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自然の二重性格が日本人を作った?:風土と日本人(2)

2014年02月10日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『風土―人間学的考察 (岩波文庫)

引き続き「日本文化のユニークさ8項目」のうち、第6番目に関連して、和辻哲郎の『風土―人間学的考察』を取り上げ考えていきたい。

(6)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

和辻は、モンスーン的風土が人間に及ぼす影響の一般的性格について論じたことを基にして、その日本的な特殊形態について具体的に検討していく。しかし和辻の具体論に入る前に、前回触れた疑問の一つについて少し考えてみたい。それは、和辻の論がモンスーンとその湿潤性とに一元化しすぎているのではないかという疑問であった。和辻は、モンスーンの湿潤は、生命に豊かな恵みを与えると同時に、暴風雨や洪水として暴威をふるう。その二重性が人間に、自然への対抗心を失わせるというものであった。しかしたとえば日本列島に住んだ古代人が、この湿潤が恵みであると同時に破壊力にもなるから対抗する気力がなくなると感じたとは考えにくい。むしろもっと素朴に、周囲の自然の恵みによって自分たちは生かされているが、同時に地震や津波を含めた自然の破壊力よって大きな苦しみもなめる、と感じていたに過ぎない。つまり自然の「湿潤性」がもっている二重性を明確に意識していたのではなく、それ以前に、恵みと破壊を同時にもたらす自然そのものへの畏敬が、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)という、神の極端な二面性への信仰となり、また日本人独特の無常観をも醸成したのである。

さて、こうした疑問点を踏まえた上で日本についての和辻の風土論の具体的分析に入っていこう。日本においてモンスーンは、「台風」とよばれるような、「季節的ではあるが突発的」で猛烈な自然の力となる。一方でそれは日本海側に世界でもまれな大雪をもたらす。日本はモンスーン域の中でも大雨と大雪という二重の現象とともなうことで特殊な風土をもつ。それは「熱帯的・寒帯的」な二重性格と呼ぶことができる。

この二重性格はまず植物のあり方に明白に現れる。強い日光と豊富な湿気を条件とする熱帯的な草木が旺盛に繁茂し、盛夏のそれは熱帯地方とほとんど変わらない。その代表は稲である。一方では、寒気と少量の湿気とを条件とする寒帯的な草木も旺盛に繁茂する。麦がその代表である。こうして大地は冬には麦と冬草とに覆われ、夏には稲と夏草とに覆われる。しかしそのように交代し得ない樹木は、それ自身に二重性格を帯びる。たとえば熱帯的植物である竹に雪の積もった姿は、熱帯の竹に見られない弾力的な曲線を描く日本的な竹である。

日本のモンスーン的風土のこの二重性格は、人間の「受容的・忍従的」なあり方にも二重性格を与えるという。

日本の人間のモンスーン的な「受容性」は、第一に「熱帯的・寒帯的」という二重性を帯びる。それは、単に熱帯的な、単調な感情の横溢でもなく、また単に寒帯的な、単調な感情の持続性でもない。日本人の感情は、「豊富に流れ出でつつ変化において静かに持久する感情」である。四季おりおりの季節季節の「変化」が著しいように、日本人の受容性は「調子の速い移り変わり」といった性格をもつ。

それは大陸的な落ち着きを持たないとともに、きわめて「活発であり敏感」である。活発敏感であるがゆえに「疲れやすく持久性を持たない」。しかもその疲労は刺激のない休養によって癒されるのではなく、新しい刺激・気分の転換などの感情の変化によって癒される。しかしそのような変化の中で、もとの感情はひそかに維持され、その意味で「持久性を持たないことの裏に持久性を隠している」という。

第二に日本人の「受容性」は、「季節的・突発的」である。変化においてひそかに持久する感情は、絶えず他の感情に変転しつつ、しかも同じ感情として持久する。そのために、単に季節的・規則的にのみ変化するのでもなければ、また単に突発的・偶然的に変化するのでもない。それは、「変化の各瞬間に突発性を含みつつ前の感情に規定させられたほかの感情に転化する」という。

