていく上での「原体験」になって、のちのちまで影響を与えているのではないか。異質な文化や物を、自分の社会に抵抗なく取り入れて自分のもにしてしまう混合文化社会の大元は、この「原体験」にあったのではないか。

大陸から「狭くない海」で隔てられていたことは、日本を異民族との戦争のない平穏な社会にした。それは弥生人の渡来時にすでに始まっていたのであり、この事実が、その後の日本文化を特色づける重要な一因になっているのであろう。

一方、人類が大陸の大河の流域などで農業を始めた頃、その周囲には多くの遊牧民が徘徊していた。農耕民は、何よりもこれらの遊牧民から生命と財産を守るため、強いリーダーの下に結集する組織と、攻撃を防ぐ施設を備えなければならなかった。つまり、城壁で囲まれた都市国家が生まれていったのである。

ところが日本には、険しい山と狭い平野で構成されていたため遊牧に適さず、海を越えて遊牧民が攻めてくることもなかった。それどころか渡って来たのは、稲作という先端文明をもった弥生人だったのである。そして恐らく縄文人と弥生人は過酷な抗争をすることなく、混血・融合していった。つまり日本列島の住人は、縄文時代はもちろん、弥生人の渡来時にも、それ以降にも、異民族との過酷な戦争を経験していないのである。だからこそ日本人は、「城壁のない都市」をつくった世界唯一の民族なのだ。

堺屋も指摘するように、中世以前の都市は、アテネ、ローマ、ロンドン、パリ、フランクフルト、バグダッド、ニューデリー、北京、南京など、すべて堅固な城壁で囲まれていた。ただ日本だけが城壁で囲まれた都市がなく、城下町はあっても城内町は存在しなかったのである。日本だけが城壁にかこまれない都市をもつことができた。つまり日本の歴史は、異民族同士の闘争や農耕民と遊牧民との闘争とは無縁だったということだ。

日本文化の特徴を語るうえで、こうした事実の意味を強調して強調しすぎることはないだろう。日本人の民族としての性格の多くが、この事実に関係して論じうるといっても過言ではない。それでいながら、日本人はこの事実を意外と知らない。この事実を盛り込んだ歴史教科書も、ほとんど見かけないのである。

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日本文化のユニークさ07:ユニークな日本人(1)
日本文化のユニークさ08:ユニークな日本人(2)
日本文化のユニークさ09:日本の復元力
日本文化のユニークさ11:平和で安定した社会の結果

《関連図書》
新しい神の国 (ちくま新書)
日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない

皆殺しがなかった幸運:侵略を免れた日本03

2012年10月25日 | 侵略を免れた日本
日本文化のユニークさ7項目にそってこれまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。7項目は次の通り。

日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07)

今回もさらに、(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった」に関係する記事を集約して整理する

『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(1)
大石久和の『国土学再考 「公」と新・日本人論』によれば西洋文明は、国土的な条件と歴史の違いから、日本社会のルールや思考法とは大きな隔たりがあるという。西洋文明は、シュメール文明という源流の時代から、都市に城壁を築いて暮らしていた。その城壁造りや見張りや守りの分担などで厳しいルール伴う社会を守ってきた。周辺の自然環境は厳しく、他民族との死ぬか生きるかの戦いの中で、常に備えを万全にしておく必要があった。「皆殺し」への恐怖を前提にした思考法が、現在の世界文明の礎になっているというのだ。

これに対して基本的に温暖湿潤な日本列島は、乏しい食糧を集団どうしが常に争い合う必要があまりなかった。その代わりに自然災害による定期的な打撃を受けてきたのだが、これは守りを固めてもどうしようもなく、ただあきらめ、受け入れるほかなかった。こうした歴史を持つ国はまれだ。たいていの民族は歴史上、紛争によって皆殺しに近いことをされたり、その恐怖に直面したりしている。日本のように「皆殺し」が天災によるものしかない国は、世界中にほとんど見当たらない。

こうした日本の特異な環境は、独特の無常観を植え付けた。さらに日本人の優しい語り口や控えめな言語表現、あいまいな言い回しは、人間どうしの悲惨な紛争を経験せず、天災のみが脅威だったからこそ育まれたのだという。

『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(2)
さらに『国土学再考 「公」と新・日本人論』によれば、城壁に囲まれた都市の住民は、勝つため、負けないために必死に研究しなければならない。情報を集め、それは正しい情報か、もれはないか、偽情報は含まれないかなどをつねにチェックしなければならない。あらゆる不測の事態や可能性を想定して作戦をたて、二重にも三重にもチェックしなければ、皆殺しにされてしうかもしれないのだ。

だからこそ、その思考は網羅性、俯瞰性、長期性などの特徴をもつ。合理的な判断を狂わせるような情報は厳しく排除される。合理的に判断する成熟した主体にこそ、最高の価値が置かれるのは、そういう歴史的は背景があったからではないだろうか。一方、日本人はそういう戦いの状況に置かれたことが歴史上あまりなかったため、厳しく合理的な思考訓練ができていない、必要ともされなかった。

他国に攻め込まれる恐怖もほとんどなく、食糧も豊かだった日本では、ぎりぎりの厳密で合理的な思考やその伝達にさほど重きを置かずにすみ、また「そぶり」や「以心伝心」程度のコミュニケーションで困ることはなかった。外敵に包囲され、防御策を綿密に決めて、誤解のない言葉でルール化しなければ全員の命がない、などという状況に身をおいたことがほどんどないのだ。

岸田秀の『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』の中に興味深い日本人論があり、何度か紹介した。人間の誠意や真情を互いに信頼することで、社会の「和」や秩序が保たれる、自分のわがままを抑えることで、相手も譲ってくれ、そこに安定した「和」の関係ができるという性善説を前提として日本の社会はなりたっているというのだ。