次に日本の人間のモンスーン的な「忍従性」もまた、風土の二重性格に対応した二重性をもっているという。

第一にそれは、「熱帯的・寒帯的」な二重性格である。すなわち単に熱帯的な、したがって非戦闘的なあきらめでもなければ、また単に寒帯的な、気の永い辛抱強さでもない。「あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従」である。暴風や豪雨の威力は結局人間を忍従させるのだが、しかしその台風的な性格は人間のうちに戦闘的な気分を湧き立たせずにはいない。だから日本の人間は自然を「征服」しようともせずまた自然に「敵対」しようともしなかったにもかかわらず、なお戦闘的・反抗的な気分において、持久的ならぬ「あきらめ」に達したというのである。日本の特殊な現象としてのヤケ(自暴自棄)は、このような忍従性を明白に示している。

第二にこの「忍従性」も、また「季節的・突発的」である。反抗を含む忍従は、それが反抗をふくむというその理由によって、単に季節的・規則的に忍従を繰り返すのでもなければ、また単に突発的・偶然的に忍従するのでもなく、「繰り返し行く忍従の各瞬間に突発的な忍従を蔵している」という。忍従に含まれた反抗はしばしば台風的なる猛烈さをもって突発的に燃え上がるが、しかしこの感情の嵐の後には突如として静寂なあきらめが現れる。

「受容性」における季節的・突発的な性格は、直ちに「忍従性」におけるそれと関連するのである。反抗や戦闘は猛烈なほど嘆美せられるが、しかしそれは同時に執拗であってはならない。「きれいにあきらめる」ということは、猛烈な反抗・戦闘をいっそう嘆美すべきものたらしめるのである。すなわち俄然として忍従に転ずる事、言い換えれば思い切りの良い事、淡白に忘れる事は、日本人が美徳としたところであり、今なおするところである。そのもっとも顕著は現れ方は、淡白に生命を捨てるという事である。

さて以上が、和辻の分析による、モンスーン的風土の日本的な特殊形態が日本人の性格に及ぼす影響の大筋である。私がこの部分を読んでの印象は、参考になりそうなことが書かれているが、たいへん分かりにくいということだ。みなさんはどう感じただろうか。私が分かりにくいと感じる理由の一つは、「受容性」と「忍従性」というそれぞれの言葉の意味が曖昧で、その違いもあまりはっきりしないことによる。

とりあえず辞書的な意味として「受容性」とは、周囲の事物をそのまま受け入れやすい性質であり、「忍従性」とは、耐え忍びがまんして従う性質のことである。風土との関係で言えば、それらは与えられた自然環境をそのまま受け入れる性質であり、与えられた自然環境にがまんして従うことである。受入れるにしても従うにしても、それほど大きな違いはない。ほとんど同じである。和辻は、「湿潤」が「自然への対抗」を呼覚まさず、「受容的」にすると言っているが、これは「忍従的」にすると言ってもほとんど同じである。だから、これら二つをわざわざ分けて語る和辻の論に説得力がないのではないか。

和辻は、日本人の「受容性」の二重性格を語るところで、「受容性」がどのように二重の性格を帯びているかを全く語らず、ただ感情が変化しやすいが、一方で持久する面もあると言っているに過ぎず、これでは何ら受容性の説明にはなっていない。

一方、「忍従性」の二重性格については、「あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従」という難解な表現を使っている。これは、基本的にはあきらめであるが、ときに突発的に反抗を繰り返すぐらいの意味だろうか。これは、俗に「日本人は熱しやすく冷めやすい」と言われるのと対応しているかもしれない。しかし、そういう性質が、風土の「熱帯的・寒帯的」、「季節的・突発的」という二重性から、具体的にどのように生まれてくるのかについては充分な説明がなく、ほとんど説得力がない。しかし、日本の風土と日本人の性格が大雑把に何となく、そんな対応関係で考えるのも面白そうだなというヒントにはなるかもしれない。

私たちが和辻の風土論を参考にできるのは、そこに示された日本人の性格との関係性の大枠をヒントにしながら、ある程度確実に言えることは何かを検討していくことだろう。次回以降、そんな作業を行ってみたい。

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自然の恵みと脅威:風土と日本人(1)

2014年02月08日 | 自然の豊かさと脅威の中で
◆『風土―人間学的考察 (岩波文庫)

今回は、ブログの柱である「日本文化のユニークさ8項目」のうち、第6番目に関連して、和辻哲郎のあまりに有名な『風土―人間学的考察』を取り上げたい。

(6)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

和辻は、上の本の中で風土をモンスーン、砂漠、牧場に分け、それぞれの風土と文化、思想の関連を追究した。日本はもちろんモンスーンに含まれる。モンスーンは季節風であり、特に夏の季節風で、熱帯の太洋から陸に吹く風である。だからモンスーン域の風土は暑熱と湿気との結合をその特性とする。湿潤なモンスーンが日本の自然を豊かにすると同時に、台風などの暴威ともなる。まさにこの二面性が日本人や日本文化の特性にどう関係するのかを和辻は考察している。

東北大震災からすでに3年が経とうとしている。あの震災とその後の津波や原発事故は、私たち日本人に強い衝撃を与え、その後の私たちの生き方や考え方に深い影響を及ぼした。しかし考えてみればそのような衝撃と影響は、日本人がはるか昔から大きな自然災害を経験するたびに何度も受けてきたものだ。和辻はこの本の中で震災や津波といった自然災害を直接論じているわけではないが、暑熱と結合する湿潤な自然が、しばしば大雨や暴風、洪水など荒々しい力となって人間に襲いかかることが、人間の態度や思考にどのような影響を与えるかを考察している。震災の記憶がまだ生々しく残っている今、和辻の風土論を読み直すことは何かしら意味があるかもしれない。

和辻は、モンスーン域の人間が、寒冷地や沙漠の人間に比べ、自然に対抗する力が弱く、受容的・忍従的になると言い、それはモンスーンの湿潤から理解できると言う。耐えがたく防ぎがたい湿気は、人間のうちに「自然への対抗」を呼覚まさない。その理由のひとつは、「陸に住む人間とって、湿潤が自然の恵みを意味する」からである。特に夏の暑熱と湿気のなかで大地に植物など多くの生命が豊かに育ち、成熟する。湿潤な自然は生命の豊かさに関係し、だから人間はそれに対して対抗的ではなく、受容的になるというのである。

理由の第二は、湿潤が自然の暴威をもたらし、しばしば大雨、暴風、洪水、旱魃などの荒々しい力となって人間に襲いかかるからである。それは「人間に対して対抗を断念させるほど巨大な力であり、従って人間をただ忍従的たらしめる」という。沙漠の乾燥も人間に死の脅威を与えるほどに厳しい。しかし乾燥は、湿潤と違って、同時に人間を生かす力ではない。人間は自分の生の力によって死の脅威に対抗しようとする。一方、湿潤な自然の暴威は、生を恵む力の暴威であり、この点で、沙漠の乾燥の脅威とは意味が違うというのだ。

こうして和辻は、こうしたモンスーン地域の人間のあり方を「モンスーン的」と名づけ、私たち日本人もまさにモンスーン的、すなわち受容的・忍従的であるとする。そしてさらに、その日本的な特殊性を吟味していく。私は、和辻のこの風土論に大方そうだろうと思いつつ、どこかで今ひとつ素直に受け入れがたいものを感じている。それがどこから来るのかは、もう少し和辻を論を追いながらはっきりさせていければと思う。

ただ今の段階でひとつ言えるのは、和辻の論がモンスーンと湿潤性とに一元化しすぎていることに不満があるということである。人間を含めたあらゆる生命を育む豊かな自然が、時に命を根こそぎにする脅威ともなりうる。そのような自然の脅威として地震や津波が日本人にとって持つ意味は、台風や大雨に比べ破壊力も格段に大きく、無視できるものではない。日本列島に住む人々は、縄文あるいはそれ以前の昔から、豊かな恩恵をもたらすと同時に、ときに狂暴化する自然のもとで生きてきた。地震や津波を含めた、そうした自然への畏敬が、荒魂(あらたま)・和魂(にぎたま)という、神の極端な二面性への信仰となり、また日本人独特の無常観をも醸成したのである。