岸田秀は、こうした人間観のマイナス面を強調しているが、プラス面もひとつだけ取り上げている。それは「一神教の文化のように、どちらが正しいかを徹底的に詰めないで、和の精神でごまかすほうが、あまり殺し合いにならなくてすむというメリット」だ。ヨーロッパの内戦、激しい宗教戦争などにくらべると、源平の合戦から、戦国時代、明治維新に至るまで、日本の内戦は桁外れに死者が少ないという。

しかし、メリットはそれだけではない。岸田秀自身が(『官僚病から日本を救うために―岸田秀談話集』)でいう、「日本人は一神教の神をあまり信用しないが、欧米人は人間を信用しない。日本人が母子関係をモデルにしたポジティブな人間関係を結ぼうとするのに対して、人を信じない欧米人は、神を介することで人と人との関係を結ぼうとした。」と。

日本文化のユニークさ20:世界史上の大量虐殺と比較すると
国土学再考 「公」と新・日本人論』は、西洋文明が、シュメール文明という源流の時代から、都市に城壁を築いて暮らしていた、つまりそれほどに民族間の闘争に対して常時、防衛体制をとることが必要だったことを強調している。実際、ユーラシア大陸の至るところ、つまり中国、朝鮮半島、インド、ロシア、西アジア、ヨーロッパにおいて、都市といえば外敵から身を守るための城壁都市(都城)をおいてほかはありえなかった。日本だけが城壁にかこまれない都市をもつことができた。つまり日本の歴史は、異民族同士の闘争や農耕民と牧畜民との闘争とは無縁だったということだ。

この本で紹介されている「歴史上の大虐殺ランキング」が参考になるかもしれない。マシュー・ホワイトという研究者が過去2000年におきた大量虐殺の歴史をまとめているのだ。(Selected Death Tolls for Wars, Massacres and Atrocities Before the 20th Century

もちろんトップは第二次世界大戦(5500万人)、二番目は毛沢東の文化大革命(4000万人)だが、三位がモンゴルによる征服(13世紀、4000万人)、追って順に、玄宗と楊貴妃の恋に続く安史の乱(8世紀、3600万人)、明王朝の滅亡(17世紀、2500万人)太平天国の乱(19世紀、2000万人)、インディアンの全滅(15~19世紀、2000万人)などと続く。

研究者によって被害者数に開きがあり順位をつけられないが、他に十字軍(11世紀、100~500万人)、フランス宗教戦争(16世紀、200万~400万人)などもある。これらは、ほとんどが異民族間の抗争、宗教間の対立にかかわっている。

これに対して、日本の最大の虐殺事件といわれる島原の乱(16世紀)の犠牲者はおよそ2万人だという。もちろん20世紀になってからは二つの世界大戦も含め、日本の加害、被害とも大きな数字になるが、江戸時代までの日本は、世界史上での数字に比べると、文字通り桁が違うことがわかる。

《関連図書》
★『奇跡の日本史―「花づな列島」の恵みを言祝ぐ
 この本も第二章で日本の都市と世界の都市とを、城壁のあるなしの違いで論じ、城壁都市が、その内外でどれほどすさまじい生活格差を生んだかを興味深く語っている。
★『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)
 この本では第四章で、とくに宗教戦争の悲惨さを強調している。たとえば欧州最後の宗教戦争と呼ばれた三十年戦争では、人口の何割もの犠牲者を出したが、日本の場合は、国内に宗教戦争がなかったことが、二千年以上も王朝を保つことができた要因のひとつだろうという。
★『なんとなく、日本人―世界に通用する強さの秘密 (PHP新書)
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』(G.クラーク)
★『日本の文化力が世界を幸せにする』(日下公人、呉善花)

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日本人のお人好しもここから:侵略を免れた日本02

2012年10月24日 | 侵略を免れた日本
日本文化のユニークさ7項目にそってこれまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。7項目は次の通り。

日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07)

今回も、(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

に関連する記事を集約して整理する。

日本文化のユニークさ09:侵略なき安定社会
日本の「復元力」』の中で中谷巌もまた、日本史全体を通してのいちばん重要なポイントを、異民族による征服がなく、そのため、日本人の穏やかさや、社会の安全や安心が保たれたということに見ている。一方、大陸の人々は傾向として、常に相手からつけこ込まれたり、裏切られたりするのではないかと怯え、逆にどうやったら相手を出し抜き、ごかませるかと、攻撃的、戦略的に身構えているというのだ。大陸の人々が、利害関係がからむ場面ではなかなか謝罪しないのも、こんな背景があるからだろう。

異民族に制圧されなかったことが、日本を相対的に平等な国にした。もし征服されていれば、日本人が奴隷となりやがて社会の下層階級を形成し、強固が階級社会が出来上がっていたかも知れない。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となり、そういう信頼を前提とした庶民文化が江戸時代に花開いたのだ。

江戸の庶民文化が花開いたのは、武士が、権力、富、栄誉などを独占せず、それらが各階級にうまく配分されたからだ。江戸時代の庶民中心の安定した社会は世界に類をみない。歌舞伎も浄瑠璃も浮世絵も落語も、みな庶民が生み育てた庶民のための文化である。近代以前に、庶民中心の豊かな文化をもった社会が育まれていたから、植民地にもならず、西洋から学んで急速に近代化することができたのである。

日本文化のユニークさ10:性善説人間観と日本の長所
かつて日本人の人間観・その長所と短所(1)というエントリーの中で岸田秀の『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』の次のような主張を取り上げた。日本人は、ある種の人間観を前提として行動しているが、その前提についてはほとんど無自覚だというのだ。それは人間は、本来善良でやさしく、そして一人では生きることのできない弱い存在だから、互いにいたわり合い、助け合って生きていくしかないという性善説の人間観で、そんな人間観を前提にして日本の社会や規範は成り立っているというのだ。

このブログの「日本の長所」というシリーズで10項目にまとめた長所の多くが、そのような人間観に関係しているといえるだろう。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)外来文化への柔軟性