もうひとつ気になるのは、「忍従的」という言葉である。「受容的」の方は中立的なニュアンスに近いので気にならないが、「忍従的」の方はどこか否定的な響きがあって引っかかる。東北大震災と津波の被害のあと、日本人が示した行動は、否定的どころか世界に驚嘆される素晴らしいものだった。「東日本大震災と日本人(2)日本人の長所が際立った」や「日本文化のユニークさ24:自然災害が日本人の優しさを作った」などの記事を参照してほしい。「忍従的」にまつわる問題については、モンスーン的風土の日本的特殊形態についての、和辻の具体的な分析に触れるときにまた考えることになるだろう。

《関連図書》
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幕末の日本の何に驚いたのか

2014年02月06日 | 侵略を免れた日本
◆『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

この本は一度、「子どもの楽園(1)」、「子どもの楽園(2)」という記事で取り上げたことがある。江戸末期から明治初期の日本を、そのころ来日した外国人がどう見ていたのか、膨大な資料を駆使しながら克明におっていく。そこから浮かび上がるのは、封建的な圧政のもとに苦しむ農民や町民といったイメージとは程遠い姿だ。貧しいながらも、この頃の日本は、こんなにも豊かで人間味に満ちた面影をもっていたのかと、かつての自分たちの国の本当に姿に深い感慨を感じずにはいられない。今回は、この本の第7章「自由と身分」を取り上げるが、例によってこのブログの柱になっている「日本文化のユニークさ8項目」と関連づけながら見ていきたい。今回、関連を見たいのは、第4項目めである。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

幕末から明治い初期の日本に滞在した多くの欧米人の驚きの中で最大のものは、日本人民衆が生活にすっかり満足しているということだったという。まず1820年から29年まで、出島オランダ商館に勤務したというフィッセルの次の言葉をみてみよう。「日本人は完全な専制主義の下に生活しており、したがって何の幸福も満足も享受していないと普通想像される。ところが私は彼ら日本人と交際してみて、まったく反対の現象を経験した。専制主義はこの国では、ただ名目だけであって実際には存在しない」。「自分たちの義務を遂行する日本人たちは、完全に自由であり独立的である。奴隷制という言葉はまだ知られておらず、封建的奉仕という関係さえ報酬なしには行われない。勤勉な職人は高い尊敬を受けており、下層階のものもほぼ満足している」。「日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたっていることを知ることができよう」。

このような観察は特殊なものではない。イギリスの外交官で初代駐日総領事だったオールコックも、民主的制度を持っていると言われる国よりも「日本の町や田舎の労働者は多くの自由をもち、個人的に不法な仕打ちをうけることもなく、この国の主権をにぎる人々によってことごとに干渉する立法を押付けられることもすくないのかもしれない」と語る。オールコックはさらに、下層階級の日本人が身をかがめて主人の言いつけを聞いている姿にさえ、奴隷的というより、「穏やかさと人の心をとらえずにはおかぬ鄭重さ」を感じ取った。

日本で海洋技術を指導したオランダ海軍軍人・カッテンディーケもまた言う、「日本下層階級は、私の見るところをもってすれば、むしろ世界の何れの国のものよりも大きな個人的自由を享有している。そうして彼らの権利は驚くばかり尊重せられていると思う」。これ以外にも多くの人々によって類似の発言が見られ、欧米人たちが江戸期の日本に、思いがけない平等な社会と自立的な個人を見出していたのがわかる。

デンマーク海軍の軍人で幕末の日本に滞在したスエンソンは言う、「日本の上層階級は下層の人々を大変大事に扱う」、「主人と召使の間には通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西洋自由諸国にあってはまず未知の関係といってよい」と。さらに明治中期に日本に滞在したアメリカ人女性教育者であったアリス・ベーコンも「自分たちの主人には丁寧な態度をとるわりには、アメリカとくらべると使用人と雇い主との関係はずっと親密で友好的です。しかも彼らの態度や振る舞いのなかから奴隷的な要素だけが除かれ、本当の意味での独立心を残しているのは驚くべきことだと思います。私が判断するかぎり、アメリカよりも日本では家の使用人という仕事は、職業のなかでもよい地位を占めているように思います」。

これらの言葉を読んで私がとくに印象に残るのは、奴隷制、奴隷的などの言葉である。フィッセルが日本では「奴隷制という言葉がまだ知られていない」と言うのは、日本に奴隷制はなく、欧米人がアフリカや南北アメリカで展開した奴隷制についても日本人がほとんど知らなかったということだろう。オールコックも、日本の主人と召使との間に奴隷的なものを感じさせるものがなく、人と人との間の鄭重さを感じて心打たれた様子である。逆に言えば、欧米では主人と召使の関係が奴隷制に端を発する何かしら主人と奴隷の関係を匂わせるものだったということである。スエンソンも、主人と召使との間の、欧米にはない友好的で親密な関係に感銘を受けた様子がうかがえる。また南北戦争が終わっってそれほど経っていない時期に日本にやってきたアリス・ベーコンが日本の主従関係に奴隷的な要素がないことに強い印象を持つのは、アメリカの奴隷制のことを考えれば当然なのかもしれない。

幕末の頃、つまり19世紀末、欧米の列強は世界中に植民地をもち、そこの住民を奴隷的に扱っていた。しかしそれだけでなく、欧米諸国の内部にもかなり強い階級差があり、上層階級と下層階級との間には、日本の上級者と下級者との間に見られるような「丁寧で温和」、「友好的で親密」な関係はなかった。そこにはどこか主人と奴隷の関係に似た冷徹なものがあった。だからこそ、日本にはそれがないことに強い印象を受けるのである。

ではなぜ日本の主従関係に、奴隷性的な匂いが感じられず、むしろ温かい人間的なものが通っているのかといえば、それが最初にあげた日本文化のユニークさのひとつ、「異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず」、征服民が被征服民を奴隷的な隷属状態に置くような支配関係が歴史上ほとんどなかったことに関係するのではないか。

異民族に制圧されなかったことが、日本を相対的に平等な国にした。もし征服されていれば、日本人が奴隷となりやがて社会の下層階級を形成し、強固が階級社会が出来上がっていたかも知れない。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが、日本人のもっとも基本的な価値感となり、そういう信頼を前提とした庶民文化が江戸時代に花開いたのだ。江戸末期に日本を訪れた欧米人が残した多くの記録に、そうい日本に接した驚きが見事に表現されているのである。

「逝きし世の面影」は、現代の日本の社会から完全に消えてしまったわけではない。むしろ私たちの日常の人間関係の中にも、東北大震災のような危機的状況でのいたわり合いの関係のなかにも歴然と生きている。私たちは、ユニークな日本の歴史の中で受け継いできた私たちの長所をはっきりと自覚し、それを守り、後の時代に引継いでいくべきだろう。


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その他の「日本文化のユニークさ」記事一覧

《関連図書》
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
☆『日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること』)
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
☆『世界に誇れる日本人 (PHP文庫)
☆『日本とは何か (講談社文庫)
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日本の長所と神道(3)

2014年02月03日 | 日本の長所
◆『本当はすごい神道 (宝島社新書)

前回は縄文・弥生文化と神道の関係について触れた。その上で今回は、「日本の長所11項目」(→「自覚すべき日本の良さ」参照)と神道の関係について、上の山村氏の本も参考にしながら、私なりに考えてみたい。

山村氏は、神道の構造を三角形で図式化して三つの観点からとらえている。第一の角に日本人の「美意識」があり、第二の角に「日本人の生き方」があり、第三の角に「魂」がある。

まず「美意識」についてだが、神社では、鳥居をくぐり、参拝の前に「手水舎」で手と口を注ぐ。これは「禊ぎ」を簡略化したものだという。日本人の長所の一つに清潔さ、きれい好きということを挙げたが、それと神道の禊ぎの精神が深く関係するは確かだろう。問題は、では禊ぎの精神そのものはどこからやって来たのかということだ。これは推測の域を出ないが、禊ぎは太古からの日本列島の自然環境に深く関係していると思われる。大陸の大河に比べればほとんど急流といってよいような河があちこちに流れ、しかも豊かな森を経ることできれいに澄んでいた。その流れで身を清めた体験が、いつか禊ぎの心を育んでいったのではないか。