9)以外は、何らかの形で性善説の人間観に関係していると思うが、とくに2)~6)あたりは関係が深い。人間の誠意や真情を互いに信頼することで、社会の「和」や秩序が保たれる。自分のわがままを抑えることで、相手も譲ってくれ、そこに安定した「和」の関係ができるという性善説を無意識のうちに共有しているから、規律や秩序、治安のよさ、謙虚さ、親切、思いやりなどが維持される。

では、こういう日本人の特徴はどこから来るのかと言えば、これこそ日本が、異民族による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたなかったことによると思われる。

日本文化のユニークさ11:侵略なしだからこそ日本の長所が
日本のように、異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが可能だったし、それを育て守ることが日本人のもっとも基本的な価値感となった。その背後には人間は信頼できるものという性善説が横たわっている。

加えて、日本は稲作農業を基盤とした社会であった。人口の8割以上が農民であり、田植えから刈入れまでいちばん適切な時期に、効率よく集中的に全体の協力体制で作業をする訓練を、千数百年に渡って繰り返してきた。侵略によってそういうあり方が破壊されることもなかった。

礼儀正しさ、規律性、社会の秩序、治安のよさ、勤勉さ、仕事への責任感、親切、他人への思いやりなどは、こうした歴史的な背景から生まれてきたのであろう。

また、異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。

すでに触れたが、日本にそのような異民族による制圧の歴史がなかったことが、日本を階級によって完全に分断されない相対的に平等な国にした。武士などの一部のエリートに権力や富や栄誉のすべてが集中するのではない社会にした。特に江戸時代、庶民は自らの文化を育て楽しみ、それが江戸文化の中心になっていった。庶民は、どんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持つことができる。自分の仕事に誇りや、情熱を持つことができる。

階級によって分断された社会では、下層階級の人々はどこかに強力な被差別意識があり、自分たちの仕事に誇りをもつという意識は生まれにくい。奴隷は、とくにそういう意識を持つことができない。日本文化のユニークさのひとつは、奴隷制を持たなかったことであった。奴隷制の記憶が残り、下層階級が上層階級に虐げられていたという記憶が残る社会では、労働は押し付けられたものであり、そこに誇りをもつことは難しいだろう。

私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』や『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る』を読んで、私がいちばん強く印象に残るのは、外国人が日本人の仕事への責任感や誇り、誠実さを語る部分である。私たちは、こういう私たちの長所をもっと自覚すべきだと思う。自覚してこそ、守り伝えていくこともできるのだから。

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《関連図書》
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること』)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)
☆『日本とは何か (講談社文庫)

異民族による征服を知らない民族:侵略を免れた日本01

2012年10月23日 | 侵略を免れた日本
日本文化のユニークさ7項目にそってこれまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。7項目は次の通り。

日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07)

今回から、(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

に関連する記事を集約して整理する。

日本文化のユニークさ07:異民族の侵略がなかった
G・クラークは、『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』で、竹村健一を聞き手とし侵略を免れた日本のユニークさをテーマとして語っている。

著者はいう。日本人のユニークさは、たんにヨーロッパ人と比してだけではなく、インド人や中国人と比しても際立っている。要するに日本人と非日本人という対比がいちばん適切なほどにユニークだという。そのユニークさは、日本以外の社会には共通しているが日本にはないものによってしか説明できない。日本にないもの、それは外国との戦争である。

明治維新までの日本は、異民族に侵略され、征服され、虐殺されるというような悲惨な歴史がほとんどなかった。日本人同士の紛争は多く経験しているが、同じ民族同士の戦争なら価値観を変える必要はない。しかし相手が異民族であれば、自民族こそが正義であり、優秀であり、あるいは神に支持されているなどを立証しなければならない。「普遍的な価値観」によって戦いを合理化しなければならないのだ。

他民族との戦争を通して、部族の神は、自民族だけではなく世界を支配する正義の神となる。武力による戦いとともに、正義の神相互の殺し合い、押し付け合いが行なわれる。社会は、異民族との戦争によってこそイデオロギー的になる。

ところが日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、西洋的な意味での神も、イデオロギーも必要としなかった。イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた。西洋人にもそういうレベルはあるが、そこに留まるのではなく、宗教やイデオロギーのよう原理・原則の方が優れていると思っている。「イデオロギーを基盤にした社会こそが進んだ社会であり、そうしないと先進文化は創れない」とどこかで思っている。

ところが日本は強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築なしに、村的な共同体から逸脱しないで、それをかなり洗練させる形で、大しくしかも安定した、高度な産業社会を作り上げてしまった。ここに日本のユニークさの源泉があるというのだ。

ここで著者が「イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた」とか「村落的な共同体を逸脱しないで高度な産業社会を作り上げた」と表現している事実を、さらにその深層に触れて表現するなら、農耕以前の縄文的な自然宗教を残したまま農耕文明の段階に入り、さらには高度産業社会の段階にまで来てしまったと言い換えることもできるだろう。いや、そのような視点をもってこそ、日本文化のユニークさを重層的にとらえることができるだろう。

日本文化のユニークさ08:イデオロギーなき平等社会
上に見たような日本人の特質は、ヨーロッパだけではなくアジア大陸の国々、たとえは中国や韓国と比べても際立っていると、著者はいう。中国人や韓国人は、心理的には日本人より欧米人の方にはるかに近い。欧米風のユーモアをよく理解するし、何よりも非常に強く宗教やイデオロギーを求めている。中国人や韓国人は、思想の体系や原則を求めるが、日本人は求めない。

西欧だけではなく、アジアのほかの国々とも区別される日本人のユニークさは、自然条件だけでは説明できないと著者は考えている。日本が稲作中心の文明であったことは重要だが、それが日本文化のユニークさを生んだ主因ではない。韓国も稲作中心だったが、著者がいう日本人のユニークさと共通のユニークさがあるわけではない。結局は、大陸の諸国に比べ、異民族との闘争が極端に少なかったという要因こそが、イデオロギーに拘泥しない日本人のユニークさを作り上げているというのである。