また自然災害の多さも、どこかで禊ぎの精神に繋がっているかもしれない。私たちの祖先は、人間の手によって築いたものが自然の力によっていとも簡単に破壊され、あとかたもなくなってしまうという体験をいやというほど重ねてきた。すべてを破壊され、否応もなくゼロの状態に引き戻される。いつしかため込んでいた穢れを、自然の力によってはぎ取られてしまう。そのたびに生まれ変わったかのように心を新たにして再出発する。自然環境に根ざすそういう体験も、禊の心に関係があるのかもしれない。

神道の三角構造の第二の角は、「日本人の生き方」である。山村氏は、本の中に示された三角形の構造図の中で、具体的には礼儀作法、伝統文化、思いやり、おもてなし、謙虚さなどの特徴を挙げている。これは、以下の「日本の長所11項目」のうち、1)~6)に関係するだろう。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

これらもおそらく、日本列島の太古からの歴史のなかで長い年月をかけて育まれきたものであり、その意味でも神道の精神と表裏一体である。その多くは、遠く縄文時代にまで遡ることができるだろう。1万数千年も続いた縄文時代が平和で平等な社会であったことについてはなんども触れた(→日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤強い日本女性のルーツは?など)。縄文人が基本的には狩猟・漁撈採集の民であったことが社会の平等性と維持できた最大の理由だっただろう。しかも縄文時代は、湿潤で森の豊かな環境のなかで1k㎡の土地で3人を養うことができたという。世界の狩猟採集時代の平均では0.1人だから、日本の土地は世界平均の30倍の扶養能力があった。自然の豊かさは争いの原因を少なくする。さらに母系社会であったことが平和な社会を保つ大きな原因となった。平和や平等性が保たれない社会では、謙虚さや思いやりなどは育ちにくい。

前回見た通り、大陸からの渡来人が一気に大量に押し寄せることもなく、まして彼らは牧畜民はなく稲作漁撈民であったため、縄文人が培ってきた精神性や宗教心は、かなり色濃く弥生時代に流れ込み、融合していった。この段階でもし、大陸の諸民族の間にあったような征服民と被征服民の強固な支配-被支配関係が成立していれば、縄文時代以来の遺産は引き継がれなかっただろう。

縄文文化が弥生文化と融合していったという事実は、日本列島に住む私たちの原体験の一つといってよいと思う。日本文化のユニークさとして挙げた四番目は、「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった」ということである。縄文人が被征服民として支配下に置かれていれば、それは大規模な奴隷制の発端になっていたかもしれない。渡来人との間でそうした熾烈な関係がなかったからこそ、大陸の進んだ文化を屈託なく学び受け入れるという、その後現代にまでつらなる日本人の精神態度が生まれたのである。

上の「日本の長所11項目」を眺めると、そのおおくが何らかの形で性善説の人間観に関係していると思うが、とくに2)~6)あたりは関係が深い。人間の誠意や真情を互いに信頼することで、社会の「和」や秩序が保たれる。自分のわがままを抑えることで、相手も譲ってくれ、そこに安定した「和」の関係ができるという性善説を無意識のうちに共有しているから、規律や秩序、治安のよさ、謙虚さ、親切、思いやりなどが維持される。

では、こういう日本人の特徴はどこから来るのかと言えば、その源は縄文時代であろう。そして弥生人が渡来した時期も含め、長い歴史を通じて異民族による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたなかったことがいちばん重要な要素だと思う。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが可能だったし、それを育て守ることが日本人のもっとも基本的な価値感となった。その背後には人間は信頼できるものという性善説が横たわっている。

加えて、弥生時代以降の日本は稲作農業を基盤とした社会であった。人口の8割以上が農民であり、田植えから刈入れまでいちばん適切な時期に、効率よく集中的に全体の協力体制で作業をする訓練を、千数百年に渡って繰り返してきた。侵略によってそういうあり方が破壊されることもなかった。礼儀正しさ、規律性、社会の秩序、治安のよさ、勤勉さ、仕事への責任感、親切、他人への思いやりなどは、こうした歴史的な背景から生まれてきたのであろう。