著者は、日本の社会の素晴らしさの一つとして平等主義を挙げている。日本人の態度のうえにもそれが見られ、その素晴らしさは世界一ではないかという。店に入っても、村に行っても、どこに行っても階級的な差がまったく感じられないというのだ。イデオロギー社会では、こういう平等性が成り立ちにくいという。

その理由を著者は明確にしているわけではないが、日本に、西欧に見られるような階級差が見られないのは、やはり異民族に征服された経験がないからだろう。その点は、同じ島国でありながらイギリスと好対照をなしている。イギリスの階級差は、明らかに征服民と被征服民の差を基盤としている。

さて、以上のように著者は、日本人のユニークさの要因を、異民族との闘争のなさだけに求めている。しかし、これまで私の論を追ってきてくださった読者の方は、この要因だけを日本人のユニークさの要因とする考察が、かなり不充分であるを、すでに理解していただいていると思う。同様に大切なのは、縄文的な要素をたぶんに残た農耕文明、しかも牧畜を知らず、遊牧民との接触もなかった農耕文明のユニークさということである。そして、農耕文化が、縄文的な心性をたぶんに残しながら連綿と続くことができた条件が、大陸の異民族による征服などがなかったことなのである。

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《関連図書》
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること』)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)
☆『日本とは何か (講談社文庫)

日本とは何か(3):融合こそ日本の力

2012年07月15日 | 侵略を免れた日本
◆『日本とは何か (講談社文庫)』(堺屋太一)

今回は、「日本文化のユニークさ」(4)(6)に関連する事柄を考えたい。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(6)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。

堺屋は、他のアジア・アフリカ諸国に先がけ、なぜ日本だけが真っ先に欧米の近代文化と工業技術を取り入れることができたのかと問い、それはやはり、日本の伝統、明治以前の文化や社会気風が深く関係していると考える。彼は、そのもっとも深い根が神道にあると捉えているようだ。

神道における八百万の神とは、雷や台風などの自然現象、山、滝、大石などの自然物であり、それに先祖崇拝の習俗が重なって出来上がっている。このような自然崇拝的な宗教は、かつて世界中のどこにも広がっていた。しかし、そのような自然崇拝的な宗教が、聖典も戒律もないままに、高度に産業化された現代の社会にまで生き続けたことは、きわめて珍しいことだ。

この事実も、日本文化の特徴を語るうえでこの上なく重要なことだ。そして、日本発のポップカルチャーが世界中で関心を呼ぶ一因もまたここにあるのようだということは、これまでにこのブログで何度か指摘してきた。

堺屋は縄文時代に直接触れてはいないし、縄文時代という言葉もまったく使っていない。しかし、自然崇拝的な宗教が縄文時代にその源をもつことは明らかである。縄文時代の自然宗教から生まれた神道は、明確な規則や原則、 戒律などももたない。だからこそ朝鮮半島から仏教がもたらされたとき、一時の抵抗はあっても比較的おだやかに受け入れられていったのである。

仏教導入は、蘇我・物部の戦いという宗教戦争を引き起こしたが、これが日本史で唯一の宗教戦争だったのである。聖徳太子は、推古天皇の摂政として、仏教と天皇制との両立させる道を発見する。それは、天皇家の家系的な根拠である神道神話を否定せぬまま、仏教をも認めるという「神仏習合」への道だった。

その結果、日本に深刻な宗教対立はなくなった。厳格な宗教論理も戒律もなくなった。聖徳太子のおかげで日本人は、世界ではじめて「宗教からの自由」を得たともいえるのだ。そうした自由があったからこそ日本人は、宗教的戒律にとらわれずに外来文化を受け入れ、すべての文化の都合のよいところだけを身につけた。宗教という、いい加減さがもっとも許されないはずの領域においてさえ「いいとこどり」をするとなれば、他の文化は先方の体系的整合性など無視してつまみ食いすることはごく自然な成り行きだろう。そしてこれこそが、他の非西欧諸国に先がけて日本が近代化できた一要因だといわれる。

確かにそのような意味で聖徳太子は独創的な思想家だったのだろう。しかし、それ以前に縄文人と弥生人がほとんど平和的に融合してったという事実がなければ、聖徳太子の独創性も生まれなかったのではないか。大和政権を担ったのは弥生系の人々であったが、彼らは縄文的な自然崇拝の色彩を色濃く残した形で、神道を自分たちの支配イデオロギーとしていた。ここにすでに縄文文化との「習合」があった。そうした背景があるからこそ、大陸から新たに渡来した仏教の受け入れも「神仏習合」という形で実現したのではないか。

日本列島では、大陸からやってきた異民族が、その圧倒的な軍事力で土着の人々を征服し、自分たちの宗教を押し付けるという状況は起こらなかった。弥生人は、自分たちの文化と縄文人の文化とを「習合」させたからこそ、新たに大陸からもたらされた仏教をも、スムーズに「習合」させることができたのであろう。

そしてこの「原体験」は、その後、大陸の高度な文明を受け入れる際にも、圧倒的な西欧文明の受容の際にも繰り返されるのである。軍事力による制圧と強制なしに、平和裏に、先方の文明の中の自分たちに役立つところだけを、自由に自分たちの文明に「習合」させていくことができたのである。

日本とは何か(2):城壁のない都市

2012年07月13日 | 侵略を免れた日本
◆『日本とは何か (講談社文庫)』(堺屋太一)

「日本文化のユニークさ」4項目目は、次のようなものである。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

これに関係する事柄は、『日本とは何か』の中でも多く語られている。

もし、日本と中国大陸や朝鮮半島を隔てる海がドーバー海峡ほど狭かったら、「日本の歴史はまったく違った経過を辿り、日本人は別の文化を持っていたことだろう」と、堺屋も指摘する。先進文明との距離と国土のまとまりという点で、日本は他に類例のない条件を持ち、それが日本の歴史に決定的に影響した。

日本と大陸との間は、古代の技術では渡航困難なほど広くはないが、大規模な移民や軍事攻撃を組織的に行うにはあまりに広すぎた。もし渡航したとしても、軍団はばらばらとなり、統一行動がとれない可能性が高かったであろう。