異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。

日本にそのような異民族による制圧の歴史がなかったことが、日本を階級によって完全に分断されない相対的に平等な国にした。武士などの一部のエリートに権力や富や栄誉のすべてが集中するのではない社会にした。特に江戸時代、庶民は自らの文化を育て楽しみ、それが江戸文化の中心になっていった。庶民は、どんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持つことができる。自分の仕事に誇りや、情熱を持つことができる。

階級によって分断された社会では、下層階級の人々はどこかに強力な被差別意識があり、自分たちの仕事に誇りをもつという意識は生まれにくい。奴隷は、とくにそういう意識を持つことができない。日本文化のユニークさのひとつは、奴隷制を持たなかったことであった。奴隷制の記憶が残り、下層階級が上層階級に虐げられていたという記憶が残る社会では、労働は押し付けられたものであり、そこに誇りをもつことは難しいだろう。

このように日本人の長所は、日本列島という自然環境と縄文時代以来の長い歴史のなかで様々な要素に影響されながら作られてきた。神道も同様な様々な要素に影響されて形づくられた。というよりも、その地理的、歴史的環境の中で育まれてきた、日本人の世界観、価値観、様々な風習や風俗こそが、「神道」の実体をなしているのだ。だから日本人の長所が、どれも神道と深く関係しているのは、当然といえば当然なのである。

《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

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日本の長所と神道(2)

2014年02月02日 | 日本の長所
投稿が遅れたが、引き続き『本当はすごい神道 (宝島社新書)』に、私が挙げた「日本の長所11項目」(→「自覚すべき日本の良さ」参照)が引用されていたことをきっかけとし、「日本の長所と神道」というテーマで考えてみたい。その際、振返るのはやはり、このブログの柱になっている「日本文化のユニークさ8項目」である。その第一から第四までの項目は次のようなものであった。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。

(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

従来の多くの神道学者は、神道を弥生文化以降の農耕文化に根ざすと考えていた。これに対し何人かの研究者は、稲作、農耕以前の縄文時代から神道の母型があると主張してきた。私は、このブログで何度も縄文文化と弥生文化の融合ということを主張してきたので、当然後者の立場をとる。

1万数千年に及ぶ縄文時代は、本格的な農耕を伴わないにもかかわらず、複雑な文様を持つ土器、煮炊きに使う土器をもち、しかも、かなりの規模で定住するという、世界史的にも独自な位置づけをもつ時代であった。列島に住む人々が、その長い体験によって独自の文化や宗教心、世界観を培っていたのは確かなことだ。その体験が、神道に強く反映されていないと考えるのは不自然だ。

縄文時代から弥生時代への移り変わりは、大量の渡来人が一気に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。大陸から一度に渡来できる人数はごく限られたものだったろう。少しづつ渡来しては列島の風土に馴染んでいったであろう。日本文化のユニークさ8項目のうちの(4)の「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった」という事実は、縄文時代から弥生時代という日本という国の創成期にも当てはまるのである。

現代人に占める縄文系と渡来系の血の配分は、1対2ないしは1対3だとされ、大量の渡来人が流入してきたと信じられてきた。しかし、渡来人が北九州に稲作を根づかせ、少なからぬ縄文人も稲作を受け入れ、渡来人と混じり合っていったとすれば、どうか。狩猟採集民は自然環境とのバランスの中に生きざるを得ないので基本的に人口は増加しないが、稲作民の人口増加率はかなり高い。それが渡来系の血を圧倒的に多くしていった。しかし文化的には、縄文系の風俗、習慣、信仰心などに溶け込んでいったので、縄文文化は抹殺されず、むしろ生き生きと後の時代に受け継がれていくことになったのである。つまり、日本の歴史はその原初から、従来の文化を基盤としつつそこに新しい文化を取り入れ、自分たちに適した形に変えていくという、その後何度も繰り返えされる歴史の原型を作っていたのである。

こうした事情に加え、もう一つユニークな視点を紹介したい(『対論 文明の原理を問う』)。それは、日本列島に稲作を持ち込んだのは長江流域にいた稲作漁撈民だったのではないかということである。彼らは、4200年前に気候変動によって北方からやってきた畑作牧畜民に追われて、貴州省や南雲省の山岳地帯、さらには台湾や日本列島に逃げたという。もちろんこれは、日本文化のユニークさの3項目目、「ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した」に深く関係する。