つまり、大陸との間に交流はあり、文化や知識は流入したが、大量の移民が押し寄せたり、大規模で組織的な軍事攻略が行われたりすることは不可能だったのである。これは多くの識者が指摘することであり、日本文化の形成を語る上でもっとも基本的な事実のひとつだろう。

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大量の移民が一度に押し寄せることが無理だったという事実は、日本文化の形成のもっとも基層の部分でも重要な意味をもっていた。一度に大量の渡航がなかったからこそ、縄文人が弥生人に駆逐され圧殺されることなく、両者の文化が融合したのである。もちろん堺屋は、縄文時代を視野に入れていない。しかし弥生人と弥生文化の渡来が、縄文人にとって恐怖と不幸だけの体験ではなかったことが、その後、日本が外来文化を受け入れていく上での「原体験」になって、のちのちまで影響を与えているのではないか。異質な文化や物を、自分の社会に抵抗なく取り入れて自分のもにしてしまう混合文化社会の大元は、この「原体験」にあったのではないか。

大陸から「狭くない海」で隔てられていたことは、日本を異民族との戦争のない平穏な社会にした。それは弥生人の渡来時にすでに始まっていたのであり、この事実が、その後の日本文化を特色づける重要な一因になっているのであろう。

一方、人類が大陸の大河の流域などで農業を始めた頃、その周囲には多くの遊牧民が徘徊していた。農耕民は、何よりもこれらの遊牧民から生命と財産を守るため、強いリーダーの下に結集する組織と、攻撃を防ぐ施設を備えなければならなかった。つまり、城壁で囲まれた都市国家が生まれていったのである。

ところが日本には、険しい山と狭い平野で構成されていたため遊牧に適さず、海を越えて遊牧民が攻めてくることもなかった。それどころか渡って来たのは、稲作という先端文明をもった弥生人だったのである。そして恐らく縄文人と弥生人は過酷な抗争をすることなく、混血・融合していった。つまり日本列島の住人は、縄文時代はもちろん、弥生人の渡来時にも、それ以降にも、異民族との過酷な戦争を経験していないのである。だからこそ日本人は、「城壁のない都市」をつくった世界唯一の民族なのだ。

堺屋も指摘するように、中世以前の都市は、アテネ、ローマ、ロンドン、パリ、フランクフルト、バグダッド、ニューデリー、北京、南京など、すべて堅固な城壁で囲まれていた。ただ日本だけが城壁で囲まれた都市がなく、城下町はあっても城内町は存在しなかったのである。

国土学再考 「公」と新・日本人論』(大石久和)は、大陸ではシュメール文明という源流の時代から、都市に城壁を築いて暮らしていた指摘する。つまりそれほどに民族間の闘争に対して常時、防衛体制をとることが必要だったのである。。実際、ユーラシア大陸の至るところ、つまり中国、朝鮮半島、インド、ロシア、西アジア、ヨーロッパにおいて、都市といえば外敵から身を守るための城壁都市(都城)をおいてほかはありえなかった。日本だけが城壁にかこまれない都市をもつことができた。つまり日本の歴史は、異民族同士の闘争や農耕民と遊牧民との闘争とは無縁だったということだ。

日本文化の特徴を語るうえで、こうした事実の意味を強調して強調しすぎることはないだろう。日本人の民族としての性格の多くが、この事実に関係して論じうるといっても過言ではない。それでいながら、日本人はこの事実を意外と知らない。この事実を盛り込んだ歴史教科書も、ほとんど見かけないのである。

侵略されなかった幸運(日本文化のユニークさ総まとめ06)

2012年05月27日 | 侵略を免れた日本
続けて「日本文化のユニークさ」6項目の5番目を5点から見ていくが、今回はその④と⑤である。

5)文化を統合する絶対的な原理や正義への執着がうすかった。また、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

④弥生時代以降も一貫して、日本列島に異民族が大挙して侵入したり、さらに日本民族を征服したりすることがなかった。したがって「正義」の優劣を決する熾烈な争いも、完璧に異民族の「正義」の支配下に置かれてしまう経験ももたなかった。そのため縄文時代以来の独自の文化を保持しながら、大陸の高度文明の不都合なところはわきにおいたまま「いいとこどり」を繰り返すことができた。

これは「日本文化のユニークさ」6項目のうち(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった」(前半部分のみ)に重なり、これに関連してもこれまで多く書いてきた。

日本文化のユニークさ07:ユニークな日本人(1)
日本文化のユニークさ08:ユニークな日本人(2)
日本文化のユニークさ09:日本の復元力
日本文化のユニークさ11:平和で安定した社会の結果

他民族との戦争を通して、部族の神は、自民族だけではなく世界を支配する正義の神となる。武力による戦いとともに、正義の神相互の殺し合い、押し付け合いが行なわれる。社会は、異民族との戦争によってこそイデオロギー的になる。自分たちの「正義」を絶対視する傾向が強まるのである。

ところが日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったため、自分たちが強力な正義の神でまとまる必要もなかったし、他民族の神を暴力的に押し付けれることもなかった。イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた。

西洋人にもそういうレベルはあるが、そこに留まるのではなく、宗教やイデオロギーのよう原理・原則によって統合されていった。そういう背景から、「イデオロギーを基盤にした社会こそが進んだ社会であり、そうしないと先進文化は創れない」とどこかで思っている。

日本は強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築もなく、村的な共同体から逸脱しないまま、前農耕的な縄文文化さえ、その内側に抱え込んだまま発展した。そして村的な共同体をかなり洗練させる形で、大きくしかも安定した、高度な産業社会を作り上げてしまった。ここに日本人の相対主義的な価値観の源泉がある。

⑤日本列島は、国土の大半が山林地帯であるため、水田稲作は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきた。巨大な専制権力や、それを可能にする政治的、文化的な統治イデオロギーも必要なかった。強大な権力による一元支配がなかったのである。

中国大陸では、広大な平野部で大規模なかんがい工事を推し進める必要から、無数の村落をたばね無数の労働力を結集させる力が国家に要求された。巨大な専制権力が必要だったのだ。武力的にその権力下に組み込まれる場合も多かった。それを可能にするのに政治的、文化的な統治イデオロギーも必要だった。そのイデオロギーをやがては儒教が担うことになる。こうしてしだいに農耕文明以前の精神性(日本でいえば縄文的・多神教的な精神性)が失われていった。

逆に、日本列島のように農耕に適した土地がみな小規模だと、強大な権力による一元支配は必要なかった。島国であるため外敵の侵入を心配する必要もなかったから、軍事的にも大陸に比べ小規模でよかった。そのため日本では、強固な統治イデオロギーによる支配も必要とせず、縄文時代以来のアニミズム的な精神性が消え去ることなく残った。こうした地形的な特徴も日本人の相対主義的な考え方を形づくる要因のひとつだった。(呉善花『日本の曖昧力 (PHP新書)』)

これで、日本人が相対主義的な価値観を持つにいたった歴史的・地理的および自然環境の面からの考察はいちおう終わりにする。しかし、それが文化の面でどのように表現されたかについては今後の課題として残したい。

日本神話の中の相対主義的な価値観についてはすでに若干ふれた。無常観やもののあわれという美意識との関係についても指摘した。しかし、まだ考えてみたいことはある。

たとえば判官びいき。能。建前と本音の文化。義理と人情、およびその江戸文学における表現。昔話‥‥。これらも何らかの形で相対主義的な価値観や世界観と関係があるのではないか。しばらく後になると思うがじっくり考えてみたい。

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《関連図書》
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)
☆『中空構造日本の深層 (中公文庫)
☆『山の霊力 (講談社選書メチエ)
☆『日本とは何か (講談社文庫)
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)

日本文化のユニークさ25:日本人は独裁者を嫌う

2011年06月08日 | 侵略を免れた日本
日本文化のユニークさ5項目のうち3)に自然災害に関する文章を付け加えて次のようにした。

3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。一方、地震・津波・台風などに代表される自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

これと、さらに4月6日のエントリー:東日本大震災と日本人(3)「身内」意識に関連して、もう一歩踏み込んで考えてみたい。

上のエントリーで「身内」という言葉は比喩的に、日本人全体がいわば「家族」のような雰囲気の中で生きているという意味で使った。異民族による侵略や虐殺、支配などを歴史上ほとんど受けなかったから、なかば「身内」のように信頼しあう社会が保たれたのだろう。しかも日本人は、基本的に人間は相互に信頼し合えるものだという人間観を、無自覚に日本人以外の人々にも適用して接しているふしがある。

ところで同じ東アジアの隣国である中国や韓国など「中華文明圏」では、社会構造が宗族(そうぞく:男子単系の血族)が細胞のように存在し、その寄せ集めによって成り立っているといってもよい。宗族は、倫理的には儒教の影響を受けた家族観の上に成り立ち、強力な血縁主義でもある。中華文明圏では、アイデンティティの根拠が深く血縁集団に根ざしているため、非血縁集団への帰属意識は、日本人には考えられないほど低いという。異民族間の抗争・殺戮が繰り返され、社会不安が大きいだけ、血縁しか頼るものがないという意識が強くなる。

宗族のそれぞれが砂粒のようにばらばらで、各宗族の人々は究極的には一族の繁栄しか考えていない。いくつかの宗族で権益を独占し、這い上がってくるものを蹴落とす。このような伝統社会を背景としているため、中国の共産党独裁や朝鮮王朝のような政治形態が出現せざるを得なかったのかもしれない。宗族中心主義は、「自己絶対正義」という姿勢の根幹をなし、その影響は現代の東アジアの外交問題にまで及んでいるようだ。

一方、日本文明はイエ社会であり、男系の血族だけでは完結しない。それは、婿養子のあり方を見ればわかるだろう。その分、社会がフレキシブルになっている。また日本人は、独裁よりも合議制を好み、そのため談合も絶えないが、合議制を無視する独裁者は、めったに生まれない。これも、日本列島では異民族の侵入、略奪、異民族との熾烈な抗争といった経験が、ほとんどなかったことと関係する特性だろう。歴史的に、独裁的な強力なリーダーシップをあまり必要としなかったのである。

もちろんこの点は、今回の大震災や原発事故後にはっきり示されたように、日本人の短所にもなっている。

《関連図書》
新しい神の国 (ちくま新書)
日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない

日本文化のユニークさ20:世界史上の大量虐殺と比較すると

2011年01月15日 | 侵略を免れた日本
5つ挙げた、このブログの今後の企画のなかで今回は、日本文化のユニークさ4項目の特徴を、それぞれ世界史での実態と比較して際立たせるという企画を取り上げたい。まずは4項目のなかの3番目についてである。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

この点については、これまでにも次のエントリーでも再三扱ってきた。

日本文化のユニークさ07:ユニークな日本人(1)
日本文化のユニークさ08:ユニークな日本人(2)
日本文化のユニークさ09:日本の復元力
日本文化のユニークさ11:平和で安定した社会の結果
日本文化のユニークさ16:自然環境が融和を促した
『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(1)


とくに最後のエントリーで触れた大石久和の『国土学再考 「公」と新・日本人論』は、西洋文明が、シュメール文明という源流の時代から、都市に城壁を築いて暮らしていた、つまりそれほどに民族間の闘争に対して常時、防衛体制をとることが必要だったことを強調している。実際、ユーラシア大陸の至るところ、つまり中国、朝鮮半島、インド、ロシア、西アジア、ヨーロッパにおいて、都市といえば外敵から身を守るための城壁都市(都城)をおいてほかはありえなかった。日本だけが城壁にかこまれない都市をもつことができた。つまり日本の歴史は、異民族同士の闘争や農耕民と牧畜民との闘争とは無縁だったということだ。