長江文明の人々は太陽信仰をもっていたが、それは女神であった。中国の少数民族であるイ族やミャオ族も同様に、女神としての太陽を信仰する。これに対し漢民族の太陽神は炎帝であり、男性神だ。ギリシア神話のアポロンも男性神だ。つまり稲作漁撈民の太陽神は女神であり、畑作牧畜民の太陽神は男神である。もちろん日本でも太陽神はアマテラスであり、女神だ。

さらに稲作漁猟民にとっては、山も崇拝の対象であった。 長江の人々も山を大切にしていた。なぜなら稲作に必要な水は、山から川となって流れてくるからだ。川の源流がある山は、最も聖なるものだった。しかも山は、天と地をつなぐ架け橋であり、梯子だった。日本の会津磐梯山も天と地をつなぐ磐の梯子ということだろう。天と地が結ばれることによって豊饒の雨がもたらされる。それは、天地を結合し豊饒をもたらす聖なる柱という考え方と結びつく。伊勢神宮には心御柱があり、熱田神宮には五柱があり、諏訪大社にも御柱がある。

縄文人にとっても山は、その下にあるすべての命を育む源として強烈な信仰の対象であっただろう。山は生命そのものであったが、その生命力においてしばしば重ね合わされたイメージがおそらく大蛇、オロチであった。ヤマタノオロチも、体表にヒノキや杉が茂るなど山のイメージと重ね合わせられる。オロチそのものが峰神の意味をもつという。蛇体信仰はやがて巨木信仰へと移行する。山という大生命体が一本の樹木へと凝縮される。山の巨木(オロチの化身)を切り、麓に突き立て、オロチの生命力を周囲に注ぐ。蛇は再生と循環の象徴でもある。そのような巨木信仰を残すのが諏訪神社の御柱祭ではないか。

つまり日本列島に稲作を伝えた人々は、もともと日本列島に住んでいた人々とよく似た生命観・世界観をもっていた。それゆえ縄文人の文化や宗教心は、弥生人のそれと自ずと融合していくことができたのではないか。縄文人の心性を大きく三つに整理すれば次のようになるだろう。 第一に、豊かな自然の中で育まれた、自然への畏敬を基盤とする宗教的な心性。第二に、豊かな自然の恵みを母なる自然の恵みとみなす母性原理の心性。第三に、農耕の発達にともなう階級の形成や、巨大権力による統治を知らない平等で平和な社会が1万数千年も続いたことから来る強い平等意識である。このうち、第一と第二の心性が、弥生人が携えてきたものとかなり響きあうものだったのだ。

縄文人の遺跡には、貝塚などの遺跡と並んで石群や木柱群がある。以前に触れたように、石群と木柱群は「先祖の祭祀」と「太陽の観測」という二つの機能をもつと思われる。縄文人は、太陽と先祖の二つを拝んでいた。そして竪穴住居で大切に守られた火は、太陽の子であった。ところで太陽と先祖とはどのように結びつくのか。縄文人は、氏族の先祖を遡ったおおもとに元母のイメージをもっていただろう。その元母と太陽の両方の性格をそなえていたのは、女性神アマテラスである。元母の根源にアマテラスを見ると、先祖信仰と太陽信仰は完全につながるというのである。つまり縄文人の宗教心は、母系社会の先祖信仰と「母なる自然」への信仰、その大元としての太陽信仰とが結びついていたのではないか。

以上で見てきたように、自然への畏敬、再生と循環の生命観、太陽信仰、山岳信仰、先祖への尊崇の念などは、この日本列島に縄文時代から培われてきたと同時に、大陸から渡来したもかなり共通した世界観をもっていた。それゆえにそれらは融合し、縄文人の心は現代日本人の心にまで受け継がれることになった。

神道は「宗教」であると認識することが困難なくらいに、日本人の価値観や文化、習慣に溶け込んでいる。その源流を探れば、遠く1万年以上前から、縄文人がこの日本列島で培ってきた「宗教心」に至りつくのだ。

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