この本で紹介されている「歴史上の大虐殺ランキング」が参考になるかもしれない。マシュー・ホワイトという研究者が過去2000年におきた大量虐殺の歴史をまとめているのだ。(Selected Death Tolls for Wars, Massacres and Atrocities Before the 20th Century

もちろんトップは第二次世界大戦(5500万人)、二番目は毛沢東の文化大革命(4000万人)だが、三位がモンゴルによる征服(13世紀、4000万人)、追って順に、玄宗と楊貴妃の恋に続く安史の乱(8世紀、3600万人)、明王朝の滅亡(17世紀、2500万人)太平天国の乱(19世紀、2000万人)、インディアンの全滅(15~19世紀、2000万人)などと続く。

研究者によって被害者数に開きがあり順位をつけられないが、他に十字軍(11世紀、100~500万人)、フランス宗教戦争(16世紀、200万~400万人)などもある。これらは、ほとんどが異民族間の抗争、宗教間の対立にかかわっている。

これに対して、日本の最大の虐殺事件といわれる島原の乱(16世紀)の犠牲者はおよそ2万人だという。もちろん20世紀になってからは二つの世界大戦も含め、日本の加害、被害とも大きな数字になるが、江戸時代までの日本は、世界史上での数字に比べると、文字通り桁が違うことがわかる。

《関連図書》
増田悦佐『奇跡の日本史―「花づな列島」の恵みを言祝ぐ
 この本も第二章で日本の都市と世界の都市とを、城壁のあるなしの違いで論じ、城壁都市が、その内外でどれほどすさまじい生活格差を生んだかを興味深く語っている。

竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)
 この本では第四章で、とくに宗教戦争の悲惨さを強調している。たとえば欧州最後の宗教戦争と呼ばれた三十年戦争では、人口の何割もの犠牲者を出したが、日本の場合は、国内に宗教戦争がなかったことが、二千年以上も王朝を保つことができた要因のひとつだろうという。

『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(2)

2010年12月09日 | 侵略を免れた日本
◆『国土学再考 「公」と新・日本人論

城壁に囲まれた都市の住民は、勝つため、負けないために必死に研究しなければならない。情報を集め、それは正しい情報か、もれはないか、偽情報は含まれないかなどをつねにチェックしなければならない。あらゆる不測の事態や可能性を想定して作戦をたて、二重にも三重にもチェックしなければ、皆殺しにされてしうかもしれないのだ。

だからこそ、その思考は網羅性、俯瞰性、長期性などの特徴をもつ。合理的な判断を狂わせるような情報は厳しく排除される。合理的に判断する成熟した主体にこそ、最高の価値が置かれるのは、そういう歴史的は背景があったからではないだろうか。一方、日本人はそういう戦いの状況に置かれたことが歴史上あまりなかったため、厳しく合理的な思考訓練ができていない、必要ともされなかった。

他国に攻め込まれる恐怖もほとんどなく、食糧も豊かだった日本では、ぎりぎりの厳密で合理的な思考やその伝達にさほど重きを置かずにすみ、また「そぶり」や「以心伝心」程度のコミュニケーションで困ることはなかった。外敵に包囲され、防御策を綿密に決めて、誤解のない言葉でルール化しなければ全員の命がない、などという状況に身をおいたことがほどんどないのだ。

岸田秀の『日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)』の中に興味深い日本人論があり、いつか紹介したことがあるが、上で語られたことと関連させて考えてみたい。

岸田によれば、日本人はある種の人間観を前提として行動しているが、その前提についてはほとんど無自覚だというのだ。それは一言でいえば「渡る世間に鬼はなし」という性善説。人間は、本来善良でやさしく、そして一人では生きることのできない弱い存在だから、互いにいたわり合い、助け合って生きていくしかない。中には裏切ったり悪いことをする人間もいるが、それはそうせざるを得ない事情があってのことで、根っから悪い人間はいない。だいたいこんな人間観を前提にして日本の社会や規範は成り立っているというのだ。

人間の誠意や真情を互いに信頼することで、社会の「和」や秩序が保たれる。自分のわがままを抑えることで、相手も譲ってくれ、そこに安定した「和」の関係ができるという性善説を前提として日本の社会はなりたっている。さらに日本人の問題は、このような人間観を他国や他民族にも共有される普遍的なもとの信じ込んで、行動することだ。しかし、日本人のような性善説に立つ人間観はむしろ例外的で、世界の大部分はそういう前提に立っていないから、日本の他国への期待は裏切られることが多い。

岸田秀は、こうした人間観のマイナス面を強調しているのだが、プラス面もひとつだけ取り上げている。それは、「一神教の文化のように、どちらが正しいかを徹底的に詰めないで、和の精神でごまかすほうが、あまり殺し合いにならなくてすむというメリット」だ。ヨーロッパの内戦、激しい宗教戦争などにくらべると、源平の合戦から、戦国時代、明治維新に至るまで、日本の内戦は桁外れに死者が少ないという。

しかし、メリットはそれだけではないだろう。岸田秀自身が(『官僚病から日本を救うために―岸田秀談話集』)でいう、「日本人は一神教の神をあまり信用しないが、欧米人は人間を信用しない。日本人が母子関係をモデルにしたポジティブな人間関係を結ぼうとするのに対して、人を信じない欧米人は、神を介することで人と人との関係を結ぼうとした。」と。

ここでようやく、私たちのテーマである「かわいい」文化との関係につなげることができた。「母子関係をモデルにしたポジティブな関係」にとって「かわいい」や甘えが重要な位置を占めていることは言うまでもない。今後は、河合隼雄や土居健朗などの論を参考にしながら、もう少しこのテーマをさぐってみたいと思う。

《関連記事》「かわいい」文化関連
「カワイイ」文化について
子どもの楽園(1)
子どもの楽園(2)
子供観の違いとアニメ
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日本文化のユニークさ07
日本文化のユニークさ08
日本文化のユニークさ09
日本文化のユニークさ11
日本文化のユニークさ16:自然環境が融和を促した

《関連図書》
★『世界カワイイ革命 (PHP新書)
★『「かわいい」の帝国
★『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
★『「萌え」の起源 (PHP新書 628)
★『なんとなく、日本人―世界に通用する強さの秘密 (PHP新書)
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』(G.クラーク)
★『日本の文化力が世界を幸せにする』(日下公人、呉善花)

『国土学再考』、紛争史観と自然災害史観(1)

2010年12月09日 | 侵略を免れた日本
「かわいい」文化と、古来からの日本の平和との関係を考えるうえでとても参考になる本を最近読んだ。日本を「自然災害史観」の国ととらえ、それ比較して大陸の歴史を「紛争史観」からとらえている。大石久和氏の次の本だ。

◆『国土学再考 「公」と新・日本人論

著者によれば西洋文明は、国土的な条件と歴史の違いから、日本社会のルールや思考法とは大きな隔たりがあるという。西洋文明は、シュメール文明という源流の時代から、都市に城壁を築いて暮らしていた。その城壁造りや見張りや守りの分担などで厳しいルール伴う社会を守ってきた。周辺の自然環境は厳しく、他民族との死ぬか生きるかの戦いの中で、常に備えを万全にしておく必要があった。「皆殺し」への恐怖を前提にした思考法が、現在の世界文明の礎になっているというのだ。

これに対して基本的に温暖湿潤な日本列島は、乏しい食糧を集団どうしが常に争い合う必要があまりなかった。その代わりに自然災害による定期的な打撃を受けてきたのだが、これは守りを固めてもどうしようもなく、ただあきらめ、受け入れるほかなかった。

こうした歴史を持つ国はまれだ。たいていの民族は歴史上、紛争によって皆殺しに近いことをされたり、その恐怖に直面したりしている。日本のように「皆殺し」が天災によるものしかない国は、世界中にほとんど見当たらない。

こうした日本の特異な環境は、独特の無常観を植え付けた。さらに日本人の優しい語り口や控えめな言語表現、あいまいな言い回しは、人間どうしの悲惨な紛争を経験せず、天災のみが脅威だったからこそ育まれたのだという。

以上の事実と現代日本の「かわいい」文化とがどのように関係するのか。もちろんこの本はそのような話題に触れているわけではない。しかし私には、こうした日本の独特な環境と歴史が、これだけ「かわいい」が強調される現代のポップカルチャーにも、何かしら深く関係しているように思えてならない。次回このテーマをもう少し掘り下げてみたい。

《関連記事》
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日本文化のユニークさ08
日本文化のユニークさ09
日本文化のユニークさ11
日本文化のユニークさ16:自然環境が融和を促した

《関連図書》
★『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』(G.クラーク)
★『日本の文化力が世界を幸せにする』(日下公人、呉善花)

日本文化のユニークさ16:自然環境が融和を促した

2010年09月18日 | 侵略を免れた日本
日本文化のユニークさのうち

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

については、このから日本人のユニークさを論じた グレゴリー・クラーク の『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』などを紹介しながら、

日本文化のユニークさ07

日本文化のユニークさ08

日本文化のユニークさ09

日本文化のユニークさ11

などで、すでに論じてきた。多くの論者が、日本文化のユニークさの理由のひとつとしてこの点を挙げており、すでに共通認識といってもよいかも知れない。今回とりあげる『日本の文化力が世界を幸せにする』という本も、この点にかなり言及している。

◆『日本の文化力が世界を幸せにする』(日下公人、呉善花)

日下公人、呉善花の本は、それぞれかなり読んできたし、そのいくつかはこれまでにも取り上げてきた。ところがなぜか、二人の対談であるこの本だけは見過ごしていたことに気づき、さっそく読んでみた。

日下も触れているように、この対談は、呉の日本論を中心に展開し、日下がそれに対し、「できるだけ乾いた論評」で応じるという形になっている。「乾いた論評」とは、呉の日本論に対し、「そうだ、そうだ」と喜んで応じるのではなく、できるだけ客観的に冷静に対応し、ときにはすこし違った角度から応ずるというようなことだろう。日下のそうした配慮が、この対談に深みを与えていると思う。

たとえば、呉が、島国日本の狭隘な地形から、対立よりも融合に向かった日本人の特徴を説明する。山の人が降りていって海草をとったり、海岸の人が山で木をとったり、海の人が山の神を祭ったりなど、融和していくほかない自然環境があった。これに対して大陸では、山の人々、平野の人々、沿岸の人々の生活がまったく別で、融合よりも対立しながら生きてきた。これに対して日下は、そうした自然環境の影響を認める一方、たとえば中国の客家(はっか)は、団結し、円形の城のような集合住宅で暮らし、ながく独立を守り、日本のように集団のメンバーが固定していて、相互信頼が厚い例を挙げる。つまり、自然環境だけではなく、独立を守ろうとする意志の側面も無視できないと指摘るすのだ。

とはいっても二人とも、大陸のように異民族同士の紛争の中で展開した歴史が日本になかったことを、日本文化のユニークさが形成される大きな理由と考えていることは確かなようだ。大陸が異質な共同体同士の敵対的な関係を軸に歴史が展開したのに対し、日本では農耕民と非農耕民が互いを必要とする相補関係をなし、その歴史が相互信頼社会を育んだといえよう。

闘争の歴史の中で生きてきた大陸の人々は、「力の信奉者」とならざるを得ない。人間関係をどちらが強いか、上か下かで判断し、可能なら支配しよう、略奪しようと考えることが習性になってしまう。そこから、信頼を前提とした人間関係は育ちにくい。戦争が絶えないと、それが社会の常識になってしまうのは当然かも知れない。しかし、現代、まがりなりにも平和に暮らせる人々が多くなると、平和を前提とした文化である日本文化の良さが、広く受け入れられるようになる。そこに、日本のマンガ・アニメが世界に普及する理由のひとつがあるかも知れない。

この本には、まだいくつか紹介したい論点があるので、引き続き次回も取り上げたい。